Gomaler's~神社仏閣巡り~癒しを求めてII

主に関西の神社仏閣巡りと御朱印集めが趣味です。

差出磯大嶽山神社(2015年9月22日参拝)

2015年11月17日 | 神社
車は恵林寺に向けて走るよどこまでも。

140号線は交通量が少ないし信号も少ないから走りやすい♪
とても気持ち良く走ってると、簡単に読めない神社の看板発見。

参拝しようか迷ったが、
関東の富士見百景という文字を見て即決。(^^

差出磯大嶽山と書いて「さしでいそだいたけさん」と読みます。



所在地:山梨県山梨市南1376-1
御祭神:大山祇神、大雷命、高龗神、金毘羅神、国常立命、大巳貴命、少彦名命
創建:不明



【由緒】


古来の人々は山や川や岩など、自然のものを信仰の対象にしていました。
この差出の磯は山に囲まれた盆地の中で、 海辺の磯に見えたことから信仰され、
平安時代の古今和歌集を始め、 松尾芭蕉・与謝野晶子など四十首余りの歌に詠まれ、
山梨県では富士山に次ぐ和歌の多い聖地です。

もとは海神の金毘羅神を祀っていましたが、
大山祇神、大雷神、高龗神、金毘羅神、国常立命、大巳貴命、少彦名命の神々を
ご一緒にお祀りするようになりました。

四月の春まつりには1万人以上の人々が訪れ、
山梨市最大のお祭りとして知られています。


【風景】


無料駐車場から見た風景です。


【社殿】


こじんまりとした神社ですね。


【鳥居】



【拝殿】


拝殿の柱が鳥居になってる。

洒落てるじゃねーか。(^^

こんなん初めて見たわ。(笑)




パンパンとお参り。


【風景】


拝殿から見た風景。

めっちゃいい風景です。

空気が澄んだ天気が良い日には、
鳥居の辺りから富士山が見えるそうです。


【境内社】



【舞殿】



【御朱印】


2年ぐらい前の御朱印と比べると、
随分カラフルに進化してました。(^^


授与所の前に「御朱印あります」と貼り紙がありました。

こうしてくれると大変助かります。

御朱印をされていない場合でも「御朱印していません」と
貼り紙してくれればどれほど助かるか。

こちらもいちいちピンポン押して呼ばなくてもいいし、
神社仏閣の方々も呼び出されなくていいから楽だと思うんだけどね。

大蔵経寺(2015年9月22日参拝)

2015年11月16日 | 甲斐百八霊場
物部神社をサクッと参拝し大蔵経寺。

今まで写真を撮りまくっていたせいで、
デジカメのバッテリーがヤバい。

恵林寺はデジカメで撮影したいから、
ここはスマホで撮影していくことにした。

充電器を持ってくればよかったな。(^^;



所在地:山梨県笛吹市石和町松本610
宗派:真言宗智山派
御本尊:不動明王
創建:養老6年(722)
開山:行基菩薩
札所:甲斐百八霊場、甲斐石和温泉七福神



【縁起】
奈良時代養老6年(722)に法相宗の行基菩薩を開祖として、
創建されたと伝えられています。

住古は菩提山長谷寺の本坊で松本寺と呼ばれており、
山内にも物部神社を勧請し大寺院であったようです。

その時、山の形が獅子が蹲踞するのに似ているので青獅子山と号し、
観道上人が大蔵経を五重の塔に納めたことにより、
松本寺から大蔵経寺に改めました。

その後旧松本寺の寺号を山号に変え、松本山大蔵経寺に変わりました。
この時より武田家祈願寺に、又戦国時代永禄11年(1568)信玄の越後攻めの際、
戦勝祈願寺として大蔵寺の寺名もあり、
武田家の守護尊である将軍地蔵尊も残っています。

天正年間に徳川家康公が武運長久の祈願寺と定め、
葵の紋を寺紋として戴御朱印地を拝領、
その後東照公の肖像を安置する権現堂を建て、
毎月17日甲府城代をして参拝せしめました。

江戸期は新義真言宗談林能撰寺格(学問所)を有し、
甲斐国真言宗七檀林の1寺とし寺運興隆の一途をたどりました。


【門】


この門は何の門か分かりませんが、
葵の紋があるので高貴な方しか通れない勅使門のような感じですね。

門の手前にも無料駐車場がありました。


【鐘楼堂】



【小坊主】



【仁王門】


これは門というべきか微妙ですが、
左右に仁王像が安置されていました。


【仁王像】



【庫裏】


拝観料300円を支払い本堂内陣と庭園を見せていただく。


【庭園】






なかなか見事な庭園でした。


【枯山水庭園】




真言宗にしては珍しい枯山水庭園です。


【本堂】


御本尊の不動明王は智証大師作と伝わっているそうです。

その他に重文の絹本著色涅槃図のレプリカや、
現代作家さんの不動明王の絵等が飾られていました。

堂内は全て撮影禁止でした。


【収蔵庫】


恐らく重文の絹本著色涅槃図がここに保管されていると思われ。


【寿老尊】



【御朱印】


二種類の内の不動明王をいただきました。

物部神社(2015年9月22日参拝)

2015年11月16日 | 神社
本日のメインである恵林寺に向かうが、
その途中に大蔵経寺というお寺へ寄り道。

お寺の墓地の駐車場に一旦車を停めると神社を発見。

寄り道の寄り道です。(^^



所在地:山梨県笛吹市石和町松本615
御祭神:物部十社明神
創建:不明
社格:式内社


【由緒】


物部十社明神といい、物部氏の御先祖である饒速日命その子可美真手命より、
十神をお祀りする神社です。

饒速日命は神武天皇が大和国平定の折勲功を立てそれ以来代々朝廷にお仕えし、
垂仁天皇の御代に物部(朝廷を警護し武事を掌りし部族の総称)の姓を賜り、
大連(朝廷の政務を補佐し国務大臣に相当する職)として国政に参与し、
一家一門はこの地を中心に繁栄し隆昌をきわめた。

