もみさんの一日一冊遊書録( 2011年9月1日 スタート!: メメント・モリ ) ~たゆたえど沈まず~

年とともに人生はクロノロジー(年代記)からパースペクティブ(遠近法)になり、最後は一枚のピクチュア(絵)になる

150215 衆参両院の「テロ非難決議」を非難する!「テロの本質」を真面目に語る政治家はいないのか!

 真面目に「テロの本質」を考えれば、その原因が、決して宗教の違いにあるのではなく、世界的に広がる富の偏在、極端な格差拡大、差別構造の継承、及びパレスチナ問題、それらによる<若者たちの絶望>にあることは、実は誰もがわかっていることだろう! それを「世界には凶悪なテロリストが大勢いて、こいつらを叩き潰せばテロが無くなる」なんて話に無理やりすり替えている。誰も、「テロの本質が、日本・世界の社会構造が抱える富の偏在・格差の拡大及びパレスチナ問題の<野放し状態>にこそある」という本質を語らないし、見させようとしない。そして、凶悪なテロリストへの恐怖ばかりを煽りたてている。これはまさにオーウェルの「一九八四年」の世界と同じだ。今回の国会の「テロ非難決議」に社民党・共産党まで加わっていたのには、あきれ果てた。「誰も本質を見ようとしない。」「武力で世界中の<絶望した若者たち>を封じ込めるべきではないし、不可能だ!」

秋原葉月さん「Afternoon Cafe」ブログから

※(1)「もちろん、普通の人間は戦争を望まない。しかし、国民を戦争に参加させるのは、つねに簡単なことだ。とても単純だ。国民には攻撃されつつあると言い、平和主義者を愛国心に欠けていると非難し、国を危険にさらしていると主張する以外には、何もする必要がない。この方法はどんな国でも有効だ」byヘルマン・ゲーリング ※(2)いつの時代も大衆をファシズムに煽動する手口は同じ。なのに同じ手口に何度も騙されるのは過去に学んでいないから。格差を広げ、セイフティネットを破壊し、冷徹な自己責任論が横行する社会を継続させるのは簡単だ。今よりもっと格差を広げ、セイフティネットを破壊する政策をとればよい。そうすれば人々に自己責任論がもっと浸透し、草の根から勝手に右傾化してくれる。

辺見庸さんのブログから

・権力をあまりに人格的にとらえるのはどうかとおもう。口にするのもおぞましいドブの目をしたあの男を、ヒステリックに名指しでののしれば、反権力的そぶりになるとかんがえるのは、ドブの目をしたあの男とあまり変わらない、低い知性のあらわれである。権力の空間は、じつのところ、非人格的なのだ。だからてごわい。中心はドブの目をしたあの男=安倍晋三であるかにみえて、そうではない。ドブの目をしたあの男はひとつの(倒錯的な)社会心理学的な表象ではありえても、それを斃せば事態が革命的に変化するようなシロモノではない。権力には固定的な中心はなく、かくじつに「われわれ」をふくむ周縁があるだけだ。ドブの目をしたあの男は、陋劣な知性とふるまいで「われわれ」をいらだたせ、怒らせるとともに、「われわれ」をして社会心理学的に(かれを)蔑視せしめ、またそのことにより、「われわれ」が「われわれ」であることに無意識に満足もさせているのかもしれない。ところで、「われわれ」の内面には、濃淡の差こそあれ、ドブの目をしたあの男の貧寒とした影が棲んでいるのだ。戦争は、むろん、そう遠くない。そう切実にかんじられるかどうか。いざ戦争がはじまったら、反戦運動が愛国運動化する公算が大である。そう切実に予感できるかどうか。研ぎすまされた感性がいる。せむしの侏儒との「ふるいつきあい」がベンヤミンのなにかを決定した。そう直観できたアレントほどするどくはなくても、研ぎすまされた感性がいる。けふコビトがきた。ミスドにいった。(2015/11/11)

191230 是非ともお読みくださいm(_ _)m。れいわ新選組全国ツアーに同行して 記者座談会(長周新聞)

2019年12月30日 16時20分06秒 | 考える資料
12月30日(月):

現在の政治腐敗を生みだした最大の戦犯は新聞・テレビのマス・メディアだと言える。しかし、この記事は、俺がずっと観続けてきた<れいわ新選組山本太郎代表の全国ツアー>のダイジェスト版として非常によくできていると証言できる。是非ともお読みくださいませm(_ _)m。そして、エダノ&タマキの腐敗した野合の欺瞞を見極め、消費税5%減税を掲げたれいわ新選組と共産党を含んだ真の野党共闘実現のために闘っていきましょう!



     
長周新聞本気の思いつなぎ新局面つくる れいわ新選組全国ツアーに同行して 記者座談会
2019年12月28日

 山本太郎率いるれいわ新選組は7月の参議院選を経て、9月の北海道を皮切りに、九州、沖縄、東北、北信越、東海、近畿、そして12月の関東まで街頭や屋内で人人との対話をくり広げながら全国を回った。本紙はすべてのツアーに記者を派遣し、山本代表が訴える政策とともに、全国各地の人人が抱いている政治的な問題意識や思い、それぞれの地域が直面している問題についても注目しながら同行取材を続けてきた。全国ツアーでは、新自由主義的な政策のもとで衰退してきた地方の現実や、訴える先のない人人の切実な思いや要求が表にあらわれ、既存政党の枠をこえて人人の手によって新しい政治勢力を生み出すことに活路を求める機運が全国各地に脈打っていることを実感させるものだった。同行した記者たちで座談会を持ち、ツアー全体の特徴を出し合った。
◇      ◇
 A 山本代表の「街頭記者会見」や「おしゃべり会」(屋内)は、全国どこでもその場に集まった人たちから無差別に質問や疑問、提言などを受け付け、それに山本代表が全力で答えるというスタイルでおこなわれる。駅前の雑踏の中、白熱した論議が始まると、その真剣さに道行く人たちも足を止めてたちまち黒山の人だかりになる。反響の広がりから、回を重ねるごとにその規模が増していき、凍えるような寒さのなかで2、3時間ぶっ続けでも人が減らない。
 参議院議員時代に蓄積した数万におよぶ資料のなかから、即座に議題に関連する資料をモニターに映して応える対応力の高さには驚かされるが、「たかだか山本太郎。わからないことはみなさんから知恵を授けていただきたい」という柔軟なスタンスで、自分が答えることができない場合はてらいなく聴衆に委ねる。政治家の主張を一方通行で聞かせるのではなく、幅広い経験を持つ人人と相互に意見を交換して正しい解決策を見出していく手法は「政治の主役はこの国に生きる人人」という山本代表の信条を体現している。そのやり方が歓迎され、記者会見の場ではどこでも時間内に収まらないほど人人から発言の機会を求める挙手が止まなかった。みんなは決して「政治に無関心」なのではなく、発言の場を求め、本気の論議を求めているのだということがわかる。
 聴衆からの質問や意見は多岐にわたる。労働や賃金格差、外国人労働者、税金問題、奨学金、教育、障害者の孤立、生活保護、医療、介護、食品、健康、原発や放射能汚染、農漁業振興、災害対応、憲法や軍事、外交問題……どれもこの20年来の新自由主義的な政策によって破壊されてきた人人の生活からの声であり、生き死ににかかわる切実感があった。
 また福島や福井、新潟などの原発立地地域の問題に加え、北海道、東北、東海、近畿などの各地では国策として進める大規模再エネ(風力やメガソーラー)、核廃棄物の処分場づくり、静岡ではリニア新幹線による環境破壊、宮城や浜松では水道民営化など、大企業が地方を食い物にする略奪的ビジネスが横行していることも浮き彫りになった。長崎県対馬では、日韓関係の悪化で観光客の9割を占める韓国人観光客が激減して地域経済が危機に瀕しているという切迫した声もあった。政治に対する幻滅が広がるなかで、下からの力を結集して政治を変えなければ、生きることも、安心して暮らせるコミュニティも奪われる。その危機感があるし、下から横につながって変えたいという意欲が充満していた。

