もみさんの一日一冊遊書録( 2011年9月1日 スタート!: メメント・モリ ) ~たゆたえど沈まず~

年とともに人生はクロノロジー(年代記)からパースペクティブ(遠近法)になり、最後は一枚のピクチュア(絵)になる

150215 衆参両院の「テロ非難決議」を非難する!「テロの本質」を真面目に語る政治家はいないのか!

 真面目に「テロの本質」を考えれば、その原因が、決して宗教の違いにあるのではなく、世界的に広がる富の偏在、極端な格差拡大、差別構造の継承、及びパレスチナ問題、それらによる<若者たちの絶望>にあることは、実は誰もがわかっていることだろう! それを「世界には凶悪なテロリストが大勢いて、こいつらを叩き潰せばテロが無くなる」なんて話に無理やりすり替えている。誰も、「テロの本質が、日本・世界の社会構造が抱える富の偏在・格差の拡大及びパレスチナ問題の<野放し状態>にこそある」という本質を語らないし、見させようとしない。そして、凶悪なテロリストへの恐怖ばかりを煽りたてている。これはまさにオーウェルの「一九八四年」の世界と同じだ。今回の国会の「テロ非難決議」に社民党・共産党まで加わっていたのには、あきれ果てた。「誰も本質を見ようとしない。」「武力で世界中の<絶望した若者たち>を封じ込めるべきではないし、不可能だ!」

秋原葉月さん「Afternoon Cafe」ブログから

※(1)「もちろん、普通の人間は戦争を望まない。しかし、国民を戦争に参加させるのは、つねに簡単なことだ。とても単純だ。国民には攻撃されつつあると言い、平和主義者を愛国心に欠けていると非難し、国を危険にさらしていると主張する以外には、何もする必要がない。この方法はどんな国でも有効だ」byヘルマン・ゲーリング ※(2)いつの時代も大衆をファシズムに煽動する手口は同じ。なのに同じ手口に何度も騙されるのは過去に学んでいないから。格差を広げ、セイフティネットを破壊し、冷徹な自己責任論が横行する社会を継続させるのは簡単だ。今よりもっと格差を広げ、セイフティネットを破壊する政策をとればよい。そうすれば人々に自己責任論がもっと浸透し、草の根から勝手に右傾化してくれる。

辺見庸さんのブログから

・権力をあまりに人格的にとらえるのはどうかとおもう。口にするのもおぞましいドブの目をしたあの男を、ヒステリックに名指しでののしれば、反権力的そぶりになるとかんがえるのは、ドブの目をしたあの男とあまり変わらない、低い知性のあらわれである。権力の空間は、じつのところ、非人格的なのだ。だからてごわい。中心はドブの目をしたあの男=安倍晋三であるかにみえて、そうではない。ドブの目をしたあの男はひとつの(倒錯的な)社会心理学的な表象ではありえても、それを斃せば事態が革命的に変化するようなシロモノではない。権力には固定的な中心はなく、かくじつに「われわれ」をふくむ周縁があるだけだ。ドブの目をしたあの男は、陋劣な知性とふるまいで「われわれ」をいらだたせ、怒らせるとともに、「われわれ」をして社会心理学的に(かれを)蔑視せしめ、またそのことにより、「われわれ」が「われわれ」であることに無意識に満足もさせているのかもしれない。ところで、「われわれ」の内面には、濃淡の差こそあれ、ドブの目をしたあの男の貧寒とした影が棲んでいるのだ。戦争は、むろん、そう遠くない。そう切実にかんじられるかどうか。いざ戦争がはじまったら、反戦運動が愛国運動化する公算が大である。そう切実に予感できるかどうか。研ぎすまされた感性がいる。せむしの侏儒との「ふるいつきあい」がベンヤミンのなにかを決定した。そう直観できたアレントほどするどくはなくても、研ぎすまされた感性がいる。けふコビトがきた。ミスドにいった。(2015/11/11)

160928 一年前:150927 ほっしゃん:最近ガン保険のCMがなくなった理由は「原発事故後のガンの発症率が上がり売り止め」

2016年09月28日 23時14分10秒 | 一年前
9月28日(水):
150927 ほっしゃん:最近ガン保険のCMがなくなった理由は「原発事故後のガンの発症率が上がり売り止め」

9月27日(日):  洒落にならん!日々雑感:ほっしゃんが暴露!最近ガン保険のCMがなくなった理由は「原発事故後のガンの発症率が上がり売り止め」「北海道~関西圏が汚染地域として指......


160928 一年前:150927 朝日デジタル:(考論 長谷部×杉田)安保法成立、民主主義の行方は 新たな対立軸「立憲/非立憲」

2016年09月28日 23時12分00秒 | 一年前
9月28日(水):
150927 朝日デジタル:(考論 長谷部×杉田)安保法成立、民主主義の行方は 新たな対立軸「立憲/非立憲」

9月15日(日):朝日デジタル:(考論 長谷部×杉田)安保法成立、民主主義の行方は  2015年9月27日05時00分  やまない「違憲」批判を押し切って、安倍政権は安全保障......


160926 一年前:150926 NHK「映像の世紀第9集『ベトナムの衝撃』」(1995)感想5

2016年09月26日 23時52分38秒 | 一年前
9月26日(月):
150926 NHK「映像の世紀第9集『ベトナムの衝撃』」(1995)感想5
9月26日(土):     MLキングとマルコムX 録画したばかりのNHK「映像の世紀第9集『ベトナムの衝撃』」(1995)を観た。ベトナム戦争の始まりから終わりにかけて1960......


160925 一年前:5 015 雨宮処凛「14歳からの戦争のリアル」(河出書房新社:2015年7月)感想5 おまけ「戦争法案」可決の日

2016年09月25日 22時09分25秒 | 一年前
9月25日(日):
5 015 雨宮処凛「14歳からの戦争のリアル」(河出書房新社:2015年7月)感想5 おまけ「戦争法案」可決の日
9月24日(木):  244ページ   所要時間 2:45     図書館著者40歳(1975生まれ)。非常にタイムリーで時宜を得た良質のテキストである。時事性の高い取......


6 011 河合隼雄「子どもの宇宙」(岩波新書:1987)感想4

2016年09月25日 16時11分41秒 | 一日一冊読書開始
9月25日(日):  

215ページ     所要時間2:00     蔵書

著者59歳(1928-2007)。

蔵書のなかでは、以前から気になりながら手を出せなかった本である。もっと体系的で論理的な本をイメージしていたが、名作とされる児童文学などの紹介を通じて子どもの精神世界の深さ、意外な早熟さを伝えようとするものだった。

元々かっちりとした論理の書き手とは思っていなかったが、如何せん今回は生温い感じを受けた。何よりも、発達障害の研究紹介が普及している30年後の現代において、著者が紹介する子どもたちは皆が健常者であり、自閉症スペクトラムを前提に心理学を捉える俺のような読み手からすれば、箱庭療法や遊戯療法を紹介されても背景の子どもの発達凸凹を置き去りにされた感が否めず、「はは、のんきだね…」という気分が生じるのだ。

一方で、発達凸凹を無しにして平均化することで著者の言いたい「子どもの(精神の)の宇宙」を感じ取ることはやりやすかった。その意味では、1987年当時は、心理学にとって良い時代だったと言える。著者の選択した児童文学も定番の名作を選んでいて間違いはない。「秘密の花園」「モモ」「「トムは真夜中の庭で」「ノンちゃん雲に乗る」「ジョコンダ夫人の肖像」「あのころはフリードリヒがいた」etc.etc.でも、臨床心理学の本としての時代遅れ感は否めない。何か空々しい印象を受ける。本書は、心理学者による児童文学の楽しい解説書として読むべきだと思う。そうすれば、なかなかの内容である。

【目次】はじめに/ 1 子どもと家族/2 子どもと秘密/3 子どもと動物/4 子どもと時空/5 子どもと老人/6 子どもと死/7 子どもと異性/あとがき

【内容紹介】ひとりひとりの子どもの内面に広大な宇宙が存在することを,大人はつい忘れがちである.臨床心理学者として長年心の問題に携わってきた著者が,登校拒否・家出など具体的な症例や児童文学を手がかりに,豊かな可能性にみちた子どもの心の世界を探究し,家出願望や秘密,老人や動物とのかかわりが心の成長に果す役割を明らかにする.