又、物部神社は延喜式神名帳、三代実録等の古典に記録されており、
それによると清和天皇の貞観5年6月8日に甲斐国従五位下勲十二等。
同8年3月28日正五位下。同年閏3月18日従四位下。
同18年7月12日従四位上を更に陽成天皇の元慶3年2月8日正四位上、
物部神従三位の位と田34町歩を賜る。

往古は山梨の郷御室山に鎮座したが後世此の地に遷し祀る。
現在御室山に旧蹟があり古今集にも、
「神垣の御室の山の榊葉は神の御前に茂り合いけり」と詠じてある。

又、醍醐天皇が延喜の制度を施行された折、
一の宮として国幣に預り本国屈指の名社のみならず、
此の地方の鎮守神として古来より上、下の信仰厚く文化発展の中心となり、
古代の石器土器類が発掘された後世、徳川家より黒印2石4斗5升を賜る。

旧社殿は明治22年2月12日夜拝殿より出火焼失。
真言宗大蔵寺は当社の宮寺であった。


【鳥居】



【拝殿】


いわゆる昔は凄かった系ですね。


御朱印は山梨岡神社でいただけるそうです。

塩澤寺(2015年9月22日参拝)

2015年11月15日 | 甲斐百八霊場
長禅寺から4キロ離れた塩澤寺へ参ります。

塩澤寺は湯村温泉近くにありました。

兵庫県にも湯村温泉があるんですが、
甲府にも同じ名前の温泉地があったんですね。

参拝がメインなんで温泉は華麗にスルーしたのは言うまでもない。



所在地:山梨県甲府市湯村3-17-2
宗派:真言宗智山派
御本尊:地蔵菩薩
創建:天暦9年(955)
開創:弘法大師
開基:空也上人
札所:甲斐百八霊場



【縁起】
大同3年(808)弘法大師空海上人が諸国を衆生救済の行脚ををされたおり、
当地にて厄除地蔵菩薩の霊験を感ぜられ、大師自らが6寸あまりの坐像を彫刻され、
その尊像をご開眼されたのが当山の始まりです。

天暦9年(955)空也上人が全国遊行の途中、
その素晴らしい霊験著しきに6尺有余の開扉仏を彫刻安置し、
それより福田山塩澤寺といいます。

更に臨済宗建長寺派の祖である大覚禅師も霊験に驚嘆したといわれいいます。                                                         
時代は下って徳川家光の治世の1643年、湯村には京都から
御陽成天皇の第八皇子良純親王(知恩院初代門跡)が幽閉されて、
その住まいがありました。

天皇の怒りに触れて都を追われて甲斐の国に流されたのです。
その当時の湯村は湯島村と呼ばれていた湯村は、
島という字があると島流しのようであるから、良純親王を気遣って島をとって、
湯村に改名したといわれています。

良純親王は信仰深く地蔵尊を拝して、祭りを盛んにするなど、
当山の興隆に関わったといわれています。


【山門】


狭い境内に不釣り合いな程の見事な山門です。

これは本当に良いですね~。

この山門の横に3台分の無料駐車場がありましたが、
ちょっと停め難いです。

手前の道路はバスも通るし交通量も多いので、
駐車場から出す時は注意が必要です。


【羅漢地蔵尊】



【地蔵堂】




室町末期か江戸前期建立の重要文化財。




空也上人作とされる地蔵菩薩像が祀られていました。

もう一体の弘法大師作の御本尊は絶対秘仏だそうです。


【無縫塔】


説明板によると無縫塔とは大陸からもたらされた墓塔の一種で卵塔とも呼ばれ、
古くは僧侶の墓に限られていたが、後に広く一般に普及したそうです。


【山門】



【西堂】


新しいお堂です。


【鎮守社】



【御朱印】


御不在でしたが、書置きの御朱印が置かれていました。

有難い。(^^

長禅寺(2015年9月22日参拝)

2015年11月14日 | 甲斐百八霊場
次なる参拝地は甲府五山筆頭である長禅寺。

こちらは信玄公の母親である大井夫人の菩提寺でありますが、
それよりも甲府というか山梨で一番の伽藍が整えられています。

それを見ることがとても楽しみです。



所在地:山梨県甲府市愛宕町208
宗派:臨済宗
創建:(伝)天文21年(1552)
開基:大井夫人
開山:岐秀元伯
札所:甲斐百八霊場



【縁起】
長禅寺の前身は甲斐西郡の国人領主である大井氏の領する
巨摩郡相沢に建立された寺院で、大井氏の菩提寺であった。

古長禅寺は真言宗寺院であったが正和5年(1316)に甲斐国おいて
臨済宗を布教させた夢窓疎石により改宗されたという。

戦国時代には大井氏の娘である大井夫人が国斐守護武田信虎の正室となり、
晴信(信玄公)らを出産する。

大井夫人は信虎が駿河へ追放された後も館へ留まり、
没後に晴信は寺を二分して甲府へ移転する。

創建年代は甲斐国志によれば信玄生母が死去した天文21年で、
甲斐国社記・寺記によれば永禄年間(1558-1570)であるとする。

後に晴信が出家した時、岐秀和尚から機山信玄の法名を贈られたと言われます。

信玄公は大井夫人が亡くなった後、母を開基とし、岐秀元伯を開山に招いて、
現在の場所に新しく長禅寺を開かせました。

信玄公は臨済宗妙心寺派と強い関係を持ち、
後に臨済宗諸寺院である甲府五山を定めた際には第一位としている。

なお、旧地に残されたもう一つの寺は古長禅寺として現存している。


【岐秀和尚】
仏の道は己は何者なるやを問うところから始まる
御自身が何者なるかを問い続けられよ

さすればおのずから 答えをうることが出来るはず

己が見えずして 人は見えず
人見えなくば この世は見えません

何を考え いかなることをしてきたか よくよく考えられよ
さすればおのずから 己の姿見えるはずじゃ



大河ドラマ武田信玄での岐秀和尚のセリフが忘れられない。(一部略)


