もみさんの一日一冊遊書録( 2011年9月1日 スタート!: メメント・モリ ) ~たゆたえど沈まず~

年とともに人生はクロノロジー(年代記)からパースペクティブ(遠近法)になり、最後は一枚のピクチュア(絵)になる

150215 衆参両院の「テロ非難決議」を非難する!「テロの本質」を真面目に語る政治家はいないのか!

 真面目に「テロの本質」を考えれば、その原因が、決して宗教の違いにあるのではなく、世界的に広がる富の偏在、極端な格差拡大、差別構造の継承、及びパレスチナ問題、それらによる<若者たちの絶望>にあることは、実は誰もがわかっていることだろう! それを「世界には凶悪なテロリストが大勢いて、こいつらを叩き潰せばテロが無くなる」なんて話に無理やりすり替えている。誰も、「テロの本質が、日本・世界の社会構造が抱える富の偏在・格差の拡大及びパレスチナ問題の<野放し状態>にこそある」という本質を語らないし、見させようとしない。そして、凶悪なテロリストへの恐怖ばかりを煽りたてている。これはまさにオーウェルの「一九八四年」の世界と同じだ。今回の国会の「テロ非難決議」に社民党・共産党まで加わっていたのには、あきれ果てた。「誰も本質を見ようとしない。」「武力で世界中の<絶望した若者たち>を封じ込めるべきではないし、不可能だ!」

秋原葉月さん「Afternoon Cafe」ブログから

※(1)「もちろん、普通の人間は戦争を望まない。しかし、国民を戦争に参加させるのは、つねに簡単なことだ。とても単純だ。国民には攻撃されつつあると言い、平和主義者を愛国心に欠けていると非難し、国を危険にさらしていると主張する以外には、何もする必要がない。この方法はどんな国でも有効だ」byヘルマン・ゲーリング ※(2)いつの時代も大衆をファシズムに煽動する手口は同じ。なのに同じ手口に何度も騙されるのは過去に学んでいないから。格差を広げ、セイフティネットを破壊し、冷徹な自己責任論が横行する社会を継続させるのは簡単だ。今よりもっと格差を広げ、セイフティネットを破壊する政策をとればよい。そうすれば人々に自己責任論がもっと浸透し、草の根から勝手に右傾化してくれる。

辺見庸さんのブログから

・権力をあまりに人格的にとらえるのはどうかとおもう。口にするのもおぞましいドブの目をしたあの男を、ヒステリックに名指しでののしれば、反権力的そぶりになるとかんがえるのは、ドブの目をしたあの男とあまり変わらない、低い知性のあらわれである。権力の空間は、じつのところ、非人格的なのだ。だからてごわい。中心はドブの目をしたあの男=安倍晋三であるかにみえて、そうではない。ドブの目をしたあの男はひとつの(倒錯的な)社会心理学的な表象ではありえても、それを斃せば事態が革命的に変化するようなシロモノではない。権力には固定的な中心はなく、かくじつに「われわれ」をふくむ周縁があるだけだ。ドブの目をしたあの男は、陋劣な知性とふるまいで「われわれ」をいらだたせ、怒らせるとともに、「われわれ」をして社会心理学的に(かれを)蔑視せしめ、またそのことにより、「われわれ」が「われわれ」であることに無意識に満足もさせているのかもしれない。ところで、「われわれ」の内面には、濃淡の差こそあれ、ドブの目をしたあの男の貧寒とした影が棲んでいるのだ。戦争は、むろん、そう遠くない。そう切実にかんじられるかどうか。いざ戦争がはじまったら、反戦運動が愛国運動化する公算が大である。そう切実に予感できるかどうか。研ぎすまされた感性がいる。せむしの侏儒との「ふるいつきあい」がベンヤミンのなにかを決定した。そう直観できたアレントほどするどくはなくても、研ぎすまされた感性がいる。けふコビトがきた。ミスドにいった。(2015/11/11)

3 048 「在中日本人108人のそれでも私たちが中国に住む理由」(阪急コミュニケーションズ;2013.9)感想5

2013年12月31日 22時32分10秒 | 一日一冊読書開始
12月31日(火):

246ページ  所要時間 3:00     図書館

在中日本人108人プロジェクト編

「18都市から108人の声を集めました

海外に住む日本人の国別上位3位は、アメリカ、中国、オーストラリア。
都市別では、ロサンゼルス、上海、ニューヨーク。
海外に暮らす日本人のなかでも、中国在住者の占める割合は少なくありません。
中国には現在、約14万人の日本人が暮らしています。
その多くが2012年秋の反日デモを経験し、今も中国に住み続けています。

反日デモに関しては数多くの報道がなされ、
ショッキングな映像も少なくはありませんでした。でも実際、その現場にいた、
中国に住む日本人は何を見てどう考えたのか。
同じく中国に住む日本人である私たちは、そんな思いからプロジェクトを立ち上げ、
在中日本人の声を集めることにしました。
18都市から108人が参加してくれました。北京、上海から東北地方の瀋陽、
亜熱帯地方の広州まで、その年齢は高校生から70代までになりました。

活動する領域は、日系企業の駐在員から、日本語教師、自営業、ジャーナリスト、
主婦、ファッションブロガー、アーティスト、外交官など。
そのまわりには、中国人の同僚や、取引先、友達や家族、隣近所の人たちがいます。

中国で、中国の人たちと隣りあわせながら生きている日本人たちは、
反日デモから1年、いったいどんなふうに中国を見たのか。
私たちは108人が語る、その多様な姿をお伝えしたいと思います。

――「在中日本人108人」プロジェクトチーム一同」


2012年9月、中国100都市以上で反日デモが発生した。本書は、その一周年である2013年9月発行をめざして4月に始動した企画である。7月末までに全ての原稿・写真などの完全データがかき集められ印刷所に回されたという。

二段組み、三段組みのページを見て、すぐ精読は諦めたが、「たとえ眺め読みでも、目を通しておきたい!」と思って借りた本である。中国・韓国の厳しい対日感情を示すニュースが、連日マスメディアを通して刷り込まれ、日本政府の稚拙で大人気ない外交を見ていていらだつ日々が続き過ぎた。特に、安倍晋三の中国包囲網外交には、東南アジアも、インドも、中東諸国も、ロシアも、日本がもし本当に中国と紛争になった時、力を貸してくれ、盾となってくれるとでも正気で思っているのか?馬鹿じゃないのか。戦略的互恵関係なんて言葉遊びを繰り返す安倍の愚か者の姿に、彼の遠縁でもある松岡洋右の日独伊+ソ連の四国協商で対米封じ込めを図る小賢しさを想起していらいらしていたのだ。誰が、日中の紛争に割って入る「火中の栗」を拾ってくれるというのか? その甘さの上に、安倍は靖国参拝をして、日本の第二次世界大戦に対する歴史認識を疑われ、国際的信用を失墜してしまった。重要な隣国である中国・韓国を激怒させ、最も頼りになる同盟国のアメリカを「失望」させてしまった。安倍が愚か者であることに、今さら驚かないが、あるべき国際関係をとことん逆行させるその稚拙さと、気楽に中国・韓国への旅行もできない閉塞感と一方で、日本の都道府県の大多数で在日外国人No.1が中国人であり、観光客も中国人であふれかえっている現実。一衣帯水で、中国人がどんどん日本に渡ってくるのに日本人が、中国へ行く話はとんと耳に入ってこない。日本企業の中国展開も安倍の馬鹿が軽率な靖国参拝で邪魔をしている。正直、息が詰まりそうだった。

本の内容がどんどん古くなっていく時代である。中でも中国関連の本は、最も鮮度が落ちやすい状況が続いている。少しでも新しい日本と中国の現状を伝える本が読みたい。そう思っていた矢先に見つかった本だ。そして、企画から見ても、現在これ以上に新鮮な内容の本は考えられない。買えば2000円近いが、借りればただだ!

