もみさんの一日一冊遊書録( 2011年9月1日 スタート!: メメント・モリ ) ~たゆたえど沈まず~

年とともに人生はクロノロジー(年代記)からパースペクティブ(遠近法)になり、最後は一枚のピクチュア(絵)になる

150215 衆参両院の「テロ非難決議」を非難する!「テロの本質」を真面目に語る政治家はいないのか!

 真面目に「テロの本質」を考えれば、その原因が、決して宗教の違いにあるのではなく、世界的に広がる富の偏在、極端な格差拡大、差別構造の継承、及びパレスチナ問題、それらによる<若者たちの絶望>にあることは、実は誰もがわかっていることだろう! それを「世界には凶悪なテロリストが大勢いて、こいつらを叩き潰せばテロが無くなる」なんて話に無理やりすり替えている。誰も、「テロの本質が、日本・世界の社会構造が抱える富の偏在・格差の拡大及びパレスチナ問題の<野放し状態>にこそある」という本質を語らないし、見させようとしない。そして、凶悪なテロリストへの恐怖ばかりを煽りたてている。これはまさにオーウェルの「一九八四年」の世界と同じだ。今回の国会の「テロ非難決議」に社民党・共産党まで加わっていたのには、あきれ果てた。「誰も本質を見ようとしない。」「武力で世界中の<絶望した若者たち>を封じ込めるべきではないし、不可能だ!」

秋原葉月さん「Afternoon Cafe」ブログから

※(1)「もちろん、普通の人間は戦争を望まない。しかし、国民を戦争に参加させるのは、つねに簡単なことだ。とても単純だ。国民には攻撃されつつあると言い、平和主義者を愛国心に欠けていると非難し、国を危険にさらしていると主張する以外には、何もする必要がない。この方法はどんな国でも有効だ」byヘルマン・ゲーリング ※(2)いつの時代も大衆をファシズムに煽動する手口は同じ。なのに同じ手口に何度も騙されるのは過去に学んでいないから。格差を広げ、セイフティネットを破壊し、冷徹な自己責任論が横行する社会を継続させるのは簡単だ。今よりもっと格差を広げ、セイフティネットを破壊する政策をとればよい。そうすれば人々に自己責任論がもっと浸透し、草の根から勝手に右傾化してくれる。

辺見庸さんのブログから

・権力をあまりに人格的にとらえるのはどうかとおもう。口にするのもおぞましいドブの目をしたあの男を、ヒステリックに名指しでののしれば、反権力的そぶりになるとかんがえるのは、ドブの目をしたあの男とあまり変わらない、低い知性のあらわれである。権力の空間は、じつのところ、非人格的なのだ。だからてごわい。中心はドブの目をしたあの男=安倍晋三であるかにみえて、そうではない。ドブの目をしたあの男はひとつの(倒錯的な)社会心理学的な表象ではありえても、それを斃せば事態が革命的に変化するようなシロモノではない。権力には固定的な中心はなく、かくじつに「われわれ」をふくむ周縁があるだけだ。ドブの目をしたあの男は、陋劣な知性とふるまいで「われわれ」をいらだたせ、怒らせるとともに、「われわれ」をして社会心理学的に(かれを)蔑視せしめ、またそのことにより、「われわれ」が「われわれ」であることに無意識に満足もさせているのかもしれない。ところで、「われわれ」の内面には、濃淡の差こそあれ、ドブの目をしたあの男の貧寒とした影が棲んでいるのだ。戦争は、むろん、そう遠くない。そう切実にかんじられるかどうか。いざ戦争がはじまったら、反戦運動が愛国運動化する公算が大である。そう切実に予感できるかどうか。研ぎすまされた感性がいる。せむしの侏儒との「ふるいつきあい」がベンヤミンのなにかを決定した。そう直観できたアレントほどするどくはなくても、研ぎすまされた感性がいる。けふコビトがきた。ミスドにいった。(2015/11/11)

181231 病床の日々 人生最悪?の年の瀬 

2018年12月31日 23時31分07秒 | 日記
12月31日(月)

年休をとった27日(木)から風邪をひき、すぐ治るだろうと思っていたらどんどん悪化していった。普通の風邪ではない。節々がだるく、力が湧かない。そのうちに締め付けられるような感じになり、上半身を中心に痛み始めた。胸が痛い。ひどく寒気がする。薬を飲むが治る気配もない。無理をして起きていると嫌な冷汗をかいてシャツがべっとり体に張り付いて、収拾のつかない体調悪化になった。ただただひたすら横になって寝ているしかなかった。昨日は、高価な強壮剤を飲んで無理やり起きて、何とか年賀状書きを済ませたが、今日も午後遅くまで寝ていてようやく起きだした。どうやら峠は越えたようだが、体が受けたダメージはかなり大きい。元に戻るのには、まだしばらくかかりそうだ。

こんなにきつい風邪をひいたのは、約一年ぶりぐらいだろか、まず衰えている視力にもろに影響して活字が読み難くなる。もちろん気力も萎えているので本は全く読めない。本を読めないのは、俺の精神衛生的には致命的である。病気になって、改めて健康であることの有難さ、健康維持の必要性がわかる。
 

181231 平成最後の年の瀬、忘れないことが我々の闘いだ。

2018年12月31日 23時24分19秒 | 時代の記憶
12月31日(月):

やったふり、やってるふり、空疎にして根っこの問題を見るのを避けてるので決して実を結ぶことはない政治?がだらだらと国民・市民の血税をダニやシラミのように吸って続いていく。この6年間、アベ・アソウ、チンピラ政権によって行われたことで大きな後退はあったが、前進は何ひとつ思いつかない。近くは、北朝鮮拉致被害者問題、ロシアとの北方領土問題解決など。これほど冷たく下らない権力は、戦前、戦後を通じて俺は知らない。

例えば戦前であれば、西園寺公望ら元老による推薦で昭和天皇が首相任命を行っていた。そのため首相であっても好き勝手なことはできなかった。時代ごとの制約・条件を外して素のままで見た場合、今のアベ・アソウ政権は、教養の低い、責任感・使命感の薄い、私的権力欲のみで存在し続ける、歴代内閣中でずば抜けて”愚劣”な政権であると言える。

朝日デジタル(社説)平成の30年 それでも、確かなことは  2018年12月31日05時00分
 平成最後の天皇誕生日、一般参賀。2時間半立ちっぱなしで待ち続け、11時50分、さあ、いよいよ。
 「天皇陛下万歳!」
 声を上げたのは、民族派新右翼団体「統一戦線義勇軍」議長の針谷大輔さん(53)。朝6時半までタクシーに乗務し、30分仮眠して駆け付けた。「万歳!」。メンバーが後に続くが、広がりはない。会場を満たすのは日の丸の小旗が振られる音。パタパタパタ。皆が息を合わせて振り、下ろし、お言葉に静かに耳を傾け、粛々と帰途につく。

 ■格差拡大と「成熟」
 「最後だから、実物を見てみたいと思って」と話す、平成元年生まれの女性2人組。「こんな大変なイベントとは思ってなかった」と、ディズニーランドの待ち時間と比較していた20代前半くらいの男性グループ。
 熱狂はない。屈託もない。
 「つまり、『自然』ってことですよ」。針谷さんは滔々(とうとう)と語る――世の中は足早に変わる。人は自分の存在意義がわからず不安になる。冷戦が終結し、災害が頻発した平成は特にそう。でも、陛下は変わらずいて下さる。安心する。ありがたいと思う。それはごく自然な感情でナショナリズムとは違う。あなたたちリベラルは、そういう感情を否定しすぎた、だから今、力を失っているんですよ――。
 どう答えるか思案するうち、皇居外苑で記帳を待つ長い列に行き当たった。針谷さんがつぶやく。「この列の長さは、不安の深さなのかもしれませんね
 この日集まったのは8万2850人。平成で最多だった。
 今年話題となった「新・日本の階級社会」。著者の橋本健二・早稲田大教授は「格差社会」という言葉が認知された最初の例は、1988年11月19日付の朝日新聞社説「『格差社会』でいいのか」ではないかと書く。元号が平成になる約2カ月前、時はすでにバブル。昭和最後の国民生活白書は、国民の格差に対する意識は「成熟化しつつある」とした。多くが「格差は拡大した」と実感していたが、個人の選択や努力で生じた格差は容認する傾向が強い、と。
 社説はこれを真っ向批判した。「資産課税の強化を求める声を、『女こどものひがみ』と切り捨てた政治家がいた。ひがまないのを成熟した『おとなの意識』というのなら、未熟の方がましだ」
 そして、30年。バブルの崩壊、就職氷河期、ワーキングプア……。個人の選択や努力では覆せぬ理不尽に、当事者も傍観者も仕方ないと独りごち、社会は熟した。いびつに、過剰に。