【惣門】




なんじゃこら~。
でけー。

こんな門は見たことが無い。

これだけでこのお寺の威容が分かるというもの。


惣門の下を車が通ってもいいのか不安であったが、
タイヤの跡があったので、この下を通りました。


【山門】


こちらもまた見事な門でした。

ここから右手に行けば無料駐車場がありました。


【三重塔】


甲府大空襲で伽藍は灰燼と化したので、
現在の伽藍は戦後に再建されたそうです。

三重塔は昭和53年(1978)のものですが、
かなり色褪せてますね。


【庭園】



【鐘楼堂】



【参道】


向こうに見えるのが山門です。


【大井夫人霊廟】



【五重塔】


平成2年(1990)に再建されたもの。

これは見事な五重塔ですね~。

ダークブラウンの色合いが渋くて、
完全にゴマラー好みです。(^^


【新塔】


新しく建てられています。

三重塔、五重塔があるから、
これは七重塔なんだろうか。

もともと現在の三重塔は七重塔にしようとしていたが、
建築技術の都合で三重塔になった経緯があるから、
七重塔かも知れないね。


それにしても庫裏もデカイし、
このお寺の資金力は凄いものがあるね。

檀家さんは大変だ。(^^;


【本堂】


これはまた大きな本堂ですが、
残念ながら見ることもままならない。


【大井夫人墓】




案内板はあるけど、最後の最後で大井夫人の墓です、
という案内板が無い。

だから参拝した時はこの墓が大井夫人の墓という確信が持てなかった。
大姉と刻まれていたので多分コレだろうと思ったけど。


【御朱印】
庫裏に行って玄関にいた方々に御朱印をお願いすると、
「うちは真言宗や天台宗と違ってそんなんしないしない」と、
オッサンに邪険に断られました。

あのオッサンは僧としての雰囲気、品格がまるで無いから、
恐らく檀家だと思うけど、
まるで御朱印をやる真言宗や天台宗をバカにしてるかのようでしたね。(怒)

臨済宗でも大本山を初め、沢山のお寺が御朱印をしていますが、
と言いたくなったけど、言ったところでしょうがないから言わなかったけど。

でも、時間が経てば経つほどムカムカしてました。

要は言い方なんだけどね~。

同じ言葉でも言い方が悪いと反感を買うだけ。
それでは人生において絶対損するよ。

能成護国禅寺(2015年9月22日参拝)

2015年11月14日 | 甲斐百八霊場
東光寺の仏殿にとても感動した後は近くの能成寺へ。

この界隈に寺社が近くにたくさんあって、
参拝する側はとても助かりますね。



所在地:甲府市東光寺町2153
宗派:臨済宗妙心寺派
御本尊:釈迦如来
創建:貞和年間(1345-1349)
開山:業海本淨禅師
開基:武田信守
札所:甲斐百八霊場


【縁起】
武田家甲府五山の一つ。 
貞和年間、現在の八代町北に創建されました。
信玄公の時、府中西青沼に移され、さらに文禄年間(1592-1595)の
甲府城築城のおり現在地に遷されたと伝えられています。

嘉永4年(1851年)に焼失。
その後復興しましたが昭和20年(1945)の甲府大空襲で再び伽藍を焼失。
昭和25年、仮本堂兼庫裡建築、昭和61年春、本堂新築。
引き続き平成3年書院、平成9年庫裡を再建し現在に至る。


【山門】


駐車場が無いのかなと思い、
山門手前で車をわざわざ停めて、参道を歩いて確認。

すると無料駐車場がありました。(^^


【本堂】


甲府五山という割りには見所は本堂のみとなります。


【屏風】


庫裏の玄関に置いてあったものです。

心に響きました。

花も月も美しいと感じるので、
私の心もきっと美しいのでしょう。(^^


【御朱印】

東光寺(2015年9月22日参拝)

