秋は一段と深まりを見せ始めている。
暦の上では立冬も過ぎて、早くも冬将軍が駆け下りてこようとしている。
映画は、ファッションデザイナーとしても活躍中の、「シングルマン」 (2007年)のトム・フォード監督の最新作である。
ヴェネチア国際映画祭で審査員グランプリに輝いた、フォード監督独特の美学に貫かれた、甘美だが残酷な物語だ。
タイトルの邦訳は「夜の獣たち」で、闇の中をうごめくぞっとするような展開が続き、なかなかスクリーンから目が離せない。
上映時間1時間56分は、あっという間である。
色彩や視覚効果に工夫が凝らされていて、観るものを物語の中に引きずり込んでいく。
愛の不確かさとか人間の愚かさを突きつけるドラマが展開し、劇中で小説を映像化したり、芸中劇がモザイク模様のように絡み合って少し難解な部分もある。
緊張感の溢れた心理ミステリーで、映画内小説と過去と現在が交叉する複雑な物語が紡がれる。
裸体の肥満女性が、恍惚の表情で誘いかけるように踊っている。
欲望で肥大化した、アメリカの隠喩のようだ・・・。
アートギャラリーのオーナーで、スーザン(エイミー・アダムス)は夫とともに裕福な暮らしを送っているが、精神的には満たされていなかった。
ある週末、20年前に離婚した元夫のエドワード(ジェイク・ギレンホール)から、彼の書いた小説「夜の獣たち」の原稿が送られてくる。
彼女に捧げられたその小説は、暴力的で、衝撃的な力強さがあり、スーザンは読んでいるうちにぐんぐん引き込まれていった。
原稿を読むスーザンは、エドワードとの別れを思い出し、彼女の回想シーンが重なり、エドワードの小説を映像にした劇中劇が入れ子構造の小説世界となって、並走を始めるのだった。
元夫の小説の中に、それまで触れたことのない非凡な才能を読み取ったスーザンは、エドワードと再会を望むようになる。
エドワードは、何故小説を送ってきたのか。
それは、まだ残る愛なのか。
いや、それとも復讐だったのか・・・。
肥満の女性が、半裸で踊る冒頭のシーから度肝を抜かれる。
赤いソファに横たわる全裸の女性死体をはじめ、ちょっと悪趣味ではないかと思われるような映像が・・・。
これは、虚飾に満ちた現代アート界への何らかの警鐘か。
スケールは大きいとは言えない、古典的なメロドラマのような作品なのに、一瞬も飽きさせないところに感心する。
これはまた、監督の恐るべき手腕だろうか。
エドワードから届いた小包を開くとき、スーザが紙の端で指を切る場面がある。
ここは、その中の小説でやがて彼女に牙をむくものであることが暗示されている。
彼女が愛用する黒いドレスは、地位とプライドを失うまいとする女の防御心の表れだ。
様々なショットが強く訴え続けるヴィヂュアュアルで、衣装の装飾にひとつひとつのメッセージが込められているかのようだ。
元夫のエドワードの小説は、復讐劇で、それはスーザンにとって戦慄的なもので、悪夢のような虚構が彼女を惑わせ、苦しませ、恍惚と官能を呼び覚まし、愛の記憶にのたうち回るヒロインと化していくかのようだ。
現在のスーザンの虚ろな姿、元夫エドワードとの過去、エドワードの書いた小説世界(中味再生パート)は、暴力的なミステリーを漂わせている。
この劇中劇の主人公であるトニーと著者のエドワードは、ジェイク・ギレンホールの一人二役で、トニーの妻をアダムスによく似た女優のアイラ・フィッシャーが演じている。
こうしてみるとキャスティングは絶妙だが、現実と虚構の境界線があいまいになる。
観客は、ここは自然に身を任せるしかないだろう。
トム・フォード監督のアメリカ映画「ノクターナル・アニマルズ」は、一見、謎解きには難解な要素もあり、観る者の潜在意識に負うところの多い、非常に珍しい作品だ。
映画は全編にわたって、緻密に構成された繊細な世界観に満ちている。
背筋がぞくぞくするような作品だが、スタイリッシュな余韻がいまでも静かに残っている。
芸術性は思ったよりも豊かだ。
[JULIENの評価・・・★★★★☆](★五つが最高点)
次回はフランス・チリ・日本合作映画「エンドレス・ポエトリー」を取り上げます。