 B 関東では、山本代表が「ブラック企業でどんな働き方をしてきたのか話してほしい」と参加者に呼びかけ、みんながリレー方式でこれまでの働き方を証言する場面もあった。派遣切りにあって再就職ができず引きこもった経験、最低賃金ギリギリで残業代もつかないサービス労働を強いられていること、職を転転としたあげくに身内が自死した経験、パートを掛け持ちして子どもを育てる苦しさ……など、一度つまずけばたちまち貧困の連鎖に突き落とされる社会のなかでみんなが必死でもがいているし、現役世代や学生たちもこれまで「仕方がない」と思わされてきた過酷な労働環境への疑問を訴えていた。経済的な困窮を背景にした家庭崩壊や虐待、引きこもり、精神疾患、自殺など、まさに「死にたくなるような社会」の現実が想像をこえて蔓延していることを実感した。
 これらの現状を踏まえて山本代表は「なぜ年間2万人が自殺するような社会になっているのか考えなければいけない。もはや奴隷を通り過ぎて、人をとりかえのきく部品としか企業側はみなしていない」と強調し、経団連を中心とした一握りの大企業や米国に支えられてその要求を丸呑みしてきた自民党政治を正面から批判しながら、「全有権者のわずか3割の得票でここまで好き放題できるなら、投票権を捨てている5割の人たちとつながってひっくり返せば、真逆の政治を実現できる。その先頭に立たせてほしい」と熱をこめてくり返していた。こうした論議は、れいわ新選組の政策を知らせるだけでなく、人人がお互いの経験や苦悩を共有し、個個バラバラにされてきた人たちを横につなげていく過程でもあった。

 C 山本代表は、れいわ新選組が掲げる消費税廃止などの政策とあわせて、従来の「財源がないから増税」「赤字なのだから緊縮財政は避けられない」などといった既成概念を覆し、「政府の借金=民間の黒字」の仕組みや自国通貨発行権を持つ日本は税収にかかわらず大胆な国債発行が可能であること、税は過剰なインフレを抑制する景気安定装置であり、デフレから脱却するためには大衆課税を軽減して消費を喚起する必要があることについてくり返し説いていた。
 世界一生産性の高い国でありながら、カネのために人間が縛られ、部品のように消費され、命まで奪われる異常な搾取の構図にメスを入れ、その支配からみんなの頭を解放することに力点を置いていたと思う。対話を重ねるたびに「政治とはこの国に生きる人人を救うために機能すべきものだ。争うのは労働者同士でもなく、外国人労働者でもなく、人人を政治からはじきだすことによって政治を好き勝手にコントロールしているわずか1%の財界とその代理人だ」という方向性を鮮明に訴えていたし、そのために団結できるすべての人と力を合わせていくというスタンスがより強固なものになっていると感じた。対話のなかでの聴衆との相互の響き合いがそうさせていると思えた。

 B 街宣会場では、マスクをしたサラリーマンが「仕事の関係上、公には活動しにくいのでマスクをとれないのが心苦しいが、底辺から底上げしていくという政策に非常に励まされる。いずれは堂堂と活動したい。頑張ってくれ」と声を掛けてきたり、「自営業者だが、取引先が廃業したり、地域全体の購買力が落ちていけば私たちも苦しくなる。社会を変えなければ自分たちの生活もよくならない」(男性)、「友だちにシングルマザーが多く、バイトを掛け持ちしながら子育てをして苦労している。明日は我が身だと思うし、子どもたちの将来のためにも親である自分から動こうと思った」(母親)など、幅広い人たちが居ても立ってもいられない思いをもって集まっていた。単独で旗揚げしたことで国会内勢力やメディアにとっては「目障りな少数派」になったが、国会の外側では明らかに多数派になっている。なにもないところから自力で政党要件をこじ開けた参院選を経て、さらに多くの人を惹きつけている。

旧勢力と違う斬新な質 5割に働きかける努力
 A 全国ツアーでは、ネットやSNSだけに頼るのではなく、人人と「リアルにつながっていく」ことを重視していた。SNSは便利だが、実際に相手の顔を見て、膝をつき合わせて対話することがなければなにも始まらない。一人一人が置かれている境遇も、抱える問題意識も個別具体的だからだ。山本代表みずから生活の場に足を踏み入れて、意見の違う人たちとも心を通わせるよう努力する姿を見て励まされ、「自分にもなにかできないかを考えるようになった」という人は多かった。
 演説途中では「応援したがなにも変わらないじゃないか!」「消費税廃止などできるわけがない」などと否定的な意見も飛んでくるが、そんなときこそ相手がどんな生活をし、なにを考えているのかを知り、本気の論議でそれに応えながら一致点を探っていく。とかく古い市民活動家や革新政党を支援してきた人ほど頭ごなしにマウントをとったり、「我こそは」と自己主張の説教をして嫌われる傾向があるが、そうではなく、政治に幻滅している人、意見の違う人にこそ誠意を持って語りかけ、まず相手の生活を知り、粘り強く理解してもらえるように努力するという姿勢にこれまでの左翼との違いがある。「選挙を捨てた5割」とつながろうとする本気度がある。

 B 演説を聞いたみんなもそれぞれの場で行動している。各地域でおこなわれるポスター活動はボランティアの醍醐味だと思う。SNSで発信される情報にもとづいて、見ず知らずの人たちが集合場所に集まる。3~4人ほどのグループで地域を分担して散らばり、一軒ずつインターホンを鳴らして「お願いします」とポスター掲示を依頼していく。「思いもよらないところで貼ってくれた」ということもあるが、2時間、3時間回っても1枚も貼れないときだってある。でも、はじめは緊張していた人たちも一日経験してみるとみんな晴れ晴れとした表情に変わっていた。
 活動後に集合し、れいわ新選組のスタッフに促されて一人一人感想を交流すると、「はじめはインターホンを押す手も震えたけど、次第に慣れて話ができるようになった」「断られて心が折れそうになるときもあるけど、直に声をかけていくことで知ってもらえるし、次につながると感じることができた」「知らない土地で一軒ずつ戸を叩いて人人と話をしてみると、ポスターを貼らせてもらえることの方が珍しいし、れいわ新選組や山本代表のことを知らない人もいる。ネット上や仲間内では盛り上がっていても、まだまだ知名度の低いことがわかる。自分が動かなければなにも始まらないことがわかった」と口口に語っていた。