1ページ30秒という原則は守れなかったが、なんとか108人の言い分と、さまざまなアンケートを眺め通すことができた。細かいことは、列挙できないが、結論から言えば、「決して油断はできないが、少し安心した」ということだ。

中国で反日教育が行われているというのは、むしろ日本の歴史教育で近代史が、特に侵略戦争の15年戦争(満州事変~アジア・太平洋戦争)が疎かになっているのに対して、中国では重点的に教育が行われており、そこに歴史教育のズレが起こる。この場合、日本側が15年戦争までをきちんと教えることは反日云々よりも基本の基本だろう。

また、日常の抗日戦争ドラマで日本人が連日悪役で登場する現状があり、それが単純にそのまま反日につながっている面もあるが、絶対的なものではない。中国人と言っても、56の民族、地方、都市さまざまであり、国家と結びついて一体化しているみたいな単純なものではない。

個人と個人の信頼関係は、簡単ではないまでも十二分に築き上げることは可能であり、反日デモも多分に形式的な側面もあって、過激なシーンばかりを見せて日本人の恐怖心をあおるのは、現地の中国人を知らない日本のマスメディアの報道姿勢の誤りによる部分も相当に大きい。

中国に居残っている日本人たちが、反日感情で嫌な思いをしたことがないというのはやはり少ないようでそれなりの嫌な経験と緊張はしているようだ。しかし、ひどい目に遭ったというよりは、きちんと認めるべきは認めた上で、反論すべきは反論することによって、個人対個人の関係はいくらでも関係を変えていけるという当り前のことが、中国人(さまざまだが…)との間にも十分成立するということが本書でわかった。

結局、国家対国家の対立という抽象的なものを、市民対市民、個人対個人の関係に持ち込んで置き換える必要はない。無理に活動の範囲を狭める必要はない。中国は外国である。すべてを分かりあうなんてことは不可能だし、過去の歴史などをきちんと踏まえた上で(やはり無知は罪である)、外国人に対して日本人として向き合えばよい。

油断し過ぎるのはダメだが、過度に緊張したり、恐れる必要はないのだ。ということを教えてくれる内容である。たとえ両国の関係が改善したとしてもこの真理は変わらない。

反日意識が強い中国人は、日本人の知り合いがいない中国人であり、反中・反韓意識が強い日本人は、現実の中国人や韓国人を知らない日本人であるのだ。

131230 じぇじぇじぇ!あまちゃん祭り9時間、堪能しました。幸せな時間でした。年賀状も書きました。

2013年12月31日 04時30分07秒 | 映画・映像
12月30日(月):

昼過ぎ、っていうか午後3:00頃、起き出してNHKの「暦の上ではディセンバー!これで見納め!じぇじぇじぇ!あまちゃん祭り」通算8:58の録画を延々と夜中まで観ていたはじめは、録るだけ録っておくつもりだったが、見始めると止まらなくなった。
NHK朝ドラ「あまちゃん」がすごい人気なのは、わかっていたが、途中から、またこの歳になって今さら改めて朝ドラなんて、ムリムリ!って感じだったが、12月22・23日(日・月)に総集編を録画、繰り返し観て面白さを確認、今日の日の録画を手ぐすね引いて待っていたのだ。

けっこう楽しみにしていたが、期待以上の出来栄えの内容で嬉しかった。とにかく朝ドラというオーケストラを指揮した宮藤官九郎の脚本は、素晴らしいとしか言いようがない。

特に、現代を描きながら、実は現代社会の中心的担い手である俺たち“バブル組”への配慮が行き届いているのが心憎かった。おそらく、高い視聴率以上に、あまちゃんが社会的ブームを引き起こした理由はバブル世代の気持ちの核を鷲づかみにしたことだろう。では、バブル世代の核とは何か?

それは「アイドル」という存在に尽きる! バブル世代はアイドルの存在に全く疑いもなく陶酔した。そして、松田聖子以外で、アイドルの象徴であり且つ達者な演技力を持つ小泉今日子という類いまれな女優を主人公の天野アキの母春子に据えたキャストはお見事!というしかない。聖子ちゃんカットの若き春子役の女優さんも良かった。これに音痴のアイドルの替え玉という1980年代のありがちなリアルを重ね合わせて、実は歌のめちゃめちゃ上手い薬師丸ひろ子を音痴のアイドルとしてぶつける。癖のある音楽プロデューサーには人気劇団出身の怪優古田新太を据える。隠し味として、海女クラブの海女のメンバーに美保純を配しているのも心憎い演出だ。バブル世代の男性にとって美保純さんはもうひとつのアイドル代表なのだ。いわば、もう一人の“聖子ちゃん”なのだ。美保さんも頑張ってるんだなあ、と何か勇気付けられ、心安らげられたのだ。

これだけの勘所を押さえてくれた上に、細部にこだわりつつ、NHKの実力ならではの超演技派俳優のオールスター・キャストを実現しているのだ。あとは、ヒロインの能年怜奈と親友橋本愛の存在感が半端なく輝いてくれれば申し分なしだろう。

そして、能年怜奈の高校生にしか見えない天然の弾け方と、ドラマ中で幾度も見せる黒目の多いきらきらと輝く、ときに潤むきれいな目を嫌みのないナチュラルな演技と一緒に見せられると視聴者の心は一気に浄化されるのだ。

まあ、宮藤官九郎の実力は世間一般にすでに広く認められているが、あまちゃんではその実力がいかんなく発揮されたと言えるし、そのドラマに遅ればせながら、3時間の総集編録画と9時間版録画で楽しめたのは本当にラッキーだった。

最後に忘れていたことだが、本作品の最大の魅力は、若い主人公のリアルな明るさ、ドラマ全体を占める自省的でありながら明るく生きようとする人びとの気持ちが充溢していることだ。そして何より、震災で傷ついた東北への見事な応援歌になっていることだった、と思う。

俺は、今回の録画で、DVDを何枚も焼いて、これから折に触れてずっと楽しませてもらえる幸せを今噛み締めている。ラッキー!ラッキー!である。

それでは、お休みなさいませ。

3 047 玄田有史「孤立無業(SNEP スネップ)」(日本経済新聞出版社;2013)感想2

2013年12月30日 02時24分38秒 | 一日一冊読書開始
12月29日(日):

236ページ  所要時間 1:10      図書館

著者49歳(1964生まれ)。東大教授。

新しい困った存在の人々のカテゴリーとして、孤立無業(SNEP;スネップ)を提案した本。
Solitary No-Employed Persons
20~59歳で未婚の人のうち、仕事をしていないだけでなく、ふだんずっと一人でいるか、そうでなければ家族しか一緒にいる人がいない人たち。著者によれば、2001年からの10年間で、実に80万人近く増えて、2011年には162万人にも達している。生活保護の増加や未婚による人口減少などさまざまな問題を起こすことになる大変なことで注目すべきだ。
スネップ(SNEP)は、ひきこもりやニート(NEET)とも重なり合う概念。

著者は、孤立無業(SNEP)という概念を定着させるために、統計表の数字を駆使している。しかし、そこには統計上推測される人間像が机上の論として紹介されるが、血の通った人間の実例は皆無である。著者自身が、何かフィールドワークして実際の人間と交流している感じは全くない。

にもかかわらず、終りの章では、SNEPさんへ、どうしたらSNEPを脱けられるか、のアドバイスをしている。さらにSNEPのご家族の皆さんへ、慌てないで現実を見て、頃合いを見てSNEP本人を突き放して見るのもよいかもしれません。なんて言っている。

正直、現実の人間を見ることなく、統計上の数字から割り出された一般像に対する頭の中の想像のみで語っている。机上の空論とは、此の事を言うのだろう。虚しいことこの上ない。

でっ?SNEPって新しいレッテル貼りをしてあんたは何をしたいというのか…?。NEET、ひきこもりだけじゃ物足りなくなった?何かとても、おめでたい内容の本だと思うよ、と言いたい。

読み始めて、統計の数字が踊る内容に、「しまった!」と思ったが、かえって読み飛ばす速度は速くなった。立花隆が書いた「投げ出したくなる本に出会ったら、さっさと読むのを諦めろ。そして、諦めた本であっても一応ページは最後までめくっておけ」というアドバイスに従ったのだ。

今後、SNEPというレッテルが、普及するとは考えにくいが、いやしくも東大の先生が、新しく作ってみました、みんなで使ってみてね、という概念だ。もし世の中に普及したら、もう一度真面目に目を向けてみようと思う。それまでは、こちらから使う気にはならない。「でっ? 何が言いたいわけ?」という意地悪な見方を維持しようと思う。