160922 つぶやき:「達人達 是枝裕和×姜尚中」DVDを繰り返してみた。とてもよかった。

2016年09月23日 01時59分01秒 | 日記
9月22日(木):  

つぶやき:録画してあった「達人達 是枝裕和×姜尚中」DVDを久しぶりに繰り返してみた。とてもよかった。二人とも、俺が今最も信頼できる好きな感性の人たちだったのだ。一日で3回、繰り返して観た。是枝裕和は映画「そして父になる」、姜尚中は、26歳で早逝した息子さんを題材にした著書「心」が題材になっている。

久しぶりに、すべてに頷けて気持ちの良い対談だった。

6 010 磯田道史「歴史の読み解き方」(朝日新書:2013)感想4

2016年09月23日 01時14分08秒 | 一日一冊読書開始
9月22日(木):    副題「江戸期日本の危機管理に学ぶ」

236ページ     所要時間3:15      ブックオフ200円

著者43歳(1970生まれ)。

著者の雑誌掲載文一冊にまとめた評論集。体調がいまいちで、文章が頭に入りづらく内容を楽しめなかったので感想4だった。歴史家として著者の感性は極めて真っ当であり、納得がいく。若手歴史家としては、やや別格の存在である。

通説的常識も、学者の立場から見れば、単なる思い込みであって「真相はこうだった」と示されると多少慌ててしまうが、それでこそ読書する意味があるというものである。古文書原点に基づく学者の議論は安心してついていくことができる。

付箋でヤマアラシのようになった本を眺め、目次を振り返りながら、「ここに書いてあることを味わい覚える元気と時間があったらなあ…、素敵なのになあ」と思った。またの機会に、付箋をたよりに読み直せたらいいなあ、と思う。著者の著作は読んでいて楽しいだけでなく、学者としての正確な知識はもちろんだが、何よりも歴史と向き合う著者の心根の良さに信頼感を持てるのだ。

【目次】江戸の武士生活から考える :会社も国家も家族の延長/濃尾平野で生まれた江戸的な武士団/中世的家臣団の限界/長州藩奇兵隊の「散兵」戦術「坂の上の雲」の裏にあるもの/永代雇用を約束した藩組織が鉄壁の軍隊をつくった/追いつめられた日本人はどんな変革ものみこみ
甲賀忍者の真実 :忍者と分限帳/甲賀者と幕藩社会/忍者の任務とは?/忍者の定義/甲賀のリテラシーは高かった /三河武士の鑑・鳥居元忠の真実 /関ヶ原の戦いと甲賀忍者の活躍/甲賀者と伊賀者の待遇のちがい/忍者の危険度と死亡率/「甲賀未来記」の予言/「大忍の大事」こそ忍者の真髄/人間を知るための極意「四知の伝」
江戸の治安文化  :いつから日本は人命にやさしい国になったのか/江戸は意外にも銃が蔓延した社会だった/日本の犯罪発生率の低さは綱吉時代に始まる/治安は町や村の自警力によって維持/日本は国際的に最も犯罪の少ない国家/「人を殺さない日本人」はなぜ生まれたか
長州という熱源 :「幕府追討はいかがでございますか」/長州藩のGDPを計算する/長州藩のリテラシーの高さ/独特な御前会議と士官学校の設立/国を想うがゆえの危うさ
幕末薩摩の「郷中(ごじゅう)教育」に学ぶ :危機に備えのない現代日本/柳田國男が求めた「判断力の教育」/会津藩は身分ごとに道徳律を定めた/大隈重信は佐賀の詰め込み教育に怒った/薩摩では「俸禄知行」が売買できた/きわめて実践的だった薩摩の「郷中教育」 /いかにして想定外をなくすか/良いと思った価値を次世代に伝える努力
歴史に学ぶ地震と津波 :明応の南海トラフ大津波の凄まじさ/「日本丸」はレーダーが弱い/揺れを克明に記した江戸の地震計「天水桶」/江戸時代人も「世界の終わり」を意識した/後世へ、「各々油断致さるるな」/津波被害の厳しい想定を
司馬文学を解剖する :今や絶滅寸前の日本の史伝文学/司馬作品「関ヶ原」をテキストに読み解く/歴史小説家・司馬遼太郎の本領発揮 /史実と創作のはざまで/徳富蘇峰「近世日本国民史」の影響 /平成の史伝文学の可能性

【内容】幕末日本で唯一GDPを計算していた長州藩のリテラシーの高さ、幕末各藩の藩士教育を比較検討し、「いかに想定外をなくすか」―極めて実践的な「郷中教育」に育まれた危機管理の必要性を説く薩摩藩。先達の叡智から日本の未来を切り開く。「歴史に学ぶ地震と津波」では大災害にいかに備えるか。司馬遼太郎の歴史文学の神髄に迫る「司馬文学を解剖する」など。

160920 75万PV超:ついでに1日2,358PVは最高記録? 何があったの?システムの故障か?

2016年09月21日 22時25分04秒 | 閲覧数 記録
9月20日(火):  記録ですm(_ _)m。ブログの開設から1809日。 

アクセス:閲覧 2,358PV/訪問者 244IP

トータル:閲覧 751,855PV/訪問者 208,549IP

ランキング:3,613位 / 2,601,384ブログ中  週別 7,038位

6 009 是枝裕和「小説 ワンダフルライフ」(ハヤカワ文庫:1999)感想3+

2016年09月20日 22時28分57秒 | 一日一冊読書開始
9月20日(火):  

271ページ     所要時間1:15     ブックオフ108円

著者37歳(1962生まれ)。

読書習慣維持のためだけに1ページ15秒でページに目を這わせた。とりあえずどういう物語りなのか、物語の構造がわかれば上等と思って取り組んだ。そうは言っても、いつも挫折するのだが、今回は何となく最後まで行くことができた。

亡くなった人々に、あの世に行く前に一週間の余地が与えられ、その間に死者は「人生で一番良い思い出の瞬間を一つだけ選び取り、それを映画にして観ることで、成仏する」。そしてその手伝いをする職員も、成仏しきれないでいる死者であった。職員の一人望月は、婚約者を残して戦争で帰らぬ人となった兵士、もう50年も今の仕事を続けている。そして、婚約者京子の夫である渡辺の担当となるが、望月はそれを語らない。しかし、それを悟った渡辺は、望月の優しさに謝しながら、あえて望月を失った後の京子との初めての見合いの瞬間を選ぶ。妻に終生好きだった許婚がいたことを知っても、二人にはそれを上回る十分な時間があったのだと。そのあと望月は勇気を出して京子の残した映像を観る。それは京子と望月の言葉も交わさず満たされた最期のデートだった。やがて、望月は特例として死後のこの職員としての仕事と仲間の姿を映像化して、成仏していく。

メインの筋書きは一応分かった。感想3+は、俺好みの佳作な気がした評価である。時間をかけて読めば、感想4になったと思うが、5までは難しいだろうと思う。それよりも、この映画「ワンダフルライフ」を観たくなった。俺は、是枝裕和監督の感性がとても好きなのだ。

本書を読みながら、「俺にとって一番の思い出は何だろう」と考え続けた。それは優しかった母親との思い出の中にあることだけは確実だ。この遊書は成功だったと思う。

【内容情報】 人は亡くなると、天国の入口でこう言われます。「あなたの人生の中から大切な思い出をひとつだけ選んで下さい」天国に行くまでの7日間で、死者たちは人生最良の思い出を選択するように迫られ、それを職員が再現して映画に撮影し、最終日には上映会が開かれるのである。そこで死者たちは改めて自分の一生を振り返る。懐しさにひたり、後悔したり、思い悩んだ末に彼らが選んだ思い出は…話題の映画を是枝監督自ら小説化。

6 008 山本譲司「累犯障害者」(新潮文庫:2006、2009)感想6 

2016年09月20日 00時36分05秒 | 一日一冊読書開始
9月19日(月:敬老の日):   

327ページ      所要時間5:00      アマゾン357円(100+257)

著者44/47歳(1962生まれ)。北海道生れ、佐賀県育ち。早稲田大学教育学部卒。菅直人代議士の公設秘書、都議会議員2期を経て、'96(平成8)年に衆議院議員に当選。2期目の当選を果たした2000年の9月、政策秘書給与の流用事件を起こし、'01年2月に実刑判決を受ける。433日に及んだ獄中での生活を『獄窓記』として著す。同書は'04年、第3回「新潮ドキュメント賞」を受賞