 A 地域の特殊性だったり、政治的ポジションの違いで一回では理解してもらえないことも多多あるが、諸事情でポスターは貼れないけれど内心では応援してくれる人もいる。そうやって地域や人人を理解し、複雑な感情の機微にも触れながら、汗を流して行動した分だけ自分の言葉も行動も磨かれていく。次第に慣れていくと、地域の人人の生活や思いがわかり、「お年寄りが戦争体験を話してくれ、“あんなことは二度とくり返してはいけない”と声をかけてくれた。地域の歴史を知ることもできた」「頑張れと声を掛けてくれた」など新しい出会いや発見も生まれ、「こんなにおもしろかったのか」とみんな楽しみながらいきいきとやっている。経験を交流し合いながらボランティア同士の横のつながりもできる。いわゆるトップダウンの組織ではなく、本気でやる気の人たちが勝手連として下から動き出し、誰も止められない流れになっていると感じた。

 C 集まる人にもそれぞれ得意分野があって、営業経験のある人からは、お宅訪問で断られてもちゃんと頭を下げてお礼をいうなど礼儀作法について教えられる。地元の人であれば土地勘や地域の事情に明るい。手仕事にたけた人はポスター掲示用のボードをつくってきたり、データ処理ができる人は名簿を整理し、デザインが上手い人は独自の配布物をつくるなど、それぞれがアドバイスをしたり、強みを生かしてお互いに補い合う関係ができている地域もあった。女性が多い地域はつながりも強く、とくに活発だった。短い言葉で相手にわかりやすく伝えるためにはどんな言葉がいいか、反論してくる人の意見も丁寧に耳を傾けて次回から教訓にしようとか、お互いに話し合いながら進化していく。自分が「一支援者」というだけではそこ止まりだが、実際に当事者として動くことで関係も緊密になり、一人一人がみんなのために働く運動体になっていく。社会を変えるために自分を変え、周りを変えていく。ポスター活動がそれを促していると思った。

 B 「一人で何かしようと思っても無理なことが多く、いろいろ頭で考えていてもなにも動かない。いろんな人の意見や力や知恵を集めていけば変えていける。安冨歩さんが“山本代表を使って自己実現していく”と話していたが、実際にボランティアに参加してみて、みんな偽善や自己満足のために運動しているのではなく、みんなのためでもあるけど、自分のために世の中を変えていこうとしているし、そういう人たちがたくさん集まり始めていることに気付いた」(40代・母親)、「母親が認知症の祖父母の介護で精神的に追い詰められていたため、夢を諦めて帰郷した。同じような苦しみを持つ人たちがいるのにつながることもなく、周囲に理解してもらえる人も少なかった。思いを共有できない根っこを考えると政治に行き着き、山本さんの動画を見てみんなが協力できる社会に変えていきたいと思った。思っているだけでは変わらないので一歩踏み出してみると、みんな普通の人たちで暖かくサポートしてくれ、やる気の人たちの集まりだと感じた。自分が動くことで、例えれいわを支持してくれなくても政治に関心を持ってくれる人を増やしたい」(20代・女性)など、それぞれが一歩踏み出して新しい境地を開いていた。

 A れいわ新選組のスタッフたちも、各地のボランティアとのかかわりのなかで相当に鍛えられている印象だ。一日の休みもなく日本列島を縦断するようなツアーの行程を献身的に支えていた。昼間ははじめて赴く地で地元の人たちにレクチャーしながら一緒にポスター行動で汗を流し、街宣の始まる3時間前には現地入りしてステージや機材の設置、そして会場整理や宣伝材料を配布するボランティアをとりまとめる。街宣後の片付けまで含めると大変な作業だ。それでも疲労の顔色一つみせず、集まってくる人たちの意見を聞き、励まし、さまざまな突発的なトラブルにも対応する。自己主張や旗を振り回すだけの自己満足でできる活動ではなく、あくまでも「縁の下の力持ち」としての立ち居振る舞いに徹しているのが印象的だった。彼ら彼女らがボランティアのお手本のようになっているし、そのように組織の中核が私心なく結束しているからこそ幅広い人たちの自由な活動を保証できるのだと思う。こういう人たちが各地に生まれていけば、相当に強力な運動体になっていくと感じた。

みんなの行動が情勢を動かす 新勢力が台頭する機運
 B ツアー後半になるに従って、衆院選を含めた今後のたたかい方についての質問も多かった。野党共闘についての意見はさまざま出たが、山本代表の「消費税5%の共通政策で一致できる場合は捨て石になるが、できない場合は独自で勝手にやる」という訴えにはどこでも強い拍手が沸いた。外野からは「野党共闘を分断する気か」などの声も聞こえるが、「政策を横においてふんわりと手をつなぐことはできないし、ただ塊になるだけでは政権交代などできない。消費税5%で一致できなければ、旧勢力vs新勢力のたたかいをするしかない」という姿勢が支持されていた。有権者を裏切って見放された勢力が束になって勝てるほど甘くはないし、そんなこと続きで5割が票を捨てているのだ。

 C 「政治は信じるものではない。宗教でもアイドルでもない。政治家は期間限定の雇われ人に過ぎない。この国の主人はみなさんであり、政治はしっかり監視して動かしていくものだ」(山本太郎)の言葉に集約されると思う。この間の国政の動きを見ても、「桜騒動」の陰で日米FTAは米国要求通りのスケジュールで国会承認され、野党にも体を張って止めるという気概はなかった。聴衆からは「隠れ自民党」「与野党のプロレスを見せられている」「連立政権になっても内側から裏切る」「主導権争いにしか関心がない野党と調整し合うくらいなら独自でやってほしい」などの厳しい意見があいついだ。与野党問わず既存政党の性根が見抜かれているし、だからこそ下から「まったく新しい政党をつくろう」の機運が高まっている。
 自民党でも公明党でも、他の野党でも、れいわ新選組であっても、支持者は「信者」や「応援団」になるのではなく、政治を動かす「主人公」であり「当事者」であるべきと山本代表は強く訴えていた。そうでなければ政権をとったとしてもすぐにひっくり返される。それだけがんじがらめの支配の仕掛けがあり、圧力だけでなく懐柔もある。したがって下から有権者が政治家のお尻を叩き、永田町で起きている裏切りや圧力も全部公開して、相互に意見を交わしながら誤解やズレを正していくというスタンスだ。「野党だから無条件に支持するべき」とか「有権者は政治家の応援団」という関係ではない。「お前になにができる!」という人にも、「山本さんを信じてます!」という人にも「政治は信じてついていくものではなく、疑って監視しながら動かしていくもの。一緒に変えていこう!」と呼びかけていた。
 メディアや既成政党は「ポピュリズム」「子ども染みている」などと揶揄するが、議場から有権者を見下し、「永田町の論理」を絶対視する干からびた脳味噌では理解できない。人人の生活に足場を置くならすべてあたりまえの主張であり、振りまかれてきた諦めをとり除き、みんのために機能する政治を望む人たちの力を束ねていくなら岩盤を突き破れる。そのことをみんなが確信していけば巨大な力になっていく。