2015年11月13日 | 甲斐百八霊場
大満足の甲斐善光寺の次は甲府五山の一つである東光寺。

こちらは諏訪頼重と武田義信の悲劇の地として知られています。


所在地:山梨県甲府市東光寺3-7-37
宗派:臨済宗妙心寺派
御本尊:薬師如来
創建:不明
開基:不明
札所:甲斐百八霊場



【縁起】
伝えによれば草創は平安時代末期、甲斐源氏の祖新羅三郎義光が保安二年(1121)、
国家鎮護仏法興隆の祈願所として諸堂を建立。

御本尊に釈迦如来を安置、興国院と名づけたことに始まるといわれる。

鎌倉五山建長寺開山、蘭渓道隆禅師は文永5年(1268)、
元国のスパイなど、根拠のないうわさから甲州に配流され当山に入山した。

その為臨済禅との繋がりが生じ、密教から禅宗寺院として七堂伽藍が整備された。
道隆禅師入寂後も、門弟・法孫により清規は維持され、
甲州禅文化の中心的存在となった。

幕府の禅宗官寺制度では五山十刹の諸山にその名をつらねた。
1320年代、寺号の興国院を東光寺と改めた。

東光寺の歴史には不明な部分が多い。
室町時代までは歴代住職すら不明で、永正8年(1511)にはじめて、
仁甫珠善禅師(歴代二世)の名が出てくる。

この頃には鎌倉建長寺派との縁もなくなり妙心寺派と変わった。

信玄は親今川派で義信の守り役飯豊虎昌を成敗、義信を当寺へ幽閉した。

永禄10年(1567)10月、義信は死んだが、
自殺・病死ともいわれ真相はわかっていない。

法名は東光寺殿籌山良公大禅定門で当寺に葬られている。


【惣門】


妙心寺派らしく品のあるお寺だと、
惣門を見てすぐに分かりました。

人間だったら品格は顔に出ますが、
お寺の場合は山門や惣門に現れるもんです。


【石祠】



【仏殿】


奥に見えるのが重要文化財の仏殿です。




渋いわ~。

完全に私の大好物です。(^^

日本が誇れる建築物といっても過言ではない。

素晴らしい。


【中門】



【前庭】


手入れが行き届いた見事な庭でした。


【心春昌池】



【鐘楼堂】



【本堂】




戦後に再建されたもの。

臨済宗らしい内陣でした。


【仏像】


何故かとても惹かれました。


【仏殿】




本堂から見てもいいですね~。

武田家滅亡後、織田信長の焼き討ちと、
第二次世界大戦の甲府大空襲でも焼け残るとは。

よくぞ残ってくれました。

堂内には薬師如来が祀られているそうです。


【禅堂】


近年建てられたようで、とても綺麗でした。


【東光寺庭園】






拝観料を支払い庭園見学。

蘭渓道隆の作庭とされていますが、
京都の庭園と違って石を多用した無骨な池泉鑑賞式庭園です。

中国黄河中流の伝説の滝門瀑の滝を登った鯉が、
滝に変化するさまを自然石の石組みで表現しているとか。

いや~すみません、
私の曇った目には全くそうは見えませんでした。(^^;


【中庭】



【御朱印】


書置きでした。


そういえば諏訪頼重と武田義信の墓のお参りを忘れてた。

仏殿が余りにも素晴らしく、
そればかりに気を取られていたからなぁ。

甲斐善光寺(2015年9月22日参拝)

2015年11月12日 | 甲斐百八霊場
個人的には自宅から遠いだけあって全く縁が無いのが善光寺。

信濃善光寺ですら何の思い入れもない。

今年の御開帳の時ですらフーンって感じでしたが、
甲斐の国に来たからにはやはり善光寺は外せない。

伽藍好きとしてはね。


武田神社でもそうでしたが、
この甲斐善光寺の駐車場も無料でした。(^^



所在地:山梨県甲府市善光寺3-36-1
宗派:浄土宗
御本尊:善光寺如来
創建:永禄元年(1558)
開基:武田信玄
開山:鏡空上人
札所:甲斐百八霊場

 

【縁起】
甲斐国国主武田信玄によって山梨郡板垣郷に創建された。
開山は信濃善光寺大本願三十七世の鏡空上人。

信玄は信濃侵攻を行い越後の上杉謙信と衝突し、
現在の長野県長野市南郊において五次に渡る川中島の戦いを行うが、
弘治元年の第二回合戦では戦火が信濃善光寺に及び、
信玄は自分の領国である甲斐へ本尊などを移したといわれ、
以後、川中島合戦の戦火は善光寺方面へ及んでいない。

上杉謙信もまた領国の春日山城下に本尊以下を遷しており、
善光寺別当栗田氏も武田方と上杉方に分裂している。

最初の移転地は禰津村(現長野県東御市)であったが、
その後甲斐国内の法城寺を経て永禄元年に板垣郷へ移された。

この地が移転先に選ばれたのは、この附近に信濃善光寺の由来に関わりのある
本田善光についての伝説があるからだといわれており、
今でも甲斐善光寺の北1kmほどの場所には本田善光の墓とされる善光塚がある。

板垣郷は近世には板垣村となり明治8年には里垣村の大字名。
昭和12年には甲府市善光寺町となり現在に至る。



【善光寺如来】


画像はネットで拾ったものです。


善光寺如来については下記のHPで面白いことが書いてあったので、
興味がある方は見ていただきたい。


「戦国武将が奪い合った“善光寺如来像”の謎 」

http://www.rekishijin.jp/rekishijinblog/chiefeditor/14-0205/



【山門】


寛政8年(1796)に再建された重要文化財。

善光寺の名に恥じぬ山門で、その迫力に唸らされた。


【霊牛碑】



【お咳婆さんの石】



【地蔵堂】



【石仏】



【金堂】




重要文化財。

素晴らしい。
こちらも見事な建築物で見惚れておりました。

早速堂内に入ってみましょう。




金堂内は撮影禁止でしたのでネットで拾ったものです。

重厚感と威厳溢れる雰囲気でしたね。


また天井には二頭の鳴き龍が描かれており、
手を叩くと共鳴が起こり言葉では伝えられない音が鳴りました。

嬉しくてバンバン叩いちゃった。(^^


【吒枳尼真天】





【収蔵庫】


この中には重文の阿弥陀三尊像が左右に計6体安置されているそうです。


【鐘楼堂】



【金堂】


ここからも見事な建築が堪能出来ます。


【法然上人像】



【大仏】



【芭蕉翁月景塚】



【池】



【御朱印】



【御朱印帳】


武田菱と葵の御紋となれば購入せざるを得まい。(^^

1200円でした。


【感想】
仏像的には物足りないが、伽藍は見事でした。

また、何故この善光寺が篤い信仰を受けているのか、
参拝してみて何となくだが分かった気がした。

法泉禅寺(2015年9月22日参拝)