感想6は、勘違いではない。5段階評価を超えているということだ。テキスト。世の中に必要な本ってあるのだ。読んだ後に世界の見え方を変えてくれる稀有な本である。気になってるが、何となく深く考えるのが邪魔くさくて「何とかうまくなってるだろう!」とスルーしてきた問題が、実際には「全くなっていない」ことを見せつけてくれる内容だった。

刑務所には、知的障害者、精神障害者、ろうあ者など多くの障害者が受刑者として服役している。刑務所の「入り口」も「出口」も問題だが、何よりも日本社会に社会福祉とつながれないでいる多くの障害者が存在し、彼らの多くが刑務所以外に居場所が保障されていないという現実がある。

当初、「累犯障害者」という書名に違和感を覚えた。むしろアナザーワールドとしての「障害者の世界」が、健常者の世界とは別に厳然として存在することを伝えるメッセージ性を強く感じたのだ。しかし、読み進むうちに、その障害者の世界との違いに対する配慮が全く行われていないこと、社会全体、特に司法と福祉がその違いの問題に全く向き合おうとしないことで、まさに「累犯障害者」が多数生まれてくるのだと、明確にわかってくる。要するに、「累犯障害者」の問題は、「悪い障害者がいる」ということではなく、彼らを犯罪(多くは軽微)に追いやる日本の社会と政治の不作為の問題であるということだ。

・彼らが言うには、ろうあ者が用いる手話は日本語とは別の言語であって、健常者が学習する手話と比べ、文法や表現方法に大きな違いがあるのだそうだ。健常者である聴者が使う、いわゆる日本語対応手話は、中途失聴者むけには有効かもしれないが、生まれながらのろうあ者には外国語のように思えてしまい、非常に分かりづらいものだという。使う相手によっては、全く理解できないこともあるらしい。199ページ
・ほとんどのろうあ者は、手話で考え、手話で夢を見るそうだ。当然、言葉で考える場合と比べ、その思考方法は違ってくるはずだ。行動規範や倫理意識に、ずれが生じてくることもあろう。略。彼らろうあ者を聴者の常識で裁いていくことの難しさや危うさを感じないわけにはいかなかった。228ページ
・デフ・ファミリー、デフ・コミュニティー、聾教育現場の差別語!「九歳の壁」
・木村(晴美)さんは、ろうあ者が聴者と口話によって会話することの困難さを、「防音装置付きのガラスの部屋の中に入って、その外にいる外国人が話している外国語を理解しようとするようなもの」と例えてくれた。さらに、聴者が使う日本語対応手話については、「頭の中で翻訳しながら見なくてはならないので、非常に疲れる。二〇分が限度」と言う。250ページ
・このへんの事情は、これまで繰り返し述べてきたように、触法障害者の存在をタブー視してきた大手メディアの報道姿勢によるところも大きい。障害者による犯罪が報道されてこなかったこともあって、多くの触法障害者が、「この社会にはいない者」として捉えられている。/日本のマスコミは、努力する障害者については、美談として頻繁に取り上げる。障害に負けず仕事に頑張る障害者、パラリンピックを目指してスポーツに汗する障害者、芸術活動に才能を発揮する障害者などなど。確かに、それも障害者の一つの姿かもしれない。だが一方で、健常者と同じように、問題行動を起こす障害者もいる。/実際に、私のところには、毎月何件もの、触法障害者や虞犯障害者に関する相談が舞い込んでくる。そのほとんどは、まず福祉行政に連絡を取ってはみたものの、全く取り付く島がなかったとのこと。これが福祉の実態である。障害者が起こした犯罪そのものをマスコミが隠蔽しているため、多くの福祉関係者は、近辺に触法障害者が現れたとしても、彼らを極めてと来な存在として受け取り、福祉的支援の対象から外してしまう。こうした状況のなかでは、罪を犯した障害者の親族までもが匙を投げざるを得なくなる。277ページ
・こうして、数多くの知的障碍者が、生まれながらの障害を抱えていながらも、福祉と接点を持つことなく生きているのだ。もともと、社会や他人と折り合いをつけることが不得意な人たちだ。だんだんと社会の中での居場所を失い、それに貧困や虐待やネグレクトといった悪条件が重なれば、すぐに刑務所に入るようなことになってしまう。284ページ
・我が国の福祉の現状を知るには、被害者になった障害者を見るよりも、受刑者になり果ててしまった彼らに視点をあてたほうが、よりその実態に近づくことができるからである。そしてそこには、日本社会の陰の部分も見えてくるのだ。296ページ


【目次】序章 安住の地は刑務所だった――下関駅放火事件/第1章 レッサーパンダ帽の男――浅草・女子短大生刺殺事件/第2章 障害者を食い物にする人々――宇都宮・誤認逮捕事件/第3章 生きがいはセックス――売春する知的障害女性たち/第4章 ある知的障害女性の青春――障害者を利用する偽装結婚の実態/第5章 多重人格という檻――性的虐待が生む情緒障害者たち/第6章 閉鎖社会の犯罪――浜松・ろうあ者不倫殺人事件/第7章 ろうあ者暴力団――「仲間」を狙いうちする障害者たち/終章 行き着く先はどこに――福祉・刑務所・裁判所の問題点/あとがき/文庫版あとがき/解説 江川紹子

【内容情報】刑務所だけが、安住の地だったー何度も服役を繰り返す老年の下関駅放火犯。家族のほとんどが障害者だった、浅草通り魔殺人の犯人。悪びれもせず売春を繰り返す知的障害女性たち。仲間内で犯罪組織を作るろうあ者たちのコミュニティ。彼らはなぜ罪を重ねるのか?障害者による事件を取材して見えてきた、刑務所や裁判所、そして福祉が抱える問題点を鋭く追究するルポルタージュ。

160919 確認:朝日【社説】「安保法1年 まだ「違憲」のままだ」

2016年09月19日 18時39分36秒 | 時々刻々 考える資料
9月19日(月):

朝日デジタル【社説】安保法1年 まだ「違憲」のままだ  2016年9月19日(月)付
  1年前のきょう未明、全国各地での反対行動のなかで、集団的自衛権の行使を認める安全保障関連法が成立した。
  「違憲法制」との批判に対し、安倍首相は「これから粘り強く説明を行っていきたい」と語った。だが、その後の姿勢はその言葉とはほど遠い。
  野党5党が国会に提出した廃止法案の審議に与党は応じなかった。夏の参院選でも首相ら与党幹部の言及は限られた。
  一方で、自衛隊は安保法による新任務の訓練を始め、政府は着々と運用に動きだしている。
  この1年、北朝鮮は核実験やミサイル発射を重ね、中国の軍拡や海洋進出も続く。日本周辺の情勢をみれば、安全保障環境は厳しさを増している。
  だが安保法の違憲の疑いは、1年たったからといって晴れるわけではない。参院選で与党が勝っても、廃止を訴えた野党が負けても合憲にはならない。
  安保法については違憲訴訟が続いている。自衛隊は世論の後ろ盾を欠いたまま任務の遂行を求められる。そんな事態は避けねばならない。
  なぜ「違憲」なのか。国会審議をおさらいしておく。
  政府は一貫して「集団的自衛権の行使は憲法上許されない」との立場をとってきた。2年前に一転して「行使できる」と唱え始めたときの論拠は、集団的自衛権と憲法との関係を整理した1972年の政府見解だ。
  ところが、この見解の結論は「集団的自衛権は行使できない」なのだ。その文章を変えることなく、解釈を百八十度ひっくり返した。
  理由を問う民進党の小西洋之参院議員らに、内閣法制局長官は「(見解の中に行使容認の)法理としては当時から含まれていた」などと答えた。
  けれど、72年以降の歴代政権も内閣法制局幹部も「行使はできない」と答弁し続けてきた。昨夏の週刊朝日の取材に、72年当時の幹部は「これを根拠に解釈改憲なんて夢にも思っていなかった」と語っている。
  政府の説明は説得力を欠く。
  安保法の成立時に、安倍首相は「時がたてば間違いなく理解は広がっていく」と述べた。
  だが、朝日新聞の今春の世論調査では、安保法が憲法違反と思う人は50%、違反していないと思う人は38%。安保法に賛成の人は34%、反対は53%。国民は納得していない。
  政府が安保法の運用に向かうなか、臨時国会が26日に始まる。憲法審査会でも他の委員会でもいい。与野党は安保法を改めて論じあうべきだ。

