早春の昼下がり、横浜の港の見える丘公園は、まだ風が少し冷たかったが明るい日差しがあふれていた。
作家・井上光晴(1926年~1992年)展が、神奈川近代文学館で3月20日(月・祝)まで開催されている。
井上光晴は、朝鮮戦争、被差別、廃炭鉱、原発など、戦後の社会問題をテーマに、人間の真実を追求し続けた。
その文学に捧げた、生涯と作品が展示されている。
井上は福岡県久留米の生まれで、長崎県の軍港の街・佐世保や炭鉱の島・崎土で、貧しい少年時代を過ごした。
作り話が得意だったその頃から、小説家としてはうってつけの天分を覗かせていたといわれる。
開催展は、井上文学の核となる重要な原風景の紹介に始まり、原発や精神病、高齢化など現代社会にはびこる多様な問題をそのテーマとして掲げており、独特の作品世界を築き上げる過程など、行動する小説家の軌跡をたどる。
虚実を巧みに織り交ぜた作品の多くは、社会や時代の暗部に鋭く切り込んで、自身が癌で倒れた最期の瞬間まで、小説家であり続けようとした様がうかがわれる。
その生涯は生き方すべてが小説を書くことと一体化していたことから、長年井上と親しく交わった作家の埴谷雄高は、後輩作家のこの姿を「全身小説家」と名付けて憚らなかった。
本展では、遺族から寄贈された収蔵コレクションを中心に、「全身小説家・井上光晴」の実像に迫っている。
ただ、井上は原稿用紙への筆記を苦手として、市販の大学ノートに横書きで作品を執筆し、これを妻の郁子が原稿用紙に清書していた。
1992年5月、66歳で逝くまで壮絶な闘病生活を支えたのは、書くことへの凄まじいまでの執念であった。
作家の執念恐るべしであろう。
各種イベントとしては、2月19日(日)日大教授紅野謙介氏の講演をはじめ、3月4日(土)トークイベント「娘として、小説家として~父・井上光晴」と題する井上荒野(井上光晴長女)と鵜飼哲夫氏(読売新聞論説委員)の対談が予定されている。
また、1994年日本映画監督賞、日本アカデミー賞特別賞を受賞した文芸映画「全身小説家」の上映会が、3月10日(金)、11日(土)展示館2Fホールで催される。
なお、神奈川近代文学館3月25日(土)からは、企画展「生誕150年正岡子規展ー病牀六尺の宇宙」展が予定されている。
本編ブログ次回はルーマニア映画「エリザのために」を取り上げます。