Gomaler's~神社仏閣巡り~癒しを求めてII

主に関西の神社仏閣巡りと御朱印集めが趣味です。

龍田神社(2017年4月1日参拝)

2017年05月16日 | 神社
吉田寺の近くに鎮座する龍田神社という神社に向かう。

龍田大社と紛らわしい神社名ですが、
元々は法隆寺の鎮守社として建立され、
その後、龍田大社の摂社となり、大正になって独立した神社です。

初めての参拝となるので楽しみです。


所在地:奈良県生駒郡斑鳩町龍田1-5-6
御祭神:天御柱命、國御柱命
配祀神:竜田比古神、竜田比女神
創建:崇神天皇御代
社格:式内社、県社


【由緒】
崇神天皇の時代に創立され法隆寺の鎮守とされていた。

伝承によれば聖徳太子が法隆寺の建設地を探し求めていた時に、
白髪の老人に化身した龍田大明神に逢い、斑鳩の里こそが仏法興隆の地である。
私はその守護神となろう」と言われたので、その地に法隆寺を建立し、
鎮守社として龍田大明神を祀る神社を創建したという。

元々の社名は龍田比古龍田比女神社で、
その名の通り龍田比古神・龍田比女神の二神(龍田大明神)を祀っていた。

延喜式神名帳にもこの名前で記載され、小社に列している。
しかし後に龍田大社より天御柱命・國御柱命の二神を勧請した為、
元々の祭神は忘れられてしまった。

現在は天御柱命・國御柱命を主祭神とし、龍田比古神・龍田比女神を配祀している。

明治の神仏分離により法隆寺から離れ、三郷町立野の官幣大社龍田神社
(現・龍田大社)の摂社となった。

独立の請願の結果、大正11年3月に龍田大社より独立し県社に列格した。


【鳥居】


島木の上にある笠木は反り増しの無いタイプの鳥居です。

車は境内に停めれました。


【拝殿】




奈良県では余り見ないタイプの拝殿です。


【狛犬】



【大楠】



【稲荷大明神・楠大明神】



【境内社】




恵比須社・弁財天社・白龍大神社・廣田社・祇園社・粟島社。


【金剛流発祥之地碑】





【蘇鉄】



【御朱印】


龍田大社は風神でしたが、龍田神社は風宮と書かれています。

神職さんが御不在で書置きをいただきました。

吉田寺(2017年4月1日参拝)

2017年05月15日 | 仏閣
時間は15時53分過ぎた頃、吉田寺の駐車場に着いた。

ぽっくり寺こと吉田寺の拝観時間は16時まで。

法隆寺に近いこのお寺は存在は知っていたが、
今まで参拝したことは無い。

うーん、どうしようかと迷ったが、
折角ここまで来たからにはと思い参拝することにした。

ちなみに吉田寺と書いて「きちでんじ」と読みます。


所在地:奈良県生駒郡斑鳩町小吉田1-1-23
宗派:浄土宗
御本尊:阿弥陀如来
創建:(伝)永延元年(987)
開山:(伝)恵心僧都(源信大師)


【縁起】
吉田寺の創建は古く、天智天皇の勅願によると伝えられ、
本堂西側には妹君・間人内親王の御陵と伝えられる清水の古墳がある。

その後、平安時代末期永延元年(987)に恵心僧都源信が開基された。

丈六阿弥陀如来の前で念仏を称え、
祈祷を受けると長く病むこともなく天寿を保ち、
安らかに極楽往生をとげることが出来ると言われている。

通称「ぼっくり往生の寺」「ぽっくり寺」と呼ばれている。



【山門】


何だか禅宗のお寺かと思うようなワビサビを感じる山門です。

本堂までダッシュ。(^^;


【多宝塔】


お~、なかなか美しい多宝塔があるやん。

しかし時間が迫っているので本堂へ。


【本堂】


江戸時代の安政6年(1859)に再建されたもので、
なかなか堂々たる本堂です。

ここまでは無料で拝観出来ます。

御本尊を拝むには拝観料300円必要ですが、
絶対に見た方が良いと断言出来る御本尊がいらっしゃいます。

また、受付のお姉さんがとても綺麗な方で、
拝観して良かったなぁと思いました。(^^


【阿弥陀如来坐像】


撮影は禁止でしたので画像はネットで拾ったものです。

本堂内部は思った以上に広くて、
奥深い本堂と繋がった奉安殿に祀られていました。

奉安殿は御本尊をお守りする為に防災設備を備えたもので、
昭和59年(1984)に建立されたもの。


少し薄暗い殿内に黄金色に輝くお姿を見た瞬間感動した。

これほどとは。

何で今まで吉田寺に参拝しなかったのか後悔したほど。

どこから見ても素晴らしいお姿で、
思わずぽっくり逝ってしまうところであった。(^^

時間が許す限り手を合わせながら拝ませていただきました。


また、外陣には木魚が何十個も置いてあり、
十日念仏会等の法要では皆さんが木魚を鳴らすのであろう。


【多宝塔】




大満足の本堂拝観後、多宝塔を望む。

寛正4年(1463)に建立された重要文化財で、
9月1日~2日、11月1日~3日に開扉し秘仏大日如来が拝観出来るそうです。

奈良県には重文の多宝塔は数少ないとか。

結構あると思っていたけど意外ですね。


【鐘楼堂】


安永3年(1774)建立されたもので、
梵鐘は昭和49年(1974)に真鋳されたもの。


【石仏】


向かって左が慈母観音菩薩、右が延命地蔵尊です。


【八幡神社】





【御朱印】


御朱印帳の絵柄も多数あり、
予約すればオリジナル御朱印帳も作成出来ます。


【煎餅】


美人のお姉さんと少し話したくて購入しちゃった。(^^;