 ■残酷な個別化の浸透
 90年代半ば以降、日本の若者は雇用環境や労働条件の変化に翻弄(ほんろう)された。一方、経済の低迷や閉塞(へいそく)の原因は若者の「劣化」だとの言説が広まった。「ニート」批判はその典型だ。
 「結果、若者の雇用状況に対する政策的な対処が極めて不十分なものにとどまり、個々人のサバイバルを称揚する社会的風潮が色濃くなった。罪が深い」と、教育社会学者の本田由紀・東京大教授は話す。さらに、学校教育へのてこ入れも強化される。その基盤は2006年、安倍政権のもと、教育基本法の改正によって整えられた。
 幸福度や満足度は高いが、自己否定的。自分の能力だけで生き抜かなければと強迫観念を持ち、能力がないやつがどうなろうと知ったことではない、現状に不満はあっても変えようなんて思えない――そんな「残酷で個別化された意識」が、平成の若者の間に広く深く浸透していると本田さんは見る。ただし、若者はただバラバラにされているだけではない、とも。

 ■「自然」ってなに?
 こんなデータがある。福岡県の高校生約1600~1700人を対象に、01年、07年、13年に実施した調査結果によれば、「日本の文化や伝統は他の国よりも優れている」を肯定するのは29%→38%→55%。「行事の際に国歌・国旗を用いるべきだ」を肯定するのは、17%→26%→39%だった(友枝敏雄編「リスク社会を生きる若者たち」)。
 「つまり、『自然』ってこと」。その言葉を反芻(はんすう)する。
 天皇は、国民統合のあくまで「象徴」である。この社会のあちこちにある亀裂や分断線を修復し、「共に生きている」という安心感を醸成する責任は政治にある。ところが今、その役回りを象徴天皇に背負わせてしまっていないか。人々が抱いている不安や不満から目をそらし、力で抑え込むことさえいとわない安易かつ無責任な政治のもとで、もしなにか生きづらさを感じるのなら、声をあげ、政治に責任を果たさせる。それこそが「自然」ではないだろうか。
 もうすぐ平成が終わる。
 この先、なにがどう変わるのか、それはわからない。ただ、「こんな社会にしたい」という意志を持つことなしに、自分たちが望む社会は生まれ得ない。
 そのことだけは、確かだ。

朝日デジタル(社説)安倍政権2018年 政治責任とらぬ悪例残す  2018年12月30日05時00分
 ことしは日本政治史に大きな汚点を残した。
 財務省による組織的な公文書の改ざんと廃棄である。国会と国民を欺き、歴史を冒涜(ぼうとく)する。民主主義の根幹をずたずたにする大事件だった。
 それなのに、安倍首相は麻生太郎財務相を続投させた。麻生氏もみずから身を引くことはなかった。
 未曽有の不祥事でも、政治責任を取らない。悪(あ)しき前例をつくってしまった。


 ■麻生財務相の居座り
 「私や妻が関係していれば、首相も国会議員も辞める」
 安倍首相のこの国会答弁の直後から、森友学園との土地取引に関する公文書の改ざんが始まった。昨年2月のことだ。
 朝日新聞が今春に報じて発覚した。だが、その後の財務省の調査はおざなりだった。
 国有地がなぜ8億円も値引きされたのか、問題の核心は不明のまま。学園の名誉校長をつとめた首相の妻昭恵氏から直接、話を聴くこともなかった。
 改ざんは国有財産を所管する理財局内であったとして、当時の理財局長ら20人を処分した。麻生氏は1年分の閣僚給与170万円を自主返納するだけだ。
 行政への信頼を失墜させながら、その重い責任を政治家が正面から受けとめず、もっぱら官僚に負わせる。
 これでは、社会全体のモラルが崩れてゆく

 ただでさえ、麻生氏については、閣僚としての見識を欠く言動が相次いだ。
 改ざんの方向性を決定づけたとされる幹部を「適材適所」と評価し続ける。財務省の調査ではっきりしなかった改ざんの動機を問われ、「それが分かりゃ苦労せん」と言い放つ。財務事務次官のセクハラについても、「はめられて訴えられているんじゃないか」。

 ■問われる閣僚の資質
 この1年、安倍政権の閣僚は多くの問題を引き起こした。
 しかし、麻生氏が重要ポストに居座ったことで、閣僚たちがおのれの責任を軽んじる風潮がまんえんしたように見える。
 柴山昌彦文科相は就任早々、「教育勅語」を「道徳などに使える」と発言した。片山さつき地方創生相は政治資金収支報告書を短期間に4度も訂正した。河野太郎外相は記者会見で4回続けて「次の質問どうぞ」と記者の質問を無視した。
 答弁の粗雑さも目立った。
 野党の質問をはぐらかし続ける加藤勝信厚労相(当時)らの手法は、パンは食べたが米は食べていないので、「朝ご飯は食べていない」と答える「ご飯論法」と命名された。
 山下貴司法相は、外国人労働者の受け入れを拡大する出入国管理法改正案の審議で、技能実習生が法令に反する労働環境に置かれていたのを隠すような説明を繰り返した。
 閣僚の野放図さに加えて、与党の強引な国会運営が、立法府の空洞化をさらに進めた。
 働き方改革法も、参院の定数6増も、カジノ実施法も、入管法改正も、噴き出た異論や慎重論をねじ伏せて採決を強行し続けた。
 これまでも安倍政権は、特定秘密保護法、安全保障関連法、「共謀罪」法などを「数の力」で成立させてきた。その手法が極まった観がある。

 ■42年前の警句いまも
 政治責任をないがしろにする政治は首相自身がつくった。
 森友・加計問題について、いまだに国民が納得できる説明をしていない。森友問題では「贈収賄はないという文脈で関わっていない」と述べ、責任を限定する構えを示した。
 しかし、刑事責任がなければいいという話は通じない。国民の負託を受けて公権力を行使する政治家には、より幅広い政治的道義的責任が求められる。

 現状に通じる警句がある。
 「政治責任が有効に機能しないところには民主主義が存在しない
 憲法学の杉原泰雄・一橋大名誉教授の言葉だ。42年前のロッキード事件の際に発せられた。疑惑をもたれながら刑事責任までは問えない「灰色高官」が話題になったころだ。
 時代状況は違うが、安倍政権のもとで、民主主義はいま危機的状況に陥っている。
 典型例が、国会での採決強行沖縄の辺野古の海への土砂投入だ。「上意下達」で異論を切り捨てる姿勢は、少数意見も尊重し、自由な討議を通じて政策や法律を練り上げる民主主義のあるべき姿からはほど遠い。
 それでも政権への支持は底堅い。朝日新聞の12月調査でも内閣支持率は40%あった。
 理由は「他よりよさそう」が圧倒的だ。経済はそれなり。野党は頼りない。だからとりあえず現状維持でいい、ということなのだろう。
 だが、年の瀬に改めて問う。
 政治責任を顧みず、「多数に従え」という政治を、来年も続けますか。

181127 日本政府、IWC脱退表明。夜郎自大、無知蒙昧、ここに極まれり!松岡洋右を思い出した。

2018年12月27日 14時04分42秒 | 徒然・雑感
12月27日(木):      

日本政府は国際捕鯨委員会(IWC)脱退を表明したそうだ。アメリカのそれも、あのゲスのトランプのどんなに汚い理不尽な要求でも、日本国民の<血税>をどぶに捨てるように犠牲にして平気で受け入れてきた売国奴のアベ政権。それが、いきなり世界の潮流に真っ向から反対してIWCを脱退するのは、アメリカ以外の<国際社会の日本を観る目>、「世界にどんな印象を与えるのか」が見えていないということだ。

アメリカの汚いケツの穴を舐め続けながら、今さら大国としてふるまいたいというのか?。わがまま勝手が大国としてのふるまいだと勘違いしている。あまりの愚かさに、「理解に苦しむ」としか言えない。日本の伝統文化として<捕鯨>を護りたいのであれば、あくまでもIWCに留まって、その枠組みの中で精一杯、全力で日本の立場を主張し続けるべきだろう。

トランプに強制されて買わされる超高額な戦闘機一機分の予算を削ってでも、国際社会に日本の立場をアピールすべきである。それをしないで、いきなりIWC脱退というのは、日本国内の一体どの勢力の顔色を見て決めたというのか。そこまでの勢力がいるわけがない。今の日本人の関心は、全体としてそこまで捕鯨に向いていない。日本の世論の動向は、全く無視されている。あまりの突然さにわけがわからない。 

大局が見えていない!。この感度の悪さは一体全体どういうことか?夜郎自大で無知蒙昧、勉強嫌いの低能児が今の日本の為政者だということ。1933年の国際連盟脱退の松岡洋右を思い出す。一体全体、日本政府はこんなところで粋がって何をしたいんだ?喫緊の守るべきものは他に数えきれないほどあるだろう。

※夜郎自大:自他の位置関係を正確にはかれない視野の狭さから、世間知らずとなり、自分が偉いのだと錯覚してみだりに尊大に振舞うことのたとえです。因みに、これに似た諺に ”井の中の蛙(かわず)”があります。




181226 重松清原作、大森寿美男脚本・監督映画「アゲイン 28年目の甲子園」(2015)感想4+

2018年12月27日 03時29分21秒 | 映画・映像
12月26日(水):    (集英社文庫:2014)
BS録画を繰り返し観た。重松清の作品は、優しい。奥行きがある。中井貴一、柳葉敏郎はやはり良い役者だ。丁寧に良く作り込まれた達者な佳品と言える映画だった。

負け犬とは、負けた奴ではなく、負けることから逃げた奴のことだ。

181225 映画「ワンス・アポン・ア・タイム・イン・アメリカ(字幕)」(1984)感想特5

2018年12月26日 02時44分57秒 | 映画・映像
12月25日(火):    

