徒然草

つれづれなるままに、日々の見聞など、あれこれと書き綴って・・・。

映画「パーマネント野ばら」―無造作な、日常の断片の猥雑さ―

2010-06-29 21:25:00 | 映画

海辺の町の小さな美容室を舞台に、女性群像の一種の恋模様(?)を描いている。
若手の吉田大八監督が、西原理恵子の原作を映画化した。
女たちが遭遇したり、引き起こしたりする、日々の出来事・・・、それらを、無造作かつちょっぴり奔放に綴っている。

小さな美容室‘パーマネント野ばら’は、その町の女たちのザンゲ室のようなものだ。
主人公のなおこ(菅野美穂)は、離婚をして、一人娘を連れて出戻った。
美容室は、母まさ子(夏木マリ)が切り盛りしている。
町の女たちは、日々ここへやって来ては退屈な日常を過ごしている。

女たちは、いろいろな想いを抱えており、お互いの小さな嘘を交えながら、悲喜こもごものおしゃべりに興じる。
・・・自分の男が惚れてしまった女を車で轢こうとしたり、ギャンブルに狂った夫が山で野垂れ死にしたり、一目ぼれした男を追い回したり、といった具合だ。

なおこの友人で、フィリピンパブを経営しているみっちゃん(小池栄子)は、店の女の子と平気で浮気し、金の無心ばかりする夫ヒサシ(加藤虎ノ介)に頭を悩ませている。
みっちゃんと同じくなおこの友だちのともちゃん(池脇千鶴)は、男運のないダメ男たちから散々な仕打ちを受けてきたし、なおこ自身は高校教師をしているカシマ(江口洋介)と恋をしているが、その恋にも秘密が隠されていた・・・。

物語は断片的だ。
ときにどぎつい騒ぎがあったり、それが、何と健康的な力強さを放っていることも事実だ。
女たちは、それぞれが悩みを抱えながらも、生命力に溢れていて、元気な塊のように見える。
ただ、彼女たちの持つドラマのディテール(細部)になると、何故、どうして、それから・・・?といった展開も帰結も、突込みが浅くどこかバラバラではっきりしない。
これも、一種の「女の子ものがたり」なのだろうか。

ドラマは、猥雑で粗野で、しばしばやたらと騒々しい。
たったひとことの台詞や情景によって、ドラマはいろいろと変わりようを見せるものだが、底辺にあるのは、少しばかり哀切なラブストーリーだ。
なおこを演じる菅野美穂には、女の持つ微妙な曖昧さがあるし、彼女たちの誰もが生きているその生き方の中に、小さな嘘があり、小さな狂気がある。
ほかの女のところに転がり込んだ内縁の夫とか、ギャンブルに溺れて行方不明の男とか、登場する女たちの相手は、総じてろくでなしばかりだ。
だからといって、もう男はこりごりだとならないあたり、女たちの業の深さものぞく。
逆に、そんな女たちが可愛く見えてきたりするから、妙だ。(笑)

作品の組み立ては、きわめて無造作だ。
無造作な秀作だという人もいるから、作品の評価は別れるのではないか。
もちろん、それが演出であっても、強い言い方をすれば、投げつけるような人物の描かれ方も、気になるといえば気になる。
女たちに比べて、男の影はもっと薄い。
吉田大八監督
パーマネント野ばらは、女性映画のように見えて、むしろ男どもが見るべき映画かもしれない。
吉田ワールドには、憎めないが、どこか人間の業の深い、ハミ出し者たちがよく登場するらしい。

映画は、美容室に集まる小母様たちの、炸裂する(?)‘ガールズトーク’を中心にすえて、涙目ながらも笑い飛ばそうとする日々の移り変わりを、野放図に描いている。
主要な女性登場人物たちは、そろいもそろって男運の悪い女たちだ。
それはそれでよろしい。
笑わせてやろう、泣かせよう、ほろりとさせようといった演出がみえみえなのは、これも若手監督のこだわりか。
ふざけた話、奇想な演出は、ドラマをぶち壊してしまうことだってある。
美しい空と海に囲まれた、小さな田舎で起こった、ある哀切で断片的な物語というと、いかにも情感があって聞こえは綺麗だが、そんな体(てい)のいい上出来の作品といえるかどうか。


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2 コメント

コメント日が  古い順  |   新しい順
最近・・・ (茶柱)
2010-06-30 00:17:51
「ガールズトーク物」が増えているような・・・。そういう時代なんですかねー。
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そんな・・・ (Julien)
2010-07-01 20:12:59
時代なのでしょうかねえ。
よくわかりません。はい。
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