160918 (考論 長谷部×杉田)+岩井克己 天皇と象徴を考える お気持ち表明を受けて

2016年09月18日 21時08分01秒 | 時々刻々 考える資料
9月18日(日):

朝日デジタル(考論 長谷部×杉田)+岩井克己 天皇と象徴を考える お気持ち表明を受けて  2016年9月18日05時00分
  天皇陛下が先月、生前退位の願いを強くにじませた「お気持ち」を表明した。長谷部恭男・早稲田大教授(憲法)と杉田敦・法政大教授(政治理論)の連続対談は今回、昭和天皇の時代から皇室を取材してきた岩井克己・朝日新聞皇室担当特別嘱託を交えて、天皇制の現在と今後の課題などについて論じてもらった。

 ■反省すべきは「政治の不作為」 杉田/生前退位、特措法の検討は邪道 岩井
  岩井克己・皇室担当特別嘱託 陛下は8月8日、生前退位の意向を強くにじませたお気持ちを表明されました。朝日新聞の9月の世論調査では、実に9割が生前退位に「賛成」しています。ただ、今回の表明が、「天皇は国政に関する権能を有しない」とする憲法4条に違反する恐れはないでしょうか。退位の意向が報道先行で表に出るまでの経緯も不透明ですし、天皇が望めば政府はその通りに動くのだという認識が広がるとすれば問題です。
  長谷部恭男・早稲田大教授 道路交通法などと違って、憲法違反か否かは、条文を直接の根拠にスッパリと線が引けるわけではありません。個別の事情を勘案しながら総合的に判断せざるを得ない。今回は天皇が「個人として」の考えを述べられた。明言はされませんでしたが、要は、今の制度には不備があると指摘されている。日本国憲法が想定する天皇の象徴としての地位を安定的に維持するためには、これまで行ってきたような規模と内容の公務を続けるしかない。しかし私は高齢で無理になってきている、このままでは天皇としての役割や地位を安定的に支えられないと。このことを提起できるのは、天皇自身しかないでしょう。メッセージの内容も、日本国憲法を出発点とする真っ当なもので、非難されるべき点があるとは思えません。
  杉田敦・法政大教授 とはいえ、生前退位の実現には新たな立法が必要になる。一定の政治的帰結をもたらすのは事実で、お気持ちと法整備の間には何らかの距離感が必要です。ただ、当事者たる天皇が指摘するまで政治が何も対応してこなかったとすれば、むしろそのことを反省すべきだと思います。象徴とは何か。天皇の役割とは何なのか。抽象的規定だけで、具体的に議論されてこなかった。これは強く言えば「政治の不作為」です。生身の人間が象徴としての機能を果たすという非常に難しい問題がそもそもある上に、高齢化や後継者不足など深刻な問題が生じている。これまではなんとなくあいまいにしてきましたが、国民的議論が必要です。
     *
  岩井 生前退位を実現するには、皇室典範改正と特別法の制定という二つの方法があります。政府は、いまの陛下に限って生前退位を可能とする特別措置法を検討しているようですが、私は邪道だと思います。憲法には、天皇の世襲は皇室典範に基づくと書いてあり、世襲のあり方は典範で周到に規定されている。それを、別の法律をつくれば典範の肝心なところも変えられるとなると危ないのではないか。特措法で対応するという議論は、その方が楽だからというにおいがして仕方がありません。それに、天皇の真摯(しんし)な問題提起を、あたかも一人の天皇の「わがまま」であるかのように扱って、しぶしぶ「抜け穴」をつくろうとしているといった印象を与えてしまわないでしょうか。
  長谷部 憲法2条を硬く読むと、譲位は天皇の進退に関わることなので皇室典範を直す必要があるということになる。しかし、皇室典範の定めるルールに従って継承の順位は自動的に決まる、そういう世襲制だと言っているだけかもしれない。だとすると、特別法で対応しても問題はない。生前退位しても、継承の順位が変化するわけではないからです。もちろん私も、典範改正が正攻法だとは思いますが、皇室典範に生前退位の制度を恒久的に設けることになると、要件の定め方が難しいのも事実です。定年制のような客観基準にするのか、本人の判断による主観基準にするのか。
  杉田 おそらく、典範改正に踏み込むと、女系天皇の是非など、議論が広がる可能性がある。それを避けたいという思惑が政府内にはあるのでしょう。さらに言えば、今の典範は戦後、新憲法をふまえて制定されたとはいえ、象徴天皇制と完全に整合的か、今回の事態を見ても、疑問がある。むしろ、明治憲法体制との連続性を考えたい、政権やその周辺の方々が、典範改正をためらっているようにも見えます。こうした状況で、小手先の対応で大丈夫かという気はします。

 ■国民に寄り添う姿、危険なのか 長谷部/象徴としての行為、タガが必要 岩井
  岩井 昭和の末期から皇室を取材していますが、消極的、儀礼的だった象徴天皇のイメージが、積極的、能動的なものにすっかり変わった。そもそも憲法は「天皇は国事行為のみを行う」としているのに、なぜ今回のようにお気持ちを表明したり、外国を訪問したりできるのか、疑問に思う人は多いと思います。憲法学界には、許されるのは国事行為と、宮中祭祀(さいし)やコンサート鑑賞などの私的行為のみで、それ以外の公的行為、つまり「象徴としての行為」は認められないという見解もありますね。
  長谷部 ただ、それは有力な見解ではありません。確かに憲法は国事行為だけを示していますが、同時に、生身の人間である天皇が象徴だとも言っています。平和の象徴たるハトは誰かと会ったり発言したりしないが、人間であれば、行動するし発言もする。そのこと自体が必ずなんらかの意味を伴う。そうした象徴としての行為を認めないのは、天皇が人間である以上、非現実的です。もちろん天皇が勝手にできるものではなく、必ず内閣が責任を持つ形でないといけません。
  岩井 1971年、昭和天皇が、天皇としては初めての外国訪問で欧州を回った時、エリザベス英女王が歴史に言及したのに対し、昭和天皇は全く言及しなかった。当時のマスコミの論調は、人間としてのお気持ちの表明があってもよかったのではないかと批判的でした。この訪問を裏で支えた外務省幹部は退職後、私の取材に、象徴天皇制になって、少しでも政治的に影響が出そうなことはおっしゃれない、天皇は政治的権能を失って変わったのだと相手国に理解を求めるというスタンスで臨んだと振り返っていました。ところが、現陛下は活発に外国を訪問され、先の大戦についてのご自身の気持ちを述べられるなどし、結果的とはいえ、政治的影響が現実に生じています。今のところはいいとしても、あまり枠組みを広げてしまうと将来危ういのではと心配です。田中角栄内閣時代に、米国訪問の打診があり、宮内庁は政治的思惑があるとみて頑として断りましたが、今後そのように利用しようとする動きが出てこないかと。
  杉田 とにかくインパクトのある存在ですから、たとえご自身の意思であっても政治的に利用される危険があるというのは、その通りだと思います。一方で、お気持ちを読むと、天皇は、憲法の「天皇の地位は、国民の総意に基づく」を、国民に支持されることと同じような意味に捉えられているようです。端的に言えば、人気があることを重視しているということですが、天皇のお立場からするとそれは仕方のないことかもしれません。象徴という概念は非常にあいまいです。国民的人気がないと危ないとご本人が不安になるのは当然でしょう。
  長谷部 明治憲法では、天皇の地位は、神の子孫であるという神話に支えられていましたが、現在の憲法は、天皇の地位は、国民の総意に基づくと言っている。日本国民一般の暮らしや気持ちに寄り添っていくことで国民の支持を得るしか自分の象徴としての地位を支える道はないというのが、天皇の認識でしょう。それがそんなに危険なことかと、私は思います。ハトが平和の象徴なのは、みんながそう思っているからに過ぎません。天皇が日本国の象徴であるのも、詰めていけばそういうことで、国民がそう思わなくなれば象徴でいられなくなる。誰よりも天皇自身がそのことを深く理解し、懸念しているのではないでしょうか。
     *
  岩井 お気持ちでは「日本国の象徴」という言葉はなく、「象徴」「国民統合の象徴」とだけ言っていたのがとても印象的でした。国の象徴という言い方をあえて避け、国民に寄り添う姿勢を強調されたのかもしれません。ただ、やはり危惧するのは、本来は政治がやるべきことを、天皇に肩代わりさせている構図になってはいないかということです。先の大戦の傷あとの残る国や激戦地を訪れる「慰霊の旅」は、ありがたいお務めをして頂いたと受け止められる半面、戦後日本政治・外交が置き去りにしてきた後始末を、陛下に甘えてやってもらっているとも言えるのではないか。
  杉田 そこは難しいところです。現天皇は日本国憲法下で即位した最初の天皇です。お気持ちでも、憲法、象徴、国民の総意という言葉を繰り返され、自分の地位は現憲法にもとづくということを強調されています。こうした観点からも、現天皇が憲法を非常に大切にされるのは自然です。日本国憲法は、先の大戦への反省も含めて成立したという歴史的な認識の上に、憲法前文と9条の平和主義に見合う形で、犠牲者の慰霊と平和への祈りを行われている。政治的と言えなくもありませんが、憲法の方向性と合致しています。
  岩井 象徴天皇制のありようが、天皇のキャラクターによって随分変わることをいま、陛下が身をもって証明しておられます。だからこそ、象徴としての行為にはしっかりタガをはめておく必要がある。ヨーロッパのキングは外国訪問の際、経済ミッションを連れて、国の役に立つことをアピールしている。日本の皇室にもそのようなことを望む政治家が増え、東京オリンピック誘致に際しては、さまざま配慮はしつつも、高円宮妃久子さまがスピーチに立たれました。政治の遠慮がなくなってきています。
  長谷部 天皇が象徴として尊崇の対象になるのは、実利をもたらしてくれないからこそです。実利ばかり追って生きる我々とは住む世界が違う、そう思わせるものがあるから尊敬されているのに、経済ミッションを引き連れたりして「道具」に使われた途端に権威は損なわれ、天皇は象徴でなくなる。そのことを理解しなくては。