【目次】※コピペ
第1章 孤立無業とは
ひきこもりと無縁社会/ニートになる理由/中高年ニート問題/社会的排除/社会生活基本調査/60歳未満未婚無業者/孤立無業の定義/孤立無業162万人/増加する孤立無業/スポーツ、旅行、ボランティア/広い意味での孤立無業
第2章 誰が孤立無業になりやすいのか
男性がなりやすい孤立無業/急速に進む/若年無業者の孤立/学歴と孤立無業/治療・療養は孤立を生む?/都道府県による違い/居住地域の人口規模/世帯の所得/要介護の問題/家族と暮らす孤立無業/孤立の一般化
第3章 孤立無業者の日常
どうやって生活しているか/スネップと調査協力/電子メールの利用/インターネットでの情報検索・入手/孤立無業はゲーム中毒?/意外と「昭和」な孤立無業/治療・療養と孤立無業/ニートとスネップ/孤立無業と求職活動・意欲/家族という障壁/孤立は「気づき」を奪う/負のスパイラル
第4章 孤立無業の現在・過去・未来
たかが数字、されど数字/インターネットによる調査/親友の不在/めったにしない外出/起床時間と掃除片付け/孤立無業の気持ち/健康と通院/関心事と結婚願望/正社員と非正社員の経験/無業期間と孤立無業/中学時代の人間関係/貯蓄や財産/老後不安と生活保護
第5章 孤立無業に対する疑問
「孤立無業が増えると、どんな問題が起こるのでしょうか?」
「孤立無業の人たちは、過去にはあまりいなかったのでしょうか」
「孤立無業とひきこもりやニートとの違いがやっぱりわかりません」
「孤立無業に限らず『孤立就業』も多いのではないでしょうか」
「孤立無業になることも、本人の選択もしくは自由ではないでしょうか」
「孤立無業が増えているのは日本だけなのでしょうか」
「孤立無業が、また怠け者の若者の新しいレッテル貼りにならないかと、心配です。」
「孤立無業は抜け出すことができるのでしょうか」
「国や自治体は、孤立無業のために、どのような対策を行うべきですか」
第6章 孤立無業者とご家族へ
孤立無業の人たちへ/孤立無業者のご家族へ

3 046 円広志「僕はもう、一生分泣いた~パニック障害からの脱出」(日本文芸社;2009)感想3+

2013年12月29日 19時59分00秒 | 一日一冊読書開始
12月29日(日):

214ページ  所要時間 1:40        図書館

著者55歳(1953生まれ)。シンガーソングライター。タレント。音楽プロデューサー。

46歳で突然パニック障害を発病。「50歳まで生きられない」と確信。絶望的な日々の中、苦しい闘病生活を送り、医療、家族(特に妻)、周囲の人びと、過去を見直す。無理をしない、けれどもじっとしてるのでなく、少しずつ軽い負荷をクリアし続けることで、少しずつ回復してきた日々を振り返り、今だ感知してるわけではなく、一病息災的に「パニック障害」という病気と付き合いながら、50代半ばを過ぎた人生の今後を静かに前向きに見通す内容になっている。

病気になった当初、著者は相当厳しい袋小路に入って思い詰め、まさにパニック状態になっていた。自分に合った医師を探し、薬を処方され、人生観や生活を見直し、生かされていることへの感謝などに気づいていく。

文筆業でない人が、大きな蹉跌などを越えた後に、一冊だけ書く本には、無理なく読める素直な文章と、貴重な体験が記されていて良い内容のものがある。本書は、好著に属するだろう。読みやすいし、ふだんTV等で出てくる著者の気負うことのない姿が出ている。病気や蹉跌を前向きにとらえるのも、後ろ向きにとらえるのも本人次第だ。こんな考え方は若者には似合わないが、俺には非常に共感できる内容だった。

3 045 尾木直樹「「ケータイ時代」を生きるきみへ」(岩波ジュニア新書;2009) 感想3+(評価5)

2013年12月29日 17時29分51秒 | 一日一冊読書開始
12月29日(日):

228ページ  所要時間 1:00    図書館

著者62歳(1947生まれ)。

複数の図書館で20冊近い本を借り込んでいる。できるだけたくさんの本と縁を結びたい。本書も、縁結び読書を主眼に、1ページ15秒で読んだ。分かり易い内容なので実際に15秒で読めた。もちろん細かな内容は無理だが、細かい内容はもともと不要だ。論旨が通じればそれでよい。

良書である。教育評論家として思春期の若者たちに通暁した著者が、あるべきケータイとの関わり方について、双方向性を意識しつつ若者たちに新たなデジタル時代に生きる文化形成の担い手になるように励ましている。感想3+は、あくまでも俺の感想であって、評価5をつけられる。

惜しむらくは、本書が書かれた時代に、スマートフォンは全く普及していない。わずか4年で、携帯は、ガラケーと呼ばれ、一気にスマフォの時代に塗り代わってしまった。もちろん基本的な考え方はそのまま使えるはずだが、何よりも手にとって読む若者側のモチベーションとして、スマフォが対象になっていないことは致命的だと思う。本書が、ケータイにスマフォを加えて改定新版を出すことを勧める。

俺は、ガラケーだが、ほとんど使用していない。最低使用料だが、掛け捨て状態が10年以上続きている。正直、電話会社の搾取の仕組みにとり込まれている気がして納得がいかない。止めようか、とも思うが、その度に家族・親せきの入院などがあって止めきれない。

そして、歩道を変な様子で歩いている連中が多くなり、車や自転車で引きそうになって冷や汗が出ることが多くなったが、そいつらが<歩きスマフォ>というそうだ。あっという間に周囲の風景がスマフォに代わってしまった。

と思っていたら、今度はでかいスマフォが周りに溢れだした。iPADというそうだ。俺は、もうついていけない。1999年生まれからデジタルネイティブというそうだが、もっと年寄りにデジタル・ケアをしてもらえないものだろうか…。さもなければ、デジタルITリテラシーに苦しむ思春期の若者に、いくら手を貸してやりたいと思っても、年寄りにはさっぱり訳がわからんのだ。マイッタ!

※以下コピペ
■目次: はじめに
第1章 思春期の心と体――その変化の激しさ――
第2章 中・高生,ケータイ生活の実態――3000人調査から――
第3章 “バーチャル劇場”の主役――ケータイ大好き中・高生――
第4章 「ケータイ依存」と揺らぐ自立心
第5章 ケータイが友達をつくる
第6章 「世の中はこうなのか?」と錯覚
第7章 だましの「ネット大人」たち――その危険な魅力――
第8章 きみたちが築け! “ケータイ文化”――誰もが安心・共生できる関係をめざして――
付録 トラブル撃退法
■内容紹介: いまやほとんどの大人がケータイを持っている「ケータイ時代」.中学生も半分,高校生は8割もが毎日ケータイで発信.一方,自殺や傷害など様々な事件も頻発し,文科省や大阪府などはにわかに「ケータイ」持ち込み禁止令を発しました.
 生活の隅々までITが浸透し,ケータイが生活必需品をなっているいま,禁止だけで問題は解決するのでしょうか?
 中学教師として,また教育評論家として,長く中高生や保護者と付き合ってきた尾木直樹先生が,全国約3000人の中高生「ケータイ」アンケート調査を実施.思春期における魅力と危険の実態を分析するとともに,中高生がモラル豊かで人権意識にすぐれた「ケータイ文化」を築き上げていくことこそが,問題を解決していく方法だ,と実例をもとに訴えました.
* なぜ中高校生は「ケータイ」にハマるの?
* 何が「ケータイ」の魅力なの? 「ケータイ」の危険性って何?
* アンケート調査から分かった意外なこと
保護者が利用するのは「情報サイト」,中高生が利用するのは「動画・音楽配信」「オンライン・ゲーム」
「カメレス」「学校裏サイト」への書き込み――「別に気にしない」が最多数
「ネット上の書き込み」――大学生より中学生のほうが「内容を信じない」人が多い
「学校裏サイト」はすでに下火に
 こうした情報,知識,考え方,問題解決の実例などを満載した本書は,中高生とケータイ,ITの問題を考えるための必須の文献です.中高生自身から保護者,教師,大人まで,多くの人にぜひ手にとって読んでいただきたい本です

3 044 香山リカ「私は若者が嫌いだ!」(ベスト新書;2008) 感想3

2013年12月29日 03時51分49秒 | 一日一冊読書開始
12月28日(土):

198ページ  所要時間 1:45  図書館

著者48歳(1960生まれ)。北海道生まれ。東京医科大学卒業。精神科医。立教大学現代心理学部教授。お金持ちのええ所のお嬢さんである。

「あとがき」に「データもないのに、ひとりふたりを見た“印象論”だけで若者論を語るな、という批判を受ける機会が、最近、増えた。私も、略、その批判はもっともだと思うこともある」と自分で認めているので、それ以上何をか語るべき?という気分だが…。

久しぶりに著者の本を手に取った、まあ今回も、相変わらずというか、他書からのチープな引用と、愚痴っぽくて、ぬるま湯的で、感覚的な感想の鼻歌のような独り言が延々と最後まで続いた。あまり大したことがない内容を延々と引っ張って、一冊の本の体裁にしてしまうのが能力と言えば、著者の能力と言えるのかもしれない。

そんなに悪口を言うなら読むなよ!と言われそうだが、理由は二つあるのだ。統計学や社会学、○○学的には、いい加減な著者の本だが、実は著者の感性と俺はかなり近いのでいつも同調してしまえるのだ。北海道から、東京の私立医科大学に行かせてもらえるほど俺の家はお金持ちではないので、著者の方がお金持ちのお嬢さんの割には、ケチくさくて貧乏臭い感性を持っているということかもしれない。まあ、その方がまともだと俺は思うがね。