あー、煩悩だらけ。(笑)

でも男だから仕方ない。(^^


【感想】
吉田寺に参拝して本当に良かった。

美しい御本尊様とお姉様にお会い出来たんだから。(^^

というか、すぐに会いたい毎日会いたい。(笑)

放光寺(2017年4月1日参拝)

2017年05月15日 | 仏閣
片岡神社のすぐ近くにはかつて神宮寺であった放光寺があります。

こちらは聖徳太子四十六院の一つにも数えられている古刹です。


所在地:奈良県北葛城郡王寺町本町2-6-1
宗派:黄檗宗
御本尊:十一面観音菩薩
創建:不明
開基:聖徳太子



【縁起】


当寺はもと片岡僧寺また片岡王寺とも称せられ、
敏達天皇の皇后の発願により聖徳太子が建立したといわれる。

放光寺古今縁起によると当寺は敏達天皇の勅願所として、
同帝第三皇女片岡姫王が建立し、用明・推古・聖徳太子・舒明・孝徳の
各天皇や太子、奈良時代には聖武天皇がそれぞれ立願興隆につくされ、
荘麗な大伽藍と記している。

古今縁起によるに永承元年(1047)6月、雷火金堂に禍し、
廻廊・東中門・南大門を類焼し、康平三年(1060)に興福寺衆徒の為に、
洪鐘を奪いとられ、永保年中、五重塔朽損して三重に縮め、
保安3年(1122)12宇の僧房朽損甚だしいので縮めて十二間僧房とした。

以来、寺運は衰退した。

元禄の頃となり禅宗の一派として中国より伝来した黄檗宗の鐡牛禅師により再興。
以来黄檗宗の僧侶代々当寺に住し法燈が再び片岡の里に光を放ったが、
明治維新の廃仏毀釈により衰退。

現在毎年7月17日に大施餓鬼法要が営まれ、十七夜として親しまれている。


【山門】


数台分は停めれるスペースがありました。


【本堂】




本堂は残念ながら閉まったままでした。


【桜花庵】



【栄観音】



【しあわせ地蔵】


これは可愛過ぎる。(^^


【天文銘石灯】





【不動堂】



【不動明王】






そんなに上手に彫れていないと思うけど、
室町時代のお不動さんを拝めるなんて、
よく考えると凄いことですよね。

ありがたいことです。


御朱印はありますが、
御不在でいただけませんでした。

片岡神社(2017年4月1日参拝)

2017年05月14日 | 神社
達磨寺がある道路の向こう側に鳥居がある。

とりあえず行くしかないでしょ。


所在地:奈良県北葛城郡王寺町本町2-6
御祭神:天照大神、表筒男命、中筒男命、底筒男命、品陀別命、清滝大神
創建:不明
社格:式内名神大社、郷社


【由緒】



【鳥居】


鳥居の扁額を見て初めて片岡神社ということを知る。

駐車場はありませんが、鳥居前に一台停めれます。
現に営業マンが車の中で寝とったし。(苦笑)


【本社拝殿】



【狛犬】



【垣内社拝殿】


境内社の大原神社や住吉神社の拝殿です。


【賢岡神社】







御朱印は香芝市に鎮座する鹿島神社でいただけるようです。

達磨禅寺(2017年4月1日参拝)

2017年05月13日 | 聖徳太子御遺跡霊場
廣瀬大社から約5キロ離れた王寺町へ移動し、
聖徳太子霊跡霊場の一つである達磨寺へ。

こちらは6年前に参拝したことがあるのですが、
16時を過ぎていて本堂の内陣に入れなかったんですよね。

あれは今でも苦い思い出として残っていたので、
今回はそのリベンジです。(^^


<2011年4月17日参拝>
http://blog.goo.ne.jp/05100625/e/c54d8537960fabf3cb2f4920784cf18f


所在地:奈良県北葛城郡王寺町本町2-1
宗派:臨済宗南禅寺派
御本尊:千手千眼十一面観音菩薩・達磨禅師・聖徳太子
創建:推古天皇21年(613)
開基:勝月房慶政
札所:聖徳太子霊跡霊場



