黄昏どきを愉しむ

傘寿を過ぎた田舎爺さん 「脳」の体操に挑戦中!
まだまだ若くありたいと「老い」を楽しんでま~す

「板上に咲く」第9話

2024-04-01 | 日記

 1936年 (昭和11年) 4月 東京・中野

二軒続きの長屋のうちの一軒である。

 結婚して以来、ようやく家族が独立して暮らし始めた住処だ。

今日は、チヤが部屋を片付けている。

その日ばかりは、徹底的に掃除をせよ との棟方の指令だ。

夫のただならぬ意気込みに、チヤも気合が入っていた。

棟方は、「いいか。しつこいようだが、あらためて言っておく。

こぃから来る客人は、それはそれは偉ぇ、えれぇ先生方なんだ

「柳宗悦先生。  浜田庄司先生。 それに河井寛次郎先生。

       

  河井先生は、わざわざこの荒屋さ来るだめに京都がら

お出ましになる、づぅごどだ。

 それがどんだけすごぇことか、わかるか?」

 

棟方が17歳のとき、青森の画家仲間、小野忠明の下宿で見た

 芸術雑誌「白樺」。その中の1ページに<ひまわり>が絢爛と

咲いていた。

 「白樺」は1910年(明治43年)学習院大学に在籍する学生たちが

中心になって創刊された同人誌である。

      

 柳宗悦は、設立メンバーの一人であり、長らく編集長も務めた

リーダー的存在だった。

 

その柳宗悦が~偉い、えらぁい柳先生が、この日訪れるのだ。

今日は版画家・棟方志功にとっての大一番だ。

      夫の言に従おうと決めたのだった。

 

3週間ほど前のことである。

 その日、棟方は、上野の東京府美術館で開催される民間の

 団体美術展「国画会」の出品準備のために出かけて行ったきり

夕餉の時間になっても帰ってこなかった。

 

 この年、棟方はどうしてもやってみたかったは版画の大作を

完成させた。かねてから構想を温めてきた「版画絵巻」である。

満を持しての挑戦の題材に、佐藤一英の長詩「大和し美し」

選んだ。 

 緻密に画面の構成を検討し、下絵の準備をした。

結局、彫り始めるまでに2年を費やした。

 

 版画絵巻を成功させるには、全体を貫く主旋律となる「流れ」

作り出す必要があった。

 流れるように描き、流れるように彫った。 

 全20点、横一列につなげると7mを超える大作が完成した。

 

展示室では係員の男がひとりで展示作業中だった。

 棟方は係員に向かってにこやかに話しかけた。

「そこにある横長の額。それ、私の作品です。・・・

 これがら掛けるようでしたら、お手伝いします。」

「あなたですか? こんなとんでもないもん作ったのは」

 

ここで係員と、棟方は、作品の掛け方で・・・

  「この四つの額さ合わせて一つの作品なんです。

   そのうちのひとつだけでは意味をなさねんだ」

    揉め始めました~ 

 係員は「だめですよ。しつこいな」

 棟方「なんと言われようども、並べてください。

       お願いです、頼みます!」

 お互い一歩も譲らず・・・大声で言い合いになった。

 係員は、「とっと出ていけ、この田舎もんが!」

 

 棟方は男の手を振り切ると・・・

  いきなりその場にひれ伏した。

 「お願いします!全部、展示してください!

   ・・・・この通り! 」

 

 おい、君たち。 ーーーどうしたのか?」

 背後で声がした。  

 振り向くと男性がふたり、こちらの様子を窺っている。

   

 係員が「いや、この人の作品が…」と歯切れ悪く応えた。

 「作品がどうしたんだ!」男が訊いた。

     

 「ものすごくバカでかい版画~全部で四つあるんですが、

  そのうちひとつだけを展示すると言ったら、

  食ってかかられてしまって・・・ 」係員

 

 棟方「だから、ひとつでは意味がねんです。

      これは版画の絵巻物なんだ!

 四つ全部展示せねば完成されない作品なんです!」

 

 部屋に入ってくると、細身で長身の口髭の男が

 棟方に向かって言った

  「君。いま、版画の絵巻物と言ったね。

    ちょっと見せてくれないか」

棟方はすぐさま

 額の中のひとつをひっくりかえして見せた。

   <はじまり>

 

二人の顔に稲妻のような閃光が走った・・・

ふたつめを返すと、ふたりの目が鋭く輝いた。

  <倭建命>

 

三つ目を返すと、ふたりの口が半開きになった。

 

最後のひとつを返すと、

  <藻草>

 

  <おわり>

 

 

ふたりはじっとそれをみつめたまま、

動かなくなった。

「これは、すごい・・・この連続する文字・・・

  まるでざあざあ雨が降っているみたいだ。

  こんな版画は見たことがない」

  興奮しているのか、その声は熱を帯びて少し震えたいた。 

 

 「君、とにかく全部展示してくれたまえ

      私たちは工芸部の審査員だ。」

  版画部の審査員の先生方には言っておくから

  とにかく四点、すべて・・いいですね?」

 

  二人して棟方のもとへやって来た。

  「君、名前は?」

  「む…棟方。棟方志功と言います」

     

「棟方君。私は柳宗悦、彼は陶芸家の濱田庄司だ。

 私たちは君の作品に心底感じ入った。

いや、ほんとうに…すっかり持っていかれてしまったよ」

 

 

柳が棟方に向き合って言った。

「実は、私たちはこの秋、日本民芸館という美術館を

 開く予定にしている。その美術館の最初の収蔵品として

 この作品を買い上げたい。いいだろうか」

 

棟方は・・・絶句した。

やはり信じられなかった。 どうしても言葉が出てこない。

その代わりに、思い切り柳に抱きついたのだった。

続いて濱田にも。

  奇跡が起こったのだ。

 

「大和し美し」 昭和11年(1936年) 全20点 青森県立美術館

象徴派の詩人佐藤一英の同名の詩を版画にした。

内容は倭建命の一代記で、美夜受姫、弟橘姫、倭姫との愛と悔恨

を語り、望郷の想いを詠じる長詩である。

「物語風な連続的な版画、それに絵ばかりでなく文字を入れた最初の版画」

で、板画が本来持っている複雑性から発展し、次から次へと繰り広げられる

物語を、複数の板画が連続してつながっていく形で表現しようと試みた。

この作品を機に柳宗悦らに見出され指導を受けたことは、棟方のその後の

方向を決定づけた。


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