2015年11月11日 | 甲斐百八霊場
おはようございます。

武田信玄公所縁の寺社を巡る旅も最終日となりました。
本日も清々しい天気で何より。(^^

まずは甲府五山の一つである法泉寺へ。

無料駐車場は山門手前にありました。



所在地:甲府市和田町2595
宗派:臨済宗妙心寺派
御本尊:弥勒菩薩
創建:元徳2年(1330)
開山:月舟周勲
開山:夢窓国師
札所:甲斐百八霊場


【縁起】
後醍醐天皇の元徳2年(1330)当時甲斐国主であった武田家第七代の信武公が、
夢窓国師の高弟であった月舟禅師を招いて創建しました。
本来ならば月舟禅師が初祖となる訳ですが、禅師は自ら二世を称して、
恩師の夢窓国師を開山としました。

開山後は夢窓国師を中心とする五山派の官寺となり、
室町幕府の保護を受けていたものと思われますが、
応仁の乱以後幕府の勢力が衰えるとともに、五山派も著しく衰微し、
以後武田信玄公が甲斐国主となるまでの約200年間の当山の歴史は明らかではありません。

五山派の凋落にとってかわって新しく発展したのが、
妙心寺の関山慧玄(無相大師)らの流れを中心とする臨済禅でした。
五山派が公家との交流に比重を移していったのに対し、
関山派(妙心寺派)は伝統の修行を重んじ、武家の帰依するところが多かった為、
戦国大名の勃興とともに、五山派の寺院は次第に関山派に変わっていき、
当山もその例外ではありませんでした。

武田信玄公は祖先であり武田家中興の祖といわれた信武公が開いた
この寺の伝統を守るため大修理を施し、寺領を寄進した上、
甲府の東光寺、円光院、長禅寺、能成寺とともに「府中五山」のひとつに列しました。
この為寺運はたちまち隆盛となりました。

天目山で散った勝頼の首級は織田信長の命で京都六条河原にさらし首となり、
当山三世の快岳禅師は妙心寺の南化和尚の力を借りて、
勝頼公の首級(歯髪ともいわれている)をもらい受け、
当山に持ち帰り手厚く葬ったのです。

江戸時代の寛永10年(1633)に妙心寺が幕府に提出した寛永の末寺帳によれば、
当山は甲斐国において末寺26ケ寺を有していたとされています。
 
その後、今日に至る時代の中で伽藍の規模は縮小しましたが、
当山の歴史は脈々と続いています。


【山門】




鐘楼門のようですね。

寛永14年(1637)に再建されたもの。


【石仏】



【石祠】


丸い二つの石はなんだろうか。


【十六羅漢像】



【本堂】




残念ながら閉まっていました。

どうも甲府五山というのは一般の参拝者に対して愛想が無いな。(^^;

京都五山や鎌倉五山のような観光寺とまでいかなくても、
せめて本堂内陣ぐらいは見せてもらいたいものである。


【観音像】



【経蔵】






このお寺には勝頼の墓があるのですが、
朝から墓地には入りたくないので見ておりません。

御朱印は御不在でいただけませんでした。

大泉寺(2015年9月21日参拝)

2015年11月10日 | 甲斐百八霊場
本日最後の参拝となるのが武田信虎の墓がある大泉寺へ。

甲府市内って動脈の道からの逃げ道が無いからか、
予想以上に渋滞で悩まされる。

16時にはお寺に着きたいのに中々進まなくて焦るが、
普段の行いが良いせいか間に合いましたよ。(^^

お寺近くは結構細い道で山門手前で行き止まりかと思ったが、
思い切って行ったら無事に無料駐車場に到着しました。



所在地:山梨県甲府市古府中町5015
宗派:曹洞宗
御本尊:釈迦如来
創建:大永元年(1521)
開基:武田信虎
開山:天桂禅長
札所:甲斐百八霊場


【縁起】
大泉寺は大永年間に巨摩郡島上条に創建され、後に甲府へ移転される。
甲斐国志に拠ればもとは密教寺院の大川寺であったが、
大永元年(1521)に信虎は武田信玄誕生の際に霊夢を見て、
改宗・改称させたとする信玄誕生説話がある。

信虎は天桂禅師を招いて曹洞宗に改宗開山し、
寺号も法名「大泉寺殿泰雲存康大庵主」に因み大泉寺に改称、
自らの菩提寺としました。

信虎期から晴信期にかけて中山光厳院や信濃国岩村田の龍雲寺とともに
甲斐国領国内の曹洞宗寺院を統括する僧録所となり、
信虎の弟である2世住職吸江英心ら武田一族からも住職を務めている。

父信虎を追放して国主となった晴信時代にも保護を受け、寺領の寄進を受けている。

永禄7年(1564)3月の火災では堂宇が焼失し再建されている。

1574年(天正2年)には武田信虎が流寓していた信濃国高遠で死去し、
同国岩村田の竜雲寺から大禅師北高全祝が招かれて信虎の葬儀を執り行っている。

武田家が滅ぶと徳川家から庇護され格式と寺領が安堵されましたが、
江戸時代には削減されています。
甲府藩主となった柳沢家は武田家の後裔を自称していた事から、
篤く帰依し武田家三代の御霊屋を造営、内部には3代の木像が安置され、
背後には3代の宝篋印塔が建立されています。