■男系男子の世襲、持続性が低い 杉田/天皇制を国民は知らなすぎる 長谷部
  杉田 興味深いのは、天皇ご自身は地方を回って、直接国民と触れ合うことをとても大事に考え、国事行為を代行する摂政ではそのような活動はできない、だから生前退位を望んでおられるのだと私は理解しますが、保守をログイン前の続き自認し、天皇制を大事という人たちのなかでは、退位に反対し、摂政をおけばいいという意見が強い。彼らは、天皇は地方を回ったり外国を訪問したりする必要はないという考えなのでしょうか。
  岩井 存在してくれるだけでいい、宮中の御簾(みす)の奥で祈って下さればいいという考えだと思います。実は私もこれまで、天皇の「ご活躍」には、そこまでやる必要があるのかと疑問を抱いていたのですが、今回、お気持ちを聞いて得心しました。遠隔の地や島々を旅することで、国内のどこにおいても、その地域を愛し、共同体を地道に支える市井の人々がいることを認識した、そのことが自らを力づけ、祈りに内実を与える。そういう捉え方をしておられたんだなと。
  杉田 歴史をさかのぼれば、生前退位はかつて極めて普通に行われていました。
  長谷部 そうですね。明治期に皇室典範を制定する際、井上毅は生前退位を認めるべきだと主張しましたが、伊藤博文がダメだと。その理由もあやふやですが。
  杉田 新天皇の即位に合わせて元号を変える一世一元になったのも明治からです。天皇のありようは明治期に変化したわけですが、保守派とされる方々が、実は長い伝統によらず、明治から終戦までの一時的な天皇像に極度にこだわっているというねじれが生じています。
  岩井 確かに陛下はこれまで、帝国憲法時代の天皇をモデルにはできないということをかなりはっきりおっしゃっています。たとえば2009年、ご結婚満50年に際しての記者会見で、大日本帝国憲法下と日本国憲法下の天皇のあり方を比べれば、日本国憲法下の方が天皇の長い歴史で見た場合、伝統的な天皇のあり方に沿うものと思う、と述べられている。近代以前の天皇の伝統も踏まえて、日本国憲法下の象徴としてどうあるべきか、時代もにらみ合わせてやっていくしかないというお考えなのでしょう。ただ、日本国憲法にはアメリカンデモクラシー的な精神も入っているからなかなか大変で、憲法改正を主張する保守派の一部が、現天皇に微妙な感情を抱くのはそのためかもしれません。
     *
  杉田 現在の天皇制は、男系男子のみの世襲で、側室制度も養子制度もない、制度的には極めて持続可能性が低いシステムです。女性・女系天皇にも、保守派とされる人ほど反対していますが、比較的若手の後継者が3人しかいない現状に危機感がないのか不思議です。男系維持と、皇位継承の安定化と、どちらが大事なのか。安倍内閣や男系維持派は解を示すべきです。
  岩井 皇室を尊崇する人ほど「万世一系」の皇統観は根強い。小泉内閣時代、有識者会議が女系天皇容認の答申を出した時に、皇太子の次の世代には男子が一人もいなかったにもかかわらず、国論真っ二つの状態になった。保守派の人たちは今も旧皇族の復籍を主張しています。陛下は沈黙を守っておられたが、おそらく、私たちの時代には無理だなと。後継ぎに悠仁さまが生まれた以上、後の世代の人々に託すしかないと思っておられるのではないでしょうか。「万世一系」に別れを告げるには、念入りに挽歌(ばんか)を歌い、誰もが「それしかない」と思う状況が熟さないと難しい。個人的にも、男女平等の観点だけの単純な女性・女系天皇容認論には違和感があります。平等・人権重視だけなら、天皇制はやめるべきだと主張せねば一貫しないでしょう。
  長谷部 天皇に関して、国民一般は知らなすぎると思います。皇室典範で、天皇や皇族は「養子をすることができない」とされていますが、かつてはよくあった話です。歴史や伝統が大事だというのはその通りで、であれば、天皇家をこれまでどうやってつないできたのかを国民がもっと知った上で、将来の天皇制はどうあるべきかを考える必要があるでしょう。 (構成・高橋純子)

◆キーワード
  <女性・女系天皇をめぐる政府の動き> 小泉政権時代の2005年11月、首相の私的諮問機関「皇室典範に関する有識者会議」は、「女性天皇」や母方に天皇の血筋を引く「女系天皇」を認める報告書をまとめた。05年12月、内閣官房に皇室典範改正準備室が設置され、政権は06年の通常国会で改正法案の提出を目指したが、同年2月に秋篠宮妃紀子さまの懐妊が明らかになり、法案提出は見送られた。
  旧民主党の野田政権は12年10月、皇位継承のあり方をめぐる問題とは切り離して、皇族の女性が皇族以外と結婚しても、皇室に残れるようにする女性宮家の創設を軸にした論点整理を取りまとめた。だが、同年12月に自民党の安倍政権に代わり、その後、表だった動きはない。

6 007 林茂「日本の歴史25 太平洋戦争」(中公文庫:1967)感想5

2016年09月18日 20時45分02秒 | 一日一冊読書開始
9月18日(日):  

496ページ    所要時間4:05    蔵書(本棚の肥やし)

著者55歳(1912-87:75歳)。東京大学社会科学研究所教授。

まともに読めば軽く10時間以上かかるので、これまで本棚の肥やしだった。1977年刷の本で、黄ばんで数か所ページが割れてかなり劣化が進んでいる。部分的にチェックが入ってるが、通読はしていない。とにかくすべてのページに目を這わせることだけを目標に、1ページ15秒を意識しながら目を這わせた。50か所以上付箋をした。この付箋をたよりに読み直せばかなり良い読み込みができそうだ。

1937年、226事件直後、最後の元老西園寺公望が、近衛文麿を次期首相に推薦するが、固辞されて広田弘毅内閣が成立するところから始まり、1945年敗戦、ポツダム宣言受諾までの19年間の歴史を記述している。眺め読みでは、細かい事柄の理解は無理だし、具体的な内容をブログに載せるのは難しいが、大体何があったのかは頭に入っているので、当時のいきさつを目で追うことで、目を這わせている時点では様々な背景や様子を具体的に頭に浮かべることができて、かなり貴重な経験になった。

本書は戦後22年に書かれたものであり、古いけれども、かえって生き生きと戦争当時を記述しているように思う。大政翼賛会が、掛け声の大きさの割にはできた時には皆白けていた、翼賛選挙には何の大義名分もなかった、インパールの「靖国街道」など「ああそうだったんだ」という確認・発見がたくさんあった。やはり中公文庫の「日本の歴史」シリーズ全26巻は、歴史シリーズの白眉の一つだと確認できた。今回の通読(?)を機に本書と縁を結びなおして、辞書のように使用できるようになったので、良い取り組みになったと思う。