若い時に観て、はまった映画。何十年ぶりだろう・・・。ストーリーは忘れていたが、今日放送のBS録画(CMカット編集3:25)を何げなく見始めて止まらなくなった。最初の立ち上がりの強烈なシーンで目が離せなくなり、そのまま字幕放送だが、他のことをできないまま有無を言わせぬ感じで最後まで釘付けになった。最後のシーンも忘れられない強烈な記憶になっているのを思い出した。

他人の評価は知らない。俺にとっては人生に刻まれた傑作映画の一つであることを確認できた。この映画を観ていてなぜか「(若き日の)憧れ」という言葉が自分の中で映画と重なっているのを感じた。

本編中の「アマポーラ」の甘いメロディーはこれまでの人生で折にふれ、気づけば口ずさんでいる音楽だった。

181223 「天皇としての旅を終えようとしている今…」 会見全文 ※<言葉の重み>が違う(もみ)

2018年12月23日 23時47分33秒 | 考える資料
12月23日(日):    
85歳の誕生日前の記者会見で、声を詰まらせながら話す天皇陛下=2018年12月20日、皇居・宮殿「石橋の間」、代表撮影

朝日デジタル「天皇としての旅を終えようとしている今…」 会見全文  2018年12月23日00時00分

20日に行われた天皇陛下の会見の全文は以下の通り。

天皇陛下、平成最後の誕生日 涙声で「国民に感謝する」
ひとたび口にした言葉に全身全霊 悲しみ、忘れない陛下
     ◇
 《問》天皇陛下として迎えられる最後の誕生日となりました。陛下が皇后さまとともに歩まれてきた日々はまもなく区切りを迎え、皇室は新たな世代が担っていくこととなります。現在のご心境とともに、いま国民に伝えたいことをお聞かせ下さい。

 【天皇陛下】この1年を振り返るとき、例年にも増して多かった災害のことは忘れられません。集中豪雨、地震、そして台風などによって多くの人の命が落とされ、また、それまでの生活の基盤を失いました。新聞やテレビを通して災害の様子を知り、また、後日幾つかの被災地を訪れて災害の状況を実際に見ましたが、自然の力は想像を絶するものでした。命を失った人々に追悼の意を表するとともに、被害を受けた人々が一日も早く元の生活を取り戻せるよう願っています。
 ちなみに私が初めて被災地を訪問したのは、昭和34年、昭和天皇の名代として、伊勢湾台風の被害を受けた地域を訪れた時のことでした。
 今年も暮れようとしており、来年春の私の譲位の日も近づいてきています。
 私は即位以来、日本国憲法の下で象徴と位置付けられた天皇の望ましい在り方を求めながらその務めを行い、今日までを過ごしてきました。譲位の日を迎えるまで、引き続きその在り方を求めながら、日々の務めを行っていきたいと思います。
 第2次世界大戦後の国際社会は、東西の冷戦構造の下にありましたが、平成元年の秋にベルリンの壁が崩れ、冷戦は終焉(しゅうえん)を迎え、これからの国際社会は平和な時を迎えるのではないかと希望を持ちました。
 しかしその後の世界の動きは、必ずしも望んだ方向には進みませんでした。世界各地で民族紛争や宗教による対立が発生し、また、テロにより多くの犠牲者が生まれ、さらには、多数の難民が苦難の日々を送っていることに、心が痛みます。
 以上のような世界情勢の中で日本は戦後の道のりを歩んできました。終戦を11歳で迎え、昭和27年、18歳の時に成年式、次いで立太子礼を挙げました。その年にサンフランシスコ平和条約が発効し、日本は国際社会への復帰を遂げ、次々と我が国に着任する各国大公使を迎えたことを覚えています。そしてその翌年、英国のエリザベス二世女王陛下の戴冠(たいかん)式に参列し、その前後、半年余りにわたり諸外国を訪問しました。
 それから65年の歳月が流れ、国民皆の努力によって、我が国は国際社会の中で一歩一歩と歩みを進め、平和と繁栄を築いてきました。昭和28年に奄美群島の復帰が、昭和43年に小笠原諸島の復帰が、そして昭和47年に沖縄の復帰が成し遂げられました。沖縄は、先の大戦を含め実に長い苦難の歴史をたどってきました。皇太子時代を含め、私は皇后と共に11回訪問を重ね、その歴史や文化を理解するよう努めてきました。沖縄の人々が耐え続けた犠牲に心を寄せていくとの私どもの思いは、これからも変わることはありません。
 そうした中で平成の時代に入り、戦後50年、60年、70年の節目の年を迎えました。先の大戦で多くの人命が失われ、また、我が国の戦後の平和と繁栄が、このような多くの犠牲と国民のたゆみない努力によって築かれたものであることを忘れず、戦後生まれの人々にもこのことを正しく伝えていくことが大切であると思ってきました。平成が戦争のない時代として終わろうとしていることに、心から安堵(あんど)しています。
 そして、戦後60年にサイパン島を、戦後70年にパラオのペリリュー島を、更にその翌年フィリピンのカリラヤを慰霊のため訪問したことは忘れられません。皇后と私の訪問を温かく受け入れてくれた各国に感謝します。
 次に心に残るのは災害のことです。平成3年の雲仙・普賢岳の噴火、平成5年の北海道南西沖地震と奥尻島の津波被害に始まり、平成7年の阪神・淡路大震災、平成23年の東日本大震災など数多くの災害が起こり、多くの人命が失われ、数知れぬ人々が被害を受けたことに言葉に尽くせぬ悲しみを覚えます。ただ、その中で、人々の間にボランティア活動を始め様々な助け合いの気持ちが育まれ、防災に対する意識と対応が高まってきたことには勇気付けられます。また、災害が発生した時に規律正しく対応する人々の姿には、いつも心を打たれています。
 障害者を始め困難を抱えている人に心を寄せていくことも、私どもの大切な務めと思い、過ごしてきました。障害者のスポーツは、ヨーロッパでリハビリテーションのために始まったものでしたが、それを越えて、障害者自身がスポーツを楽しみ、さらに、それを見る人も楽しむスポーツとなることを私どもは願ってきました。パラリンピックを始め、国内で毎年行われる全国障害者スポーツ大会を、皆が楽しんでいることを感慨深く思います。
 今年、我が国から海外への移住が始まって150年を迎えました。この間、多くの日本人は、赴いた地の人々の助けを受けながら努力を重ね、その社会の一員として活躍するようになりました。こうした日系の人たちの努力を思いながら、各国を訪れた際には、できる限り会う機会を持ってきました。
 そして近年、多くの外国人が我が国で働くようになりました。私どもがフィリピンやベトナムを訪問した際も、将来日本で職業に就くことを目指してその準備に励んでいる人たちと会いました。日系の人たちが各国で助けを受けながら、それぞれの社会の一員として活躍していることに思いを致しつつ、各国から我が国に来て仕事をする人々を、社会の一員として私ども皆が温かく迎えることができるよう願っています。また、外国からの訪問者も年々増えています。この訪問者が我が国を自らの目で見て理解を深め、各国との親善友好関係が進むことを願っています。
 明年4月に結婚60年を迎えます。結婚以来皇后は、常に私と歩みを共にし、私の考えを理解し、私の立場と務めを支えてきてくれました。また、昭和天皇を始め私とつながる人々を大切にし、愛情深く3人の子供を育てました。振り返れば、私は成年皇族として人生の旅を歩み始めて程なく、現在の皇后と出会い、深い信頼の下、同伴を求め、爾来(じらい)この伴侶と共に、これまでの旅を続けてきました。
 天皇としての旅を終えようとしている今、私はこれまで、象徴としての私の立場を受け入れ、私を支え続けてくれた多くの国民に衷心より感謝するとともに、自らも国民の一人であった皇后が、私の人生の旅に加わり、60年という長い年月、皇室と国民の双方への献身を、真心を持って果たしてきたことを、心から労(ねぎら)いたく思います。
 そして、来年春に私は譲位し、新しい時代が始まります。多くの関係者がこのための準備に当たってくれていることに感謝しています。新しい時代において、天皇となる皇太子とそれを支える秋篠宮は共に多くの経験を積み重ねてきており、皇室の伝統を引き継ぎながら、日々変わりゆく社会に応じつつ道を歩んでいくことと思います。
 今年もあと僅(わず)かとなりました。国民の皆が良い年となるよう願っています。