【西門】


無料の大型駐車場が西門横にありました。


【雪柳】



【本堂】


平成16年(2002)に再建されたもので、
達磨寺3号墳と呼ばれる古墳時代後期の円墳の上に建っています。

前回参拝した時はタイムアップで本堂拝観出来なかったので、
今回はとても楽しみにしていました。


【内陣】


まだまだ綺麗な内陣で、
中にはボランティアガイドさんがいました。

内陣及び仏様は撮影OKでした。(^^


【千手千眼十一面観音菩薩】




392本もの手があるそうです。

室町時代に造立されたもの。


【聖徳太子】


建治3年(1277)に院恵・院道が造立したもので、
重要文化財。


【達磨大師】


永享2年(1430)に足利義教が命じて造立したもので、
重要文化財。

重要文化財をこんなに近くに拝めて最高ですね。


【出土石塔】




本堂の真ん中にガラスケースに囲われた石塔が安置されています。




これは本堂建替えに伴う発掘調査で平成14年に、
本堂の地下に仏舎利を入れて埋葬されたものとか。

達磨大師への追慕の念を込めて納められたものだそうです。


【仏舎利容器】


わざわざ水晶で造られていますね。


【仏舎利】


仏舎利を見たのは二回目です。

本当に米粒のようでした。


【青磁香炉】




重要文化財。


【発掘現場写真】


なんだかタイムカプセルのようですね。(^^


【備前焼大甕】


本堂裏手にある達磨寺中興記石幢の地下から発掘されたもの。

重要文化財。


【瓦】


これも発掘されたもの。


【薬師石】





【方丈】




この支えを見るとかなり傷んでいるようですね。


【亀集庭】



【池】



【御朱印】


御朱印は庫裏方丈では無く、
ボランティアガイドさんがいる小屋でいただきました。

書置きのみです。

廣瀬大社(2017年4月1日参拝)

2017年05月12日 | 神仏霊場巡拝の道
龍田大社の次は同じく官幣大社の廣瀬大社へ。

こちらは神仏霊場巡拝の道の札所の一つであるのですが、
今一つ地味で知名度が低い神社です。

かくいう私も今まで参拝した事が無く、
どんな神社なのか知りません。

事前チェックもして無い。

官幣大社の名残りが今も残っているのか、
それとも昔は凄かった系なのか。

初めての参拝は楽しみである。


所在地:奈良県北葛城郡河合町大字川合99
御祭神:若宇加能売命
創建:(伝)崇神天皇9年(前89)
社格:式内社、二十二社、官幣大社、別表神社
札所:神仏霊場巡拝の道


【由緒】
鎮座地は、高田川と一緒になった曽我川・大和川・飛鳥川等、
奈良盆地内を流れる河川のほとんどが合流する地点であり、
このことから水神を祭る。

社伝では広瀬の河合の里長の廣瀬臣藤時に託宣があり、
水足池と呼ばれる沼地が一夜で陸地に変化しタチバナが、
数多く生えたことが天皇に伝わり、その地に大御膳神として、
社殿を建てて祀ったのに始まるとしている。

龍田の風神・広瀬の水神として並び称された。

延喜式神名帳では大和国広瀬郡に広瀬坐和加宇加乃売命神社
名神大 月次新嘗として、名神大社に列するとともに、
朝廷の月次祭・新嘗祭で幣帛に預かった旨が記載されている。

永保元年(1081)に最高位の正一位の神階を受けている。
明治4年官幣大社に列格した。

第二次大戦以降、廣瀬大社と称するようになった。


【一之鳥居】


鳥居横に大型の無料駐車場がありました。

いざ参拝開始。


【参道】


長い参道です。


【日吉社】







【日の丸稲荷社】




参道沿いに幾つかの境内社が鎮座。


【狛狐】



【祖霊社】





【参道】


まだまだ続きます。


【狛犬】



【祓戸社】



【大砲】



【砲弾】



【二之鳥居】




鳥居近くに数台分の第二駐車場がありました。

ここまで車で行っても良いようです。


【境内】


毎年砂かけ祭が行われるだけあって、
社殿前は砂利では無く砂でした。


【拝殿】


実に渋い拝殿です。

ここでやっと官幣大社の風格を感じる事が出来た。

手前の桜も満開になれば魅力的な絵になるでしょうね。




御祈祷はここで行われますが、
正座はつらいと思う。(^^;

奥に拝殿が少し見えました。


【本殿】



【馬舎】



【蔵】



【境内社】



【御朱印】

龍田大社(2017年4月1日参拝)

2017年05月11日 | 神社
郡山八幡神社や柳澤神社や永慶寺等、
他にも大和郡山市の寺社を参拝する予定であったが、
13時から御神縁祈願祭に参加する為に龍田大社へ向かう。

