徒然草

つれづれなるままに、日々の見聞など、あれこれと書き綴って・・・。

映画「雲南の花嫁」ー初々しい龍と鳳凰ー

2008-10-12 02:00:00 | 映画

中国で、一番多くの少数民族の暮らす、雲南省の今を映し出すドラマだ。
急激な発展を遂げる、中国・・・。
近代化の一途をたどる、北京や上海とは対照的に、中国西南部に位置する雲南省では、今なお25の少数民族が昔ながらのしきたりを重んじ、大自然の中に暮らしているといわれる。

この映画の中で描かれる、イ族の娘たちは、伝統的な華やかな民族衣装に身をつつみ、恋歌に想いを託し、中国に昔から伝わる芸能<龍舞>を踊る。
チアン・チアルイ監督は、イ族の結婚という人生のイベントを描いている。

古いしきたりから抜け出そうとするヒロイン、フォンメイ(チャン・チンチュー)は、幼なじみのアーロン(イン・シャオティエン)と結婚することになった。
アーロンとの結婚を喜んでいたフォンメイだったが、イ族にはしきたりがあった。
それは、「結婚しても3年は別々に暮らし、その間は結ばれてはならない」というものだった。

好き合っている二人が、3年間も離れ離れの生活を送ることになった。
さらに、アーロンは12人の女性の龍舞隊の指導を任されたのだ。
その寂しさに堪えきれず、フォンメイは龍舞隊に潜り込む。
それは、しかしイ族の厳しいしきたりを破ることなのであった・・・。

「ルオマの初恋」(02)でデビューしたチアン・チアルイ監督のこの作品は、青い空や緑輝く木々、きらめく水面など、山と河に囲まれた雲南地方の大自然の美しさを描いて、実にすがすがしい。
愛としきたりの狭間で揺れ動く、花嫁の切ない思いが伝わってくる小品で、映画「雲南の花嫁は、中国映画華表賞最優秀映画賞受賞作だが、どこかドキュメンタリーを観ているような感じもする作品だ。


映画「ファン・ジニ」ーある愛の軌跡ー

2008-10-10 21:37:00 | 映画

単なる妓生(キーセン)の話ではない。
激動の運命に立ち向かった、ひとりの女の物語だ。
実在した伝説の名妓、ファン・ジニの生涯は、この春TVドラマ化されて、日本でも放映された。
TVドラマは、11日から再放映される。
ただし、ここでとりあげたのはTVドラマ版ではなく、あくまでもチャン・ユニョン監督韓国映画(映画版)である。
TVドラマの方は、知らない。

映画版では、差別の厳しい時代に人生の転落を味わい、欺瞞に満ちた世界と向き合ったファン・ジニの姿を、華やかな朝鮮王朝時代を舞台に、歴史ロマンとして描いている。

人は弱い生き物であり、多くは生まれた時代に縛られ、運命の前にひざまずき、傷つきながら絶望する。
十六世紀の朝鮮王朝時代、人の運命は誕生と同時に定められ、男は神聖で女は卑賤、貴族だけが人間で、平民は動物のようにみなされていた。

この映画は、妓生(キーセン)として身体を差し出しながらも、決して心は汚さず、ただ一人の男への愛を貫き通した、凛々しく誇り高い、ヒロインのドラマとして語られる。

愛が克服できない運命など、ない。
貴族の娘として育てられたチニ(ファン・ジニ)は、15歳の時出生の秘密を知り、自ら家を出て、妓生(キーセン)だった実母と同じ道を歩むことを決意する。
少年時代に出奔して、行方知れずとなっていた下男ノミ(ユ・ジテ)が、逞しく成長して舞い戻った。
この家の美しい娘チニことのちのファン・ジニ(ソン・ヘギョ)にとって、彼は幼い頃いつもそばにいてくれた大切な遊び友達だった。

絢爛の時代であった。
チニは諸芸を身につけ、並々ならぬ知性と教養で、身分の高い男たちにも一目置かれる存在となっていた。
そして数年後、詩や絵画、琴や歌に秀で、貴族たちですら彼女を愛した。
そんなチニを支えたのは、幼い頃から何かとチニをかばい助けてくれた、ノミの愛であった。
だが、彼は義賊団の頭目となって、官憲に身を追われる身となった。
官憲に追われる、ノミの逃亡を密かに助けるチニが、粗末な小屋で再会するシーンがある。
見つめあう二人に溢れる恋情・・・、濃密な官能の香りが漂う。
結婚という、世間一般の形で成就することのなかった愛の形がある。
しかし、そのまさに宿命の恋人たちといえる、チニとノミを悲劇が襲った・・・。