朝日デジタル岩井克己(朝日新聞社皇室担当特別嘱託)「ひとたび口にした言葉に全身全霊 悲しみ、忘れない陛下」
                               2018年12月23日00時00分
 会見などで天皇陛下が語る姿に約30年間にわたり接してきた。
 平成元年の即位の際の「皆さんとともに日本国憲法を守り」(朝見の儀の「おことば」)の従来になかった言葉遣いへの驚きから始まり、在位中を通じて折り目節目の「おことば」には全霊こめた思いが行間に漂い、「記者泣かせ」と思ったことも少なくない。
 ひとつの例は、2001年の誕生日会見での「桓武天皇の生母が百済の武寧王(ぶねいおう)の子孫であると、続日本紀(しょくにほんぎ)に記されていることに、韓国とのゆかりを感じています」との言葉である。報道する側は「強いメッセージ性がある」との意見と、「ことさらに騒がず」との意見とに割れた。日本では報じなかったメディアもあったが、韓国では好意的な反響が大きく広がり、今も強い印象を残している。
 後から考えれば、陛下は史書「続日本紀」の記述に自然体でふれたに過ぎない。このように、広く長い歴史の視野の中に位置づければ当然のことをさらりと発信し、それが大きなメッセージ性を帯びたものも少なくないのである。
 「象徴としての望ましいあり方」の「全身全霊」の模索の中から出てきたもので、受け止める側が戸惑い、しばらく追いつけない。今回の「譲位」や、葬儀簡素化の提起なども、まさにそうだったのだろう。
 そして、在位中最後となる今回の誕生日会見で最も強烈だったのは「平成が戦争のない時代として終わろうとしていることに、心から安堵(あんど)しています」の一語だ。
 思えば近現代4代の天皇のうち、ただ一人軍服を着ることなく、在位中に戦争のなかったのは平成の天皇だけなのである。
 戦争の反省と平和の尊さ、後世に引き継ぐ大切さを、うまずたゆまず訴え続けてきた陛下の胸の底に、そこまでの危機感、責任感が秘められていたのかと驚いた人も多いだろう。
 戦火を逃れた奥日光の疎開先から戻って見た東京の焼け野原、父昭和天皇が負った戦争責任問題、名代として訪問した海外各国で日本に向けられる冷ややかな視線を一身に引き受けることになった若き皇太子は、即位後も戦争の傷痕や国民の苦しみに向き合い続ける立場に立った。
 「日本国憲法には、皇位は世襲のものであり、また、天皇は日本国の象徴であり日本国民統合の象徴であると定められています。私は、この運命を受け入れ、象徴としての望ましい在り方を常に求めていくよう努めています。したがって、皇位以外の人生や皇位にあっては享受できない自由は望んでいません」(1994年6月4日、米国訪問前の米側記者の質問に対する文書回答)
 こうして平成の皇室は、戦災のがれき、災害のがれきに向き合い、失われた数々の命、人々の不幸、悲しみ、苦しみに寄り添い、言葉を交わし、目をそらさず記憶し続ける道のりを歩んだ。沖縄、サイパン、ペリリュー、フィリピンの戦没者慰霊、打ち続いた大災害の現場での励ましなど、会見では淡々と道のりを振り返ったが、次第に万感胸に迫って言葉につまる場面も多かった。
 陛下は柔軟にみえて頑固一徹のところがあると感じてきた。ひとたび口にした言葉は生涯かけて実行する、実行できないことは口にしないという覚悟。悲しみ苦しみを抱える人々に向き合い、わがことのように受け止め、忘れないということが、いかに精神力を要するか。即位以来、30年間の一貫した姿勢を支えた覚悟だったろう。間もなく皇太子さま、秋篠宮さまが引き継がねばならない。
 そして、「旅」の伴侶として60年にわたり陛下を支えた皇后さまの「皇室と国民の双方への献身」に深く感謝し、多くの国民が「象徴としての私の立場」を受け入れ支えてくれたことに感謝している。象徴としてのありようを受け入れ支えるかどうかは、あくまで主権者国民の選択だと示唆したのだろう。

181219 全く同感!!書き起こし:主婦近藤香織「憲法「改正」 正しく改まる?!」(兵庫県 68)※朝日新聞投書

2018年12月19日 21時20分53秒 | 考える資料
12月19日(水):

いつも思っていることをクリアに書いてくれている投書が今日(12月19日)の朝刊に載っていたので書き起こす。

「憲法「改正」正しく改まる?!」  ※朝日新聞投書
                  主婦 近藤香織(兵庫県 68)
 新聞やテレビで使われ、知識人も口にする「憲法改正」という言葉が、以前からずっと気になっている。手元の辞書で「改正」を引いてみると、一つは「法律・規則・規約などの不適当な点や不備な点を改め正すこと」、もう一つは「規則や制度などをよりよいものに改めること」とあった。
 安易に「改正」という言葉が使われているが、憲法は本当に「正しく改め」られるのか。安倍晋三首相は自衛隊を9条に明記する案を打ち出して「自衛隊の任務や権限は変わらない」と説明するが、私は別の意図を感じてしまう。日本が攻められる前に他国を攻撃したり、徴兵制をしいたりする第一歩になってしまうのではないか。私には、戦争につながりかねない改悪としか思えない。
 これからもずっと「改正」「改正」と言われ続ければ、改憲は正しいことだという意識が頭に刷り込まれてしまうかもしれない。そんな不安がある。
 公立中正、不偏不党をうたう新聞はせめて、憲法「改正」とカギカッコつきにしてくれないか。いや、かえって「正」が強調されてしまうかな。改正に替わる適切な言葉はないだろうか。



181212 参議院京都選挙区、立憲民主党推薦の増原裕子氏を支持する(もみ)。前原詐欺師の国民党は一刻も早く消滅しろ!<去年の秋>を覚えている。忘れないことだけが我々の闘いだ。

2018年12月12日 21時34分00秒 | <憲法の危機>は「戦後最大の危機」
12月12日(水):

京都の皆様、私(もみ)は参議院京都選挙区、立憲民主党推薦の増原裕子氏を支持いたします。昨年の秋、多くの国民をあれだけ失望させ裏切った前原詐欺師の行動はいまも生々しい記憶の傷になっています。前原及びそれと平気で結べる国民党を断じて信用できない。一方で、枝野率いる立憲民主党の成立にどれだけ救われたことか。立憲民主党の候補にぜひ一本化して投票してください。

踏み絵を踏んだ汚い自分たちの姿を見ようともしないで、反省もせず前原詐欺師とぬけぬけと組める国民党は今すぐにでも消滅しろ!俺は去年の秋の選挙を覚えている。絶対に忘れないことだけが我々の闘いだ。

関係を断つべき前原詐欺師の指導下で前原詐欺師の元秘書斎藤アレックス(こんなやつ知らんわい!)を推薦する国民党に“希望”は断じてない!一瞬でも早く消滅しろ!そして、立憲民主党に一本化することこそが国家、国民・市民への最大の貢献だ。

それにしても、労働者・大衆の味方でない<連合>って“巨大組織労働組合”って何のために存在してるねん??? 壮大な逆説、カリカチュアだ!

 LGBTコンサルタントの増原裕子さん
朝日デジタル立憲、増原裕子氏擁立へ 勝間和代さんのパートナー  12/12(水) 13:04配信
  立憲民主党は来年の参院選京都選挙区(改選数2)で、レズビアンであることを公表し、LGBT支援に取り組む増原裕子(ひろこ)氏(40)を擁立する方針を固めた。16日にも枝野幸男代表が同席し、京都市内で会見する方向で調整が進んでいる。
  増原氏は、経済評論家の勝間和代さん(49)が今年5月、同性のパートナーであると公表した相手。立憲京都府連幹部は「弱い立場の人に寄り添う政治を京都から発信してほしい」と述べ、目玉候補としたい考えだ。
  横浜市出身の増原氏は慶応大大学院修了後、在ジュネーブ国際機関日本政府代表部に勤務。現在はLGBTコンサルタントとして、企業や団体向けの講演や研修を担っている。
  同じ旧民進党を母体とする国民民主党は前原誠司・府連会長の元秘書、斎藤アレックス氏(33)の擁立を決めている。立憲にとって京都は、党幹事長を務める福山哲郎・府連会長のおひざ元。立憲幹部からは「この戦いには絶対に負けられない」との声も上がり、かつて同志だった福山氏と前原氏との「代理戦争」の様相だ。
  福山氏は12日、すでに斎藤氏への推薦を決めている連合京都の幹部と会い、選挙戦での支援を要請する。
  同選挙区では、自民党が現職の西田昌司氏(60)、共産党が現職の倉林明子氏(58)を擁立する。(安倍龍太郎)

8 030 アゴタ・クリストフ「悪童日記(堀茂樹訳)」(ハヤカワepi文庫:1986、日本語訳1991)感想5

2018年12月11日 02時38分38秒 | 一日一冊読書開始
12月10日(月):    

301ページ(本文273ページ)  所要時間5:00    ブックオフ108円

著者51歳(1935生まれ)。

名前だけはよく見る作品だった。読んだ印象は随分違った。原題はル・グラン・カイエ(Le Grand Cahier)で「大きなノートブック」である。

物語の舞台は、ハンガリーのオーストリア国境に近い小さい町。ナチスドイツの支配から、ソ連軍の支配下へと情勢が動く中で、双子の兄弟が、魔女と呼ばれているロシア人の祖母に預けられる。激動の時代の、激動の場所で二人は非常な聡明さを発揮して生き延びていく。決して道徳的ではないが、彼らには独自の価値基準が確固として存在し、それに従ってしなやかに生き抜く高い能力が備わっている。

物語は4ページ前後の短いエピソードの積み重ね(62章)の中で進められていく。ナチス占領下からスターリンのソ連の占領下に移る国境地帯で起こる様々な様子をそのまま描き渡っていく。