 A 限られた選択肢の中から「どこを支持するか」では消去法にしかなりえないのが現状だ。自分たちが望む社会に向かって能動的に政治にかかわり、永田町を下から揺さぶるくらいの強力な国民世論をつくることが求められるし、れいわ新選組がその動きをつくり出す起点になっている。「桜」どころではない大がかりな私物化と売り飛ばしがおこなわれてきたのがこの20年来の政治であり、その大きな構図について有権者とともに論議し、正面突破していく気概なくして政治を動かすことなどできない。国会での茶番やメディアの目くらましは見抜かれ、政治の本質をめぐる有権者の目は鋭くなっている。だからこそ街頭で本気の論議がこれほど盛り上がるのだと思う。この本気の流れが強まることは、スキャンダルの炎上騒ぎ以上に既存の権力にとって脅威だ。例えトップの首が挿げ替えられたとしても、みんなが白けて寝ていてくれたら3割支配は安泰なのだから。

 B メディアが垂れ流す支持率調査などに一喜一憂していても始まらない。「放送禁止物体」として扱われるのも、それだけ権力にとって脅威になっていることの裏返しでもある。政治に幻滅した5割に働きかける彼らの挑戦はまだ始まったばかりで、政権にリーチする道は甘くはないが、逆にいえば伸びしろしかない。「与党vs野党」「右vs左」「保守vs革新」等等の古い枠組みでは分類できないところまで、社会を食い潰す1%と、食われる99%との分化が進んでおり、欺瞞が剥がれ落ちている。情勢は行動によっていくらでも動かせる。諦めや分断に晒されてきた人人を横につなぐ努力を各自が足元から進めていくなら、これまで見えなかったまったく新しい展開が生まれてくると思う。
 れいわ新選組は、来春早早から中・四国、さらに岐阜や滋賀など対話ができなかった地域、さらに候補者を擁立する地域を重点的に回るという。本紙も、この下から始まった本気のたたかいに密着しながら、新しい政治を生み出す全国的なエネルギーの胎動をしっかり発信していきたい。





191229 給食費未払いで滝川クリステル、長嶋一茂らが貧困を無視し「親のモラル」と糾弾!

2019年12月29日 12時10分43秒 | 考える資料
12月29日(日):    テレビ朝日公式サイトより

「41.6%の小学校で、54.5%の中学校で給食費未納の生徒がいる」という時点で、社会的背景による制度的破綻であることは明らかだ。

リテラ給食費未払いで滝川クリステル、長嶋一茂らが貧困を無視し「親のモラル」と糾弾!バッシングを仕掛けたのは安倍首相と「親学」一派       2019.12.28
  また安倍首相の無策ぶりが露呈した。今年1年間に生まれた子どもの数を示す「出生数」が初の90万人割れとなる見通しが発表されたことを受けて、安倍首相は26日、「国難とも言える状況」と認識を示し、少子化対策を進めるよう指示したからだ。
  「国難とも言える状況」って、少子化問題は何十年も前から叫ばれてきたし、だいたい2017年には突然、少子高齢化を「国難」認定して臨時国会の冒頭解散を強行したではないか。その上、この2年間、少子化対策として早急な対応が叫ばれていた待機児童解消のための保育士の待遇改善はおろか、少子化の根本的な要因となっている非正規雇用増加という不安定就労や男女の賃金・就労機会の格差問題などを放置してきたのはどこの誰だ、という話だろう。
  しかも、この国では、なんでもかんでも「親のせい」「親の問題」だのと自己責任の問題として押し付ける傾向が高まっている。正当に守られるべき子どもの権利の問題が「親の責任」に転嫁されることで、子育てしづらい環境が生み出されているといえる。
  とくに最近、耳を疑ったのは、14日に放送された『松岡修造の「聞いてください! 先生も悩んでます」』(テレビ朝日)で展開された、学校給食費をめぐる議論だ。
  番組では、現役の学校教員の悩みを取り上げ、スタジオで徹底討論するという構成だったのだが、そこでテーマのひとつとしてあがったのが、「給食費の未払い」問題。「いまも給食費の未納者はいます」「経済的にもモラル的にも低い家庭ほど、給食費など払わないのにスマホは買い与える」などという公立小学校教員からのコメントが流され、VTRでも「文科省の調査では41.6%の小学校で、54.5%の中学校で給食費未納の生徒がいることが判明。金額に換算すると年間およそ26億円に」などと説明。給食費の回収のため、教員が親に“取り立て”に行くという業務が発生していると紹介した。
  小・中学校で約50%も給食費未納の児童・生徒がいるということは、いかに子どもの貧困が深刻化しているかを示しており、由々しき問題だ。しかも、それを教員に借金取りのように取り立てさせているというのは、給食費が払えないという親や子どもに「恥」という概念を刷り込ませようとする、教育現場に絶対に持ち込んではならない行動ではないか。
  しかし、VTRでは「給食費を支払う気がない親がいる」ということが強調され、スタジオトークでは「親の責任放棄」という問題にすり替えられた。実際、スタジオでは、滝川クリステルが「もう借金取りのような気持ちになった経験、先生たちありませんか?」と尋ねると、公立小学校の教員である男性が「やっぱり電話かけづらいですね」「すぐ払いますとは言ってくれるんですけどね」「そう言ってなかなか払ってくれないこともあります」などと証言。劇団ひとりが「それって、わからないかもしれないけど、払いたくないから払ってないって感じなんですか?」と質問し、教員が「踏み倒す……。お兄ちゃんでいけたから弟もみたいな感じは、まあまあ」と答えると、スタジオは呆れ返ったような空気に包まれた。
  しかも、ここで滝川は「どうしてね、給食費未納問題なんですが、昨年発表されたこの調査結果があります。この調査では払えるのに払っていないという保護者が小学校で64.6、中学では75.8%も払っていない」と文科省の調査結果を紹介すると、長嶋一茂がこう憤慨した。
「これはね、弁護士マターだと思いますよ。僕はっきり言うと。言葉は悪いけど、親のまあ義務責任を果たさないがための、子どもたちが無銭飲食っていう結果になってるわけですよ。だって払えるのに払えないんだから、司法が介入して払いなさいっていう国の命令が降りれば、払わざるを得ないわけですよ」
  さらに長嶋は、取り立ての経験があると話す公立小学校教員に対し、「だから先生が親御さんに電話して払って下さいなっていうのも、必要まったくないと思わないでしょ、そう思わないですか? 自分の範疇ですか?」と質問。教員が「まぁ、やってるあいだは何してるんだろうって思いますね」と答えると、「言葉がね、いま穏便な言い方だけども、ふざけんな!ってことでしょ? それでいいんですよ」と畳み掛けたのだった。
  結局、このコーナーは松岡修造による「給食っていうのが、(「給」の字は)みんなが一緒に同じものを合わせていく。そう考えると僕はこの給食って、“究極”の“究”食じゃないかなと思うんです。だからこそ、みんな。給食で人を良くしてこうぜ」という雑な提案でまとめられて終わったのだが、ようするにこの番組では、給食費未納問題を子どもの貧困の問題ではなく、「支払い能力のある親が給食費を踏み倒している」と煽るだけだったのだ。
  まったく、とんでもない“親バッシングと言わざるを得ない。とくに悪質なのは、滝川が紹介した「払えるのに払っていないという保護者が小学校で64.6、中学では75.8%」という調査結果を持ち出したことだ。