寺宝である絹本著色武田信虎像は信虎の死後、
遺子信廉が菩提を弔う為製作寄進したもので、
昭和10年(1935)に国指定重要文化財に指定されています。


【山門】


変わった山門ですね。

私も数々の山門を見てきていますが、
このような山門は非常に珍しい。

享保9年(1724)2代藩主柳沢吉里が大和郡山藩転封の際、
柳沢家の菩提寺である永慶寺から仏殿(焼失)とともに移築されたもの。


【石標】



【参道】


広い境内なのがよく分かりますね。




参道から山門方向。

ちょっと殺風景かな。




この辺りは良い雰囲気でした。


【水盤】



【鐘楼堂】



【中雀門】



【本堂】


ようやく本堂に到着。

空襲により焼失後、昭和40年に再建されたもの。

甲府も空襲されていたんですね。
てっきり疎開地だと思ってたけど。


【宝物殿】



【御霊殿】






この中に武田三代の木像が祀られているそうです。


【軍配】



【宝篋印塔】




これが墓らしい。

真ん中が武田信虎、左右が信玄、勝頼の墓。

南無阿弥陀仏。


【供養塔】


これはよく分かりませんでした。




浅野家一門眷属 高麗蔚山戦死精霊供羪塔。


【法性不動尊】





【鎮守社】






この辺りは夕方ということもあってか、
結構寂しい雰囲気でした。


【御朱印】



【ポストカード】


御住職にいただきました。(^^


今日も充実した参拝であった。

疲れた身体を癒しに今夜も温泉。(^^


【源泉湯 燈屋】


口コミサイトで評判が良かったから行ってみたものの、
完全にスーパー銭湯でした。

お湯も循環湯で普通の水のようで、
完全に期待ハズレでした。(泣)

あの程度なら私の地域でもスーパー銭湯がいくらでもあります。

積翠寺温泉に入っていればと後悔したよ。(^^;


【武田信玄像】




我が御屋形様。

甲府に来たならばこれを見ておかないとね。

甲府駅まで行って探して見つけた時は嬉しかったな。(^^

さすがに甲府駅周辺の駐車場は有料でした。


【小作】


甲府のグルメといえば「ほうとう」。

やっぱり地のものを食べないとね。

人気店らしくかなりの順番待ち。
でも回転が速く30分ぐらいで入店出来ました。(^^


【鴨肉ほうとう】


1600円。

あったかくて美味しかったです。

冬だと身体が暖かくなるだろうね。


【鳥手羽先】


こちらも美味かった。


今夜はホテルシーラックパル甲府で一泊。

安かったけど朝食付きで部屋も良かったです。(^^

積翠寺(2015年9月21日参拝)

2015年11月09日 | 甲斐百八霊場
信玄公の墓参りをした後は信玄公誕生寺である積翠寺へ。

要害と呼ばれる地だけあって、
結構な山道を走ります。

歩きだったら挫折してるな。(^^;



所在地:山梨県甲府市上積翠寺町984
宗派:臨済宗妙心寺派
御本尊:釈迦如来
創建:不明
開基:行基菩薩
札所:甲斐百八霊場



【縁起】
当寺は臨済宗妙心寺派にして行基菩薩の開創による
鎌倉時代夢窓国師の弟子竺峯和尚中興開山なり。

大永元(1521)年福島兵庫乱入の節(飯田河原の合戦)
信虎夫人当寺に留り期に臨み一男子を産む。
これ即ち信玄なり。

境内に産湯の天神産湯の井戸あり堂西に磐石あり高さ八九尺泉
これに激して瀑となるよりて石水寺の寺名になり村名になると甲陽軍鑑に伝う。
積翠寺名園は夢窓国師の築庭なり。

寺宝に信玄像及び天文15年後奈良天皇の勅使として下向せられし
三條四辻ニ卿と拙寺にて催されし信玄公の和漢聯句一連並に良純王親王より
仰岩和尚に贈られし書簡等々現存す。


【コスモス】


無料駐車場がありました。

来た瞬間に素朴なお寺だと分かりました。


【本堂】


もっと観光地されているかと思っていたが、
信玄公の誕生寺なのに質素な本堂です。

残念ながら内陣を見ることは叶わず。




屋根には武田菱がありました。


【不動堂】


こちらに私が見たかった信玄公像があります。






御尊顔を拝する栄誉を得て誠に恐悦至極でござりまする。


【不動明王】



【鐘楼堂】


下にある白いモノは角餅かと思ったが、
ご近所のおばちゃんに聞いたら手作りの石鹸だとか。

手作りの石鹸なんて初めて見たよ。


【夢窓国師築庭】






なかなか豪壮で無骨な武田家のイメージによく似合う庭でした。


【御朱印】


信玄公誕生寺という墨書きがたまらない。

これをいただいた時は嬉しかったな。

しかし御朱印を対応してくれた方は、
ご近所のおっちゃんという風情。

お坊さんとはとても思えない。

そもそもこの素朴なお寺にお坊さんはいるのかなぁ?

無住だけどご近所の方々によって大切に守られている、
といったお寺のように感じた。

まぁ、御住職はいるんだろうけど。


それにしても、
信玄公産湯の井戸を見逃したのは痛かった。

またいずれの日に見たいと思う。

武田信玄火葬塚(2015年9月21日参拝)

2015年11月08日 | 旅行、その他


グーグルマップで山梨県護国神社と圓光禅院の真ん中あたりに、
武田信玄公の墓というのを見つけた。

これはもう参拝するしかないでしょう。



【縁起】
武田信玄公御墓所。
元亀 3年(1572)12月、三方ヶ原で家康公率いる徳川軍及び、
織田の援軍を撃破・敗走させた武田信玄は、翌年には三河国に進出し、
2月には野田城を包囲攻略するが、ここで持病が悪化、
長篠城で療養するも回復の兆しなく、結局、甲斐への帰国を余儀なくされた。

そして帰国途上の信濃国伊那の駒場(長野県下伊那郡阿智村)で信玄は没した。
天正元年(1573) 4月12日のことで、享年53歳であった。

信玄は臨終の際に喪を3年間秘めることを命じ、跡を継いだ勝頼はこれに従い、
信玄の遺骸を密かに甲斐へと送り、塗籠の中に納めたともいわれる。

3年後、遺骸は武田家臣土屋右衛門昌次の邸内であったというこの地で荼毘に付され、
天正4年(1576)4月16日、塩山の恵林寺において葬儀が盛大に執り行われた。

この地は後世になって魔縁塚と称されるようになり、
近隣の人々は恐れて近づかなかったといわれるが、
200年後の安永8年(1779)甲府の代官であった中井清太夫が発掘して石棺を見つけ、
その銘に「法性院機山信玄大居士・天正元年発四月十二日薨」とあったので、
もとのように埋めて幕府に届けて信玄の墓と定めた。

