その土地は誰のものか。
アルハジア紛争の廃墟から生まれた作品である。
人間としての誇り、戦争の不条理が描かれる。
1961年にソ連邦が崩壊し、その一共和国だったジョージアは独立し、国内で民主主義が高まった。
そのことに、西部のアブハジア自治共和国が反発し、両者の間で戦闘が起こった。
これにより、国は荒廃し、多くの難民が生まれ、同時代に起こった内戦とともに、アブハジア紛争と呼ばれる。
1994年に停戦合意が成立したが、今なお緊張状態が続いている。
コーカサスの歴史あるジョージア(旧グルジア)の戦争を背景に、ザザ・ウルシャゼ監督は、この作品を人間性に満ちた憎しみの連鎖を超えた力強い映画に仕上げている。
ジョージア(グルジア)の西部にあるアブハジアで、みかん栽培をするエストニア人の集落が舞台だ。
ジョージアとアブハジアの間で紛争が勃発し、多くの人は帰国したが、イヴォ(レムビット・ウルフサク)とマルゴス(エルモ・ニュガネン)は残った。
マルコスはみかんの収穫が気になるからだが、みかんの箱作りのイヴォは本当の理由を語らない。
ある日彼らは、戦闘で負傷した二人の兵士を自宅で介抱することになる。
ひとりはアブハジアを支援するチェチェン兵アハメド(ギオルギ・ナカシゼ)、もうひとりはジョージア兵ニカ(ミヘイル・メスヒ)で、二人は敵同士だったのだ。
彼らは互いに同じ家に敵兵がいることを知って殺意に燃えるが、イヴォが家の中では戦わせないというと、家主が力を持つコーカサス人のしきたりに則り、兵士たちは約束する。
数日後、事実上支援するロシアの小隊がやって来て・・・。
19世後半のロシア帝政時代に、多くのエストニア人がアブハジアに移住し、開墾、集落を築いた。
この作品は、その歴史的事実を背景に、エストニア人を主人公にしてアブハジア紛争が描かれる。
みかんは、アブハジアの名産品で、日本の温州みかんに似ている。
ソ連邦時代に、日本人の学者が中心になって、西ジョージアの黒海沿岸の地方に多くの苗を植え、広めていったといわれる。
全編ロケによる撮影だが、いまだに緊張状態が続くアブハジアではなく、同じ黒海沿岸にあるグルジア地方の広大な荒地に集落や道を創り、樹木を植えて撮影された。
ドラマの中、ニカが大切にしていたラストシーンで流れるカセットテープの曲は、ジョージアを代表する詩人、作家、音楽家であるイラクリ・チャルクヴィアニが歌った「紙の船」という歌で、戦争中ジョージアで大ヒットした。
これにはジョージア人のアブハジアへの思いが重ねられ、戦場に赴く若者の恋人への心情が込められている。
紛争のさなか、主人公イヴォは負傷した敵同士の兵士を自宅で介抱する。
ザザ・ウルシャゼ監督のエストニア・グルジア合作映画「みかんの丘」は、戦争の愚かさ、不条理を描きつつ、人間らしさとは何かを問う反戦映画の意欲作だ。
チェチェン人、ロシア人なども登場し、多様な民族や宗教、文化が入り組んでいるが、小さな村を舞台に戦争の本質を痛烈に映し出し、深い余韻を残す作品だ。
現代世界の今を照射していて、力強い。
[JULIENの評価・・・★★★★☆](★五つが最高点)
なおこの作品は、当初ジョージア・ドイツ他合作映画「とうもろこしの島」と東京岩波ホールで同時公開されました。
次回はイタリア映画「胸騒ぎのシチリア」を取り上げます。
そうは言っても町内会でも争いはありますからね。
憎悪の連鎖・・・。
そこからは何も生まれない。
中東、アフリカ、スーダン、ヨーロッパ各地・・・。
難民は増える一方で、悲惨きわまりなく、これも由々しき問題です。
この地球上の絶望を、どうすれば、誰もが願う平和へと変えることができるのでしょうか。
恒久的な世界の平和、人類の平和、殺戮のない世界はもはや幻想なのでしょうか。