黄昏どきを愉しむ

傘寿を過ぎた田舎爺さん 「脳」の体操に挑戦中!
まだまだ若くありたいと「老い」を楽しんでま~す

「風神雷神」 NO.3 

2020-05-09 | 日記
 
物語の場面は天正8年(1580年) 肥前・有馬から
 これから出て来る少年たち ・・・天正遣欧使節の4人ら               
                 
 まず 当時、12歳の原マルティノ
  原家は、肥前の国(現在の長崎県)大村純忠(ドン・バルトロメウ)の
  領地である波佐見一体を治める名門の武家である。
   父・中務ファラーノは領主の遠縁であり忠実な家臣。

  領主純忠は、永禄6年(1563年)洗礼を受けた。
       
            (大村純忠の受洗)
  以後、九州の諸領主が次々にキリシタンとなっていったが、純忠は
  その最初のひとりであった。
   大村の領地には天然の良港、長崎があり、これを狙う九州の列強から
  常に攻められていた。

   同じ肥前国の・・・龍造寺隆信とは激しく火花を~
   毛利と組んで、肥前一帯の征服をと・・虎視眈々。

   そこで同じ領地の西側の「有馬氏」と組み、南蛮からやって来た
   キリスト教のパードレたちに目を付けた。
   彼らは、新しい宗教とともに、西洋の学問、芸術、舶来品の数々
   そして交易を領内に誘致して武器や財力を得ようとした。
    島原半島一体に勢力を持つ有馬家領主有馬晴信もそのひとりで
    あった。
  
   ポルトガルとの貿易には条件があった。領民へのキリスト教布教を
   認めることである。
   有馬晴信も洗礼を受け、ドン・プロタジオと名乗った。
   宣教師フロイスが記した歴史書である「日本史」によると、有馬氏は、
   イエズス会から支援を受けたことによって、隣接する佐賀で勢力を拡大
   していた龍造寺隆信の襲撃をしのぐことができたとある。
   

  そこに「アレッサンドロ・ヴァリニャーノ」がこの地 有馬の港、
  口之津に到着した。
   東インド管区の巡察師責任者として。
            

   到着後、すぐに彼は、自分たちが日本にいるからには、日本のしきたり
  に合わせて布教しなければならないと、パードレたちに通達した。
   神の教えを、この国に根づかせるためには、教育が必要であると。
  まず、少年たちの学びの舎、セミナリオの開設だと。

   彼は安土を訪れ、織田信長に謁見。 
   キリスト教の布教を容認、南蛮貿易とその文化に興味を示す
               (この信長の興味・・・後半、出て来ますよ・・・)
   開設の許可を得た。 
  そののち、九州のキリシタン大名たち(大友宗麟、大村純忠、有馬晴信)に
  相談~セミナリオの開設となる。

 有馬のセミナリオに、マルティノ、ジュリアン、ミゲル、マンショたちの
 寄宿舎での生活が始まった・・・
  ある日 初めての絵画の授業でみんなの前に広げられた1枚の絵~
    聖母子像であった。 
            
  *実際は、誰の描いた絵を七日授業に使ったかは分かりませんが・・・私が選んだ数多くある
     「聖母子像」の中から、サンドロ・ボッティチェリ作をアップします。
  
   瞬間、みんなは息をのんだ・・・生徒たちはなかなか立ち上がろうとしない。
  「伊東マンショ」がようやく言葉を発した・・・このマリア様は~
   「ほんとうのマリア様ではございませぬか?」・・・・

  この伊東マンショは豊後の国の名高いキリシタン領主 
    大友宗麟  の遠縁にあたる少年であった。

   この1枚を手本に「聖画」の説明、てほどきの勉強を始める~
   生徒たちの質問で・・・「ほかにはどんな絵があるのでしょうか・・・」
   「そうですね。
   最後の晩餐の絵や、磔刑図、復活の図など、聖書に出て来るさまざまな
   物語が描かれたものがあります。」
  
 
  「キリスト磔刑図」
      

  「キリスト復活」
     

 マルティノの胸の中には・・・もっと西欧の絵を見てみたいという欲求の
 灯火がともってきた・・
       「ローマへ行くことはできないのだろうか~」
         * この1行   これからの伏線となります。  
 
 セミナリオに学ぶ学生たちは、世界地図を見ながら地理を学んでいた。
  ゆえに、大海原の向こうには大きな滝があって無理に行こうとすれば
  そこから奈落に落ちるなどとは、もはや誰も思っていなかった。 
  *当時の「日本」地図   
        


  さて、ある日、 この物語の主人公「宗達」が・・・
こんな突拍子もない作者の技で登場です。

みんなの前で紹介されたのは、
 「今日から、しばらくのあいだ、皆さんと一緒に学ぶことになった
   「アゴスティーノ」です。
 これは、ヴェリニャーノ様につけてもらった・・・

 「わてのほんとうの名は、野々村伊三郎宗達、といいます」
  
 この名前「宗達」は信長様からつけてもらった・・・ 
 その経緯はこうだ・・・
 一昨年、12歳のときに 信長様の御前で絵を披露した~
 そして、その結果、褒美に名を与えたのだ。 
 宗達ーという「絵師」の名を。   (後半で出て来ます)