著者ついては、数年前のテレ朝の「朝まで生テレビ」で、日和見詭弁モンスター橋下徹にいいように手玉に取られているのを見て、「明らかに正しいことを言ってるのにこの人たちはなんて議論に弱いんだろう」と悲しくなったことが思い出される。著者の責任ではなく、悪いの橋下の詭弁なのはよく分かっているのだけど、ひどく悔しかった。

しかし、今回は、今までどちらかと言えば、若者の立場に立って考えたり、語ったりしてきたが、最近50歳を目前にして(著者によれば、アラゴーと言うそうだ)、若者に対する違和感・嫌悪感が抑えられなくなってきた。年齢によるのか、別の理由があるのかよくわからないが、そうなのだそうである。

もう一つの読む理由は、何と言っても、著者の言わんとすることが大体想像がつくので、どんどんページが稼げる。早く読めるということに尽きる。まああとに残らないという憾みはあるが、読書を諦めかけた時には、やはり便利なのだ。

著者が嫌いな若者十カ条:
1.すぐ音を上げて逃げる若者/2.居場所がない、とさまよいすぎる若者/3.「キレた」「オチた」「真っ白になった」と言えば許されると思う若者/4.大人を信頼しすぎる若者/5.大人に甘えすぎる若者/
6.学力がない、知識がないのに開き直っている若者/7.自信がありすぎたり、なさすぎたりする若者/
8.自分のことしか考えられない若者/9.他人に厳しすぎる若者/10.簡単に傷つきすぎる若者

《目次》:プロローグ----私はこんな若者が嫌いだ/第1章 経済格差が生んだ若者の弱さ/第2章 教育格差が生んだ若者の弱さ/第3章 弱い若者を襲う新型うつ病/第4章 「誰でもよかった」殺人と気遣い型の親殺し/第5章 ネット社会で増幅される若者たちの弱さと甘さ/第6章 若者はなぜ想像力を失ったのか/エピローグ なぜ私は若者が嫌いになったのか

131228 あまりにもおぞましい政治を見せられ続けている。壊された日本社会のバランスを取り戻そう!

2013年12月28日 23時45分57秒 | <憲法の危機>は「戦後最大の危機」
12月28日(土)夜:

一日中寝てました。風邪の初期症状か、頭痛に苦しんでいます(痛)。ネットで以下の記事を発見したので、コメントします。

都知事選、宇都宮氏が出馬表明 「政権の暴走を止める」
朝日新聞2013年12月28日20時42分
 【後藤遼太】猪瀬直樹・前東京都知事の辞職に伴う来年1月23日告示の都知事選で、日本弁護士連合会前会長の宇都宮健児氏(67)が28日、無所属で立候補する意向を表明した。昨年12月の都知事選に続き2度目の立候補となり、共産、社民両党が支援する方針だ。
 東京都文京区で市民グループが開いた講演会。宇都宮氏は「出馬の意思を固めた。安倍政権の暴走にストップをかけて、東京から国政を変える」と語った。
 特定秘密保護法の制定、原発再稼働、靖国神社参拝――。安倍政権の姿勢を批判した宇都宮氏。都が東京電力の主要株主であることから、「株主総会で柏崎刈羽原発の廃炉を提案する」と脱原発を強調した。
 主な政策は(1)貧困や格差拡大の是正(2)管理統制を強める教育行政の転換(3)福祉の充実(4)防災対策の充実をあげる。昨年の都知事選で「招致見直し」を掲げた2020年東京五輪は「予算をかけず、震災被災者が歓迎できる平和と友好の祭典にしたい」とした。
 過去の選挙から、立候補表明が遅い「後出しジャンケン」が有利と言われる都知事選。最も早い表明についてはこう述べた。「正々堂々運動を広げるしか勝つ方法はない。もうタイミングだと考えた」
 宇都宮氏は昨年の都知事選で共産、社民、未来などの支持を得て約97万票を獲得したが、次点だった。共産党や社民党は今回も支持を軸に検討している。宇都宮氏は「政策に理解を示す全政党に支持を呼びかける」と話す。27日には民主、公明両党の国会議員事務所を訪れた


われわれはあまりにもおぞましい政治を見せつけられ続けている。このままでは日本の破滅への道だ。死への道だ!安倍自民党ナチス内閣を止めなければならない!壊された社会のバランスを取り戻そう!最後のチャンスだ!民主党リベラル派(勝手連でもよい!)は、宇都宮健児氏を支持せよ!

世襲愚か者の安倍晋三によって、急速に壊され過ぎた日本社会のバランスを取り戻すためには、少し強い薬かもしれないが、俺は宇都宮健児氏を支持したい。共産党は嫌いだが、社民党も支持しているので、この人で良いと思う。

今の日本に、東国原のような中途半端な芸人が都知事を狙う余裕は無い。桝添要一が、自民党の支持を受ければ、彼はもう終わっているだろう。その他泡沫候補に期待する余裕はない。今回の都知事選挙は、現自民党ナチス政権に明確にNO!を突きつけるための中間選挙であるべきだ。

みんなや維新のような自民党の補完勢力が推す候補は絶対に落とすべし。民主党がもしもう一度イギリス労働党的なポジションで二大政党制の一角として再建をめざすのであれば、多少不本意かもしれないが、国民の信用を回復するためにも今回は宇都宮健児氏を支持すべきだろう。

もちろん、民主党がまとまってという気はない、野田佳彦や前原誠司の第二保守グループは反対するだろう。この機会に、民主党内の労組・市民派・リベラル系が、勝手連でもよいから菅直人さんらと一緒になって指示すればよい。

この期に及んで、まだ民主党内の保守派、リベラル派のまがいものの結束に拘泥すれば、民主党は何処で自らの新生を明確に示すことができるのか。きっと手遅れになるだろう。

特定秘密保護法の制定、原発再稼働、靖国神社参拝に反対し、政策として(1)貧困や格差拡大の是正(2)管理統制を強める教育行政の転換(3)福祉の充実(4)防災対策の充実をあげる。震災被災者を忘れない東京五輪開催をめざす。以上のような立場を表明する宇都宮健児氏に対して、公明党も「自民党の犬」でないならば、支持できるはずだ。

原発再稼働反対や特定秘密保護法案反対に結集したデモ行進にみられる自生的な市民運動の力と、共産党(嫌いだけど…)、社民党(頑張れ!)に民主党内のリベラル派が、本気で支持して公明党が支持できないまでも自主投票にすれば、恐らく東京都民は、立派な選択をしてくれるだろう最低限、自民党推薦の候補が勝つことだけは断じてあってはならない。

衆議院・参議院両選挙で、投票率の低下と、嫌民主党による僅差の有利さで、票数とかけはなれた圧倒的多数の議席を獲得して信じられない暴走をしている安倍自民党ナチス内閣に国民側から不信任を突きつけ、壊され失われたバランスを取り戻すことが必要だ。民主党リベラル派の動き(勝手連でもよいから!)によって、宇都宮健児氏を都知事にすることは十分に可能だ!

131227 安倍のコンプレックスの巻き添えで日本は沈むのか?

2013年12月28日 00時13分49秒 | <憲法の危機>は「戦後最大の危機」
12月27日(金)

匿名のブログだから言えることだが…、

常軌を逸した安倍の独善的政治行動を眺めていると、祖父岸信介だけでなく、小泉純一郎元総理への屈折した無意識の対抗意識が感じられる。自分自身に能力が欠けていることを安倍自身が誰よりもよく分かっているはずだ。一方で、自分の中に祖父を継承するという物語りを作ってしまい、それを繰り返し語ることによって、その言葉と物語りに自らが呪われ、縛られてしまているようだ。

安倍の容姿、言動、落ち着きのない目の動き、神経質でか細い早口を見ていて、その視野に現実の国民の姿も、日本社会も、国際関係も見えていない。頭の中の何かに突き動かされているようにしか見えない。参議院選挙まで、お手本どうりに経済で引っ張り、我慢していたが、選挙が終わると、堰を切ったように暴走を始めたが、今回の靖国神社参拝のようにTPOが全く見えていない、何か狂信的なものを感じる。

彼とは全く格の違う祖父岸信介に対する狂信とコンプレックス。そこに、沖縄問題と小泉元総理の反原発発言のプレッシャーが、今回の参拝でも変に作用していたように思えて仕方がない。この人間的底の浅さは何だろう…。

何にしても、頭の悪い、能力の低い世襲政治家が、コンプレックスによって狂信的になるのは危険極まりない。国民・市民を塗炭の不幸に陥れる。一日も早く、安倍首相を辞めさせなければならない。

