黄昏どきを愉しむ

傘寿を過ぎた田舎爺さん 「脳」の体操に挑戦中!
まだまだ若くありたいと「老い」を楽しんでま~す

あの「ゴッホ」を追いかけてみよう! (№.7)

2020-10-16 | 日記
1887年
 ゴッホが日本美術に影響された…
その証? この絵をご覧になってください。

渓斎英泉の浮世絵
  「雲竜打掛の花魁」を模したもので~
ゴッホの「花魁」です。

   前日のシーンをもう一度!
    カンヴァスをこする絵筆の激しい音
    鮮やかな青、緑、黄色…色彩の奔流がどっと押し寄せてきた。
    殴りつけるように、泳ぐように、踊るように~
    絵筆をカンヴァスにぶつけていた。

       
    
 
  「イリュストレ」の表紙絵の花魁は~
         

 この表紙絵は、リトグラフではないかと。
  紙を置いて印刷すると、図案が反転します。
  結果その状態で・・・ではないか~

   本物の浮世絵は         
         
 
   「花魁」の向きが違っているのに気が付きましたか・・・
   
  と、言うことは
     ゴッホはこの本物の渓斎英泉の絵を見ていなかった?

  ・・・フィンセントは この絵の前で
   固まって動かなくなってしまった、しばらくして激しく肩を
   震わせ始めた。

   「・・・どうして、こんな絵がこの世にあるんだ?
     いったい、どうやってこんな絵が生まれたんだ?」

       この絵は私の先生になるでしょう・・・。

 
クローゼル通りに、
 最近フィンセントとテオが足繁く通う店があった。
 「れっきとした画廊」である。
 ただし、「グーピル商会」のような堂々とした構えの画廊ではなく
 「画材、画商、ジュリアン・タンギー」
 古ぼけた看板がペンキのはげた入口のドアーの上に掲げてある。
       以前、(2020.4.14 ブログに「タンギー爺さん」」をアップしています。)

 とっても気のいいタンギー爺さんなんです。
 絵が売れようが、売れまいが、そんなことはちっとも意に介さず
 ただ若手の画家たちの力になりたいと貧乏暇なし~
 日々のパンすらも買えないほど困窮しながら、それでも描くことを
 やめない貧しい画家たち~
 そんな変わり者の画家たちこそタンギーは応援しているのだった。
 
 ゴッホの面倒もずいぶん見ていたようです。
 売れない画家たちに絵の具をどんどんツケで売り、そのツケが
 返せないと、画家たちは自分の絵を置いていきました。
  それが ゴッホ セザンヌ ゴーギャン・・・
       だと言うから驚きです。

 今の価値から計算すると・・・ 「小さな国の国家予算?」
 絵の具の借金のカタに貰っていたのですよ。

 【 *タンギー爺さんがなくなった後、それらの作品はオークションを
    通して売却され、ゼザンヌ1点が 
    今の値段で たった20万円くらいで落札されたという記録が。
    「ああ、なんてこった!」
 
    爺さんのところにあった作品は、現在世界中の美術館や
    コレクターのところに散逸してしまいました。
    もし、この作品ぜ~んぶ並んでいたら???  
       途方もない、素晴らしい美術館に。
                                                          それはそれは大変なものです。】
 
{余談ですが
  因みに…記憶にあるのは~日本の美術館が「損保ジャパン東郷青児記念美術館」が
  が1987年に ゴッホの「ひまわり」を53億円で購入しています。

         
       
   さらに・・・現在 絵画オークションで (サザヴィーズ、クリスティーズ等)
  落札された高額なのものに。
   当時、タンギー爺さんの店に集まっていた~

   ゴーギャン「いつ結婚するの」が300億円
          
  
 セザンヌの「カード遊びをする人々」が300億円
  
                   
   ゴッホなんて 一生懸命描いているとき…
    売れた絵は たったの1枚だったとのこと。
     それも、ほんの気持ち程度の値段で…
            「赤い葡萄畑」   
 
         

  現在のランキング1位の作品が

  2017年に落札された、レオナルド・ダ・ヴィンチ
       「サルバトール・ムンディ」508億円

          

  
 フィンセントはすっかりこの場所が気に入り…いや、正確には
タンギーにすっかり気に入られて、カフェやキャバレーの代わりに
ほとんど毎日、ここを訪れるようになった。

 夏のある夜、タンギーの店は、閉店後、フィンセント・ファン・ゴッホ
のために貸し切りになった。
 「タンギー親父」の肖像画の制作が始まるのだ。

 ダブルの上着に黒いズボン、白いシャツを身に着けて、
  いつもよりこあっぱりと。

 「夏の帽子を頼むよ!」と、フィンセントの声が~。

    その日から1週間かけて制作は続く~・・・

とはいえ、タンギーから依頼を受けたわけではない。     
逆に、テオとフィンセントからお願いしてのこと。
タンギーと知り合いになってこの方、
フィンセントは画材を店から調達するようになったのだか、
実はずっと絵の具代を支払っていなかった。
・・・テオは烈火のごとく怒った~フィンセントは支払うべき絵の具代まで
 全部酒代に換えてしまっていたとは…。

しかし、フィンセントはけろりとして
「絵で払うからいいんだ」と言う。 そのほうがタンギー親父は喜ぶのだと。

普通の絵じゃつまらないから、
特別な1枚を彼のために、それは肖像画だ。 凄いのを描いて見せると。

 テオは、ふと、特徴的な背景を演出することを思いついた。
フィンセントが愛してやまない絵を背景に飾る。
 そう、これ、浮世絵以外に考えられなかった。

 そして用意された 数々
  歌川豊国、広重、渓斎英泉、風景画と美人画・・・
   どれもが一級品の浮世であった・・・・。

 こうして完成したのが

        「タンギー親父」(1887年)
         
           (ロダン美術館蔵)

  ほぼ同じ構図でのもの (個人蔵)
         

  *タンギー親父は、ゴッホの死に際して葬儀に参列した数少ない
    人物なのです。

   現在の店 「ギャラリー・ピエール・タンギー」
    経営者は日本人、ギャラリーの運営と絵画の販売を。

                                

         
      ロートレック、ベルナール、ゴーギャン、ルノワール
       セザンヌが来ていた…と プレートに。

         

         


当時のモネら印象派の画家たちが、
なぜあんなに従来の絵画の手法からかけ離れた表現を生み出すに
至ったのか、その答えが浮世にあるのだ。

極端に対象物に近づいて描く手法。

例えば、歌川広重の <名所江戸百景 亀戸梅屋敷>
手前に梅の木の枝一本をぐっと近づけて、ほかの木々ずっと遠くに点景
として描く。極端な遠近法感が、小さな紙の上に無限の奥行をもたらして
いる。
          

 
例えば、 葛飾北斎 <富嶽三十六景 神奈川沖浪裏>
  
   巨壁のようにせり上がった波の彼方に、巨大ななずの富士山を
   ぽつんと小さく配置する。 あの大胆さ。

        


  テオは、瞳を輝かせ・・・
新しい時代がくる。

それはつまり、新進の芸術の時代だ。
あと、10年ちょっとで二十世紀が来るんだ。
因習としがらみにがんじがらめにされていた古い時代はもう終わる。
アカデミーな頭でっかちの画家の描いた古臭い絵は、
まったく見向きもされなくなるだろう。
見ていろよ、きっとタンギー親父の店先に並べられている絵が、
全部、信じられないような値段で売れる日がくるから ! ~

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