 彼、伊三郎の家は京都の扇屋 「俵屋」の息子。
  小さいころから絵師たちの仕事を見て覚え~七つになったころ
  父は扇に絵を描く仕事を手伝わせた。
  あまりの出来のよさに驚いた父は、職人たちが作った扇とともに
  その鶴の絵の扇を店に出して見たところ、すぐに売れた~
   以降~しだいに評判が広がり…宗達の描いた扇を求めて人々が
  店にやって来た。
  
  *「扇絵」     こんな風に描いたもの。(見本です)
             

  
 
 あるとき、とある大名の使いの者が訪れ、店先に宗達の父を呼び出して
 問うた。 ・・・吾が殿がたいそうそちの扇をお気に召しておられる。
 ついては近々屋敷を普請するさいに、そちに襖絵を頼みたいのだが、
  受けてはくれぬか・・・・
 懐から出して見せてくれたのは・・・宗達が描いたものだった。

  その絵を描いたのは、この子です。 どうかお許しを・・・
  
  使いの者、伊三郎を見て・・・そちはいくつじゃ。
             ・・・七つにござります。
       父は平身低頭して詫び・・・るる説明を・・・

  もうよい、と笑って言った。
  吾が殿に申し伝えておこう。 *実は、この「殿」は、「織田信長」 
   俵屋にはいずれ天下一の絵師となる童がおる、ということを。

   さて、また物語の訳ありの挿入部分で重要ないきさつ・・・

 京にはすでに「南蛮寺」が建てられ(キリシタンの教会堂である)
 キリシタンたちの信仰のよりどころとなっていた。
 宗達は、南蛮寺の近くを通るたびに、そびえたつ楼閣を見上げて、一度で
 いいから中に入ってみたいと思いを募らせた。
  門前に日参し、その日見かけた人物、携えていた道具箱、馬の鞍、手綱、
  帽子や沓をつぶさに観察しそれらを素早く描いては消し・・・・
   頭の中にしっかり記憶していった・・・。

  そうして、2年ほどが経ったある日のこと~
  パードレが微笑みかけ、ー
   そなたは、教会の中に入ってみたいのでしょう。

  こうして協会の奥の祭壇に・・「聖母子像」が
  宗達は、ただ息を殺して、母と子の姿を見つめていたー

  場面 替わり・・・
 大名の使いの者が再び訪れ
 -俵屋よ、あらためて申し入れよう。
 上様がそちの息子を安土城にお召しになる。
 しからば、御前にて、絵を披露してみせよ。よいな?
 
 宗達、信長の居城、安土城へ召されることになった。
       ・・・・・・
 奥の上座の椅子に、織田信長が座していた。
  ここからは、私も驚いた・・・信長のスタイル 書物に「信長スタイル」を表現しているのは
    読んだことあるが・・・   この服装じゃない・・・どれだ?
    絵に残っている とかは、ないから。 
    これは マハさん得意の絵画的表現でしょうね・・・うまいよ。 
    絶対そんな感じでありそう・・ですね。

  驚いたのはその装束である。
  南蛮寺でときおり見かける西欧人と同じように、首の周りに白い布でできた
  ひだのある輪を着け、釦のある黒い上着と、赤と白の混じった膨らんだ袴を
  はいている。先の尖った沓まで履いていた。
     *この下線 の説明は、「伊東マンショ」の肖像画の「ひだ」の感じでしょうかねぇ。
            

   信長・・・童のごとき面をしておるな。 いくつじゃ。
      -はい、十二でござります。
   信長・・・余が見たこともない、珍しきものを描いてみよ。
      -御意。
   信長・・・にやりと笑みを浮かべた。

   従者がふたり、大きな何かを運んできた。
   それは、紙ではなく、二枚の板ー杉戸であった。
   やがて、岩絵の具が用意され、筆も極細から極太まで揃えられ
   たすき掛けのための紐もあった。   

  ・・・しばらく、何を描くか・・・沈黙の時間が・・・心を沈め・・・
   そうだ! 
   印度から渡来したー。 -象だー。

   宗達、決まれば・・・一気呵成に筆を動かす・・・

   面が形になり、しだいに線が~
   紙面の上を筆が いきいきと泳ぎ、 縦横無尽に飛び跳ねた。
   周囲を囲んで見ている皆には、何を描いているのか?
    見当もつかない・・・
   
    筆は軽妙に踊る~
   耳が、鼻が、口のわきから 鋭い「牙」が~
   二つの生き物。 それは二頭の「象」であった。
  
        

   一歩踏み出して、信長はその場に立ち尽くした。
    杉戸を見下ろして、つくづく眺めて、うむ・・・
     --見事じゃ。

   ーそちに、褒美をつかわそう。  
   「宗達」・・・これより、絵師、俵屋宗達と名乗るがよい。
        
    わが名は、宗達。--信長から下賜されし名であると。
  
  このことをきっかけに「宗達」の運命が大きく変わっていく~
 
   次は、明日へ。

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