※佐藤優「国家の罠 外務省のラスプーチンと呼ばれて」(新潮文庫)の一節に、以下のようなのがある。
東郷局長の仕事スタイルは小寺課長と対照的だ。極端な能力主義者で、能力とやる気のある者を買う。酔うと東郷氏が良く言っていたことがある。/「僕は若い頃、よく父(東郷文彦、外務事務次官、駐米大使を歴任)と言い争ったものですよ。父は僕に、『外交官には、能力があってやる気がある、能力がなくてやる気がある、能力はあるがやる気がない、能力もなくやる気もないの四カテゴリーがあるが、そのうちどのカテゴリーが国益にいちばん害を与えるかを理解しておかなくてはならない。おまえはどう考えるか』とよく聞いてきたものです。/僕は、能力がなくてやる気もないのが最低と考えていたのだが、父は能力がなくてやる気があるのが、事態を紛糾させるのでいちばん悪いと考えていた。最近になって父の言うことが正しいように思えてきた。とにかく能力がないのがいちばん悪い。これだけは確かです」85~86ページ

能力がなくてやる気がある、というのは安倍晋三に大変よく当てはまる。安倍の場合は、一外務官僚ではなく、一国の首相である! 国益に対する害は、はるかに測り知れない! 国民・市民は不幸だ。

3 043 立花隆・佐藤優「ぼくらの頭脳の鍛え方 必読の教養書400冊」(文春新書;2009) 感想4

2013年12月27日 02時40分51秒 | 一日一冊読書開始
12月26日(木):

326ページ  所要時間 5:00     ブックオフ450円

著者:立花隆69歳(1940生まれ)。東大仏文&哲学卒
   佐藤優49歳(1960生まれ)。同志社大神学部卒

以前に読んだ100冊目 文芸春秋編「東大教師が新入生にすすめる本」(文春新書;2004)評価4で、180人の東大の先生による1500冊の本の紹介でしめた味が忘れられず、何匹目かのドジョウ狙いでどうしても欲しくなり、105円の原則を逸脱、450円で購入した。

結論から言えば、まず速読に失敗、400冊の紹介というのは微妙な数で、その上紹介される書籍の何割かは全く縁のない感じで、期待感ほどの内容ではなかった。とはいえ、大御所の立花隆に対して、執行猶予中の元外務省ノンキャリア官僚(ソビエト・ロシア担当)の怪物佐藤優がけっこう善戦をしていて、所々に読み応えのある対談になっていた。

安倍ナチス内閣の靖国神社参拝と、韓国の朴クネクネ大統領、中国の江沢民反日教育などに業を煮やして、イライラが募っている俺には、頭を冷やすのに、タイミングが良すぎる紹介記事があった。立花隆が、1985年5月8日のドイツのヴァイツゼッカー演説「荒野の四十年」を以下のように、詳細な内容紹介をしているのだ。

※「今日われわれの国に住む圧倒的に大多数の者は、あの当時、まだ子供であったか、あるいはまだ生まれていなかったのであります。そのような者は、自分が冒してもいない犯罪についての自分の罪責を認めることはできません。/豊かな感覚を持つ人びとにとっては、これらの人びとに、ただドイツ人であるという理由で、悔い改めのしるしの粗衣を身に着けることを期待することは不可能です。しかし、父たちは、この人びとに、まことに困難な遺産を残してしまったのであります。/罪責があろうがなかろうが、年を取っていようが若かろうが、われわれはすべてこの過去を引き受けなければなりません。この過去のもたらした結末が、われわれすべての者を打ち、われわれは、この過去にかかずらわないわけにはいかなくなっているのであります」略。「ユダヤの人びとは忘れることはないし、何度でも思い起こすことでありましょう。われわれは、人間として和解を試みないわけにはいかないのであります。/まさにそれ故に、われわれは理解しなければなりません。思い起こすことなくして和解は起こりえないということを。何百万人の人の死の経験は、この世に生きるあらゆるユダヤ人の内的存在の一部になっております」
このヴァイツゼッカーの演説を読むと、日本人とあの戦争の記憶とのかかわりをつくづく考えさせられる。いまや、日本人の大半が戦後生まれになり、あの戦争がもたらしたものに責任をほとんど感じない世代になっている。そして、中国、韓国などから日本の過去を糾弾する動きがもちあがるたびに、「またかよ、もういいかげんにしてくれ」という思いをもつものが圧倒的多数になりつつある。/その世代こそ、このヴァイツゼッカー演説を読み直すべきだろう。中国にも、韓国にも、あの戦争を決して忘れることができない人々が沢山いるのである。その人々との和解は、過去を忘れることからは決して生まれないのである。そして、あの戦争で死んだ、中国、韓国の人々の数は、ゆうに一千万人をこえ、ホローコーストで死んだユダヤ人の数よりはるかに多いのである。298~299ページ


まあ、いま読み返しても立派な演説ではあるが、俺だって年寄りだが戦争経験なんて欠片もない。けれど、若い時に読んだヴァイツゼッカー演説の感動は覚えている。ただ、あれからでも28年が経って、河野談話、村山談話が出ているのに、中国・韓国で反日教育が意図的に行われ、激しい日本非難の嵐の波状攻撃を受け続け、一方で自民党や橋下徹の妄言で多くの日本人の親中国・親韓国の思いが遮断されてしまうのを見せられ続けるのは、やっぱりつらいことだなあ、と思う。

俺は、中国を尊敬しているし、韓国を尊敬している。偽りではない! 歴史を多少知っていれば、また多少の教養があれば、誰でもそうだろう。仲良くしたい、と心から思っている。安倍晋三、石原慎太郎、橋下徹の妄言三人衆。戦略的互恵関係なんて詭弁は絶対だめだ!もうたくさんだ。うんざりである。どうして誠信の外交を結べるよう努力できないのか!やるべきだろう!、である。

131226 ナショナリズムを弄ぶ罪は、中国・韓国も同罪。日本のリベラルの居場所を奪っている現実に気づけ!

2013年12月26日 17時03分54秒 | <憲法の危機>は「戦後最大の危機」
12月26日(木): ※以下の記事に、驚くとともに所感を記す。

昨日、札束で沖縄県知事の頬を叩いて、普天間米軍基地の辺野古移設(埋め立て許可)にウンと言わせ、「中国でも、韓国でも文句あったらかかって来んかい! こちとらアメリカ様と深い馴染みになってるんだぞ!」と独り善がりの清々しい気分で世襲ウルトラ右翼の安倍晋三くんは、意気揚々と靖国神社に参拝したのだろう。驚いたことに、彼の視野にはアメリカ(正確には米軍のみ)しか入っていない。日本国民の姿も、外国籍市民の姿も、中国も、韓国も目に入っていないのだ。

安倍首相靖国参拝:中国「強烈な憤慨を表明」
毎日新聞 2013年12月26日 13時05分(最終更新 12月26日 13時29分)
 【北京・工藤哲】中国外務省の秦剛(しん・ごう)報道局長は26日午前、安倍晋三首相の靖国神社参拝を受けて談話を発表し「公然と歴史の正義と人類の良知に挑戦するもので、強烈な憤慨を表明する」などと強く批判した。日中関係が一層冷え込む事態は避けられない見通しだ。中国国内の反日世論が強まり、中国側が新たな対抗措置を打ち出す可能性もある。
 談話で秦報道局長は「日本側は軍事や国家の安全分野で『中国脅威論』を扇動し、歴史問題で新たな問題を起こし、新たに重大な政治の障害を作り出した」と指摘。「日本側は必ずこの責任を負わなければならない」と強調した。
 一方、国営中国中央テレビ(CCTV)は26日朝、安倍政権発足1年に関するニュースを報じ、これまでの外交・防衛政策を踏まえ「(安倍政権の)右傾化の本質が明らかになった」などと指摘した。
 中国は26日、毛沢東生誕120周年の記念日を迎えた。中国にとって特別な日の参拝に指導部などが不満を抱く可能性もある。


中国の報道官の発言は、恫喝と脅しに満ちている。元寇のフビライのつもりか?「上天眷命 大蒙古国皇帝奉書 日本国王朕惟自古小国之君 境土相接尚務講信修睦(略) 用兵夫孰所好 王其図之不宣」 こんな脅迫の言葉も、安倍の愚かな靖国参拝の前では、どこか空々しく聞こえる毛沢東生誕120周年の記念日なんて知らんがな! 俺ら日本人に知ったことか! おまえ誰に向かってしゃベッとんじゃ!、国内向けの発言は国内向けでやれ!馬っ鹿野郎! 何様のつもりだ! 

こら報道官、おまえ誰に対してものを言ってるんだ。日本政府か?日本国民か!それともお前らの中では日本国家=日本国民なのか? 大中国が、恫喝すれば小日本の国民は怯えるとでも思ってるのか?! あまりにも雑な批判をするな。お前らの粗雑な批判が、日本人の中の良質な国際感覚とバランス感覚を削り取ってしまっていることに、そろそろ気づけ!馬鹿野郎! 日本政府と日本人をきちんと分けろ! それともおまえらは日本人全体と戦争をするとでも言うのか?!

