これはまた、衝撃的な、韓国映画の登場だ。
製作・監督・脚本・編集・主演の五役に挑戦したヤン・イクチュンは、1975年生まれだ。
この作品の強烈なリアル感を、「非情城市」の候孝賢監督は、ヌーベルバーグの時代のゴダールの「勝手にしやがれ」にたとえている。
パワフルというと聞こえはいいが、希望や喜びまでも悲劇と絶望に変えてしまうような作品だ。
ドラマは、暴力を描いて鮮烈だ。
よくまあ、こんな作品が生まれたものだ。
しかも、世界の映画祭や映画賞で、25以上もの賞に輝いたというから解らないものだ。
登場人物たちが、傷だらけの心で訴えようとしているものは何だろうか。
この映画は、俳優として活躍しているヤン・イクチュン初の長編監督(デビュー)作品だ。
サンフン(ヤン・イクチュン)は、年上の友人マンシク(チョン・マンシク)の経営する、債権回収業者で働いていた。
暴力的な取立てだけでなく、ストライキを暴力で潰したり、屋台の強制撤去をしたり、その容赦ない仕事ぶりは、仲間たちをも震え上がらせている。
そんなサンフンが、姉の息子・甥のヒョンイン(キム・ヒス)のことは、かける言葉は乱暴だが、可愛がっている。
姉は、サンフンとは腹違いだ。
夫の暴力に苦しんで離婚し、まだ幼いヒョンインはいつも寂しい思いをしていたのだ。
ある日、サンフンが通りを歩きながら唾を吐くと、偶然そこに通りかかった女子高校生ヨニ(キム・コッピ)の胸元にかかってしまった。
気の強い女の子ヨニは、サンフンにひるまず文句をつけ、二人は喧嘩になった。
ヨニはサンフンに殴られて、気を失う。
しかし、ヨニが目を覚ますと、サンフンはまだそこに立っていた。
彼女が、気づくのを待っていたのだ。
ヨニは、サンフンにビールをおごらせる。
年は離れているものの、互いの中に、二人は何か引き合うものを感じ始めていた・・・。
物語の終盤、漢江の岸辺で、心を傷だらけにしたサンフンとヨニが、何事もなかったかのようなフリをしながら、肩を並べている。
ヨニの膝に頭をつけて、サンフンはその膝枕で仰向けに寝転がり、嗚咽をこらえている。
その中で、ヨニも泣いている。
・・・印象的なシーンである。
だが、ドラマ全編に渡って暴力シーン満載で、刺激が強すぎる。
家族の愛も知らない男と、愛を夢みた女子高生、この傷だらけの二つの魂の邂逅がテーマだ。
涙と笑いを全くといってよいほど排除した、痛ましいドラマだ。
偶然の出会いであったが、それは最低にして最悪の出会いであった。
そこから、狂った運命が動き始める。
「家族」という、逃れることのできないしがらみの中で、二人は生きてきていたのだ。
父への怒りと憎しみを抱いて、社会の底辺で生きる男サンフンと、傷ついた心を隠した勝気な女子高生ヨニ・・・。
この二人の求めあいは、純愛よりもさらに切ないものだ。
・・・韓国映画「息もできない」は、ひょっとして、主人公の魂そのものではないのか。
物語はフィクションだが、映画の中に表現される感情には、寸分の嘘もないという。
回想のフラッシュバック、ふと挟み込まれる俯瞰ショットや脚本、カメラ、編集においても、長編デビュー作とは思えないエネルギーだ。
しかし、敢えていうと、映画としては技術的には未熟で、粗っぽい。
まだまだ、これから、先行き楽しみな可能性はある。
撮影に当たっては、打ち合わせもなければ、脚本の読み合わせも、リハーサルもない。
ワン・テイクの撮影には、さすがに俳優陣も面食らったようだ。(それはそうでしょう)
生の感情をカメラにおさめることが、この作品にとってとても重要なことだったと、監督は語っている。
それでいて、映画を製作するという才能とはどういうものだろうか。
海外での評価は非常に高い作品だが、それにしてもとにかく衝撃的だ。
いやはや、この映画の暴力シーンの多さには参りました・・・。