自分の身を犠牲にしてでも、相手を助けたいと願う、二人の打算のない愛の結果だった。
これは、運命の皮肉としか言いようがない。
男と女の哀切が、清廉である。
物語の最後の場面、チニが、処刑されたノミの遺灰を高い山の頂から撒くシーンが美しい。

時代の空気を、現代的な色使いで伝える美術や、シースルーのチョゴリを採用した洗練された衣装など、細部にわたるオリジナリティは、壮大な歴史ロマンの香りがする。
チャン・ユニョン監督韓国映画「ファン・ジニの物語は、どこかやるせない男と女の愛の軌跡だ。

息づまるような儒教思想が、がんじがらめに男や女を縛りつけていた時代のことである。
身分は固定され、賎民や(ぬひ)階級に生まれついたら最後、子々孫々その階級を抜け出すことの出来なかった社会である。
ファン・ジニという女性は、そうした時代と社会における、むしろ文化的な英雄、スーパーウーマンだという人もいる。
朝鮮史をひもとく上でも、興味深い話ではある。


映画「宮廷画家ゴヤは見た」ー数奇な運命の愛ー

2008-10-08 20:00:00 | 映画

それは、立ち入り禁止の、愛であった。
二度のアカデミー賞に輝くミロス・フォアマン監督が、スペインの天才画家ゴヤの目を通して、人間の愛とは何かを問いかけた作品だ。

ゴヤの描いた二枚の肖像画・・・、それは、天使のように清らかなイネス(ナタリー・ポートマンと、威厳に満ちた神父ロレンソ(ハビエル・バルデム)であった。
過去も現在も、違う世界に生きる二人が、危険な愛に踏み込むとは、作者のゴヤでさえも予想し得なかったことだった。

時は、18世紀末から19世紀初め、動乱のスペインである。
ゴヤは、国王カルロス4世の宮廷画家に任命されるが、一方で貧しい人々を描き、権力や社会を批判する絵画や版画を制作していた。
彼にとって、絵筆は人間の真実を見つめる目であり、悪を暴く武器だった。

或る日、突然ゴヤの大切なミューズであるイネスが、ロレンソの指揮する異端審判所に無実の罪で囚われる。
ロレンソは、神に仕える身でありながら、密かにイネスの美しさに心を奪われてしまう。

肖像画の依頼人でもあるロレンソ神父に、イネスを救うための口添えを頼んだゴヤ(ステラン・スカルスガルド)は、やがて目を疑うような真実を目の当たりにすることになる・・・。

1793年、フランス革命で、カルロス4世の従弟にあたるルイ16世と王妃マリーアントワネットが、処刑された頃の出来事で、時代は大きな転換期であった。

・・・15年後、フランス皇帝となっていたナポレオンは、世界征服の野望を抱いて、ヨーロッパ各国と戦争していた。
15世紀に、カトリック教会によって創設されたと言われる、‘異端審問制度’は一時的に廃止され、これによって囚われていた人々は解放された。
イネスも、長い間厳しい拷問を受け、変わり果てた姿で自由の身となった。
イネスを獄中から救い出せなかったゴヤは、彼女が獄中で出産したとされる娘探しに奔走する。

ゴヤは、16年前に描いたイネスに生き写しの少女を公園で見かける。
売春婦をしている少女の名は、アリシア(ナタリー・ポートマン二役)と言った。
ゴヤは、イネスを娘アリシアに会わせるために、ロレンソからイネスの居場所を聞き出し、連れ戻しに行くのだった。
一方、過去の汚点が暴露するのを恐れたロレンソは、アリシアをアメリカへ追放しようとする。
だが折りしも、英国軍がスペインに到着し、フランスからの開放を願う民衆は歓呼して迎える。
ロレンソは、家族とともに逃亡を図ったが・・・。
生か死か。
愛か、憎しみか。
いや、愛とは、かくも悲劇的なものなのだろうか。

神父と少女の、スキャンダラスな愛の行方を見つめながら、彼らの数奇な運命を追いかけるうちに、やがて、人間の真実と愛の本質に迫る物語である。
ミロス・フォアマン監督の、アメリカ映画宮廷画家ゴヤは見たは、叙事詩的な感動作となった。
オスカー俳優とハリウッドのトップ女優の競演も面白い。
ヒロイン、イネスの壊された心の底には、誰にも壊せない強い信念がある。
それこそは、<愛>であったろう。
あまりにも過酷な歳月を生き、身も心もずたずたになって、傷だらけのイネス(ナタリー・ポートマン)が舗道をさまようラストは、イネスが天使のように見えて、とても感動的なシーンだ。
人間という生き物の持つ、底知れぬ矛盾を華麗な映像の中にあぶり出し、スタッフ、キャストとともに魅力ある一作だ。
ナタリー・ポートマンについては、日本で今月公開予定の、悲劇の王妃を演じる「ブーリン家の姉妹」にも注目だ。