安倍がウルトラナショナリストであることは、周知のことだった。問題は、彼の保守主義・歴史修正主義に大きな居場所を与えてしまった原因として、中国指導部や韓国朴クネ大統領の度し難い愚かさがあることも間違いない。自国内問題の国民の不満の吐け口として、日本を利用して、尖閣諸島や竹島という非常に小さな領土問題を針小棒大に扱って、反日教育、反日政策を大々的に行ったのは、中国と韓国だ! 特に朴クネ大統領の愚かさは本当に度し難い。

日本が、中国・韓国に対して侵略戦争・植民地支配によってはかり知れない苦痛を与えたことは紛れもない事実だ。俺は、従軍慰安婦、南京大虐殺、及び中韓の人々が持つ被害心情も含めてごまかす気は一切ない。靖国神社への首相参拝にも反対してきたしかし、戦後68年、現在の日本人の大多数は過去の歴史に関与していない。また、今も生き残っている人たちも子供だったか、庶民であり、むしろ戦争の被害者だ。

中国・韓国が声高に戦争責任を叫んでいる主張に具体性を持たせて説得力を与えてきたのは、中国や韓国の努力によるものではない。実は日本国内で自虐史観などと厳しく攻撃を受けながらも、「二度と悲惨な戦争を起こしてはいけない。平和憲法を守らなければいけない!」と頑張って侵略戦争や植民地主義、そして戦争の傷跡としての在日朝鮮人差別や従軍慰安婦の問題を伝え、靖国神社参拝の不当性を中国・韓国とともに子どもたちに伝えてきた<日本国内の戦後歴史教育>があった事実を、中国・韓国は完全に無視している。

日本国内での歴史教育の努力に対して、中国では江沢民の反日教育で、毛沢東の歴史的犯罪行為や日本によるODAの貢献などを覆い隠しながら、一方的に日本を悪者に仕立て上げている。韓国に至っては、大統領の個人的保身のために反日と被害者意識が利用され、韓国人の日本に対するメンタリティも、日本という国家に向けられるべき批判と、戦後生まれの日本人、個々人に向けられる目線が混乱させられている。俺の目から見れば日本の戦後教育、日本人自身の中国・韓国に対する忍耐は、よく頑張っていると評価されてもよいと思う。なぜならば、今の日本人のほとんどは戦後世代なのだから。

中国と韓国は、自国の矛盾の吐け口に、日本という他国を利用していること、そしてその国の忍耐・努力に胡坐をかいて踏みつけにしてもよいという感覚を見直すべきだ。急速に保守反動化していく今の日本国内で、靖国神社への首相・閣僚参拝に反対し、韓国や中国の立場をきちんと説明してきた人々の居場所が、この数年の間にどんどん削られてしまって狭く、窮屈になってしまっているのだ。

日本が歴史を誤魔化してはいけないのは当然のことだが、中国や韓国も歴史に甘えてはいけない。少なくとも現代の問題を捉える際に、何でもかんでも過去の歴史に対する無反省として、まず自らを上位に、日本を下位に位置づけて「日本人に反省が足りない」と問題を紛糾させようとするべきではない。河野談話も、村山談話も現在も有効なのだ。繰り返しになるが、現在の日本人のほとんどが過去の歴史の当事者ではないのだ。中国・韓国が主張する歴史が具体性とともに説得力を持ち得ているのは<戦後日本の歴史教育>の努力の結果なのだ。それは決して平坦な道のりではない。日本の戦後歴史教育の努力を、日本国内の歴史修正主義者とともに、中国・韓国自身も政治的に外交カードとして弄んできた反日教育・反日政策によって、一緒になって押し潰そうとしているのである。

GDPで日本を抜いて世界第2位になった中国、サムスンのような世界的企業を持ち、日本を圧する力をそなえた韓国が、日本との友好・協力ではなく、日本国内に親韓国・親中国、多文化共生の意識を持つ「良質な多くの国民・市民がいる事実」を無視して、<日本悪者論>を振りかざし続けるのは、あまりにも危なっかし過ぎる火遊びである。ナショナリズムを弄ぶ火遊びは、ろくでもない危険な結果しか生まない。

今回の安倍晋三という知能の低い苦労知らずな世襲のウルトラ保守政治家に再登場のチャンスを与えたのは、民主党素人内閣を呵責なく追いつめた中国・韓国の責任でもある、と俺は観ている。また、今回の安倍の靖国神社参拝に対して、俺は断固反対だが、日本の多くの国民が世論調査で支持しており、野党による批判が空々しく響く世相も、この数年間の中国・韓国の<日本悪者論>の結果でもあるのだ。

加害者の歴史を決して誤魔化してはいけないのは当然だが、被害者の歴史を利用し、被害者の歴史に甘えてもいけない。「過去の歴史は、千年たっても消えない」と妄言を吐いて、裸の王様になっている韓国の朴クネ大統領には正直言って、その愚かさに呆れてしまう。アホさ加減では安倍馬鹿といい勝負だと思う。あなたの父親のした歴史を反日パフォーマンスで消せるとでも思っているのか。まもなく日韓基本条約50周年である。あなたの大統領在任中だ! なぜ、父親を引き継ぎ発展させる意気を見せないのか? 父親の歴史を否定するのならば、世襲の朴クネクネさんは大統領になるべきではなかった。

加害者の国、被害者の国の別なく、歴史とナショナリズムを弄する国家はろくでなしだ。そして、その国の国民・市民は、不幸だ!! 安倍ナチス自民党内閣に対する怒りとともに、俺の中で中国・韓国に対するいらだちも抑えられなくなってきているのは客観的事実だ。正直「それじゃあ、戦争でもしようか!?」と自棄的気分になることがある。はっきりしていることは、みんなが敗者となり、勝者は何処にもいないということだけだ。

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2013年12月26日 00時32分03秒 | 一日一冊読書開始
0019‐3 タミム・アンサーリー「イスラームから見た「世界史」」(紀伊國屋書店;2011)評価5+
12月24日(月):通読による最終評価=5+のテキスト685ページ  所要時間11:45       図書館 第17章潮流の変化、後記他まで計685ページ。今日は193ペー...

131225 報道ステーション古舘伊知郎キャスターの勇退を勧告する。出処進退は自分の意志で!

2013年12月25日 21時02分46秒 | <憲法の危機>は「戦後最大の危機」
12月25日(水):

昨夜の「報道ステーション」の「小泉元総理の<脱原発の旅>をたどる特集」は、なかなか出色の出来ばえだった。勉強になった。<夜10時のテレ朝の報道番組枠>は、やはり今の日本で必要だ。しかし…、

最近?(元々?)、テレ朝「報道ステーション」の劣化が激しい。キャスター古舘伊知郎の劣化と言ってもいいだろう。彼は十分に自分でそれを感じているはずだ。覇気が全くない。存在感が無く、陳腐化している。多くの国民・市民に多大な影響を与えるニュースキャスターの立場・重みをきちんと理解できているようには見えない。打ち合わせの時に必死でレクチャーを受けて準備はしているのだろうが、記者ではないまでも、彼の中に思想的な幹が無いのだろう。いつも自信無さげであり、言葉が上滑りなのだ。テレ朝なので紋切り型に「「反権力」の態度を維持しなければいけない」と思っているのも、そう見せようとしているのも明け透けにわかる。しかし、肝心かなめのキャスター本人が、世の中の矛盾や権力の横暴に対する客観的理解も抵抗精神も持ち切れていないで、表面的にリベラル役を演じているのがよく分かる。<社会の木鐸>たる報道に関わる立場である覚悟が伝わってこない。こんな状態で、毎晩1千万人を超える視聴者がいる報道番組を担当するのは荷が重いだろう。ニュース23では、前任の無気力な解説員と岸井成格氏が交代することで随分と見ごたえが出てきた。報道番組はやはりキャスター次第である。