実は今日はスーツ姿で参拝していました。

御神縁祈願祭はいわば御祈祷ですから、
スーツ着用は当然でございます。


こちらは約5年8か月ぶりの参拝となります。

<2011年8月20日参拝>
http://blog.goo.ne.jp/05100625/e/d5e1cc28e57260d763d26e3ad3ffb26d


所在地:奈良県生駒郡三郷町立野南1-29-1
主祭神:天御柱命、国御柱命
創建:崇神天皇御代
社格:式内社・二十二社・官幣大社・別表神社


【大鳥居】


これは厳島神社で見る両部鳥居と同じですね。

鳥居の前に大型の無料駐車場がありました。


【境内】


大社に相応しく広い境内です。

まずは社務所で祈願祭の受付を済ませ、
先に参拝することにした。


【拝殿】


立派な拝殿です。

祈願祭はこの拝殿で行われます。


【祝詞殿・末社】


手前に見えるのが末社で、奥に見えるのが祝詞殿です。

祝詞殿の奥に本殿が二つあります。


【白龍神社】





【龍田恵美寿神社】



【三室稲荷神社】



【桜】


春近し。


【祈祷参集殿】


こちらで祈願祭が始まるまで待機。

私を含めて男女7人が参加。

女性の方々が熱くて名古屋や埼玉からの遠征とか。(^^

でも、私意外は完全に普段着。

いやいやいや、御祈祷とかはフォーマルな服装が基本でしょ。

ジーパンとかラフな格好とか普通は有り得ないんだけどね。

スーツを着ている私が逆に恥ずかしくなるわ。(苦笑)


暫くして神職さんが来られて回廊を歩いて拝殿へ。

拝殿に上がれて嬉しい。(^^

でも、薄い座布団があるだけの板の間に正座はつらい。

小さい椅子でも用意していただけると有難い。(^^;

膝が痛くなったので胡坐にしたけど、
特に怒られることはありませんでした。(^^;

正座が苦手な方や足腰に難がある方は無理なさらずに、
足をくずしましょう。


宮司さんや権禰宜さん、禰宜さんの三名により行われる、
御神縁祈願祭は本格的な御祈祷でした。

これは本当に有難い。

一人一人名前を呼ばれると拝殿の奥に進み、
玉串奉奠を行い二礼二拍手一礼をしてお参りします。

玉串奉奠ってやった事が無い方が多いと思いますが、
玉串を時計回りに回してから根元を本殿に向けて奉納します。

根元の茎を自分の方に向けがちですが、
必ず神様に根元を向けて手前にある台に祈念しながら置きましょう。


本格的な御祈祷を終えると、神職が拝殿から祝詞殿に歩かれた。

そこには神職以外立ち入れない祝詞殿に御朱印帳が置かれていた。

普通、御祈祷すると神符をいただけますが、
御神縁祈願祭に参加すると神符の代わりに、
特別な御朱印帳をいただけます。(^^

これほど有難い御朱印帳があるだろうか。


【御朱印帳】


これがその有難い御朱印帳です。

祈祷参集殿に戻ると宮司さんと暫し談笑。

この御朱印帳の龍は宮司さんが、
かなり拘りをもってデザインを決められています。

しかもページ数は通常の倍の分厚さです。
これは長くこの御朱印帳を使って欲しいとのことで、
あえて倍のページ数にして、良い紙質を使っているそうです。


【御朱印】


両方とも宮司さんの直筆で墨書きされていて、
龍の字に大変な拘りをお持ちでした。

上にハネる龍の字はこの御朱印帳と色紙以外には書かれないとのこと。

ちなみに宮司さんはとてもお話し好きなのか、
結構長くお話しをされていましたね。(^^;

とても良い話をされていましたけどね。


御神縁祈願祭は毎月1日に行われていますので、
参加ご希望の方はFACEBOOKを確認して予約してください。

祈願祭は5千円となります。

その価値は充分にありますよ。(^^

薬園八幡神社(2017年4月1日参拝)

2017年05月10日 | 神社
源九郎稲荷神社から徒歩5分くらいの場所に鎮座するのが、
薬園八幡神社という由緒ある古社です。

いつまでも洞泉寺の駐車場に停められないので、
車で行くも大和郡山は細い一方通行が多いので苦労する。

目的の神社前に着くも駐車場が無い。

仕方ないので少しだけ離れた有料駐車場に停めました。


【外堀緑地】


駐車場前にあったので寄り道。

ちょっとだけ良い雰囲気です。






細長い道を進むと郡山城外濠跡があろそうですが、
時間が無いので割愛。

ここから徒歩2分もかからず神社に到着。


所在地:奈良県大和郡山市材木町32
御祭神:八幡大神、比咩神
創建:天平勝宝元年(749)
社格:村社


【由緒】
当社の創建は奈良朝孝謙天皇御代、天平勝宝元年(749)勅命を以って、
従四位上石川朝臣年、従五位上藤原魚名等が豊前国宇佐神宮より、
平城の宮南梨子原の清地に神殿を造営してここに迎え祀りしを、
同2年(750)9月清澄庄藥園(御旅所)の地に遷座あり後再び移し、
延徳3年(1491)以来南藥園なる現社地に鎮祀せられたるなり。

蓋藥園八幡神社は聖武天皇の勅定にして常に朝廷の御崇敬厚く勅額神階神領を給ひ、
或は奉幣に預り或は社殿の造修を受けつつ在りしが星霜を経て幕府の政権に入り、
遂に絶へ僅かに藩主等の尊敬を受け天井、本庄、塩庄の総社として存ししを、
明治維新とともに当町産土神社として鎭り給ふものなり。