■子どもの貧困を矮小化し、「給食費未納はモラルの問題」と捻じ曲げた文科省の恣意的な調査
  これは文科省による平成28年度「学校給食費の徴収状況に関する調査」の結果で、問題の未納の原因について調査した項目は「児童生徒毎の未納の主な原因についての学校の認識」というもの。ここではたしかに「保護者としての責任感や規範意識」が小学校で64.6%、中学で75.8%であるのに対し、「保護者の経済的な問題」は小学校で21.2%、中学で14.7%となっている。
  しかし、注目してほしいのは調査項目名だ。その名のとおり、これは「未納の主な原因についての【学校の認識】」であって、保護者に聞き取りしたものではないのだ。この「学校給食費の徴収状況」という調査自体、対象は“学校給食(完全給食)を実施している全国の公立小学校・中学校から抽出した527校”。つまり、学校に対しておこなったものなのである。
  実際、この調査の問題点について、跡見学園女子大学の鳫咲子教授は〈文部科学省が発表したデータを確認すると、「モラル」の問題と決めつけることには無理がある〉とし、こう言及している。
〈学校が保護者の生活水準を判断する材料は、「高い車に乗っている」「高級ブランド品を持っている」など見た目に限られる。見た目の判断だけで、その家庭の事情がすべてわかるわけではない。〉(共著『子どもの貧困と食格差』大月書店)
  また、鳫教授はこの文科省調査では給食費の未納率が〈常に中学校の未納率が高い〉ことを指摘。〈中学生の保護者は小学校の保護者よりモラルが低いと考えるのは不自然であり、モラルの問題というより、中学校に入り子どもにかかる費用が増加したために、払えなくなった人が多くなったと考えるべきである〉とし、同時に〈実際にいわれているほど多くはないが、経済的な問題がないのに給食費が払われない場合には、ネグレクトなど他の問題のシグナルと考える必要がある〉とも述べている。
  つまり、この文科省調査は給食費未納を貧困問題ではなく親の責任に押し付けようとする、恣意的なものと言わざるを得ないのだが、同調査がはじめて実施された2007年以降、調査結果をもとにして「給食費を払えるのに払ってない親がいる」「親のモラルが崩壊している」などという「給食費未納親バッシング」をメディアが繰り広げてきたのだ。調査結果がはじめて公表された2007年1月、新聞全国紙は社説でこんな見出しを掲げている。
「学校給食費「払えるのに払わない」無責任さ」(読売新聞2007年1月26日)
「学校給食費「払わない」は親失格だ」(朝日新聞2007年1月28日)
「給食費未納が示すモラル崩壊」(日本経済新聞2007年1月28日)
「給食費滞納「払えても払わぬ」は通らぬ」(毎日新聞2007年1月26日)
「給食費未納 学校を軽んじてはならぬ」(産経新聞2007年1月26日)
  このように、リベラルメディアである朝日新聞でさえ「親失格」などと未納親バッシングを展開していたわけだが、重要なのは、この文科省による恣意的な調査がおこなわれたのが、第一次安倍政権下だったということだ。
  しかも、安倍首相が設置した「教育再生会議」は、この給食費未納問題を利用し、「親の教育が必要」だと主張。「親学」の義務付けへと結びつけようとしていたのだ。
  親学とは、本サイトでも繰り返し指摘しているとおり、日本会議の中心メンバーである高橋史朗氏が提唱する教育理論で、「児童の2次障害は幼児期の愛着の形成に起因する」などと主張するもの。教育の責任を親とくに母親だけに押し付け、“子どもを産んだら母親が傍にいて育てないと発達障害になる。だから仕事をせずに家にいろ”という科学的にはなんの根拠もないトンデモ理論だ。こんなものを「教育再生会議」は政府として推奨しようとしていたのだが、そこで持ち出されたのが給食費未納問題だった。
  たとえば、提言をあつかっていた教育再生会議の第2分科会が2007年4月17日におこなった会議では、有識者メンバーだった義家弘介氏がこう述べている。
「給食費未納の問題では、給食を食育の授業時間と捉えるなど位置づけを明らかにすることが重要である。お金を払っている以上「いただきます」を言う必要はないと主張する親がいるのは疑問。連帯保証書をとる自治体もでるなど事態は深刻である。(中略)義務教育を、国が義務を負う教育だと、はき違えている親がいるが、子供に教育を受けさせる親の義務である。親学研修の義務づけなど、思い切った提言を行いたい」(議事要旨より)
  子どもに教育を受けさせる義務は保護者だけではなく国・政府にもある。教育を受ける権利を保証するのは近代国家として当然の責務だし、その範囲の解釈は分かれるものの義務教育は無償と憲法にも定められている。給食を授業時間と捉えると言うなら、それこそ国が払うべきだろう。はき違えているのは、一体どちらなのか。