最近は、テレビ局から与えられた報道画像を流し、解説員という名の“助っ人”(*この人たちに頼らないと、もはや古舘さんは、完全に限界、ジ・エンドである)やリベラル系記者・学者ゲストに紋切り型の質問・同意を求めて、お説拝聴の後、「ああそうですねー」と深く息を吐き、小首を傾げてみせたりして、「どうなんでしょうね」的なワンフレーズだけの感想らしき言葉を漏らして、まさに逃げるように「それでは、次です」と言うその姿が鼻につくのだ。「この男、本当は何も考えられていないのだな! 考える能力も覚悟もない。考えることにより批判を受けるのを怖がっているのだな!」と思い知らされる。彼の中途半端な批判姿勢、及び腰を、毎晩一千万人を超える人々が見ている。そして、権力に対してビクビクして陰で恐れている古舘伊知郎のメンタリティは、日本社会で国民・市民全体に毎晩伝染し撒き散らされ、磨り込まれていくのだ。正直、デジャビューのように繰り返され、毎日この逃げ腰の姿を見せつけられると我々の心の大切な部分に権力に怯える卑屈な精神、権力に対する諦めを植え付けられてしまう気がするのだ。これは報道番組として本末転倒だろう。我々は、権力を恐れ、無力感を思い知らされて、諦めさせられるためにニュースを見ている訳ではない。キャスターが逃げ腰では、本末転倒で、もう話にならない。これは人畜無害どころか、報道ステーションの視聴率の高さから見ても、大変な有害報道番組に堕していると言わざるを得ない。これ以上、古舘さんがキャスターでは、国民・市民社会の活力が失われるばかりである。人選は難しくても、テレ朝には英断を乞いたい。古舘伊知郎氏には出処進退は自分で決めて是非勇退をしてほしいと思う。

古舘さんは、久米宏を踏襲しようとしたが、結局表面的なモノマネで終わり、久米宏が何とか踏ん張って維持した肝心の(維持しているように見せた)反骨の姿勢を全くマネられなかった。そして、今、安倍内閣と自民党のナチス化・ファシズム(大政翼賛会)化、原発再稼働、福島・沖縄の棄民化という「時代の大きな<切所>」に立ち会って、ノンポリの馬脚が隠しようもなく現れてしまっている。良い子ぶってはいるが、彼の姿は場違いな所に迷い込んで「途方に暮れている」無責任な第三者のようにしか見えないのだ。

久米宏の時は、彼のニュースステーションがその時代の最もリベラルな報道のポジションを維持したし、その後筑紫哲也さん(「週刊金曜日」編集メンバー)という生粋のリベラル派ジャーナリストがニュース23をもつようになって、多事争論による発信、アメリカや韓国他外国元首をスタジオに迎えてみせるなど大車輪の活躍を見せてくれて、報道番組の黄金時代を我々は見ることができた。その頃、報道番組の力は大きく、権力に対する大きな歯止めにもなっていた。

テレビ朝日の夜10時台の報道枠におどおどした古舘伊知郎はもはや限界であり、無理だ。全くふさわしくない。そろそろ退場の潮時だろう。端的に想像してみればいい。毎晩見る古舘伊知郎の席に、報道特集の金平茂紀氏や日下部正樹氏のツートップが座っていたり、池上彰さんがジャーナリストを自覚した歯を食いしばった表情で座っていたり、またNHKニュース9の大越キャスターが座っている姿をイメージするだけで十分だ。現在の古舘伊知郎「報道ステーション」のみすぼらしさ、惨状は容易に想像がつくだろう。そして、かれの権力に対する弱腰、怯え、意気地の無さ、諦めは毎晩1千万人を超える国民・市民に伝染し、磨り込まれ、多くの健全な抵抗精神を知らないうちに蝕んでいくのだ。

夜10時のテレ朝の報道番組枠のリニューアル、またはキャスターの交代は日本社会にとって喫緊の問題だ。<報道ステーション>が変われば、現在の報道番組の状況は大幅に変わるのは明白だ。是非とも悪い方ではなく、今の政治の流れを止められるリベラルな方へ報道が変わって行ってほしい。本当に日本の未来がかかっていると言っても過言ではない。古舘伊知郎さん、お辞め下さい。お願いします。

3 042 網野善彦「日本の歴史 第10巻 蒙古襲来」(小学館;1974) 感想5

2013年12月23日 17時34分25秒 | 一日一冊読書開始
12月23日(月):

454ページ  所要時間7:10    蔵書

著者46歳(1928~2004;76歳)。戦後日本史(特に中世史)の最も革新的学者の一人。非農業民の視点から日本史を捉えなおし、多様性を解き明かす。

本書は、名著「無縁・公界・楽」につながる著者の記念碑的著作であり、小学館版(旧)『日本の歴史』 全32巻(1973~1976)の内の一冊である。

若い時に手に入れ、折に触れ手に取り覗き見はしてきたが、最後まで読み通すのは初めてである。とは言え、まともに読んだのでは何十時間かけても歯が立たないのは自明である。1ページ30秒、わからなくてもよい、<縁結び読書>だと決めて付箋を持って取り組んだ。

1ページ30秒は、勿論無理だった。そして中世社会の膨大な記述を理解・把握するのも勿論無理だった。ひたすら歯をくいしばって目を這わせ続けた。しかし、けっこう発見もあり、それなりに楽しい読書にはなった。

北条時頼の政治、蒙古襲来(文永の役・弘安の役)と非御家人の動員、安達泰盛の弘安改革、霜月騒動、御内人の専権、得宗貞時の独裁、鎌倉幕府の倒壊までが本書の担当範囲である。通史的出来事に対する記述は、丁寧に興味深く書かれている。特に北条時宗の無力さ、安達泰盛のめざした新政の可能性は印象深かった。

また、鎌倉幕府の滅亡を、「正慶二年(元弘三年=1333)五月にほろびたのは、けっして幕府ではなく、もとより御家人でもない。ここでほろんだのは、みずからが固めた御家人体制を破るべく苦闘する運命を負い、ついに最後までそれを果たしえぬまま専制のかぎりをつくした、得宗と北条氏の権力だったのである(440ページ)」と冷めた目で見ているのも印象的だった。

網野史観の出発点として、荘園・公領における非農業民の存在と賤視・差別の発生、天皇とのつながりについての記述は、通史の一巻であるという制約もあり、様々な視点の可能性を意欲的に指摘しているが、巷間言われているほどには、まだ体系立てた記述にはなっていないと思った。

何にせよ、7時間では全く歯が立たないが、本書を死ぬまでに通読(眺め読み)できたことは有難いことだった。

目次:
飛礫・博奕・道祖神-はじめに
「撫民」と専制:宮将軍の東下/北条時頼とその時代/批判者の出現
二つの世界、二つの政治:田畠を耕す人々/海に生きた人々/「殺生」を業とする人々/交通と流通に関わる人々
「蒼い狼」の子孫:モンゴル帝国の出現/苦悩する高麗
文永の役:北条時宗の登場/襲来の前夜/異国人との戦い
建治元年-日本:襲来の余波/外寇をよそに
弘安の役と霜月騒動:元軍再襲にそなえて/元軍の壊滅/弘安の「徳政」と安達泰盛の乱
百姓と「職人」:「惣百姓」と「一円領」の出現/道々の細工/交通路と関所
訴人雲霞のごとし:得宗御内人の専権/得宗貞時の独裁/渦をまく暗闘
転換する社会:悪党・海賊の躍動/文化する村落と都市
鎌倉幕府の倒壊:幕府最後の光芒/道学者上皇と専制的天皇/血の海のなかで
13世紀後半の日本

3 041 佐藤優「国家の罠 外務省のラスプーチンと呼ばれて」(新潮文庫;2005、2007) 感想5

2013年12月22日 04時06分44秒 | 一日一冊読書開始
12月21日(土):

550ページ  所要時間 6:05     ブックオフ105円

著者45歳(1960生まれ)。起訴休職外務事務次官・作家。外務省ノンキャリア官僚。ロシア・スクール(対ロシア担当)。

【裏表紙】:ロシア外交、北方領土をめぐるスキャンダルとして政官界を震撼させた「鈴木宗男事件」。その“断罪”の背景では、国家の大規模な路線転換が絶対矛盾を抱えながら進んでいた―。外務省きっての情報のプロとして対ロ交渉の最前線を支えていた著者が、逮捕後の検察との息詰まる応酬を再現して「国策捜査」の真相を明かす。執筆活動を続けることの新たな決意を記す文庫版あとがき(2007年)を加え刊行!