聖武天皇天平年間に悪疫流行し諸民多く臥して辛苦を嘗めしかば、
天皇深く御燐悠ましまし諸国の神祗に幣を奉じて為民祈祷なさしめ給ふ時に、
宇佐八幡大神の御帳記によりて宮南なる塩の庄の野山に生ずる薬草を湯薬として、
疫民に給ふれば服する者は悉く救療せられ全く安寧を得るに至りぬ。

是より奈良朝の施藥院は起り典藥寮の藥園ここに始まるなり。


【明神鳥居】


北向きに建てられています。

鳥居の後ろにはお寺の山門のような表門。

奥を見て見るとどうやら工事中のようです。


【拝殿】


絶賛工事中。。。

これは長屋門かと思っていましたが、
実は安政7年(1860)に再建された拝殿だそうです。

どう見ても拝殿には見えない。

ずっと昔は先は入れずここから拝んでいたとか。


【授与所・宝庫】


表門の横には一方通行の標識もわざわざ掲げていたのに、
車はここの前に6,7台分は停めれます。

しかしあの狭い鳥居と表門をくぐって車を進むのは、
勇気とテクニックが必要。

頑張ってください。(笑)

自信が無い方は近くの有料駐車場に停めましょう。

参拝するだけなら僅か200円で済みますから。(笑)

授与所は平成19年(2007)建立されたもの。


【幣殿】


これこそ拝殿かと思っていたら幣殿とか。

幣殿は大概は本殿と拝殿の真ん中にあるものですが、
こちらのは全面に出てます。(笑)

しかも拝殿と同じ向きじゃないし。

さすがに北向きにはしなかったようですが、
陽が沈む西向きにするのも珍しい。

この神社の社殿の方角は実に面白い。(^^

なかなか渋い幣殿は宝暦9年(1759)改築されたもの。




幣殿内には美しい襖絵や三十六歌仙歌図がありました。


【神楽殿】




安永2年(1773)に再建されたもの。


【境内社】



【神庫】


安永9年(1780)に建立されたもの。


【本殿】


春日造桧皮葦の本殿も宝暦9年(1759)改築されたもの。


【境内社】







【御朱印】


対応していただいた女性が大変良い対応をしていただき、
気持ちよく参拝出来ました。(^^


神社の隣りには神宮寺であった薬園寺があり、
大和北部八十八ヶ所霊場の札所ですが、閉まった本堂と自宅があるだけ。

参拝しても本堂は閉まったままだと思ったので参拝しませんでした。

源九郎稲荷神社(2017年4月1日参拝)

2017年05月09日 | 神社
洞泉寺の隣に鎮座しているのが源九郎稲荷神社です。

最近、キツネの顔の印が押された喜常札が、
一部のマニアの中で話題になってる神社でございます。

駐車場はありませんので御注意ください。


所在地:奈良県大和郡山市洞泉寺町15
御祭神:宇迦之御魂神
創建:享保4年(1719)



【由緒】
源義経はこの地を訪れたことはございませんが、
義経が源頼朝との戦に際し義経は幾度もこの稲荷に助けられ、
この稲荷に源九郎の名を贈ったという伝説が社名の由来となっています。

ある時、翁の姿をした源九郎狐が長安寺村の宝譽上人という僧の夢枕に立ち、
郡山城に自分を祀ってくれたら城の守護神になろうと告げた。
上人は豊臣秀長にこの事を告げ、城内竜雲郭に稲荷が創建されたと伝えられている。

享保4年(1719)現在地に遷座。
大正14年(1925)現社殿が完成している。


【鳥居】


境内の外の道に向かって鳥居はありますが、
境内社の裏側に立っていました。


【正鳥居】


こちらが神社の入口となります。

とてもこじんまりとした神社です。


【拝殿】



【狛犬】



【本殿】



【きつね絵馬】


一枚500円となります。


【勘九郎桜】


六代目中村勘九郎の襲名記念で植樹されたもので、
市川猿之助さんも訪れたこともあるそうです。


【勘九郎桜】


こちらも中村勘九郎さんが植樹した枝垂れ梅です。


【源光稲荷大明神】



【御朱印】


書ける人が御不在ということで書置きをいただきました。


【喜常札】


書ける人がいれば御朱印帳にいただけます。

書置きは細長い紙となります。

これは御朱印やスタンプでは無く、
お札として有難いものです。


何でもこの神社は宮司さんが居なく、
地域の方々が守られているアットホームな神社です。

神社やお寺は無住になれば廃れていくだけ。

いつまでも守り守り続けてほしいですね。

というか、スタッフ代表の方が神職の資格を取ればいいのに。(笑)

洞泉寺(2017年4月1日参拝)