■給食費未納バッシングを仕掛けたのは第一次安倍政権 背景に「親学」推進

  さらに、この数日後には安倍首相の極右教育のブレーンである八木秀次・麗澤大学教授が理事長をつとめる「日本教育再生機構」も「教育再生会議」に提言をおこない、そこでも給食費未納に絡んで保護者の啓蒙を盛り込むよう求めている(産経新聞2007年4月21日付)。
  そして、「教育再生会議」は「『親学』に関する緊急提言」をまとめ、「子守歌を聞かせ、母乳で育児」「授乳中はテレビをつけない」などという親学をもとにした提言とともに、〈給食費未納問題や朝食を食べずに登校する「食育の乱れ」も例に挙げ、無自覚と批判がある親を再教育する重要性を指摘〉(四国新聞など2017年5月10日付)した提言を発表する予定だったが、発表前にメディアがこの問題を取り上げたことによって批判が殺到。結果的に正式発表は見送られたが、見送りを決定した会議の席上でも安倍首相は「議論が物議を醸しているのは事実だが、もっと物議を醸していいのではないか」「いろんな偏見があったり、アレルギーがあったりするんだろう。アレルギーを持つのは間違っていると認識していけば、冷静な議論が出てくるのではないか」などと発言している(毎日新聞2007年5月11日付)。
  ようするに、第一次安倍政権は給食費未納の問題を恣意的な調査によって「親のモラルの問題」にすり替えることで、子どもの貧困問題を矮小化。挙げ句、それを利用して「親学」を国をあげて推進することで、教育を個々の親・家庭の自己責任に押し付け、近代国家として当然の社会的ケアの責任を放棄しようとしたのだ。
  安倍政権は生活保護バッシングを利用して生活保護の給付水準を引き下げるなどの政策を強行してきたが、じつは給食費未納問題も同様の構図だったのである。
  本来、給食費未納が広がっている実態を受けて検討すべきなのは、子どもの貧困や少子化対策としての給食無償化だ。
実際、同じように子どもの貧困や少子化問題を抱えている韓国は給食無償化を推進し、ソウル市では2021年からすべての小中高でオーガニック食材を用いた無償給食を実施するという。ソウルのパク・ウォンスン市長は、こう語っている。
「オーガニック学校無償給食が施行されれば、3万9000人の生徒が給食費の受給申請をしなくとも良くなる。受給者の烙印を捺されることが恥ずかしくて申請しない生徒もいたが、ご飯を食べる時にも差別を受けずに友達と付き合えるよう、私たち社会が努力しなければならない」
「生徒1人当り年間80万ウォン(約8万円)の給食費が節減され、家計負担もそれだけ減るだろう」(ハンギョレ新聞2018年10月29日付)
  一方、安倍首相は給食無償化などの対策をとろうとはしない。安倍首相が議長をつとめる経済財政諮問会議では、2016年に民間議員が子育て支援の抜本強化策のひとつとして「給食費の無料化の検討」を提言しているが、その後、安倍首相が子育て支援として給食費無料化を打ち出したことはない。それどころか、消費増税と引き換えにした幼児教育・保育の無償化では、給食費を無償化の対象外にした。これで何が「無償化」なのか。
  少子化や子どもの貧困問題から逃げているとしか思えない安倍首相の態度だが、それをアシストしているのが、給食費未納を「親のモラルの問題」などとバッシングを煽るメディアの存在だ。こんな体たらくでは、家庭を国家に奉仕する下請け化するような恐ろしい動きが再び息を吹き返すことになっても、何ら不思議はないだろう。(編集部)

191228 一年前の記事だが…:東京・千葉も汚染がひどい!アンダーコントロール?オリンピックに来てもらえる?日本の国際的信用は?

2019年12月29日 01時16分45秒 | 考える資料
12月28日(土):


東京新聞:放射能測定マップ反響 自費出版、異例1万部準備   2018年12月22日
  
「図説・17都県放射能測定マップ+読み解き集: 2011年のあの時・いま・未来を知る (日本語)」 大型本 – 2018/11/17 2547円


191227 一年前:181226 重松清原作、大森寿美男脚本・監督映画「アゲイン 28年目の甲子園」(2015)感想4+

2019年12月28日 02時39分48秒 | 一年前
12月27日(金):
181226 重松清原作、大森寿美男脚本・監督映画「アゲイン 28年目の甲子園」(2015)感想4+
12月26日(水):    (集英社文庫:2014)BS録画を繰り返し観た。重松清の作品は、優しい。奥行きがある。中井貴一、柳葉敏郎はやはり良い役者だ。丁寧に良く作り込まれた<達......


191227 一年前:181127 日本政府、IWC脱退表明。夜郎自大、無知蒙昧、ここに極まれり!松岡洋右を思い出した。

2019年12月28日 02時37分46秒 | 一年前
12月27日(金):
181127 日本政府、IWC脱退表明。夜郎自大、無知蒙昧、ここに極まれり!松岡洋右を思い出した。
12月27日(木):      日本政府は国際捕鯨委員会(IWC)脱退を表明したそうだ。アメリカのそれも、あのゲスのトランプのどんなに汚い理不尽な要求でも、日本国民の<血税>を......


191226 祝?200万PV超。52.5万IP超:

2019年12月27日 14時09分09秒 | 閲覧数 記録
12月26日(木):    記録ですm(_ _)m。ブログの開設から3001日(8.2年)。


アクセス:閲覧 1,084PV/訪問者 353IP

トータル:閲覧 2,000,032PV/訪問者525,125IP

ランキング:3,144位 /2,902,711ブログ中   週別 2,796位

8年間続けてきた。PV数が多いのか?少ないのか?、よくわからない。300万PVは無理か?前途遼遠なり。

191224 気持ち悪い、最悪のツーショット。 強姦魔とNHK岩田明子解説委員、わかりやす過ぎて吐き気がする。

2019年12月24日 16時37分58秒 | 考える資料
12月24日(火):    

 目の穢れ、見るのも汚らわしい図柄だ。載せたくないけど載せないとわからないから、小さいサイズで載せる。民放のニュースが報道しているのに、何故、山口敬之強姦魔事件・判決をNHKが報道しないのか。わかりやす過ぎて吐き気がする。NHKは岩田明子にこのままニュース解説をさせ続けるのか。これで受信料を支払えというのか?! お笑いぐさとしか言えない。恥知らずなNHKをぶっ壊す!

191223 「本音のコラム」 山口敬之元記者の事件 前川喜平  ※報道しないNHKの異常さ!

2019年12月23日 18時44分06秒 | 考える資料
12月23日(月):

この事件について、判決のあった12月18日(水)以来、NHKがニュースで一切報道していないのが異常としか言えない。民放は当日に報道している。


東京新聞「本音のコラム」山口敬之元記者の事件 前川喜平
 
 2019.12.22

 伊藤詩織さんが山口敬之元TBS記者を性的暴行で訴えた民事裁判は、伊藤さんの完全勝訴だった。やっと正義(の一部)が実現された。詩織さんの勇気ある行動に心から敬意を表したい。しかし判決の事実認定に照らせば、準強制性交罪が成立するはずだ。なぜ立件されなかったのか? 
 山口元記者には逮捕令状が出ていた。逮捕直前に警視庁の中村格(いたる)刑事部長(当時)がその執行停止を命じた。この行動がまず異常だ。山口元記者は安倍夫妻と交友関係があり『総理』という本も書いていた。官邸に人脈もある。中村元部長は菅官房長官の秘書官だった。逮捕中止は官邸の指示だったのではないか?
 東京地検が山口元記者を不起訴にしたのも、被疑者が首相のお友だちだからではないか? 検察審査会の結論も「不起訴相当」だったが、審査会事務局が素人の審査員を誘導したのではないか?
 「刑事と民事で判断が分かれた」と言われるが、裁判所は刑事の判断をしていない。「検察と裁判所で判断が分かれた」と言うべきだ。不起訴の背景に「法の不備」や「立証の困難さ」があるという声もあるが、真の理由は「政権による検察の支配」なのではないか?
 山口元記者はなぜ逮捕も起訴もされなかったのか? そこには、安倍政権による「刑事司法の私物化」という恐るべき疑惑が存在するのだ。(現代教育行政研究会代表)

191222 高野孟「立憲民主と国民民主の合流は「当たり前」か…3つの疑問」(永田町の裏を読む)