ストーリーに沿って展開する各省はしばしば、重いテーマをはらんだ状況設定になっている。死、安楽死、性行為、孤独、労働、貧富、飢え、あるいはまたエゴイズム、サディスム、いじめ、暴力、悪意、さらには戦争、占領、民族差別、強制収容、計画的集団殺戮(ジェノサイド)など、普遍的なものであれ、歴史的色彩の濃いものであれ、シリアスな問題が物語の随所に仕込まれている。略。もっともA・クリストフは、いずれもそこの深いそれらの問題を逐一それ自体として掘り下げようとしたわけでは勿論ない。略。彼女はそれらの問題を、戦時下に生きる疎開児童の諸々の見分および体験として持ち出し、その限りにおいて小説化したのだ。291ページ解説

途中まで感想4を考えていたが、最後まで読み通すとやはり感想5にせざるを得ない内容の書であった。

【よくできた解説】ハンガリー生まれのアゴタ・クリストフは幼少期を第二次大戦の戦禍の中で過ごし、1956年には社会主義国家となった母国を捨てて西側に亡命している。生い立ちがヨーロッパ現代史そのものを体現している女性である。彼女の処女小説である本作品も、ひとまずは東欧の現代史に照らして読めるが、全体のテイストは歴史小説というよりはむしろエンターテインメント性の強い「寓話」に近い。
そもそもこの小説には人名や地名はおろか、固有名詞はいっさい登場しない。語り手は双子の兄弟「ぼくら」である。戦禍を逃れ、祖母に預けられた「ぼくら」は、孤立無援の状況の中で、生き抜くための術を一から習得し、独学で教育を身につけ、そして目に映った事実のみを「日記」に記していく。彼等の壮絶なサバイバル日記がこの小説なのである。肉親の死に直面しても動じることなく、時には殺人をも犯すこの兄弟はまさに怪物であるが、少年から「少年らしさ」の一切を削ぎ落とすことで、作者は極めて純度の高い人間性のエッセンスを抽出することに成功している。彼らの目を通して、余計な情報を極力排し、朴訥(ぼくとつ)な言葉で書かれた描写は、戦争のもたらす狂気の本質を強く露呈する。
凝りに凝ったスタイル、それでいて読みやすく、先の見えない展開、さらに奥底にはヨーロッパの歴史の重みをうかがわせる、と実に多彩な悦びを与えてくれる作品である。続編の『証拠』『第三の嘘』も本作に劣らない傑作である。(三木秀則)

【内容紹介】戦争が激しさを増し、双子の「ぼくら」は、小さな町に住むおばあちゃんのもとへ疎開した。その日から、ぼくらの過酷な日々が始まった。人間の醜さや哀しさ、世の不条理―非情な現実を目にするたびに、ぼくらはそれを克明に日記にしるす。戦争が暗い影を落とすなか、ぼくらはしたたかに生き抜いていく。人間の真実をえぐる圧倒的筆力で読書界に感動の嵐を巻き起こした、ハンガリー生まれの女性亡命作家の衝撃の処女作。

8 029 梅林秀行「京都の凸凹を歩く 高低差に隠されたことの秘密」(青幻社:2016)感想5

2018年12月09日 01時45分12秒 | 一日一冊読書開始
12月8日(土):  

151ページ    所要時間2:20     図書館

著者43歳(1973生まれ)。

古本で買いたいのだが、本書は全く値崩れしない。仕方なしに図書館で借りていたが、読まないままでおいたら、返却の催促が来たので仕方なしに駆け足で内容を眺めた。思っていた以上に最初から終わりまで、わくわくしながら眺め続けることができた。「ブラタモリ」の京都案内役を務めた著者には、すごく感じの良いセンスを覚えていたが、本書の内容はその印象をさらに強くさせるものだった。

・方広寺大仏殿は、1798年(寛政10年)、落雷で焼失。豊臣氏と同時に滅びたわけではなかった。
・御土居は、たった4カ月で完成した。
・伏見「指月の丘」:橘俊綱(藤原頼道の息子)「伏見山荘」→後白河法皇「伏見殿」→豊臣秀吉「伏見城(指月城)」
・梅林:まちなかに坂道や凹地があるのを見ると、「まちがボケてる」っていつも感じてしまいます。まちなかの地形は、歩く人からまるで「ツッコミ」を待っているように見えてしまう。140ページ
・梅林:今話したようなまちなかにある地形や痕跡めいた凸凹地形、それは土地の記憶の現われなんだと。タモリさんの大名言に「地形は変えられない。変えても土地が覚えている」っていうのがありますが、坂道を削ったり、凹地を埋めたりして、今はもう地図上にないですよって言われても、現地に行くと実は微妙な高低差があったり、何かの痕跡を見つけたりできる。たぶんそこには「平地ではいられなかった物語」が重なっていて、それは人の頭のなかにある記憶ばっかりじゃなくって、人は忘れているかもしれないけど土地の形としてそのまちの営みが表れてるのかもしれない。そこを読み解いたら面白いんじゃない?っていうメッセージをいつもタモリさんから感じます。141ページ

【目次】
祇園(前編)ー“京都らしさ"は作られた!? 花街の段差を後ろ姿から眺める。
祇園(後編)ー希代の名コンビによる結晶。円山公園の絵画的な景観デザイン。
聚楽第ー洛中なのに「郊外」的!? 京都のど真ん中に巨大な凹地あり。
大仏ー江戸時代は京都観光のメッカだった! 今はなき巨大な「大仏様」。
御土居(前編)ー4ヶ月で京都を囲い込む超短期工事! 秀吉の「はんなり」じゃない巨大城壁。
御土居(後編)ー「京都人」とは誰のこと? 御土居が発信する京都の生活史。
巨椋池ー「土木マニア」秀吉が残した、日本史上まれに見る巨大工事の痕跡。
伏見指月ー天下人が愛したナイスビュー! 今に伝わる「ゲニウス・ロキ(地霊)」のブランド力。
淀城ー旧地形のパラダイス! 分割された城下町の名残り。
NHK「ブラタモリ」プロデューサー山内太郎さんとの特別対談

【内容紹介】NHK「ブラタモリ」に最多出演! 足元に隠されたもう一つの都! /盆地の街、京都。実はその内側に、更なるガケの存在があった……! /豊臣秀吉由来の「御土居」をはじめ、凸凹ポイントで見つめ直せば、京都のディープな姿が出現する。/3D凸凹地形図と、古地図・絵画などの歴史的資料で紹介する、街歩きの新しい提案。

8 028 高濱正伸「中学受験に失敗しない」(PHP新書:2013)感想4+

2018年12月08日 16時10分49秒 | 一日一冊読書開始
12月8日(土):  

211ページ     所要時間4:10      古本市場86円

著者54歳(1959生まれ)。花まる学習会代表。熊本県人吉市生まれ。熊本高等学校卒業後、東京大学理科二類入学。同大学院修士課程修了。1993年、「数理的思考力」「国語力」「野外体験」を柱とした学習教室「花まる学習会」を設立。ひきこもりや不登校児の教育も同時に開始。1995年に小学4年生から中学3年生対象の進学塾「スクールFC」を設立。算数オリンピック委員会理事

実のある本である。受験業界で生きる著者が、多くの子どもや保護者との実体験に基づいて年齢ごとの課題や心得について地に足のついた論を展開している。塾に通わせずに親子の二人三脚で有名中学に合格させたという個人的体験記などとは違う。浮いたところがないので常に説得力がある。中学受験の準備をしてきた子が、もし高校受験に向いてると思われた場合には、あえて中学受験を思いとどまらせることもあり、その際に両親がきちんと話し合って子どもを支えればよい、とも説く。書名の通り、子どもを「中学受験に失敗しない」ようにと願う保護者が読めば非常に参考になると思う。テキストと言える。

感想5でもよかったのだが、終盤少しダレて(特に第4章)、ステレオタイプの人間像を語るような印象を受けた。そもそも「中学受験に失敗しない」よう考える親のパターンというのはステレオタイプなのかもしれないな、とも思いながら「そこまで同調はできない」という思いで4+に抑えた。基本的に俺は本書に対して好印象を持っている。

【目次】第1章 中学受験に向く子・向かない子(公立中学・私立中学のメリットとデメリット/中学受験に挑める親子の条件/我が家は「高校受験でいく」と決めたら)/第2章 中学受験を決めたなら(4年生 受験生活スタート/5年生 中学受験の土台作りの1年間/6年生:いよいよ受験本番)/第3章 中学受験生の母親の心得(幸せな母親像が、我が子を幸せにする/母親にできる中学受験サポート術/母親にしかできないこと)/第4章 中学受験生の父親の心得(父親次第で家庭が変わる/父親にできる中学受験サポート術/講演「父親だからできること」参加者の感想から)

【内容情報】中学受験合格には、何が必要なのか。超人気の塾長が「母親にできること」「父親にできること」「学年別にしておきたいこと」を明かす。///私立中学に通わせるか、公立中学に通わせるかー人生の大きな二者択一に、親は子どもの一生を決めてしまうような気がして悩んでしまうもの。絶対に合格させなければ!といくら親ががんばっても、うまくいくとは限らない。むしろ思い通りにいかないことばかりだ。本書では、20年以上さまざまな家庭と接し、その後の成長を見届けてきた著者が、母親の本音、父親の本音、受験をする我が子の思いを代弁している。教え子の成功パターン、失敗パターンを紹介し、学年別にしておくべきことを細かく解説。子どもにとって本当の幸せとは何か。考え続けてきた結果のすべてをまとめた一冊。