2017年05月08日 | 円光大師大和二十五霊場
今回も大満足のイラストを描いていただいた宗胤院を後にし、
拝観予約していた大和郡山市の洞泉寺へ向かう。

こちらにはあの快慶作の御本尊様がいらっしゃるとあって、
私にとってハードルが高い予約までして拝観したかったのです。


大和郡山まで高速の京奈和道路が無料で助かる。(^^




お寺には無料駐車場がありますが、
場所が少々分かり難いです。

108号線沿いのひらた泌尿器科クリニックの細い道を進みます。

赤い矢印の通りに進むと、
一番奥に7台分の無料駐車場がありました。

駐車場から境内に入れます。


所在地:奈良県大和郡山市洞泉寺町15
宗派:浄土宗
御本尊:阿弥陀如来
創建:天正13年(1585)
開山:不明
開基:豊臣秀長
札所:円光大師大和二十五霊場


【源九郎天仮本殿】


無料駐車場横にあるお堂で、宝譽上人自ら刻んだと伝えられている、
源九郎茶枳尼天が安置されているそうです。

宝譽上人は三河挙母郡山霞渓山洞泉寺の寺号をこの寺に移した僧です。


【境内】


本堂と庫裏と墓地のみと言った感じで、
豊臣秀長が開基したほどのお寺とは今では感じない。

無駄に境内が広いのですが、
これだったらもうちょっと駐車場を整備しても良いと思う。


【阿弥陀三尊像】


早速本堂に上がらせていただく。

本堂は比較的新しいもので、内陣もとても綺麗でした。




快慶というか慶派らしいお顔立ちに、
腹から足元にかけての衣の波紋がとても美しい。

さすが重文。

その肩書きに偽り無し。

貸切りで堪能させていただきました。(^^

快慶作の阿弥陀如来があるということは、
豊臣秀長所縁のお寺であったことは認めざるを得ない。

他にアフロで有名な五劫思惟阿弥陀如来がいらっしゃいましたが、
こちらは残念ながら撮影不可でした。


拝観料は300円也。


【地蔵堂】



【垢抓地蔵】


垢かき湯船地蔵尊と言われ、光明皇后勅願とも言われてるそうです。

向かって右上には葵の御紋があった。

勝手に使用することは絶対有り得ないので、
徳川家とも何か縁があったということであろう。


【山門】


隣りに鎮座する源九郎稲荷神社に参拝する為に、
駐車場とは反対側に移動すると山門がありました。


【寺号標】


鉄製の門と寺号標もあります。

この門は普通に通る事が出来ました。


【地蔵尊】



【御朱印】


別のブログでは500円と書かれていましたが、
私の時は300円でした。


とにかく阿弥陀三尊像が感動もの。

まさに美仏で必見ですね。

こちらのお寺は檀家寺で観光寺院ではありませんので、
拝観は必ず事前予約してください。

宗胤院(2017年4月1日参拝)

2017年05月07日 | 仏閣
今日は桜のイラストが欲しいと思い宗胤院へ。

その後は大和郡山市界隈の寺社を巡り、
龍田大社で御祈祷を受ける予定。

今回も充実した寺社巡りの予感。(^^


<2016年7月16日参拝>
http://blog.goo.ne.jp/05100625777/e/3d8fa857ed1a8b78814b90f52c0d4113

<2016年7月30日 宮下寛昇・ニノカルミゼ展>
http://blog.goo.ne.jp/05100625777/e/0edeac7108016002a96ce69848f31fbd

<2016年10月16日参拝>
http://blog.goo.ne.jp/05100625777/e/7d656ab20321597e4d043866416c3eb5

<2016年12月10日参拝>
http://blog.goo.ne.jp/05100625777/e/b0580440e5ed63458fc35fdee943fa5d

<2017年3月12日参拝>
http://blog.goo.ne.jp/05100625777/e/632825bdf8a1c839501d8bb46074b143


所在地:奈良県葛城市當麻1263
宗派:浄土宗
御本尊:阿弥陀如来
創建:不明
開山:宗胤上人


【山門】



【弥勒菩薩】


御住職の同級生が奉納したもので、
良い石をわざわざ使用しているので数百万円かかったそうです。

私には無理。(^^;

でも、この弥勒菩薩を奉納してから、
事業で1億2千万円もある理由で得したそうです。

それを聞いたから念入りにお参りしたのは言うまでもない。(笑)


【三重塔】





【イラスト】


これは御住職にいただいた「たとう紙」というもので、
色紙を中に入れて保護・保存するものです。




今回は桜をリクエスト。

素晴らしい。

鮮やかな桜に墨で描いていただいた幹や枝とのコントラストが最高です。(^^


書いていただいた言葉は最初は「さくらさくら」をリクエストした。

というのも、
倉木麻衣の名曲「さくらさくら...」が大好きだからである。

ファンの間では東北の大震災で心を痛めた彼女が、
震災にあわれた方々を癒す為に書いたと噂されている。

「誰の心にもある悲しみ 心に咲く夢が消すよ」というフレーズが、
心に響き、沁みいる素晴らしいバラードです。




結局、童謡の「さくらさくら」の歌詞が良いんじゃない?と
御住職が言うもんだから、私も同意。

「さくらさくら 野山も里も 見わたす限り」となりました。


今回も素晴らしいものを描いていただき感謝です。


【當麻寺境内】


本堂でお参り。

御朱印はいただいておりません。


【西南院】




奈良県北葛城郡にある百済寺の御朱印をいただきに西南院へ。

百済寺は後ほど。

真宗大谷派名古屋別院(2017年3月25日参拝)