【目次】粛軍の名のもとに/宣戦なき戦争/国家総動員/変転する内外の情勢/新体制運動/三国同盟から日米交渉へ/太平洋開戦/大東亜共栄圏/翼賛政治/落日の死闘/総力戦と国民生活/終戦か継戦か/大日本帝国の崩壊/おわりに

【ウィキペディアより】林の単著とされているが、実際には大半が東京大学社会科学研究所周辺の中堅・若手研究者が分担執筆したものを林が監修したものと伝えられる(どの部分をどういった研究者が執筆したのかは書かれていない)。なお、伊藤隆によれば、伊藤と坂野潤治、古屋哲夫、大島太郎、大畑篤四郎、鳥海靖らが分担して執筆し、「ご本人が一行も書かないまま、その名前で刊行され」た。

160918 高橋純子記者『政治断簡』:「追従笑い撲滅委員会」とアイヒマン曽我豪の対比は無残だ。

2016年09月18日 11時04分36秒 | 時々刻々 考える資料
9月18日(日): 

高橋純子記者の『政治断簡』を読んだので掲載する。本来のジャーナリズム魂が記されている。同じ紙面にアイヒマン曽我豪の「卑怯者のコラム」が載っている。この男は、もはや「(上から)教えてやる」という位置からでないと文章を書けないようだ。哀れな存在だ。同じ新聞記者とは思えない。下記の高橋純子記者コラムの「追従笑い撲滅委員会」を読んで、曽我豪は何を思うだろう。いや、何も思わないほど腐り果ててるのだろう。朝日新聞購読者の購買意欲をたった一人で大きく傷つけ喪失させている負の意味での大物記者なのだから。

朝日デジタル(政治断簡)天高く馬肥ゆる秋 政治部次長・高橋純子 2016年9月18日05時00分
  「聞け」と命令されると、自然と耳が遠くなる難儀な体質ゆえ、戦没学生の手記と知りつつ触れたことがなかった「きけ、わだつみのこえ」。先日、1950年に製作された映画のDVDを見た。
  大戦末期のビルマ。ある日、飢えに耐えかねた兵隊が謀議し、大隊長の馬を殺して食べてしまう。激怒する小太りな大隊長。河西という一等兵が食ってかかる。「自分らを制裁してください。その代わり、あなた方の食っている物を全部見せてください」
  結果、射殺される河西は、東大の学生運動の指導者だった。反戦活動により投獄され、転向を誓わされた。馬肉事件の前、そんな過去を振り返り、後悔を吐露する。
  「こんなざまで捨てる命なら、なぜあの時、命を賭けなかったのかと思いますね。何もかも、あとの祭りだ」
  そうだよ!命がけで抵抗しないからダメなんだよ!と、凡たる私は思ってしまうが、哲学者の鶴見俊輔は、違う。
  (1)命を賭けて、うんとラジカルな演説をする。
  (2)命を賭けて、仲間に馬肉を食わせてやる。
  さて、どっちが重いか?
  鶴見の結論はこうだ。
  「馬肉食って死ぬのはそれは良いことです(笑)」
     *
  「昭和八年、九年、十年に、彼が命を賭けて東大の中で演説を打ってもっと動きまわったにしても、それはどれだけのことがあったろうか」 「むしろ人間として追いつめられた状態の中で、百人もの仲間に馬肉を食わせてやれたら、その方がいいじゃないか」(「流れに抗して」)
  もちろん鶴見は、無駄な抵抗はやめろと言っているのではない。大きな観念の旗を掲げても戦争はぶっつぶせない。大事なのは、なにかの仕方で常に国家や戦争に対峙(たいじ)する姿勢を準備すること。観念の旗の大きさより、その底にある態度が重要だ――。転向研究を手がけた哲学者ならではの識見と感じ入る。
  鶴見の著作を読み返したのは、先月解散した学生団体「SEALDs(シールズ)」に対する、安全保障法制の成立を止められなかったとか、参院選で勝てなかったという批判を聞き、違和を覚えたからだ。
  彼らの出発点が「私」だったことが、何より貴重だと私は思う。「私は戦争で人を殺したくも殺されたくもない」。主語が明確な言葉が国会前に響き、社会の深いところに変化の種がまかれた。彼らなりの仕方。それ以上を望むならアナタが動けばいいのだ。
     *
  実は私も、私なりの準備をしている。時々の場の権力者が冗談を言った時に湧き起こるお追従笑いに対し、脳内に「追従笑い撲滅委員会」を立ち上げ、笑い声が大きい時ほど表情を硬くするよう努めている。やってみるとわかる。たかがこんなことでも、大勢の中でゴロンと異物になるのは意外と精神に負荷がかかる。でも、自分の弱さを把握し、姿勢のゆがみを整えられる。常なる準備、確かな効果。
  随時会員募集中。食欲の秋、みんなでうまい馬肉を食べましょう。


160914 きっこのブログ(2016.09.13)、全く同感!勉強させて頂きました。民進党蓮舫もダメだ!

2016年09月14日 23時44分34秒 | 時々刻々 考える資料
9月14日(水):

以下のブログの内容は、気持ちがいいほど俺は腑に落ちる。勉強させて頂きました。

きっこのブログ民進党の代表選から見た党是の実体  2016.09.13 

15日投開票の民進党の代表選は、当事者と民進党の関係者以外、ほとんどの国民が興味ないと思うけど、代表選も終盤になって、ようやく少しだけ国民の注目を集めることになった。しかし、それは、各候補の政策や民進党への期待感などではなく、皮肉にも、代表選でトップを走る蓮舫氏の「二重国籍問題」という、一部の差別主義者だけが喜々としてハシャギまわるだけのバカバカしいスキャンダルだった。ま、こんな低次元のスキャンダルなど、ここでいちいち取り上げる価値もないのでスルーしてくけど、それより何より、あたしが呆れ返ったのは、今回の代表選の遊説場所だった。

今回の代表選は、2日に告示され、蓮舫代表代行(48)、前原誠司元外相(54)、玉木雄一郎国対副委員長(47)の3候補が、11日までに全国10カ所を遊説して回ったワケだけど、その場所が、大阪府大阪市、福岡県久留米市、岡山県岡山市、香川県高松市、長野県長野市、静岡県静岡市、宮城県仙台市、北海道札幌市、埼玉県さいたま市、東京都豊島区だったのだ。

この10カ所を見て、「何で愛知県名古屋市がないの?」と思った人も多いだろうけど、あたしはそれよりも、「沖縄県那覇市」がないことに驚いた。現在の安倍政権に対抗する野党第一党として、政権奪取も視野に入れての代表選だと言っておきながら、安倍政権によって最も苦しめられている沖縄県に行かないなんて、普通は考えられないからだ。3候補が沖縄入りして、安倍政権による沖縄差別、米軍基地建設の強行などについて批判合戦を繰り広げていたら、本土とは比較にならないほど注目を集めていただろうし、その効果は全国へと波及していたと思う今日この頃、皆さん、いかがお過ごしですか?

‥‥そんなワケで、民進党の代表選は、民進党に所属する国会議員146人と、無所属で民進党会派に所属する川田龍平参院議員の計147人が、1人2ポイントで294ポイント、国政選挙の公認候補予定者が1人1ポイントで計118ポイント、その他、1586人の地方議員に計206ポイント、約23万5000人の党員とサポーターに計231ポイントが割り振られていて、合計849ポイントで争われる。だから、一般の有権者には投票権のない「内輪の選挙」だ。

でも、「内輪の選挙」と言えども、自民党の総裁選を見れば分かるように、代表選は党の宣伝としては絶大な効果があるし、ある意味、次期代表のお披露目の場でもある。ひいては、次の国政選挙への呼び水でもあるのだから、党員やサポーターの多い地域を遊説して回るよりも、現在、政治的問題を抱えている地域を回り、自分たちの政策をアピールすることが重要になる。

それなのに、今回の民進党の代表選では、現在、最大の政治的問題の渦中にある沖縄県をスルーした。それだけでなく、未だに原発事故で苦しみ続けている福島県もスルーした。原発事故の責任は、欠陥を指摘されながら何の対策もせず、原発政策を推進し続けて来た歴代の自民党政権にあることは周知の事実だけど、少なくとも事故時の政権は民主党だったのだから、いくら看板を「民進党」に掛け替えたとしても、まずは福島県に行くのが筋なんじゃないのか?

