山上俊夫・日本と世界あちこち

大阪・日本・世界をきままに横断、食べもの・教育・文化・政治・歴史をふらふら渡りあるく・・・

保護者から更迭要求がでている民間人校長と学校組織のありかた

2014年07月09日 13時50分28秒 | Weblog
 大阪市立巽中学校の民間人校長北角裕樹氏(38)は、職員や保護者とのあつれきが絶えず、更迭要求運動がつづいている。元日経新聞記者で13年度民間人公募で採用された。
 生徒の写真を1000枚も撮ったり、修学旅行のラフティングで生徒をボートから突き落とし、その上から乗って川に沈めたりと、問題行動をおこした。あとで「ふざけすぎた」と弁解したそうだ。また教頭を土下座して謝らせるところに追い込むなど、独断的な学校運営でPTAが更迭要求をしている。
 14年3月20日頃、大阪市教委は北角校長を更迭する方針を固めたとの報道があった。ところが5日後、橋下氏が低投票率とはいえ再選されたあとにひらかれた教育委員会議ではこれがくつがえされた。北角氏が、巽中学校では校内人事を教職員が投票で決めているのは問題だとさわいだことが評価されて、くつがえったといわれている。
 だが、小学校では少ないが、高校では多くが、また中学校でも一定数の学校で教職員が校内人事に参加することがやられている。教務部長や生活指導部長をはじめとした部長選挙がおこなわれ、校長はとくに問題がなければこれを任命する。校長の任命権限が妨げられているわけではない。むしろ校長の意思と全職員の意思が一致して人事がすすめられていることが大切だ。なぜなら教育は全人格的なチームワークの仕事だからだ。校長が職員の意思と相反することをおしつけてもうまくいかない。教育は、教育の条理に従っておこなわれなければなりたたない。
 さらに各学年の担任の決定もとても重要なことだ。校内人事委員会が希望を聞き、調整をして人事案をつくる学校も多い。生徒の状況をふまえて、学年主任を中心にどういう学年チームをつくるか神経をつかうところだ。
 ここに異議を唱えて人事委員会の作業をストップさせ、あたかも違法な学校運営がされてきたかのようにいって問題を持ち出したのが北角氏だ。マスコミは違法でないものを違法かのようにさわいだ。橋下市長や、安倍首相に親和的な読売テレビのキャスター辛坊治郎(株式会社大阪総合研究所代表)がこれをとらえて、校長の人事権を教員が侵している異常事態などとさんざん攻撃した。しかし教育の必要上おこなわれてきたことで、これによってチームとしての教育力がよりよく発揮されてきたのだ。
 前年度中に新年度の体制をつくるのと相前後して、前年度の総括をし、新年度の方針をきめる。教務、生活指導(生徒指導ともいう)、進路、保健など各部で、各学年でこれをおこなう。とくに新たに発足する新1年生の学年団では、緊張とともに夢をふくらませて学年の方針をきめる。これらをやり上げたうえで新年度をむかえる。ここへ向けて全教職員の意欲をあつめることが学校運営で大切なことだ。その全体のリーダーになるのが校長だ。ところが自分の好みで人事をいじるのは教育のためにはならない。校長の人事権をふりかざすのは真のリーダーとはいえない。
 学校を企業組織に置き換えようという欲望が安倍首相や橋下市長らにはつよい。企業経営者=校長の考えひとつで、特定の方向に組織をうごかし、命令と成績で組織をしめあげる、これを理想の組織と考える傾向がはやっている。経営者=校長が命じて、社員=教員がその通り動く。しかし学校は商品販売の組織ではない。さまざまな家庭環境、成育歴と個性をもつひとりひとりにあった対応、指導をしなければならない。命令ですべてが処理される世界とは正反対なのだ。これはひとりあるいは2、3人のこどもを育てる親たちが日々実感していることだ。まして何十人も相手にする教員が上からの一律の命令だけでことがすむはずがない。教員が生徒の様子をすくいあげて、教育目標との関係で、つぎの具体的指導をどうするかを協議し、あらたな実践へすすんでいく、そういうのが教育活動だ。
 教員が人事にかかわるのは、学校全体の運営にもかかわる全体的な視野を要請されることで、教員の資質を引き上げる大切なことだ。これをまとめあげるのが真のリーダーとしての校長の役割だ。威張りたいだけの人は教育のリーダーにはなれない。
 
コメント (1)
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