2017年05月06日 | 仏閣
本日最後の参拝となるのが真宗大谷派名古屋別院です。

こちらは通称東別院と呼ばれていて、
近くには西別院である本願寺派の本願寺名古屋別院があります。

西別院は以前参拝していますが、
大伽藍を擁する東別院は初めての参拝となります。



所在地:愛知県名古屋市中区橘2-8-55
宗派:真宗大谷派
御本尊:阿弥陀如来
創建:元禄3年(1690)
開基:一如上人


【縁起】
真宗大谷派名古屋別院は尾張の地に本願念仏のみ教えを伝える道場として、
東本願寺第16代一如上人によって開かれた真宗大谷派の寺院です。

元禄3年(1690年)尾張藩第2代藩主・徳川光友より、
織田信秀の居城・古渡城の跡地約1万坪の寄進を受けて建立された。

文政6年(1823年)、新たな本堂が竣工。
この年、本山の御影堂と阿弥陀堂が焼失。
緊急の措置として別院の古御堂が東本願寺の本堂とされた。

明治期には愛知県庁や愛知県議会の機能が同地に設置された。

昭和20年(1945)3月12日、名古屋大空襲の被害を受け、
本堂をはじめ、ほとんどの施設が焼失した。

現在の伽藍は戦後再建されたものである。


【山門】


これは立派な山門です。

京都の本山よりも遥かに立派なものです。


山門の左右前に無料駐車場がありました。






最初の山門は宝暦7年(1757)に建てられ、
その後、明治14年(1881)に再建したが戦災により焼失。
現在のものは昭和43年(1968年に建てられたもの。

山門階上には釈迦如来像、弥勒菩薩像、阿難尊者像が安置されているそうです。


【中門】



【本堂】




これまた堂々たる威容を誇る本堂です。

元禄15年(1702)に建立されるも戦災により焼失、
昭和37年(1962)に再建されたもの。


【内陣】




真宗らしい雰囲気の内陣です。


【御本尊】




湛慶作とのこと。


【境内】


本堂から見た山門。


【対面所】




阿弥陀堂かと思っていたら定例法話が行われる対面所でした。


【内陣】







【古渡城趾碑】





【明治天皇名古屋大本営碑】



【明治天皇行在所旧址碑】



【鐘楼堂】



【境内】



【東別院会館】


最近ではアイドルのコンサートも行われていますね。(笑)


これにて参拝終了。

御朱印や参拝記念証はありません。


【オアシス21】






夜になるとこのようなライトアップをされていて、
とても綺麗でした。(^^


これにて名古屋遠征も終了。

カトリック布池教会大聖堂や政秀寺や萬福院等、
行けなかったところもあったが、それはまたの機会に。

伊勢山神明社(2017年3月25日参拝)

2017年05月05日 | 神社
名古屋に来たからには名古屋飯を食わなければならない。

幾つか有名な名古屋飯はあるけれど、
私が愛してやまないものがある。

それがひつまぶしです。

昔はひつまぶしをわざわざ食べる為に、
名古屋まで遠征した過去があります。(笑)




後で東本願寺名古屋別院に参拝するので、
栄駅周辺で有料駐車場を停めて、松坂屋にある蓬莱軒へ。

時間は14時45分なのに長蛇の列。

待ち時間を確認してみると1時間40分とか。

蓬莱軒の人気恐るべし。

そんなに待ってられないということで、
ラシックという商業施設にある備長ラシック店へ。



ここは昼の部は15時半までなので、
ほとんど並ばずに入店出来ました。(^^


【上ひつまぶし】


ここは値段が高めで3980円(税抜)で、
吸い物を肝吸いにしたら150円アップです。

クーポンの割引があったので肝吸いにグレードアップ。

遅かったからかご飯が熱々ではありませんでしたが、
やっぱりめちゃくちゃ美味かったわ。(^^

名古屋に来た甲斐がありました。

腹を満たしたところで東本願寺名古屋別院近くに鎮座する
伊勢山神明社を先に参拝することにした。



所在地:愛知県名古屋市中区伊勢山1-5-19
御祭神:天照皇大神
相殿神:熱田大神、加具土大神
創建:不明



【由緒】



【鳥居】


鳥居の先には伊勢系の神社らしく蕃塀がありました。


【拝殿】


緑のポストがあって賽銭箱になっていました。(笑)




わざわざ一段高い場所に拝殿と本殿があります。

どうやら古墳の上に鎮座しているらしい。


【本殿】



【境内】



【狛犬】



【天王社・塩竈社】



【豊春稲荷社】





【境内社】



【御朱印】


書置き対応のみでした。

御朱印を待っていると、
車イスの旦那を連れた綺麗な奥さんに声をかけられた。

何でも私に似た人を金山神社で見たからとか。
いや、金山神社はまだ参拝したことが無いんですが~。(^^;

