徒然草

つれづれなるままに、日々の見聞など、あれこれと書き綴って・・・。

映画「ハンナ・アーレント」―人間は考える葦である―

2014-01-12 23:00:00 | 映画


 ナチス戦犯アドルフ・アイヒマンの、歴史的裁判レポートの真実に迫ろうとするドラマである。
 誰からも敬愛される高名な哲学者が、激しいパッシングを受ける。
 彼女ハンナ・アーレントは、第二次世界大戦中にナチス強制収容所から脱出し、アメリカへ亡命したドイツ系ユダヤ人だ。

 これは、不屈の精神で逆境に立ち向かい、悪とは何かを問い続けたアーレントの実話だ。
 女性監督マルガレーテ・フォン・トロッタは、10年かけて本作を完成させた。
今 なお論争を呼ぶ、アーレントの思想の本質に迫り、若き日の許されざる恋愛、夫への愛、ひとりの人間として女性として生きたアーレントの強さを見事に描き切った。
 アイヒマン裁判のシーンは、実際の記録映像だし、観客はいやがうえにもアーレントとともに「悪」と対峙するという体験を味わうこととなる。




社会民主主義者のユダヤ人家庭で育ったハンナ・アーレント(バルバラ・スコヴァ)は、やがて実存哲学のハイデッガーに師事し、学生と教授という姉弟の関係を超えた恋を経験する。

その後、アドルフ・アイヒマンが逃亡先のアルゼンチンで逮捕され、1960年、アーレントは裁判の傍聴を希望、ザ・ニューヨーカー誌にレポートを書くことを提案する。
裁判によって、アイヒマンが想像していた“凶悪な怪物”ではなく、“平凡な人間”あることにアーレントは思い至り、彼は命令に従っただけで反ユダヤではないと主張すると、世間の熾烈なパッシングを受けるようになる・・・。

それは、誰もが、アイヒマンの極悪非道を断罪するかと思って手にした雑誌が、実は凶悪犯としてではなく平凡な人間が陥ったとするレポートだったからだ。
だからといって、彼女は決してアイヒマンを許したわけではなく、誰もが彼のようになりうると説いたものだから、アーレント非難の風が吹き荒れた。

まるで世界を敵にまわしたかのような騒ぎとなり、アーレントは教鞭をとっていた大学からも辞職を勧告され、友人たちは呪詛の言葉を吐いて次々と去っていった。
アーレントは、学生たちへの講義というかたちで初めて反論を決意する。
ここに、彼女のすべての答えが凝縮され、アーレントの全存在をかけたスピーチが始まる。
そう、力強い、迫真の8分間のスピーチが・・・。

映画は、ユダヤ人女性哲学者で、ハイデッガーの愛人だったハンナ・アーレントの実際にあった筆禍事件の真相を綴る。
ハンナ・アーレントという女性の、凄みを見せつけて飽きない作品だ。
世間の非難がどうあろうとも、最後まで毅然とした態度を失わず、自らにあくまでも忠実であろうとするアーレントの今日的な問いかけは、凛として揺るぎないものがあって、感動的である。

アーレントを演じるバルバラ・スコヴァのふてぶてしいまでの演説は圧巻だ。
マルガレーテ・フォン・トロッタ監督は、ハイデッガーとの不倫などは回想部分でわずかに示すだけで、ドラマ全体を筆禍事件一本に的を絞った。
そのことが、この作品を成功に導いている。
アーレントを核心的に描くことで、作品を重厚にしかし爽快なものに仕上げていった。
したがって、これは単なる偉人伝ではない。

アーレントによるアイヒマン擁護(?!)だなどと、轟々たる避難を受けても、最後は愛する夫ブリュッヒャー(アクセル・ミルベルクと親友メアリー(ジャネット・マクティア)だけは、アーレントのよき理解者であった。
考えれば考えるほど、唸ってしまいそうな重いテーマを扱っている。
しかも、ヒロインは哲学者だ。
ドラマは凛然としてひるむことなく、すべてはラスト8分間に凝縮される。
理屈っぽいといったって、間違いなく人間は考えることで強くなる。

それにしても、禁煙中のスコヴァが煙草をスパスパ吹かすシーンの何と多かったことか。
そして、ドイツ人女優の英語力もなかなかだし、何にもまして政治理論家の思想をこうした形で映像化するには、かなりの困難が伴ったであろうことも容易に推察できる。
映画全体が、ドラマというよりはニュース・ルポルタージュの印象もあって、そこがまた素晴らしい。
事実、ドラマとして製作されたドイツ・フランス・ルクセンブルグ合作、マルガレーテ・フォン・トロッタ監督「ハンナ・アーレント」は、きわめて硬質な‘ドラマ’であり、それも野心的で、熱情溢れる理知的な作品だ。
映画は、悪の概念の考察や、ユダヤ人社会の複雑さにも踏み込んで、多様な視点から見つめた稀有な一作といえる。
      [JULIENの評価・・・★★★★☆](★五つが最高点