この時、武田旧臣有志らによって石碑が建てられており、それは今日に残されている。


【武田信玄火葬塚】




住宅街にあり駐車場は無しということだったので、
近くの大型墓地の駐車場をお借りして、歩いて火葬塚に到着。

火葬塚の前に車を停めれる駐車場がありましたが、
消防会館や教育センターの駐車場だったのかな。






門がありました。

いよいよです。




法性院大僧正機山信玄之墓と刻まれていました。


南無阿弥陀仏。

安らかにお眠りください。

武田神社(2015年9月21日参拝)

2015年11月07日 | 神社
武田三代の居城であった躑躅ヶ崎の館跡に鎮座するのが武田神社。

親が言うには私がガキの頃、家族旅行で訪れていたそうだが、
全く覚えてません。(^^;

初めて訪れたつもりだったのに、
お久しぶりです、ってことになっちゃった。(^^;



所在地:山梨県甲府市古府中町2611
御祭神:武田晴信命
創建:大正8年(1919)
社格:県社、別表神社



【由緒】
大正4年、大正天皇のご即位に際し信玄公墓前に従三位追贈が奉告されたのを契機に、
ご遺徳を慕う県民に武田神社ご創建の気運が沸き上がり、
官民一体となった武田神社奉建会が設立され、浄財によって大正8年には社殿が竣工、
4月12日のご命日には初の例祭が奉仕されました。

武田神社は信玄公の父君信虎公が永正16年(1519)に、
石和より移した躑躅ヶ崎館跡に鎮座致しております。

この館には信虎・信玄・勝頼の三代が60年余りにわたって居住し、
昭和13年には国の史跡として指定されました。


【堀】


人は城、人は石垣、人は堀、情けは見方、あだは敵、
という名言は有名ですよね。

躑躅ヶ崎の館は強固な城壁を築くこともなく、
このような堀で囲われていたそうです。

信玄公の時代までは甲斐国内で戦をしないようにしていたので、
城壁を築く必要が無かったのが実態で、
あの名言は後世の創作であるのは周知の事実。

だけど、信玄公の生き方、軍法、国政を見事に表現していますね。


【神橋】


さすがに混んでいて遠い駐車場に飛ばされました。(泣)

でも、こんな有名神社なのに駐車場代は無料でした。
甲府最高。(^^


【鳥居】


いよいよやって参りました。
胸が高まる。(^^




参拝客が写らないように撮影するのに苦労したから、
このような写真に。(^^;


【狛犬】



【拝殿】


我が御屋方様 ここまでやっと来れました。

ここに信玄公を初めとする歴史上の人物が、
生きていたのは確実ですからね、
嬉しくて涙がチョチョ切れますよ。(^^

とても感動しました。




ゴマラー好みの拝殿です。(^^

ボランティアガイドさんによると、
やっぱり今日は観光客がかなり多いそうです。


【中門】


これまた見事な中門でした。

残念ながら奥の本殿はチラ見程度しか見れませんでした。


【白山社】



【信玄公御使用井戸】





【ハローキティ】


これ、可愛いけど場違いだろ。(苦笑)


【宝物館】


拝観料300円。


戦国時代の風林火山の旗や扇、
そして重文の吉岡一文字の太刀等が見れて良かったです。


【信玄公銅像】


宝物殿で唯一撮影OKでした。


【武田水琴窟】



【甲陽武能殿】





【榎天神】



【御神木】



【御朱印】



【御朱印帳】


御朱印代別で1700円でした。

全く高いとは思いませんでしたね。
他の参拝客も皆さん買ってました。(^^

圓光禅院(2015年9月21日参拝)

2015年11月06日 | 甲斐百八霊場
ようやく武田信玄公の故郷甲府市に到着。

訪れることが出来て胸熱です。

この甲府には当然ながら信玄公所縁の神社仏閣が多く、
武田神社や鎌倉五山は行かなくてはならない。

MUSTです!(^^

まずは三条夫人の菩提寺である圓光禅院へ。



所在地:山梨県甲府市岩窪町500-1
宗派:臨済宗妙心寺派
御本尊:釈迦如来
創建:永禄3年(1560)
開基:武田信玄
開山:説三和尚
札所:甲斐百八霊場


【縁起】
円光院は元々、信玄公の先祖・逸見太郎清光の創建(保元年間)で、
清光院と号し小石和(現在の笛吹市石和町)にありました。

後に武田信守が父・信重の牌寺として成就院と改めました。

さらに信玄公が京都より説三和尚を迎えて開山とし当地に移しました。
信玄公は元より仏法信仰を重んじ臨済宗に帰依し、
京都妙心寺の開山である開山国師の遺風を崇敬しておりました。

その因縁により京五山、鎌倉五山にならい甲州の古刹の寺を城下に移しました。
そして何れも妙心寺派に改め、それぞれに土地を寄付し、
これらの寺を御城附御祈願所五山と号しました。