8 027 山田洋次「「学校」が教えてくれたこと」(PHP研究所:2000)感想4+ 

2018年12月05日 23時55分11秒 | 一日一冊読書開始
12月5日(水):  

245ページ     所要時間3:15      アマゾン378円(121+257)

著者69歳(1931生まれ)。

若い時、「そんな雑な考え方でどうする。もっと丁寧で気高い精神を持つべきだろう。もっと無理してでも前に一歩一歩進めるべきだ。」という恐れにも似た声を自分自身の中に持ち、それを裏付け励ましてくれる尊敬できる先輩や仲間、世の中の精神がたくさんあった気がする。

しかし、今や気が付けば表面的な見ばえばかりにお互い目を光らせ合って辻褄を合わせることだけに消耗する日々が続く。周りを見渡しても忙しげで余裕がないか、もともと底が浅いか、心を寄せるべき立派な精神に触れる機会が本当に少なくなっている。結局、俺自身の仕事や身の置き所がそういうあさまし場所だということをばらしているようなものだが、本音を言えば、昔あったはずの憧憬(あこがれ)に近い精神に身を寄せたいと思う。

本書は山田洋次監督の精神性の高さ、本来あるべき人間性のあり方について触れさせてもらえる。戦後の日本の映画史上に残る映画監督の謦咳に触れることのできる貴重な著作である。読んでいて「今どき、そんなに丁寧に人の心を大切に扱って本当にやっていけるんですか?」と、まず不安になる。しかし、ほどなくホッと安堵して「やっぱりそうですよね。そういう風に考えるのが本来当たり前なんですよね」と落ち着く。

<心のありかのふるさと>のような著作である。山田洋次監督の向こうに寅さんの渥美清さんや「学校」の黒井先生(西田敏行)がいる。11月にNHKのBSで山田監督の過去の映画作品が集中的に放送され、俺はすべてを録画した。また、昔録画した「男はつらいよ」をいくつも重ねて見直している。一貫して言える感想は、「人間を丁寧に優しいまなざしで描いていて安堵する」「本来、昔あった“常識”を自信をもって取り戻すべきだ」ということだ。

「第三章 導くということ」では、伊丹万作「演技指導論草案」を引いて、演出の世界と教師の教育論の比較をしている。演出家は教師、俳優やスタッフは生徒としてきめ細やかな対応の継続の必要性が説かれている。「先生って大変な仕事だけど、本当に責任重大やな」と思わされる。ただ、山田監督の論じる教師は、世間的な勉強を教える教師、威張っている教師ではない。

【目次】第1章 学ぶということ(夜間中学との出会い/心が解放される場所 ほか)/第2章 教えるということ(養護学校との出会い/教師は教室のゴミになれ ほか)/第3章 導くということ(素敵な先生、そうでない先生/伊丹万作「演技指導論草案」 ほか)/終章 子どもを育てるということ(不正を許せないと思う心/映画『学校4』-家族についてのメッセージ)

【内容紹介】学校は子どものために何ができるのか? 映画『学校』シリーズを通して出逢った教師や生徒から、監督が感じ得た学校の真実を伝えるメッセージ。/ 1993年秋、映画『学校』が公開された。そこから遡ること16年。ある脚本家の熱心なすすめで初めて夜間中学を訪れた山田監督は、そこで予想もしない光景を見た。暗い夜の学校、さまざまな服装と年齢の生徒たち、匂うような生活感がある教室。しかし雰囲気は決して暗くない。生徒たちはのびのびと楽しげに勉強をしている。「何故なのか」。監督はその原因を考えるべく夜間中学に何度も足を運び、授業を受けてみたり、生徒や教師たちと語り合ったりするなかで“教えるということ”“学ぶということ”の本質のようなものを垣間見る。/ 本書は、映画監督である山田洋次氏が『学校』シリーズを作る過程で出逢った熱意ある素敵な教師たちの感動的なエピソードを中心に、今日の「不登校」「学級崩壊」そして「家庭崩壊」など、いまの日本の子どもたちの不幸な状態に後ろから光をあててその真実をあぶり出す。すべての学校、教師と生徒におくる渾身の書き下ろしエッセイ。

181203 作家・適菜収氏が喝破 バカがバカを支持すれば国は滅びる 注目の人 直撃インタビュー

2018年12月03日 23時22分19秒 | 時代の記憶
12月3日(月):      作家の適菜収氏(C)日刊ゲンダイ
日刊ゲンダイ作家・適菜収氏が喝破 バカがバカを支持すれば国は滅びる 注目の人 直撃インタビュー  2018/12/03 

安倍首相の正体は反日売国グローバリスト
 安倍政権は疑惑と不祥事の製造マシンのようだ。安倍首相はもとより閣僚も問題だらけで、臨時国会は連日紛糾。議会の体を失い、立法府はまるで学級会だ。なぜデタラメ政権が6年ものさばり続けているのか。安倍首相を「エセ保守」と糾弾し、鋭い政権批判で話題の論客、作家の適菜収氏に聞いた。

自民党は開き直ったもん勝ちを覚えた
  ――片山さつき地方創生相らの政治とカネ問題、桜田義孝五輪相の資質、移民法と呼ばれる出入国管理法改正案を巡るデータ捏造も発覚し、臨時国会は大荒れです。

 自民党は開き直ったもん勝ちというやり方を覚えちゃったんでしょうね。片山大臣なんか完全に開き直っている。自分で提訴しておきながら「訴訟上の問題なので控える」と突っ張って、政治家として言葉で説明しようとしない。アベ友の甘利明元経済再生相も口利きワイロ疑惑から逃げ回り、ほとぼりが冷めたら表舞台に復帰した。不祥事はそのうち忘れられる、内閣支持率はいずれ回復するという国民をナメた姿勢が安倍政権は露骨です。悪い意味での危機管理が巧みになった。第1次安倍政権と第2次政権以降の違いは、完全な開き直りにあると思います。

  ――1次政権は閣僚の辞任ドミノで崩壊しましたが、再登板後の安倍首相はモリカケ疑惑も含め、不祥事はどこ吹く風です。

 2016年の参院選で自民党が大勝し、衆参両院で3分の2の勢力を得た影響は大きいですよね。数の論理をかさに着て、説明や説得を完全に放棄した。昨年の都議選の街頭演説で安倍首相が「こんな人たちに負けるわけにはいかない!」と言い放ったのが象徴的です。自分のやり方に反対する「こんな人たち」と議論するよりも、議会で多数を占めて押し通せばいい、理屈は後付けでいい、という態度を隠さなくなった。熟議ではなく勝ち負けという発想です。

  ――選挙で勝てば好き放題が常套手段。批判に耳を傾けません。

「民主党政権よりマシ」とか「安倍さんのほかに誰がいるのか」といったテンプレートに乗っかり、思考停止している人たちもいます。それが本質的な政権批判につながらない要因でもある。安倍首相は拉致問題でのし上がってきたり、憲法を改正して日本を普通の国にすると言っていたので、だまされた「保守派」は少なくなかった。でも、化けの皮はとうに剥がれている。安倍政権の実態は新自由主義の売国グローバリズム路線です。もちろん、安倍首相は保守の対極に位置する政治家です。トランプ大統領のケツをなめ、プーチン大統領のケツをなめ、支持基盤である財界のケツをひたすらなめ続けている。

  ――安倍首相の正体に気づいたのはいつ頃ですか。

 1次政権発足直後の会見で「小泉総理が進めてまいりました構造改革を私もしっかりと引き継ぎ、この構造改革を行ってまいります」と発言したときです。しかし、当時は正直ここまで露骨な反日政策を推し進めるとは思っていませんでした。「移民政策はとらない」と言いながら、日本を世界4位の移民大国につくり変え、TPPを推進し、種子法を廃止。配偶者控除の廃止ももくろんでいました。さらには、水道事業を民営化し、放送局の外資規制を撤廃しようとしています。

   ――外交もデタラメです。

 日韓基本条約を蒸し返した揚げ句、韓国に10億円を横流ししたのも安倍首相です。不可逆的に歴史を確定させるのは政治の越権です。北方領土返還を巡っては、共同経済活動という名目でロシアにカネをむしり取られ、主権問題を棚上げされた。9月の東方経済フォーラムでプーチン大統領から「前提条件なしで年内に平和条約締結」を持ち掛けられた安倍首相はヘラヘラ笑ってましたよね。その後、直接反論したと釈明しましたが、大統領報道官に否定された。

  ――国内で飽き足らず国際社会でも嘘をつく。

 6月の米軍F15戦闘機墜落事故を受けて「(飛行)中止を申し出た」と国会答弁しましたが、これも真っ赤な嘘。問題はプーチン大統領やトランプ大統領が安倍首相をどう見ているか、です。平気で嘘をつくヤツ、脅せばカネを出すヤツだと見ている。ネットでは「歩くATM」とか「カモネギ」と揶揄されていますが、国土にノシをつけて献上するのだから献国奴ですよ。これは異常事態です。さらに異常なのは、この異常事態に気づいていない日本人があまりにも多すぎることです。

