『朝日新聞』2014・7・18夕刊に「職員会議で挙手禁止?」というコラム記事がのった。大阪府教委が、校長のリーダーシップ強化のため、職員会議での挙手や採決禁止の方針をきめ、8月下旬までに校内の内規を見直すよう全府立高校に求めている、しんと静まりかえる職員会議、そんな学校に子どもを通わせたいとは思わない、という記事だ。
校長のリーダーシップというが、そのモデルとなるのは大阪市立巽中学校の、教育の条理に反するわがまま勝手な校長なのだろう。府教委は、「教職員の意見を聴取する場合、選挙またはこれに類する方法は取らない」「人事委員会のように実質的に校内人事を決定し、校長・準校長が追認することは認められない」、職員会議について「教職員による挙手・投票の実施を原則とする…ことがあってはならない」などとしている。
いったい、府立高校校長会からそのような要望がでていたのか。はっきりいって、これは校長の裁量権を不当に侵害し、その仕事を困難にする以外の何物でもない。府教委がまた無理難題を押し付けてきてこまっているという、校長の声を聴いた。多くの校長がそう思っているだろう。校長を府教委の管理下にがんじがらめにするものだからだ。校長のリーダーシップというが、たんに教職員をおさえつけ勝手な独裁的な手法をとるだけで、リーダーシップとはいえない。教育のリーダーシップとは、教育への見識によって全職員をひきつけまとめあげるものでなければならない。職員会議の民主的運営と十分な議論をつうじて、教職員の合意が形成される方向へ、また校長と職員の意見が一致する方向にすすんでいく。その努力が日々つづけられなければならない。民主的学校運営とはそのようなものだ。これまで職員会議では必要な事項では採決がおこなわれてきた。しかしそれは一票でも多い多数決をよしとしたものではない。これは政治的な多数決だ。教育現場では、合意形成を何より重視し、採決をすれば大方の賛意をえられるまで議論をつくすことを大切にしてきた。けっして採決は校長の権限を奪うものではなかった。
ところがこれをくつがえせというのが府教委の方針だ。大阪維新の会・松井知事・橋下大阪市長の教育介入、その推進者である中原徹教育長の押し付けけそのものだ。校長の要望ではない。校長を府教委のも足元に縛り付けるものだ。学校教育法で「教育をつかさどる」と定められた教育の専門家である教員の総合的な教育力を萎えさせる方向だ。
戦時中の学校がその目標、到達点となるだろう。安倍反動政治と対をなす教育・学校体制だ。
校長のリーダーシップというが、そのモデルとなるのは大阪市立巽中学校の、教育の条理に反するわがまま勝手な校長なのだろう。府教委は、「教職員の意見を聴取する場合、選挙またはこれに類する方法は取らない」「人事委員会のように実質的に校内人事を決定し、校長・準校長が追認することは認められない」、職員会議について「教職員による挙手・投票の実施を原則とする…ことがあってはならない」などとしている。
いったい、府立高校校長会からそのような要望がでていたのか。はっきりいって、これは校長の裁量権を不当に侵害し、その仕事を困難にする以外の何物でもない。府教委がまた無理難題を押し付けてきてこまっているという、校長の声を聴いた。多くの校長がそう思っているだろう。校長を府教委の管理下にがんじがらめにするものだからだ。校長のリーダーシップというが、たんに教職員をおさえつけ勝手な独裁的な手法をとるだけで、リーダーシップとはいえない。教育のリーダーシップとは、教育への見識によって全職員をひきつけまとめあげるものでなければならない。職員会議の民主的運営と十分な議論をつうじて、教職員の合意が形成される方向へ、また校長と職員の意見が一致する方向にすすんでいく。その努力が日々つづけられなければならない。民主的学校運営とはそのようなものだ。これまで職員会議では必要な事項では採決がおこなわれてきた。しかしそれは一票でも多い多数決をよしとしたものではない。これは政治的な多数決だ。教育現場では、合意形成を何より重視し、採決をすれば大方の賛意をえられるまで議論をつくすことを大切にしてきた。けっして採決は校長の権限を奪うものではなかった。
ところがこれをくつがえせというのが府教委の方針だ。大阪維新の会・松井知事・橋下大阪市長の教育介入、その推進者である中原徹教育長の押し付けけそのものだ。校長の要望ではない。校長を府教委のも足元に縛り付けるものだ。学校教育法で「教育をつかさどる」と定められた教育の専門家である教員の総合的な教育力を萎えさせる方向だ。
戦時中の学校がその目標、到達点となるだろう。安倍反動政治と対をなす教育・学校体制だ。