日本の心・さいき

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為になるかも知れない本(その229)

2007-10-04 07:37:59 | Weblog
○昭和60年1月3日(木)晴。
 100人ちょっと来た。あまりひどいのはいなかった。ベビ一も落ち着いている。来年は忙しいかも知れない。○海病院の小児科医も頑張っているからかなあ。今年は体力を付けないといけななあ。休むことが大切だなあ。まだ、インフルエンザがはやらないなあ。
○昭和60年1月4日(金)晴。
 田中事務長さんが挨拶に来た。年明けはいつも小児科は多い。来年はどうしても小児科医の常勤医が1人欲しい。
○昭和60年1月6日(日)晴。
 天気が悪いせいか、喘息が多い。入院も多い。考えたら昭和60年になっていて、しかも、年末年始が終わっているのだ。今年の誕生日(5月28日)で満36歳にもなるのだ。信じられない。自分の成長と比べて、子どもの成長は超特急だなあ。
○昭和60年1月9日(水)晴。
 家族で久し振りに「味蔵」で食べた。1週間に1回ぐらい、こんな感じで家族で外食できるといいなあ。飲み代を節約すれば何と言うことはないはず。○○ベビ一の状態が悪くて、○○助教授が来ていたが、ナ一スが自分に電話して来て、ずっと格闘しながら分娩室に泊まった。(800g程で、肺が真っ白のRDSで)親も諦めている感じで、結局亡くなってしまった。
○昭和59年1月11日(金)晴。
 他に掛かり付けがあって、時間外だけ来る人が多い。救急病院だから見てもらえるのが当然と思っている感じだ。しかし、実質、小児科は自分1人でしているのだ。まあ、病院から高給をもらっているから仕方ない面もあるが。とにかく、個人病院の厳しい所は、採算が合わなければどうしようもないと言うことだ。
○昭和60年1月12日(土)晴。
 150人ちょっとしか来なかった。少ない。本当に。○海病院の(同級生の小児科医の)○○君、どこで開業するのかなあ?○海で1人で頑張っていて、大変だったみたいだなあ。医療生協の○井先生も、日赤の○先生も開業しても、救急はしないし、当然ベビ一はない。1人勤務医の方がやはりきついなあ。
○昭和60年1月13日(日)晴。
 ゆっくりした。本当に久し振りに休んだと言う感じだ。年末年始以来、ずっと24時間働き続けていたのだ。宮医大から(いつも来てもらっている)○○先生が来れなくて、○○先生が(24時間)来てくれた。

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