イ-ジス艦衝突事故の、被害者父子は見つからない。
事故発生から、はや一週間になる。
荒天もあって、僚船による独自の捜索は打ち切られた。
関係者の表情には苦渋と焦燥がにじむ・・・。
前々回のブログ(2月22日付)で、まぐろはえ縄漁船「清徳丸」とイ-ジス艦「あたご」の事故のことを書いた。
敢えて、もう一度同じことを言いたい。
衝突事故が起きた時、漁船「清徳丸」の二人の父子を、イ-ジス艦「あたご」は、どうして救助しなかったのか。
ずっと、そのことについて、いまも疑問を持ち続けている。
イ-ジス艦「あたご」に、救命ボ-トなどの設備(装備)が揃っていない筈はない。
小型の救命ゴムボ-トも、プラスチック製のボ-トだって、有事の際のために装備されていると言われる。
それなのに、今回それらの一隻も救助に出ていない。
衝突事故を起こしたら、直ちに救助活動に入るべきではなかったのか。
何故、救助活動に入れなかったのか。
何をおいても、人命最優先ではなかったのだろうか。
真冬並みの夜明け前の海では、投げ出されたら5分で死ぬということは、船に乗る人たちの常識になっている。
しかし、“救助”が始まったのは、事故が起きてから、何と1時間41分も経過してからだと言うではないか。
一体、それまでの時間、イ-ジス艦は何をしていたのか。
300人もの乗組員がおり、艦橋には10人の見張りがいて、最新鋭の設備を誇るイ-ジス艦は、小さな漁船から放り出された父子二人の命さえ助けることも出来なかったのか。
親族の怒り、悲しみは余りある・・・。
父子が海に投げ出された時、すぐに救出に出ていれば、二人は確実に助かったのではないか。
いや、絶対に助かった筈だ。
だが、イ-ジス艦は何をしたと言うのだ。
イ-ジス艦「あたご」は、漁船「清徳丸」との衝突の危険性に、気づく機会が十分にあったにもかかわらず、衝突の回避措置を取らなかった。
しかも「あたご」は、「清徳丸」と衝突したこと自体、しばらくの間気づいていなかったのだ。
さらに驚いたことがある。
イ-ジス艦「あたご」の乗組員は、「清徳丸」に気づいてもなお、「ぶつからないだろうと思った」「こちらは大きな船だから、向こうが避けるだろうと思った」などと、とんでもないことを言っているのだ。
だから、弛(たる)みきってると言うのだ。
「あたご」の艦長ら乗組員の記者会見はないのか。どうしてないのか。
分からないことが多すぎる。
どう考えても、救助出来るはずの救助が、直ちには、なされなかったと言うことだ。
これでは、助かる命も助かるまい。
声を大にして、イ-ジス艦の艦長に聴きたい。
「何故だ?」
艦長は、事故直前まで、別室で寝ていたと言うではないか。
それでは応えようもないか・・・。
もはや、「職務怠慢」のそしりは免れない。
言語道断である。
そして、重ねて言いたい。
防衛大臣の責任はきわめて重大だ。
・・・この事故の一報が官邸に届いた2月19日、防衛省も漁協も被害者親族も、関係者は皆情報の収集やら対策に翻弄され続けた・・・。
房総半島沖では、夜を徹して,漁師仲間による必死の救出作業が続けられていた。
一方、その夜、時の福田総理は、東京赤坂の高級料理店で、好きな高級日本酒をぐいぐいとあおり、一人前15000円もする高級中華料理に舌鼓をうちながら、終始饒舌でご機嫌であった・・・。