近頃、百田尚樹のような権力に阿る、理屈っぽい俗物の盗作右翼野郎で辟易していたので、久しぶりに清々しい力量のある本物の人格に出会えた気分である。

2000年の日ロ平和条約締結に向け、東京・モスクワ、北海道などを舞台に鈴木宗男議員と一緒に取り組み、2002年に検察特捜部の「国策捜査」による逮捕、拘置所での拘留生活(512日)、検察官聴取に対する抵抗、裁判闘争の経緯を膨大な内容を冷静に、けれど熱さを維持して、明晰な文章で書き切っている。

昨日購入。量的に、まともに読んだのでは、終りまで行けない。最近、著者に対する興味が強くなっていた。不十分でも、著者に関わってみたい思いから<縁結び読書>に徹することにした。かすむ目を押して、1ページ15秒読みをめざした。正直、細かいやり取りは、さっぱりわからないが、一方で風景としてなんとなく何が語られてるのかは、大雑把には分かった。そして、終盤には読む速度がガクンと落ちて、全体としては1ページ45秒ぐらいになった。

本書は著者にとって、処女作になるそうだが、毎日出版文化賞特別賞を受賞している。著者の底力はすごいとしか言いようがない。この著者を、パターナリズム(親分子分関係)で、使いこなした鈴木宗男という政治家は、やはりすごいのだろう。そしてその親分だった野中広務氏は、どれほどすごい政治家なのだろう…。

眺め読みをしながら、細かい部分は、わからないのを我慢して最後まで読み通すと、不十分なりに著者の思いや人柄は意外なほど伝わった。事実関係も軸になる部分はつかめた気がする。やはり完全を求めず、縁を結ぶのをめざして良かった。甲斐のある読書になった。

「ムネオハウスなどの醜聞で、2002年に刑事被告人として起訴され、あれほど社会的信用を喪失したはずの鈴木宗男氏とその子分の著者が、最近完全に復活を遂げているのは何故だろう。いつ彼らの復権話されたのか。一度刑事被告人としてたたき落とされた政治家や関係者が復活するのはあまり聞いたことが無い。鈴木宗男氏はも著者もすごい馬力の人間だから、なし崩しに力を回復したのだろうか?」と、ずっと抱いていた大きな疑問が、解けた気がする。

なし崩しではないのだ! 本書がベストセラーになり、著者がその後書いた著作活動によって、検察特捜部による国策捜査の実態が明るみになり、鈴木宗男氏や著者が決して犯罪行為をしていたわけではないことが、世の中に周知されていたのだ。著者自身、本書を書いた目的の一つに“鎮魂”「狭義においては(盟友)鈴木宗男氏の魂をなんとしても慰める必要があると思った(516ページ)」と書いているのだ。

本書では、「時代のけじめ」としての検察による「国策捜査」がひとたび発動されると、政治家であろうと誰であろうと蟻地獄のアリと同じで絶対に逃れることができない「あがり」は全て地獄の双六であり、時代のパラダイムを変えようとする何らかの意思を持って行われる。

被告が実刑になるような事件はよい国策捜査ではないんだよ。うまく執行猶予をつけなくてはならない。384ページ。

山本譲司の「国策捜査」では、検察は山本が控訴して執行猶予をとれると考えていたのに、山本自身が一審の実刑を呑み込んじゃってビックリしていたそうだ。(371ページ)

著者は、この「国策捜査」を、鈴木氏に代表される公平配分路線・国際協調主義の価値を終焉させ、小泉内閣の新自由主義とナショナリズムという本来両立しえない二つの目標を掲げ、日本の政策転換が進められるようになった。(535ページ)。

*日ロ平和条約と領土交渉に、イスラエルのユダヤ人の存在が案外重要な存在だった。

*ロシア人はみなタフネゴシエーターで、なかなか約束をしない。しかし、一旦、約束すれば、それを守る。また、「友だち」ということばは何よりも重い。政治体制の厳しい国では、「友情」が生き抜く上で重要な鍵を握っているのである。146ページ

※裁判の外務省からの証人出廷について、川口順子外相が、「外務省の具体的な情報収集活動に関する職務上の秘密に当たるものであり、右を対外的に開示することは、国の重大な利益を害することとなるため、右事項につき当省職員を証人として尋問することについて承諾しかねます」という見解を読んで、すぐに特定秘密保護法案のことが頭に浮かび、「まさに屋上屋を重ねる法案だったんだな」と思い気持ちが暗くなった。486ページ

※2001年頃、鈴木宗男を「疑惑のデパート」と追及していた辻本清美について、本書でもそうだが、山本譲司「獄窓記」でも、華々しかった女性政治屋の裏の顔が随分醜く見えてくる。辻本清美が、今後前原詐欺師との関係を解消し、野田・前原の第二自民と対決しなければ辻本清美は完全に終わっている。市民運動家の見る影もない政治屋さんの完成だ。最低で何の魅力もない。

150329 タガ外せば歯止め失う 長谷部恭男・早稲田大学教授/「未来志向」は現実逃避 杉田敦・法政大学教授

 杉田 先日ドイツのメルケル首相が来日しました。戦後ドイツも様々な問題を抱えていますが、過去への反省と謝罪という「建前」を大切にし続けることで、国際的に発言力を強めてきた経緯がある。「建前」がソフトパワーにつながることを安倍さんたちは理解しているのでしょうか。  / /長谷部 そもそも談話が扱っているのは、学問的な歴史の問題ではなく、人々の情念が絡まる記憶の問題です。記念碑や記念館、映画に結実するもので、証拠の有無や正確性をいくら詰めても、決着はつかない。厳密な歴史のレベルで、仮に日本側が中国や韓国の主張に反証できたとしても、問題はむしろこじれる。相手を論破して済む話ではないから、お互いがなんとか折り合いのつく範囲内に収めようと政治的な判断をした。それが河野談話です。  / /杉田 談話の方向性や近隣との外交について「未来志向」という言い方がよくされますが、意図はどうあれ、それが過去の軽視という「見かけ」をもってしまえば、負の効果は計り知れない。安倍さんたちは、未来を向いて過去を振り払えば、政治的な自由度が高まると思っているのかもしれません。しかし政治の存在意義は様々な制約を踏まえつつ、何とか解を見いだしていくところにあります。政治的な閉塞(へいそく)感が強まる中で、自らに課せられているタガを外そうという動きが出てくる。しかし、それで万事うまくいくというのは、一種の現実逃避では。  / /長谷部 合理的な自己拘束という概念が吹っ飛んでしまっている印象です。縛られることによってより力を発揮できることがある。俳句は5・7・5と型が決まっているからこそ発想力が鍛えられる。しかし安倍さんたちは選挙に勝った自分たちは何にも縛られない、「建前」も法律も憲法解釈もすべて操作できると考えているようです。  / /杉田 俳句は好きな字数でよめばいいのだと。  / /長谷部 あらゆるタガをはずせば、短期的には楽になるかもしれません。しかし、次に政権が交代したとき、自分たちが時の政府を踏みとどまらせる歯止めもなくなる。外国の要求を、憲法の拘束があるからと断ることもできない。最後の最後、ここぞという時のよりどころが失われてしまう。その怖さを、安倍さんたちは自覚すべきです。 =敬称略(構成・高橋純子)朝日新聞『考論』

0015 オルテガ「大衆の反逆 (桑名一博訳;久野収解説)」(白水社イデー選書;1930)評価5

以下は、オルテガ所論の久野収による抜粋の抜粋である:///  オルテガによれば、政治のなかで「共存」への意志を最強力に表明し、実行していく政治スタイルこそ、自由主義的デモクラシーである。共存は、強い多数者が弱い少数者に喜んで提供する自己主張、他者説得の権利である。敵、それも最も弱い敵とさえ、積極的に共存するという、ゆるがない決意である。/その意味で、人類の自然的傾向に逆行する深いパラドックス(逆説)であるから、共存を決意した人類が、困難に面してこの決意を投げ出すほうへ後退したとしても、それは大きな悲劇ではあっても、大きな不思議とするには当たらない。/「敵と共存し、反対者と共に政治をおこなう」という意志と制度に背を向ける国家と国民が、ますます多くなっていく1930年代、オルテガは、「均質」化された「大衆」人間の直接行動こそが、あらゆる支配権力をして、反対派を圧迫させ、消滅させていく動力になるのだという。なぜなら、「大衆」人間は、自分たちと異類の非大衆人間との共存を全然望んでいないからである。略。///  「大衆」人間は、自分たちの生存の容易さ、豊かさ,無限界さを疑わない実感をもち、自己肯定と自己満足の結果として、他人に耳を貸さず、自分の意見を疑わず、自閉的となって、他人の存在そのものを考慮しなくなってしまう。そして彼と彼の同類しかいないかのように振舞ってしまう。/彼らは、配慮も、内省も、手続きも、遠慮もなしに、「直接行動」の方式に従って、自分たちの低俗な画一的意見をだれかれの区別なく、押しつけて、しかも押しつけの自覚さえもっていない。/彼らは、未開人―未開人は宗教、タブー、伝統、習慣といった社会的法廷の従順な信者である―ではなく、まさに文明の洗礼を受けた野蛮人である。文明の生み出した余裕、すなわち、贅沢、快適、安全、便益の側面だけの継承者であり、正常な生存の様式から見れば、奇形としかいいようのないライフスタイルを営んでいる新人類である。略。///  「自分がしたいことをするためにこの世に生まれあわせて来た」とする傾向、だから「したいことは何でもできる」とする信仰は、自由主義の自由の裏面、義務と責任を免除してもらう自由にほかならない。/われわれは自由主義の生みだした、この「大衆」人間的自由、自己中心的自由に対し、他者と共存する義務と責任をもった自由を保全しなければならないが、一筋縄でいかないのは、この仕事である。(160626:イギリスEU離脱について思うところ=もみ=)