2019年12月22日 14時43分25秒 | 考える資料
12月22日(日): 
日刊ゲンダイ立憲民主と国民民主の合流は「当たり前」か…3つの疑問 永田町の裏を読む 2019/12/19 
  立憲民主党と国民民主党の「合流」について、マスコミでは「何をもたもたしているのか、さっさと一緒になって政権構想を打ち出さないと安倍政権に太刀打ちできないじゃないか」と、合流するのが当たり前であるかの論調が圧倒的に多いが、それは果たして本当か。
  第1に、まずは両党のそれぞれが、どんな日本にしたいのかという意味での理念と基本政策をはっきりさせるべきではないか。立憲民主のほうはまだ、旧民主党以来の政策資産を何となく引き継いでいるようには見えるが、枝野幸男代表自身の言葉で改めて国民に結集を呼びかける宣言が必要だろう。
  一方の国民民主は、基本的には、小池百合子を首相にして政権を取りに行こうという前原誠司らのばかげた構想に思い惑った人たちという以外に何のアイデンティティーも共有しておらず、それでいて連合労組との関係で原発推進だけははっきりしているという妙な集団である。理念・政策がはっきりしない者同士がどうやって新しい党の理念・政策を擦り合わせるのか。
  第2に、来年にはたぶん総選挙があるだろうから、政権構想は早く立てたほうがよい。しかしそれは、壮大な未来ビジョンを語るというよりも、アベノミクスはじめ安倍政治の害毒を断ち切るための緊急対策が中心となるもので、しかも共産党を含めて合意し、それに基づく強力な選挙協力体制で裏打ちされなければならない。従ってそれは、立憲・国民の合流いかんとは直接には関係がない。
  第3に、それでも野党第1党は大きいほうがよいと思っている人が多いのは、「2大政党制」による政権交代こそベストだとする幻想が根強く残っているからだ。日本と同じ時期に同じような選挙制度を導入したイタリアでは、連立政治が当たり前で、保守側もリベラル側も複数の政党が連合して政策を掲げ、場合によっては首相候補も明示して選挙を戦い、頻繁な政権交代を実現している。日本も、巨大野党の出現を待望するより、連立政治の技法に習熟すべきではないか
  ある立憲のベテラン議員も「確かに、旧民主党は理念・政策よりもまず数の力だということで無原則に合流を受け入れて、ブヨブヨの体で政権に就いたために持ちこたえられなかった。その轍を踏みたくない」と、またも沸き起こる合流話に警戒気味である。

高野孟 ジャーナリスト :1944年生まれ。「インサイダー」編集長、「ザ・ジャーナル」主幹。02年より早稲田大学客員教授。主な著書に「ジャーナリスティックな地図」(池上彰らと共著)、「沖縄に海兵隊は要らない!」、「いま、なぜ東アジア共同体なのか」(孫崎享らと共著」など。メルマガ「高野孟のザ・ジャーナル」を配信中。




191222 一年前:181219 全く同感!!書き起こし:主婦近藤香織「憲法「改正」 正しく改まる?!」(兵庫県 68)※朝日新聞投書

2019年12月22日 10時48分27秒 | 一年前
181219 全く同感!!書き起こし:主婦近藤香織「憲法「改正」 正しく改まる?!」(兵庫県 68)※朝日新聞投書

12月19日(水):いつも思っていることをクリアに書いてくれている投書が今日(12月19日)の朝刊に載っていたので書き起こす。「憲法「改正」正しく改まる?!」  ※朝日新聞......


191215 自宅の壁に「れいわ新選組」のポスターを貼った。初めての経験。立民エダノは、れいわ・共産と組んで<政権交代>を実現しろ。

2019年12月15日 23時14分45秒 | 今、思うこと&意見
12月15日(日):  

連日、れいわ新選組山本太郎代表の街頭記者会見をユーチューブで観続けている。長年作り上げてきた俺自身の政治に対するあるべき姿、コモンセンス(常識)がほぼすべて山本太郎代表が話す内容と重なり合う。ある意味、山本太郎代表の姿は俺の分身であると言える。

政治家のポスターを自分の家の壁に貼るというのは初めてのことであり、自らの姿を世間にさらすことに感じられて多少の躊躇はあった。しかし、彼を応援せずして、誰を応援するというのか?!日和見をして声を上げるべき時に声を上げれずに終わるのは後悔を残す。それだけは嫌だった。

れいわ新選組の公約すべてに対して納得して賛成できるが、同時にすべて実現は極めて困難であることもわかっている。俺が山本太郎代表に最も共感できるのは、ストレートな政策もさりながら、彼の国民・市民に対する寄り添う姿勢と、自らの言葉に対する誠実さと覚悟が見て取れるところである。彼の言葉にはウソがない。

今の世に最も必要な政治家が奇跡のように現れてくれたのだ。山本太郎代表を見殺しにしてはいけない。彼と駆け引きをしているつもりの立憲民主党のエダノやレンホウは、醜く滑稽の極みである。2年前の立憲民主党に対する大いなる支持の波は、「義を見てせざるは勇なきなり」と、捨て身で民意の受け皿を作ろうとしたエダノの姿勢に対するエールであって、エダノの政見に対する支持は一部に過ぎない。

今、国民・市民の期待は「れいわ新選組」山本太郎代表の本気の政権交代への挑戦に支持を送っている。政権交代を本気で狙わず小さくまとまろうとする立憲民主党、国民民主党に風は吹かない。愚劣と愚かの極みだ。

願わくば、前原詐欺師、野田ブタを切って、立憲・国民は消費税率5%引き下げを掲げて、れいわ・社民・共産党と組んで本気で<政権交代>を目指してほしい。きっと政権交代は実現するはずだ。そして、逆も真なりである。どうか我々国民・市民を失望させないでほしい。




191211 一年前:8 030 アゴタ・クリストフ「悪童日記(堀茂樹訳)」(ハヤカワepi文庫:1986、日本語訳1991)感想5

2019年12月11日 19時22分36秒 | 一年前
12月11日(水):
8 030 アゴタ・クリストフ「悪童日記(堀茂樹訳)」(ハヤカワepi文庫:1986、日本語訳1991)感想5
12月10日(月):    301ページ(本文273ページ)  所要時間5:00    ブックオフ108円著者51歳(1935生まれ)。名前だけはよく見る作品だった。読......


191208 一年前:8 028 高濱正伸「中学受験に失敗しない」(PHP新書:2013)感想4+

2019年12月08日 20時35分52秒 | 一年前
8月28日(日):
8 028 高濱正伸「中学受験に失敗しない」(PHP新書:2013)感想4+
12月8日(土):  211ページ     所要時間4:10      古本市場86円著者54歳(1959生まれ)。花まる学習会代表。熊本県人吉市生まれ。熊本高等学校卒業後......