保守は本来「常識人」、言葉の乱れは国家崩壊の始まり
  ――右派組織の日本会議もそうですが、ネトウヨの支持も熱いです。

 ネトウヨは右翼とはいうものの、右翼の文献を読んでいるわけじゃない。弱者を叩いて自己充足しているだけで、基本的には情報弱者です。そもそも、彼らは新自由主義と保守主義の区別もついていない。保守主義はイデオロギーを警戒する姿勢のことで、自由や平等といった近代的理念のもと、急進的に社会を変革しようとしたフランス革命への反発により発生しています。保守は人間理性に懐疑的なので、近代的理念をそのまま現実社会に組み込むことを警戒する。だから、伝統を擁護する。保守とは本来「常識人」のことなんです。一方、新自由主義は、近代的理念である自由を絶対視する。自由を阻害するものを敵視するので、反国家的になります。

  ――安倍政権は「改革」や「革命」が大好物です。

 14年のダボス会議で安倍首相は日本の権益の破壊を宣言し、「社会はあたかもリセットボタンを押したようになって、日本の景色は一変するでしょう」と演説しました。小池百合子東京都知事も橋下徹前大阪市長も「リセット」という言葉をよく使います。典型的なファミコン脳です。革命により一度破壊して、社会を再設計すればいいという極左の発想です。

  ――安倍首相が発言をコロコロ変えるのも、一種のリセットですね。

 発言は矛盾だらけだし、義務教育レベルの常識も吹っ飛んでいる。「ポツダム宣言というのは、米国が原子爆弾を2発も落として日本に大変な惨状を与えた後、〈どうだ〉とばかり叩きつけたもの」という発言もそうですし、「私は立法府の長」と言ったのは4回目ですよ。要するに、自分の職権も理解していない。憲法を学んだ形跡もないのに、前文からすべて変えたいと言ってみたり。左翼は安倍政権の本質を見誤っています。左翼は「戦前回帰の軍国主義者」と言いますが、そもそも安倍首相は歴史を知らないので、戦前に回帰しようもない。

  ――漢字は苦手、言葉遣いもメチャクチャ。会話にならないと言われます。

 言葉の乱れは国の崩壊の始まりです。移民は「外国人材」、家族制度の破壊は「女性の活用」、秩序破壊の実験は「国家戦略特区」、不平等条約のTPPは「国家百年の計」、戦争に巻き込まれることは「積極的平和主義」、南スーダンの戦闘は「衝突」……。安倍政権の手にかかると、言葉が正反対の意味で使われる。嘘がバレて整合性がつかなくなると、現実の方を歪める。これではどんな判断も主張も意味をなしません。安倍首相は語彙は少ないし、動きも幼い。ネットでは「ジューシー安倍」と呼ばれていましたが、桃を食べても、マスカットを食べても、牛肉を食べても感想は「ジューシー」。近年は「ご飯が欲しくなる」というフレーズも覚えたようですが、食事のマナーは最悪です。箸をきちんと持てないし、迎え舌だし、犬食いです。要するに、64歳まで生きてきて、親身になって注意してくれる人が周囲にいなかったということ。マトモな人間関係を築くことができなかったということでしょう。

  ――安倍1強がむなしく響きます。

 いまの日本の政治状況を生んだ諸悪の根源は、自由党の小沢一郎代表だと思います。93年に日本新党の細川護熙代表を担いで連立政権をつくり、94年に政治改革と称して小選挙区比例代表並立制を導入し、政治資金規正法を改正した。これにより、党中央に権力とカネが集まり、ポピュリズムがはびこるようになりました。

  ――平成も残り半年です。

 政治の腐敗、権力の集中、小選挙区の弊害。平成30年間の「改革」のドンチャン騒ぎの末路が今の安倍政権ですよ。こんな政権を6年も放置してきた日本はもう手遅れだと思います。これはメディアも含め、日本国民の責任です。バカがバカを支持すれば、当然国は滅びます。

(聞き手=本紙・坂本千晶)

▽てきな・おさむ 1975年、山梨県生まれ。早大で西洋文学を学び、ニーチェを専攻。ニーチェの「アンチクリスト」を現代語訳した「キリスト教は邪教です!」、「ゲーテの警告 日本を滅ぼす『B層』の正体」「安倍でもわかる政治思想入門」など著書多数。「もう、きみには頼まない 安倍晋三への退場勧告」「小林秀雄の警告 近代はなぜ暴走したのか?」を先月上梓。

181201 160万PV超:【考論 長谷部×杉田】 「分をわきまえろ」という論理 ※構成 編集委員・高橋純子

2018年12月02日 13時02分00秒 | 閲覧数 記録
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朝日デジタル【考論 長谷部×杉田】「分をわきまえろ」という論理      2018年12月2日05時00分
※米軍普天間飛行場の辺野古移設をめぐる発言(11月28日)
 *玉城デニー沖縄県知事:「(9月の)知事選で再度示された民意を政府は真摯に受け止め、(辺野古移設)工事を中止していただきたい」
 *官邸 アベ:「米国との計画通り、今の移設作業を進めていきたい」
     スガ:(辺野古移設への賛否を問う沖縄県民投票が移設工事に与える影響について記者に問われ)「どのような形で行われるかわかりませんが、それは全くないと思います」


 選挙でいくら示しても、政権に一顧だにされない沖縄の民意。紛争地で拘束されたジャーナリストに向けられる自己責任論。子どもを作らないLGBTに投げかけられた「生産性がない」の暴論――。一見ばらばらな事象の底流にある「『分』をわきまえろ」という論理について、長谷部恭男・早稲田大教授(憲法)杉田敦・法政大教授(政治理論)に語り合ってもらった。 (構成 編集委員・高橋純子

 ■沖縄の基地負担、国は調整放棄 杉田/「甘受すべし」は組織体の国家像 長谷部
 杉田敦・法政大教授 沖縄県が米軍普天間飛行場の名護市辺野古への移設の賛否を問う県民投票を来年2月24日に行うことを決めました。しかし、県知事選や那覇市長選などでも、辺野古移設が争点となり、反対の民意はすでに示されています。安倍政権は、自身が勝利した国政選挙は「選挙結果が全て」なのに、地方の選挙結果は無視、ということでしょうか。
 長谷部恭男・早稲田大教授 選挙は、各政党が様々な政策をパッケージにしたものを選挙民に提示して戦いますが、県民投票では単一争点に対する民意が明確に示されます。政府は、安全保障の問題は地方の民意で決めることではないと言い張るでしょうが、衝突する多様な利害や見解を包み込みながら調整し、国全体の中長期的利益を実現するのが政治というものです。
 杉田 ところが最近の日本政府は調整を放棄し、時には私企業であるかのように振る舞っている。たとえば沖縄県が辺野古の埋め立て承認を撤回すると、防衛省は行政不服審査法に基づき撤回の効力停止を申し立てました。国土交通相が効力停止を決定し、防衛省は早ければ年内にも土砂投入をしようとしていますが、この法律の目的はあくまでも「国民の権利利益の救済」で、国による申し立ては制度の濫用(らんよう)なのでは?
 長谷部 国も民間の事業者と同じような立場で埋め立て工事を行うことはあり、その際、地方自治体の決定に不服があれば審査法を使うこともアリだと思います。ただし今回、防衛省は、安全保障体制への影響などを申し立ての理由にあげており、民間事業者とは明らかに立場を異にしている。ならば審査法を使うのはおかしい。立場を使い分けてはいけません。
 杉田 玉城デニー沖縄県知事は、米国を訪問して辺野古移設反対を訴えましたが、「文句は日本政府に言ってくれ」と、門前払いに近い対応だったと。
 長谷部 米国の交渉相手は日本政府ですから。
 杉田 たしかに、外交は主権国家間でやるのが基本です。しかし日本政府が、国内の切実な声に対して主権を盾に高飛車な姿勢で臨むのは、民主国家としては問題がある。むしろ、米国との関係が従属的で、強く言えないツケを国内に回しているだけでは。対ロ交渉で、北方領土には米軍基地を置かせない方針との報道がありましたが、それなら沖縄の基地についても再考の余地があるはずです。
 長谷部 沖縄に関しては、主権国家と地方の対立というよりは、国家を「組織体」として捉える、現政権の国家像にそもそもの問題があるのでは。
 杉田 組織体とは?
 長谷部 営利企業や体育会系の部活動をイメージしてもらうとわかりやすいでしょう。監督の強力なリーダーシップのもと、メンバー一丸となって共通の目標の実現に向かって努力する。メンバー個人がどうしたいかではなく、自らの「分」をわきまえてチームに貢献することが何よりも求められ、目標達成のためなら「悪質タックル」さえも正当化される。そのような国家像に基づけば、沖縄は「分」をわきまえて、国のために基地負担を甘受するのが当たり前だ、わがままを言って足を引っ張るなということになります。