ま、わざわざ九州に遊説に行ったのに、玄海原発のある佐賀県や川内原発のある鹿児島県ではなく、原発のない福岡県を選んだワケだし、わざわざ四国に遊説に行ったのに、伊方原発のある愛媛県ではなく、原発のない香川県を選んだワケだから、この辺からも党の方向性が透けて見えて来るけど、さすがに沖縄県と福島県をスルーしたのは、あまりにも国民を軽視してると感じた。


‥‥そんなワケで、遊説の最終日、11日のさいたま市での公開討論会で、米軍の普天間飛行場の名護市辺野古への移設計画についての討論が行なわれた。蓮舫氏は、辺野古への移設計画は旧民主党政権が米国側と確認した内容だということを前提に、「結論は基本として守るべきだ。どんなに米国と話をしても選択肢は限られてくる。基軸はぶれるものではない。それが外交の基本戦術だ」と述べて、辺野古への移設計画の「堅持」を主張した一方、前原誠司氏は、「辺野古以外で、本当に日米で合意できる場所がないか、違う案をしっかり議論すべきだ」と述べた。また、玉木雄一郎氏も、「民主党から民進党になったので、沖縄政策は大胆に見直して米国としっかり対話すべきだ」と述べ、民主党政権時代の結論に拘束されるべきではないとの見解を示した。

あたしから見たら、沖縄県での遊説をスルーした政党の代表候補3人が、沖縄から遠く離れた埼玉県で何言ってんだ?‥‥って感じだけど、少なくとも、少しは期待してた蓮舫氏のこの発言には、正直、心の底からガッカリした。そして、一時的にでも「蓮舫氏を代表にすべき」と主張していた自分を恥じた。また、党内で最も議員票を集めてる蓮舫氏に「辺野古への移設を堅持」と主張させるためにも、あえて民進党は沖縄県を遊説から外したんじゃないかと勘繰ってしまった。

そう考えると、原発事故問題の最中(さなか)にある福島県をスルーしたことも、稼動一時停止問題の最中にある川内原発を立地する鹿児島県をスルーしたことも、プルサーマルを再稼動させたとたんにトラブルが相次いでいる伊方原発を立地する愛媛県をスルーしたことも、すべてツジツマが合う。ホントに政権奪取を目指しているのなら、鹿児島県で遊説して、川内原発の一時停止を模索している三反園訓知事と連携して、現在の安倍政権の原発政策の見直しを提言すれば、党自体が大きな支持を得られただろう。

でも、それができなかったのは、蓮舫氏が原発推進派である野田佳彦前首相の愛弟子であり、今回の代表選でも、野田佳彦氏率いる「花斉会」が全面的に支援しているからだ。野田佳彦氏は、ご存知の通り、民主党政権時の最後の首相だったけど、福島第1原発の事故からわずか1年3カ月後の2012年6月8日、「原発を再起動しないと電力不足で日常生活や経済活動は大きく混乱してしまう。このままでは日本の社会は立ち行かなくなってしまう。私は国民の生活を守るために大飯発電所3、4号機を再起動すべきと判断した」と大嘘をついて原発の再稼動を強行した。そして、蓮舫氏を支持している岡田克也前代表も、これまでに何度も「安全性が確認された原発は再稼動させて行く」と明言している。

また、全国には、東京電力の社員であることを隠して市議や区議をやっている「隠れ東電議員」が少なくとも20人以上いて、それぞれの議会で「原発推進」を主張しているけど、この半数以上の議員が「旧民主党所属」なのだ。民主党の支持母体が労組だということから考えると、東京電力を始めとした電力会社は、上層部は自民党に高額の献金を繰り返して蜜月関係を築き、電力会社の労組サイドは民主党と癒着して「原発推進」への根回しをして来たと思われる。

だから、これは蓮舫氏に限ったことではなく、基本的に「原発推進」なのが、過去の民主党であり、現在の民進党なのだ。もちろん、少しでも安倍政権との違いをアピールするために、原発の安全性に対する文言を強化したり、エネルギー政策の細かい部分には異論を唱えてるけど、結局は「再稼動ありき」の姿勢が党是であり、スポンサーである労組への配慮なのだ。

そして、「米軍基地問題」、「原発問題」と並ぶ国民の関心事、「憲法問題」に関しても、蓮舫氏は「平和主義の堅持は国民の切なる願いだ。9条は絶対に守るべきだ」と述べたけど、9条以外は改憲派だ。前原誠司氏も「新たに第3項を加えて自衛隊の位置付けを明記すべきだ」と述べ、玉木雄一郎氏も「世界中のあらゆるところで武力行使が可能になるような改正には反対だ」と述べ、安倍政権の現行姿勢や自民党の改憲草案には反対してるけど、基本的には改憲派だ。

だいたいからして、約7割の議員が改憲派の民主党と、ほぼ全員が改憲派の維新の党が合流して誕生したのが現在の民進党なんだから、「憲法改正」が党是であることは明らかだし、党の基本的政策にも「時代の変化に対応した必要な条文の改正を目指す」と明記してある。つまりは、このまま自民党政権が続いたとしても、何らかのミラクルが起こって民進党が政権を奪取したとしても、どっちにしても「憲法改正」が進められるってワケだ。

‥‥そんなワケで、現在の安倍政権に不満を持ってる多くの人たちが、それでも野党第一党である民進党を支持しきれないのは、ハッキリ言って、まったく対立軸になってないからだと思う。安倍政権を支持してる人たちにしても、その大半は安倍政権の経済政策や外交を一定レベルで評価してるだけであって、「原発推進」や「辺野古移設」や「憲法改正」に関しては、未だに反対派のほうが多数を占めている。それなのに、野党第一党の民進党も「原発推進」で「辺野古移設」で「憲法改正」なんだから、これで国民の支持など得られるワケはないし、安倍政権に不満を持ってる人たちの受け皿にもなりえない。

旧民主党は、どうして、こんなことになってしまったのか?それは、自分たちを客観視する目が皆無であり、政権時の失敗を総括せず、反省もしていないからだ。いくら看板を掛け替えても、内容が同じなら、国民の信頼など回復できるワケがない。何しろ、民主党政権時の最後の代表だった野田佳彦首相(当時)は、一時は自民党との連立を模索するほどのKYぶりを発揮した上に、自民党と公明党にスリ寄り、消費税の増税で手を組んで衆議院を解散、総選挙へ打って出るという、最悪の「国民への裏切り」を犯したからだ。

きっと本人は、郵政解散時の小泉純一郎気取りだったのかもしれないけど、ここまで有権者をバカにした首相は前代未聞だったため、2012年12月16日に行なわれた総選挙では、選挙前の230議席を大きく下回る57議席しか獲得できず、民主党政権は消滅した。もちろん、野田佳彦代表だけに原因があるワケではなく、その前の菅直人代表にも、その前の鳩山由紀夫代表にも問題はあった。でも、大嘘をついて原発を再稼動し、自公にスリ寄って消費税増税を進め、多くの国民の期待を裏切り、民主党政権を破壊した戦犯のトップは、やはり野田佳彦代表だろう。

それなのに、総選挙で惨敗した翌2013年5月11日に行なわれた民主党の「公開大反省会」に、野田佳彦氏の姿はなかったのだ。菅直人氏、枝野幸男氏、長妻昭氏を始め、民主党政権を担ってきた元閣僚らの大半が出席したのに、カンジンの前代表であり前首相である野田佳彦氏は、この「公開大反省会」を欠席して、大好きなプロレスの小橋建太選手の引退記念試合を観戦しに行ってたのだ。

おいおいおいおいおーーーーい!‥‥って、これだけでも呆れ返るのに、野田佳彦氏は、今年2016年3月3日に、プロレスの聖地である後楽園ホールで行なわれた、最大の支持母体である「連合」の集会で、新日本プロレスの赤いタオルを首にかけて、プロレスのリングを模したステージに上がり、プロレスラーのマイク・パフォーマンスよろしく、「小沢一郎批判」を繰り広げたのだ。

この集会は、今夏の参院選に向けての重要な場で、安倍政権を倒すための野党共闘が最大の課題だったのに、こんな場で、今度は赤いタオルを首にかけてアントニオ猪木気取りになったのか、野田佳彦氏は、「一番足を引っ張った(小沢一郎)元代表さえ来なければ、後は全部のみ込むつもりだ」「これまで一番ごちゃごちゃ行ってきたのが元代表だった」などと述べ、生活の党の小沢共同代表の新党参加を拒否したのだ。