191205 れいわ新選組山本太郎代表を強く支持する。山本太郎氏の識見は本当に信頼できる。安心して傾聴できる。

2019年12月05日 22時57分43秒 | 今、思うこと&意見
12月5日(木):

12月2日の和歌山で生活保護の受給などで外国人よりも日本人を優先すべきだと主張する19歳の若者に対して、彼がとらわれているヘイトスピーチ的思考を「そんな弱い者同士を争い合わせる政治そのものが問題なのだ」と指摘し、「もっと大きな枠組みで国民・市民の生活の底上げをするべきなのだ」と説いた山本代表の姿は出色の素晴らしさだった。

そのシーンを見ながら、19歳の若者のヘイト意識の幼稚さに失望したが、彼に政治・社会のあるべき姿をしっかりと説ける山本代表の姿に大きな希望を感じることができた。山本太郎氏の識見は本当に素晴らしく当を得たものだと安心できる。

12月3日の神戸で「太郎さんは国民という言葉をあまり使わないですね」という質問に、「私は『この国に住む人々』という言葉をよく使います。それは、日本に住んでるのは日本人だけでなく、さまざまな人々が住んでいる。その人たちも互いに助け合うべき仲間であり、税金もしっかり払っているので、国や自治体からのサービスを受けるべき存在である。」と答えた。

さらに「帰化すればいいではないか」の声に、過去の様々な経緯の中で日本国籍取得に至らない存在の人たちの思いや存在を尊重する気持ちも十分に伝わってきた。これは、特に在日コリアンの方々への配慮を彼がしっかりとできているのだと思った。彼は戦後の在日コリアンの生きざまを描いた作品の映画「夜を賭けて」にも主演している。そして、しっかりと学んでいるのだ。

山本太郎の識見は本当に信頼できる。安心して傾聴できる、と改めて確認できた。






191205 一年前:8 027 山田洋次「「学校」が教えてくれたこと」(PHP研究所:2000)感想4+

2019年12月05日 21時58分43秒 | 一年前
12月5日(木):
8 027 山田洋次「「学校」が教えてくれたこと」(PHP研究所:2000)感想4+ 
12月5日(水):  245ページ     所要時間3:15      アマゾン378円(121+257)著者69歳(1931生まれ)。若い時、「そんな雑な考え方でどう......


150329 タガ外せば歯止め失う 長谷部恭男・早稲田大学教授/「未来志向」は現実逃避 杉田敦・法政大学教授

 杉田 先日ドイツのメルケル首相が来日しました。戦後ドイツも様々な問題を抱えていますが、過去への反省と謝罪という「建前」を大切にし続けることで、国際的に発言力を強めてきた経緯がある。「建前」がソフトパワーにつながることを安倍さんたちは理解しているのでしょうか。  / /長谷部 そもそも談話が扱っているのは、学問的な歴史の問題ではなく、人々の情念が絡まる記憶の問題です。記念碑や記念館、映画に結実するもので、証拠の有無や正確性をいくら詰めても、決着はつかない。厳密な歴史のレベルで、仮に日本側が中国や韓国の主張に反証できたとしても、問題はむしろこじれる。相手を論破して済む話ではないから、お互いがなんとか折り合いのつく範囲内に収めようと政治的な判断をした。それが河野談話です。  / /杉田 談話の方向性や近隣との外交について「未来志向」という言い方がよくされますが、意図はどうあれ、それが過去の軽視という「見かけ」をもってしまえば、負の効果は計り知れない。安倍さんたちは、未来を向いて過去を振り払えば、政治的な自由度が高まると思っているのかもしれません。しかし政治の存在意義は様々な制約を踏まえつつ、何とか解を見いだしていくところにあります。政治的な閉塞(へいそく)感が強まる中で、自らに課せられているタガを外そうという動きが出てくる。しかし、それで万事うまくいくというのは、一種の現実逃避では。  / /長谷部 合理的な自己拘束という概念が吹っ飛んでしまっている印象です。縛られることによってより力を発揮できることがある。俳句は5・7・5と型が決まっているからこそ発想力が鍛えられる。しかし安倍さんたちは選挙に勝った自分たちは何にも縛られない、「建前」も法律も憲法解釈もすべて操作できると考えているようです。  / /杉田 俳句は好きな字数でよめばいいのだと。  / /長谷部 あらゆるタガをはずせば、短期的には楽になるかもしれません。しかし、次に政権が交代したとき、自分たちが時の政府を踏みとどまらせる歯止めもなくなる。外国の要求を、憲法の拘束があるからと断ることもできない。最後の最後、ここぞという時のよりどころが失われてしまう。その怖さを、安倍さんたちは自覚すべきです。 =敬称略(構成・高橋純子)朝日新聞『考論』

0015 オルテガ「大衆の反逆 (桑名一博訳;久野収解説)」(白水社イデー選書;1930)評価5

以下は、オルテガ所論の久野収による抜粋の抜粋である:///  オルテガによれば、政治のなかで「共存」への意志を最強力に表明し、実行していく政治スタイルこそ、自由主義的デモクラシーである。共存は、強い多数者が弱い少数者に喜んで提供する自己主張、他者説得の権利である。敵、それも最も弱い敵とさえ、積極的に共存するという、ゆるがない決意である。/その意味で、人類の自然的傾向に逆行する深いパラドックス(逆説)であるから、共存を決意した人類が、困難に面してこの決意を投げ出すほうへ後退したとしても、それは大きな悲劇ではあっても、大きな不思議とするには当たらない。/「敵と共存し、反対者と共に政治をおこなう」という意志と制度に背を向ける国家と国民が、ますます多くなっていく1930年代、オルテガは、「均質」化された「大衆」人間の直接行動こそが、あらゆる支配権力をして、反対派を圧迫させ、消滅させていく動力になるのだという。なぜなら、「大衆」人間は、自分たちと異類の非大衆人間との共存を全然望んでいないからである。略。///  「大衆」人間は、自分たちの生存の容易さ、豊かさ,無限界さを疑わない実感をもち、自己肯定と自己満足の結果として、他人に耳を貸さず、自分の意見を疑わず、自閉的となって、他人の存在そのものを考慮しなくなってしまう。そして彼と彼の同類しかいないかのように振舞ってしまう。/彼らは、配慮も、内省も、手続きも、遠慮もなしに、「直接行動」の方式に従って、自分たちの低俗な画一的意見をだれかれの区別なく、押しつけて、しかも押しつけの自覚さえもっていない。/彼らは、未開人―未開人は宗教、タブー、伝統、習慣といった社会的法廷の従順な信者である―ではなく、まさに文明の洗礼を受けた野蛮人である。文明の生み出した余裕、すなわち、贅沢、快適、安全、便益の側面だけの継承者であり、正常な生存の様式から見れば、奇形としかいいようのないライフスタイルを営んでいる新人類である。略。///  「自分がしたいことをするためにこの世に生まれあわせて来た」とする傾向、だから「したいことは何でもできる」とする信仰は、自由主義の自由の裏面、義務と責任を免除してもらう自由にほかならない。/われわれは自由主義の生みだした、この「大衆」人間的自由、自己中心的自由に対し、他者と共存する義務と責任をもった自由を保全しなければならないが、一筋縄でいかないのは、この仕事である。(160626:イギリスEU離脱について思うところ=もみ=)