 ■自己責任論、国に従う意識背景 杉田/ポピュリズム招く「ヘタレ」根性 長谷部
 杉田 「分」はいまの日本を考える上でとても重要なキーワードです。先日、シリアで拘束されていたフリージャーナリストの安田純平さんが解放されましたが、そこで出てきた「自己責任論」も、要は「分をわきまえろ」で、わきまえていないとみなされれば村八分にされる。海外メディアはこれに違和感を表明していますが、少なくとも欧米では、国家の示した方針に必ずしも従う必要はない、とりわけジャーナリストなど、権力からの独立性を通じて社会に貢献すべき人々は自身の責任で判断し、行動するのが当然だという考え方が共有されています。
 長谷部 人のものを盗まないとか人を傷つけないとか、共通のルールを守ったうえで、どう生きるかは全部自分で決めて、その結果も全部自分で引き受ける。それが本来の意味での自己責任です。安田さんは、武装勢力に拘束されるという結果も含めて自分で引き受けたのだから、自己責任を十分に果たしています。
 杉田 子どもを作らないLGBTは生産性がない、という暴論も組織体の論理ですね。少子高齢化という「国難」を突破しようと、共通の目標に向かってみんなが頑張っている時になんだと。女は、男はこうでなければとか、家族はこうあるべきだとかいった言説も、詰まるところは「分」をわきまえろという話です。多様性を認めると「分」が自明でなくなり、組織体の中での役割分担が難しくなる、そんなの面倒だという意識がまだまだ社会の底でくすぶっています。
 長谷部 国が組織体になると、国に個人の生き方を決められてしまう。戦前の日本がそうでした。ですから日本国憲法は、組織体ではなく、「広場」を国のあり方として提示しているのです。広場には共通の目標なんかない。個人を出発点に、何をするか、どういう生き方をするかは各人が自分で決める。国は各人が行動に際して守るべきルールを定めて、あとは衝突が起きないように見守るだけ。日本国憲法はそうした国家像を描いています。
 杉田 国家を組織体とみなしている人ほど憲法に国家目的を書き込みたがるわけですね。個人が出発点なんて気に食わない、共通の目標を掲げるべきだと。安倍さんも10月の所信表明演説で、憲法は国の理想を語るものだと述べました。
 長谷部 ただ、広場で生きるのが大変なことは確かです。どう生きるか、どう行動するのかを自分で決めるなんてできない、やりたくないという人にとっては強力なリーダーが引っ張ってくれる組織体の方がよほど居心地がいい。そんな「ヘタレ」根性がポピュリズムを引き寄せています

 ■熟議避ける与党、採決強行連発 杉田/野党の欠席、「時間切れ」も武器 長谷部
 長谷部 自民党の下村博文・憲法改正推進本部長が、改憲論議に消極的な野党を「職場放棄」だと批判しましたが、これも組織体の論理です。憲法を、9条を変えるという共通の目標に向かって、野党も「分」をわきまえて協力するのが当たり前だと。
 杉田 もちろん議論することは重要です。しかし、何を議題にするか、会期をどれくらいとるかによって議論の方向性は変わってくるのであって、それを決めるのは通常与党です。議論の土俵は平等に出来ておらず、野党にとっては絶対的に不利な状況から出発しなければならない。そのため、土俵に上がらないという行動をとらざるを得ない場合もある。それは当然許容されます。野党の最大の武器は議論することだと考えている野党議員もいるようですが、ナイーブに過ぎます。
 長谷部 野党の最大の武器は時間です。会期は決まっているのだから、「時間切れ」に持ち込むのも野党の大事な仕事です。
 杉田 ですが、「職務怠慢」「税金泥棒」といった批判にさらされやすい。
 長谷部 組織体の論理がしみ込んでいるからそういう発想になる。そんな発想に付き合って、なんでもいいからとにかく議論には応じるというのは、組織体の論理を裏側から補強することになりかねません。
 杉田 熟議には本来、時間が必要です。憲法について、なぜ今の政権のもとで議論できないかというと、熟議の機会を奪い、採決強行を平気で繰り返してきた政権だからです。さらに先日の自民党人事では、憲法改正については超党派で幅広い合意を得るべきだというスタンスの人がことごとく外されました。
 長谷部 今国会における出入国管理法の改正案も、まったくロクな審議をしないまま採決を強行して衆院を通過させました。与党の責任者が、色んな問題があって議論をしたらキリがない、だから採決をするのだと言い出すなど、熟議どころか、議論をしているフリをすることすらやめてしまった感があります。
 杉田 決めること自体を目的とし、問題点の指摘に真摯(しんし)に応えずに突き進むというのは、まさに組織体の論理そのものですね。国民的な議論を要する憲法について言えば、熟議の体制が整うまでは議論できない。これは憲法を変えることに賛成か反対かに関係なく、至極当たり前の態度です。
 長谷部 広場を守るためには、組織体の論理そのものを突破しなければなりません。自分の生き方を自分で決める。その強さと覚悟が必要です。

150329 タガ外せば歯止め失う 長谷部恭男・早稲田大学教授/「未来志向」は現実逃避 杉田敦・法政大学教授

 杉田 先日ドイツのメルケル首相が来日しました。戦後ドイツも様々な問題を抱えていますが、過去への反省と謝罪という「建前」を大切にし続けることで、国際的に発言力を強めてきた経緯がある。「建前」がソフトパワーにつながることを安倍さんたちは理解しているのでしょうか。  / /長谷部 そもそも談話が扱っているのは、学問的な歴史の問題ではなく、人々の情念が絡まる記憶の問題です。記念碑や記念館、映画に結実するもので、証拠の有無や正確性をいくら詰めても、決着はつかない。厳密な歴史のレベルで、仮に日本側が中国や韓国の主張に反証できたとしても、問題はむしろこじれる。相手を論破して済む話ではないから、お互いがなんとか折り合いのつく範囲内に収めようと政治的な判断をした。それが河野談話です。  / /杉田 談話の方向性や近隣との外交について「未来志向」という言い方がよくされますが、意図はどうあれ、それが過去の軽視という「見かけ」をもってしまえば、負の効果は計り知れない。安倍さんたちは、未来を向いて過去を振り払えば、政治的な自由度が高まると思っているのかもしれません。しかし政治の存在意義は様々な制約を踏まえつつ、何とか解を見いだしていくところにあります。政治的な閉塞(へいそく)感が強まる中で、自らに課せられているタガを外そうという動きが出てくる。しかし、それで万事うまくいくというのは、一種の現実逃避では。  / /長谷部 合理的な自己拘束という概念が吹っ飛んでしまっている印象です。縛られることによってより力を発揮できることがある。俳句は5・7・5と型が決まっているからこそ発想力が鍛えられる。しかし安倍さんたちは選挙に勝った自分たちは何にも縛られない、「建前」も法律も憲法解釈もすべて操作できると考えているようです。  / /杉田 俳句は好きな字数でよめばいいのだと。  / /長谷部 あらゆるタガをはずせば、短期的には楽になるかもしれません。しかし、次に政権が交代したとき、自分たちが時の政府を踏みとどまらせる歯止めもなくなる。外国の要求を、憲法の拘束があるからと断ることもできない。最後の最後、ここぞという時のよりどころが失われてしまう。その怖さを、安倍さんたちは自覚すべきです。 =敬称略(構成・高橋純子)朝日新聞『考論』

0015 オルテガ「大衆の反逆 (桑名一博訳;久野収解説)」(白水社イデー選書;1930)評価5

以下は、オルテガ所論の久野収による抜粋の抜粋である:///  オルテガによれば、政治のなかで「共存」への意志を最強力に表明し、実行していく政治スタイルこそ、自由主義的デモクラシーである。共存は、強い多数者が弱い少数者に喜んで提供する自己主張、他者説得の権利である。敵、それも最も弱い敵とさえ、積極的に共存するという、ゆるがない決意である。/その意味で、人類の自然的傾向に逆行する深いパラドックス(逆説)であるから、共存を決意した人類が、困難に面してこの決意を投げ出すほうへ後退したとしても、それは大きな悲劇ではあっても、大きな不思議とするには当たらない。/「敵と共存し、反対者と共に政治をおこなう」という意志と制度に背を向ける国家と国民が、ますます多くなっていく1930年代、オルテガは、「均質」化された「大衆」人間の直接行動こそが、あらゆる支配権力をして、反対派を圧迫させ、消滅させていく動力になるのだという。なぜなら、「大衆」人間は、自分たちと異類の非大衆人間との共存を全然望んでいないからである。略。///  「大衆」人間は、自分たちの生存の容易さ、豊かさ,無限界さを疑わない実感をもち、自己肯定と自己満足の結果として、他人に耳を貸さず、自分の意見を疑わず、自閉的となって、他人の存在そのものを考慮しなくなってしまう。そして彼と彼の同類しかいないかのように振舞ってしまう。/彼らは、配慮も、内省も、手続きも、遠慮もなしに、「直接行動」の方式に従って、自分たちの低俗な画一的意見をだれかれの区別なく、押しつけて、しかも押しつけの自覚さえもっていない。/彼らは、未開人―未開人は宗教、タブー、伝統、習慣といった社会的法廷の従順な信者である―ではなく、まさに文明の洗礼を受けた野蛮人である。文明の生み出した余裕、すなわち、贅沢、快適、安全、便益の側面だけの継承者であり、正常な生存の様式から見れば、奇形としかいいようのないライフスタイルを営んでいる新人類である。略。///  「自分がしたいことをするためにこの世に生まれあわせて来た」とする傾向、だから「したいことは何でもできる」とする信仰は、自由主義の自由の裏面、義務と責任を免除してもらう自由にほかならない。/われわれは自由主義の生みだした、この「大衆」人間的自由、自己中心的自由に対し、他者と共存する義務と責任をもった自由を保全しなければならないが、一筋縄でいかないのは、この仕事である。(160626:イギリスEU離脱について思うところ=もみ=)