本日のメインである恵林寺に向かうが、
その途中に大蔵経寺というお寺へ寄り道。
お寺の墓地の駐車場に一旦車を停めると神社を発見。
寄り道の寄り道です。(^^
所在地:山梨県笛吹市石和町松本615
御祭神:物部十社明神
創建:不明
社格:式内社
【由緒】
物部十社明神といい、物部氏の御先祖である饒速日命その子可美真手命より、
十神をお祀りする神社です。
饒速日命は神武天皇が大和国平定の折勲功を立てそれ以来代々朝廷にお仕えし、
垂仁天皇の御代に物部(朝廷を警護し武事を掌りし部族の総称)の姓を賜り、
大連(朝廷の政務を補佐し国務大臣に相当する職)として国政に参与し、
一家一門はこの地を中心に繁栄し隆昌をきわめた。
又、物部神社は延喜式神名帳、三代実録等の古典に記録されており、
それによると清和天皇の貞観5年6月8日に甲斐国従五位下勲十二等。
同8年3月28日正五位下。同年閏3月18日従四位下。
同18年7月12日従四位上を更に陽成天皇の元慶3年2月8日正四位上、
物部神従三位の位と田34町歩を賜る。
往古は山梨の郷御室山に鎮座したが後世此の地に遷し祀る。
現在御室山に旧蹟があり古今集にも、
「神垣の御室の山の榊葉は神の御前に茂り合いけり」と詠じてある。
又、醍醐天皇が延喜の制度を施行された折、
一の宮として国幣に預り本国屈指の名社のみならず、
此の地方の鎮守神として古来より上、下の信仰厚く文化発展の中心となり、
古代の石器土器類が発掘された後世、徳川家より黒印2石4斗5升を賜る。
旧社殿は明治22年2月12日夜拝殿より出火焼失。
真言宗大蔵寺は当社の宮寺であった。
【鳥居】
【拝殿】
いわゆる昔は凄かった系ですね。
御朱印は山梨岡神社でいただけるそうです。
その途中に大蔵経寺というお寺へ寄り道。
お寺の墓地の駐車場に一旦車を停めると神社を発見。
寄り道の寄り道です。(^^
所在地:山梨県笛吹市石和町松本615
御祭神:物部十社明神
創建:不明
社格:式内社
【由緒】
物部十社明神といい、物部氏の御先祖である饒速日命その子可美真手命より、
十神をお祀りする神社です。
饒速日命は神武天皇が大和国平定の折勲功を立てそれ以来代々朝廷にお仕えし、
垂仁天皇の御代に物部(朝廷を警護し武事を掌りし部族の総称)の姓を賜り、
大連(朝廷の政務を補佐し国務大臣に相当する職)として国政に参与し、
一家一門はこの地を中心に繁栄し隆昌をきわめた。
又、物部神社は延喜式神名帳、三代実録等の古典に記録されており、
それによると清和天皇の貞観5年6月8日に甲斐国従五位下勲十二等。
同8年3月28日正五位下。同年閏3月18日従四位下。
同18年7月12日従四位上を更に陽成天皇の元慶3年2月8日正四位上、
物部神従三位の位と田34町歩を賜る。
往古は山梨の郷御室山に鎮座したが後世此の地に遷し祀る。
現在御室山に旧蹟があり古今集にも、
「神垣の御室の山の榊葉は神の御前に茂り合いけり」と詠じてある。
又、醍醐天皇が延喜の制度を施行された折、
一の宮として国幣に預り本国屈指の名社のみならず、
此の地方の鎮守神として古来より上、下の信仰厚く文化発展の中心となり、
古代の石器土器類が発掘された後世、徳川家より黒印2石4斗5升を賜る。
旧社殿は明治22年2月12日夜拝殿より出火焼失。
真言宗大蔵寺は当社の宮寺であった。
【鳥居】
【拝殿】
いわゆる昔は凄かった系ですね。
御朱印は山梨岡神社でいただけるそうです。
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