現在は甲府五山と称し円光院、東光寺、法泉寺、長禅寺、能成寺であり、
何れも武田親族の菩提寺になっています。

現在の寺号の起こりは信玄公正室三条夫人が元亀元年(1570)7月28日に逝去し、
当院に葬送された時の法名から、瑞巖山円光護持禅院と改称されました。


【寺号標】


当然のように無料駐車場がありました。


【本堂】




立派で品のある本堂です。


【内陣】


残念ながら堂内に入ることは出来ませんでしたが、
ガラス越しに見れることが出来て何より。


【三条夫人墓所】






三条夫人は信玄公の正室で左大臣・転法輪三条公頼の次女。
姉は細川晴元室、妹はあの顕如上人の妻である如春尼。

大河ドラマではきつい性格で信玄公とは不仲として描かれていましたが、
実際は大変美しく穏やかな性格で仲が良かったそうです。


【鐘楼堂】




法門無量誓願学とは菩薩が持つべき4つの誓願のことで、
法門は無量なれども誓って学ばんことを願います、という意味。




柱には仏様か高僧か分かりませんが、木彫りされていました。


【御朱印】


とても立派な庫裏でいただきました。

夫婦木神社姫ノ宮(2015年9月21日参拝)

2015年11月05日 | 神社
先ほど参った夫婦木神社は上社で、
これから参拝するのが下社にあたる姫ノ宮です。

昇仙峡ロープウェイ乗り場近くに鎮座しています。


さすがにシルバーウィークで昇仙峡も観光客が多く、
駐車場は停められないかと覚悟したが、
嬉しいことに参拝者専用の無料駐車場があり助かりました。(^^



所在地:山梨県甲府市猪狩町300
御祭神:神功皇后命、市寸嶋比売命、天宇受売命
創建:昭和50年(1975)


【縁起】
昇仙峡仙ヶ滝上の高台に位置し御神体は内部より女性の象徴を示し、
男女が参詣して祈れば結ばれ、子宝の欲しい夫婦が揃って祈願すれば授かり、
更には家族、夫婦の和合、出世、財宝繁栄が図られるという
霊験あらたかな御神木が祀られている神社です。

世界の奇木である樹齢800年余り桧の御神木の拝観や、
名工 左甚五郎作の国宝「登り竜・降り竜」の波形の彫刻をご覧頂ける神社です。

更に当神社は運転神社として全国の始祖であり陸・海・空全ての乗り物の運転、
操縦、交通安全の祈願所でもありますので、神前で旅の安全を祈願して頂くと共に、
若者達には良き出会いを願っての「良縁祈願」を、
又家内安全祈願、安産祈願、子授け祈願、入試合格、長寿祈願、地鎮祭、
水子精芳霊供養等の御祈祷も承っております。



【鳥居】


白色の鳥居は久しぶりに見た気がする。


【第二鳥居】



【拝殿】




拝観料を支払い奥殿の中へ。

中へ入ると仙人のような宮司さん登場。

ちょっと怪しい雰囲気あるわ~。(^^


【御神木】




例の宮司さんがこの御神木についてとても丁寧に説明してくれる。

夫婦木神社の婆さんは撮影禁止って言ってたと思うけど、
ここは撮影はバンバンして構わないよ、と言ってました。

ありがたい。(^^




夫婦木神社の御神木は男のアレですが、
こちらは分社なんで女陰が御神木ですね。

思わずニンマリとしてしまった。(^^

わざわざ山梨まで来て女陰を見てニンマリしてる私。

他にカップルが二組いる中、
オッサン一人の私は肩身が狭い。(^^;




仙人、いやもとい、宮司さんが御神木の匂いを嗅いでくださいと言う。

ヒノキの香りがする。

この御神木は伐採されているので、
生きてるハズがないのにヒノキの香りが。

宮司さんがしきりにこの御神木は生きているとか、
この木はとても霊験あらたかとか説明するもんだから、
ちょっと胡散臭く感じてきた。(^^;


【左甚五郎の彫刻】


国宝だった金櫻神社の社殿が火災で焼失。
この彫刻はその唯一の遺構だとか。


【神功皇后像】





【毘沙門天・福禄寿】


物凄く場違いな感じがしました。(^^;


【天宇受賣命】


こ、こ、これは!?

ここは秘宝館ですか?(苦笑)




アカーン。
これはヤバーーーイ!

神様を全裸にしたらアカンわ~。

しかもアソコがリアル~。(汗)

18禁です。
これは完全にモザイクいるわ。(苦笑)

それを撮ってる私も罰当たりです。(^^;


【男根】


天宇受賣命像の下の空洞には黒光りした男のアレが。

これはかなり使い込んでいるな。(何を?)

これはさすがに自然に出来たモノではなく、
人工的に作られたモノと宮司さんは言う。

そりゃそうだ。(笑)


宮司さんはカップルの女性にこの中に入りなさいと言う。
不老長寿の御利益があって子宝に恵まれるからと。

何故か男は空洞の中には入れませんでした。

残念です。(笑)


【男根石・女陰石】


これは面白い。

完全に秘宝館レベルですよね。(笑)

ここで奥殿参拝終了し外に出る。

するとちゃんと期待に応えてくれるモノが外でお出迎え。








本当に有難うございました。(泣)


【龍水占い】



【弁財天】




やっぱり裸でした。(照)


【風景】


拝殿から見た風景です。


【御朱印】


御朱印に紅葉が貼られていました。

これを見た瞬間宮司さんに抱かれても良いと思いました。(笑)


【乙女の泉】


神社近くの山梨宝石博物館クリスタルサウンドの前にあった
世界最大級の水晶の原石だそうです。

時間があればクリスタルサウンドに入館したんだけど、
今回はスルーしました。


で、昇仙峡ロープウェイに乗って八雲神社に参拝しようと思ったが、
ロープウェイ乗り場は大混雑。

これでは我が御屋方様がおわす武田神社が間に合わなくなるので、
昇仙峡を離れ甲府市内へ向かいます。


【昇仙峡】




「山の駅さわらび」という所が撮影スポットになってました。


さて、甲府へ急ぐとするか。