世の中には自分に似た人が3人いると言いますが、
あながちウソでは無さそうですね。

その奥さんは病気の旦那の為に神社巡りをして、
今日御朱印デビューしたそうです。

旦那さんの病気が早く治るといいですね、と言いながら、
もう一度ご夫妻の為に参拝したのは言うまでもない。

愛知縣護国神社(2017年3月25日参拝)

2017年05月04日 | 神社
名古屋東照宮と那古野神社の近くには、
もう一つ大きな神社が鎮座しております。

愛知県庁や名古屋市役所等、国や自治体の施設が立ち並ぶ官庁街に、
愛知縣護国神社はあります。




早速歩いて行ってみた。

上に名古屋高速が走っている大きな道路を渡る必要があるのですが、
東照宮の場所から信号機まで結構な距離があるのよ。

護国神社には無料駐車場があるから、
車で行けば良かったと後悔した。(^^;


【外濠】




道路を渡ると名古屋城の石垣があった。


【路上駐車】


このように神社の周辺は路上駐車ばかり。

なんでやねん。

警察は何をやっとるねん。
ちゃんと仕事しろ。(苦笑)

後で調べてみると官庁街界隈では路上駐車は黙認で、
取り締まりをしていないとか。

なんでやねん。

そんなん不公平やん。

真面目に有料駐車場に停めているのに納得出来んわ。

正直者が馬鹿を見るのはあってはならんやろ。


はぁ、心を落ち着ける為に早く参拝しよう。


所在地:愛知県名古屋市中区三の丸1-7-3
御祭神:護国の英霊
創建:明治2年(1869)
社格:内務大臣指定護国神社、別表神社


【由緒】
尾張藩主徳川慶勝が戊辰戦争で戦死した藩士ら25人の霊を、
明治2年5月旌忠社として祠を建てたのに始まる。

明治8年(1875)に招魂社となり、明治34年(1901)には官祭招魂社となった。
大正7年(1918)城北練兵場(現在の名城公園北園内)に、
更に昭和10年(1935)には現在地に遷座。

昭和14年(1939)に愛知縣護國神社に改称した。

第二次世界大戦後、愛知神社に改称していたが、
昭和30年(1955)に元の社名に復した。

社殿は昭和20年(194年)3月19日の空襲で一切を焼失した。
昭和33年(1958)に本殿・拝殿等、昭和57年(1982)に社務所、
平成10年(1998)に神門・舞殿・廻廊が再建され現在に至る。


【ヤマモモ】





【大鳥居】



【手水舎】





【献水像】


マリアナ諸島方面の英霊顕彰と物故者慰霊の為に、
遺族と生還者が建立したもの。


【境内】



【狛犬】



【神門】


これは拝殿かと思ったけど神門で、
奥に拝殿があります。






ちょうど神前結婚式が行われていました。

お幸せに♪


【桜】




結構咲いてました。(^^




一本満開の桜が別の場所にあった。








はぁ~、毎年のことながら桜はいいなぁ。(^^


【御朱印】

那古野神社(2017年3月25日参拝)

2017年05月03日 | 神社
名古屋東照宮の真横には別の神社が鎮座しております。

その神社というのが那古野神社という古社です。
二つの神社が真横の隣同士なのって初めて見たかも知れない。

神社ってお互いのプライドや利権その他もろもろがあって、
隣に鎮座することは極めて珍しい。

しかも無住ではなく社務所にいつも神職がいる神社なら尚更。

さて名古屋の古い地名である那古野の名を冠する那古野神社。
どんな神社なんだろうか。


所在地:愛知県名古屋市中区丸の内二丁目3-17
御祭神:須佐之男神、櫛稲田姫神
創建:延喜11年(911)
社格:県社


【縁起】


当社は延喜11年(911)の創建と伝えられる古社です。
当初は天王社・亀尾天王社と呼ばれ、名古屋城内の三の丸にありました。

天文元年(1532)織田と今川が争った那古野合戦により焼失、
織田信秀により天文8年(1540)に再建されました。

慶長15年(1610)名古屋城築城に際し障害となる為、
那古野神社と若宮八幡社のどちらかを移すこととなりました。

徳川家康が御神籤で神意を伺ったところ、那古野神社が遷座不可と出た為、
そのまま城内に留まり城の鎮護、名古屋の氏神として祀られました。

明治維新の際、須佐之男神社と改称。
その後、明治9年(1876)城内に名古屋鎮台が置かれた為、
名古屋東照宮と共に明倫堂跡地に移転しました。

明治32年(1899)7月8日、現在の那古野神社と改称しました。


【鳥居】


東照宮と那古野神社を隔てる鳥居です。

反対側に正鳥居があります。


【境内】


東照宮より木々があるのですが、
何故か寂しい雰囲気を感じる。


【狛犬】



【拝殿】



【境内社】



【金山神社】



【福壽稲荷社】





【公孫樹】


 


【絵馬殿】



【御朱印】


とても豪快な墨書きが良いですね。