これほどまでに国民を裏切っておきながら、反省の「は」の字もなく、いい年こいてプロレスごっこにウツツを抜かしているなんて、この人、きっと死ぬまでこのままだろう。そして、こんな最低の人物が、未だに国会議員として国民の血税で贅沢三昧な生活を続けているばかりか、看板が「民進党」に替わっても党内で大きな力を持ち、自分の愛弟子の蓮舫氏を次期代表に据えるための根回しに余念がない。

野田佳彦氏にしてみれば、自分のマリオネットである蓮舫氏が次期代表になれば、「原発推進」も「辺野古移設」も「憲法改正」も、多少の変更案を出しつつも、基本路線は自民党政権と同調して進めて行けるので、将来的に狙っている「自民党との連立」という理想郷にも近づけると考えているのだろう。そして、こんな人物に利用されている蓮舫氏にしても、産経新聞のインタビューで「私はバリバリの保守派です」と明言するなど、その視野には国民などまったく入っておらず、党内の保守派勢力の取り込みしか見えていない。

それなのに、民主党から看板を掛け替えた民進党は、またまた懲りずに「国民とともに進む」などとノタマッてる。でも、残念ながら、国民のほうは、「民進党とともに進む」などと思ってる人など、ほとんどいないのが現状だろう。今夏の参院選で、何とか惨敗だけは免れられたのは、民主党時代に失った信頼が回復されたからではなく、共産党がほとんどの選挙区で独自候補の擁立を行なわずに選挙協力してくれたからだ。それなのに、相変わらず空気が読めていない岡田克也代表は、「一定の結果を得ることができた」などとコメントした。まったく、このKYぶりには脱力してしまう。

それでも、あたしには、まだ最後に「淡い期待」が残ってる。それは、今の蓮舫氏の発言や行動などは、すべてが「代表になるための作戦」であって、代表に選ばれたアカツキには、野田佳彦氏の支配から逃れ、自身の派閥を作り、党利党略にとらわれずに、ホントに自分が目指していた「国民のための政治」を始めてくれるんじゃないかという「淡い期待」だ。もちろん、こんなことは現実的には極めて難しいし、今回の代表選で自分を支持してくれた党内勢力の一部を裏切ることにもなるから、急ハンドルを切ることはできないだろう。でも、蓮舫氏がホントに国民のための政治を目指しているのなら、ジョジョに奇妙にハンドルを切って行くことは可能だと思う。

‥‥そんなワケで、党から野田佳彦氏を追放し、「原発反対」と「辺野古移設反対」と「憲法改正反対」を掲げれば、野党共闘などしなくても大きく議席を増やせるし、野党共闘すれば政権奪取も可能なのに、それをしない政党、それができない政党、それが民進党だ。それどころか、自分たちの過去の失敗を総括することも反省することもできず、党利党略を最優先し、野党共闘には水を差し、ほとんどの政策の基本路線が安倍政権と同じなのが、今の民進党という政党なのだ。こんなに情けない政党が野党第一党なんだから、安倍政権が余裕マンマンなのは当然だろう。政権与党が憲法を無視しても、国会を軽視しても、野党第一党は指をくわえて見ているだけで、誰も安倍政権の暴走を止めることができない。だから、安倍晋三首相の任期を延長する話までもが平然と出て来るほど、自民党が図に乗り始めた今日この頃なのだ。


150329 タガ外せば歯止め失う 長谷部恭男・早稲田大学教授/「未来志向」は現実逃避 杉田敦・法政大学教授

 杉田 先日ドイツのメルケル首相が来日しました。戦後ドイツも様々な問題を抱えていますが、過去への反省と謝罪という「建前」を大切にし続けることで、国際的に発言力を強めてきた経緯がある。「建前」がソフトパワーにつながることを安倍さんたちは理解しているのでしょうか。  / /長谷部 そもそも談話が扱っているのは、学問的な歴史の問題ではなく、人々の情念が絡まる記憶の問題です。記念碑や記念館、映画に結実するもので、証拠の有無や正確性をいくら詰めても、決着はつかない。厳密な歴史のレベルで、仮に日本側が中国や韓国の主張に反証できたとしても、問題はむしろこじれる。相手を論破して済む話ではないから、お互いがなんとか折り合いのつく範囲内に収めようと政治的な判断をした。それが河野談話です。  / /杉田 談話の方向性や近隣との外交について「未来志向」という言い方がよくされますが、意図はどうあれ、それが過去の軽視という「見かけ」をもってしまえば、負の効果は計り知れない。安倍さんたちは、未来を向いて過去を振り払えば、政治的な自由度が高まると思っているのかもしれません。しかし政治の存在意義は様々な制約を踏まえつつ、何とか解を見いだしていくところにあります。政治的な閉塞(へいそく)感が強まる中で、自らに課せられているタガを外そうという動きが出てくる。しかし、それで万事うまくいくというのは、一種の現実逃避では。  / /長谷部 合理的な自己拘束という概念が吹っ飛んでしまっている印象です。縛られることによってより力を発揮できることがある。俳句は5・7・5と型が決まっているからこそ発想力が鍛えられる。しかし安倍さんたちは選挙に勝った自分たちは何にも縛られない、「建前」も法律も憲法解釈もすべて操作できると考えているようです。  / /杉田 俳句は好きな字数でよめばいいのだと。  / /長谷部 あらゆるタガをはずせば、短期的には楽になるかもしれません。しかし、次に政権が交代したとき、自分たちが時の政府を踏みとどまらせる歯止めもなくなる。外国の要求を、憲法の拘束があるからと断ることもできない。最後の最後、ここぞという時のよりどころが失われてしまう。その怖さを、安倍さんたちは自覚すべきです。 =敬称略(構成・高橋純子)朝日新聞『考論』

0015 オルテガ「大衆の反逆 (桑名一博訳;久野収解説)」(白水社イデー選書;1930)評価5

以下は、オルテガ所論の久野収による抜粋の抜粋である:///  オルテガによれば、政治のなかで「共存」への意志を最強力に表明し、実行していく政治スタイルこそ、自由主義的デモクラシーである。共存は、強い多数者が弱い少数者に喜んで提供する自己主張、他者説得の権利である。敵、それも最も弱い敵とさえ、積極的に共存するという、ゆるがない決意である。/その意味で、人類の自然的傾向に逆行する深いパラドックス(逆説)であるから、共存を決意した人類が、困難に面してこの決意を投げ出すほうへ後退したとしても、それは大きな悲劇ではあっても、大きな不思議とするには当たらない。/「敵と共存し、反対者と共に政治をおこなう」という意志と制度に背を向ける国家と国民が、ますます多くなっていく1930年代、オルテガは、「均質」化された「大衆」人間の直接行動こそが、あらゆる支配権力をして、反対派を圧迫させ、消滅させていく動力になるのだという。なぜなら、「大衆」人間は、自分たちと異類の非大衆人間との共存を全然望んでいないからである。略。///  「大衆」人間は、自分たちの生存の容易さ、豊かさ,無限界さを疑わない実感をもち、自己肯定と自己満足の結果として、他人に耳を貸さず、自分の意見を疑わず、自閉的となって、他人の存在そのものを考慮しなくなってしまう。そして彼と彼の同類しかいないかのように振舞ってしまう。/彼らは、配慮も、内省も、手続きも、遠慮もなしに、「直接行動」の方式に従って、自分たちの低俗な画一的意見をだれかれの区別なく、押しつけて、しかも押しつけの自覚さえもっていない。/彼らは、未開人―未開人は宗教、タブー、伝統、習慣といった社会的法廷の従順な信者である―ではなく、まさに文明の洗礼を受けた野蛮人である。文明の生み出した余裕、すなわち、贅沢、快適、安全、便益の側面だけの継承者であり、正常な生存の様式から見れば、奇形としかいいようのないライフスタイルを営んでいる新人類である。略。///  「自分がしたいことをするためにこの世に生まれあわせて来た」とする傾向、だから「したいことは何でもできる」とする信仰は、自由主義の自由の裏面、義務と責任を免除してもらう自由にほかならない。/われわれは自由主義の生みだした、この「大衆」人間的自由、自己中心的自由に対し、他者と共存する義務と責任をもった自由を保全しなければならないが、一筋縄でいかないのは、この仕事である。(160626:イギリスEU離脱について思うところ=もみ=)