「半落ち」(2004年)、「夕凪の街 桜の国」(2007年)、「東京難民」(2014年)などで知られる佐々部清監督による、笑いと涙のハートフルコメディーだ。
大型ショッピングセンターの進出で、地方都市の商店街はどこでも再建を目指して奮闘している。
実在の店をモデルに描いた作品だ。
六月燈とは、旧暦の6月に、鹿児島と宮崎の一部の神社や寺院などで催されているお祭りで、第三代藩主の島津光久が観音堂を建立し、供養のため、燈籠を灯した領民たちが見習ったことが始まりといわれている。
いま静かなブームを呼んでいる、ご当地ドラマの一品である。
鹿児島のとあるシャッター商店街に、家族経営の和菓子店「とら屋」はある。
大型ショッピングセンター進出のあおりを受けて、客足の減少に苦しんでいた。
この店を営む中園家は、家族とはいえ、母惠子(市毛良枝)と菓子職人の父真平(西田聖志郎)は、すでに離婚していた。
おまけに、長女静江(吉田羊)は出戻りで、次女奈美江(吹石一恵)は税理士事務所を経営する夫の徹(津田寛治)と離婚調停中で、三女栄(徳永えり)は結婚直前に実家に戻り、現在は妻子ある男性と不倫関係にある。
とら屋菓子店の三人姉妹と父母は、それぞれがわけありの身で、この5人に東京から奈美江を追って徹がやって来た。
とら屋再建のため背水の陣を敷いた一家は、起死回生の大作戦として、六月燈の祭礼の夜に、新作和菓子“かるキャン”の販売にこぎつけるのだが・・・。
ドラマは、とら屋一家の再生と商店街の生き残りをかけた店主たちの、人間模様を活き活きと描いている。
人物関係は、これがやや複雑で、もう少し整理して欲しかった。
この地方の方言がドラマに温かな味わいを添えているが、都会育ちの人間には意味がわかりにくい。
ドラマの織り成す人間模様には親近感も感じられ、軽やかなタッチは好感が持てる。
一家の家族構成を見て、離婚している夫と妻が、どうして同じ屋根の下で一緒に仕事をしていられるのか不思議だ。こんなことは現実にはありえない。
男と女が離婚したら、芸能界は別にしても、一般には二度とお互いに会いたくないものなのだ。
離婚した夫婦、出戻りの長女、離婚調停中の次女、妻子ある男性と不倫中の三女と、まあよくも一家のだれもがワケありで、ガタガタしている。
一体どうなっているのだ。
それも、男が悪いのか。
それとも、女の方が悪いのか。
大体離婚というのは、女性の方から切り出すことが多いし、彼女たちは言い出したら聞かないから、男がどんなに頭を下げて復縁を求めても、もとサヤに収まるというのは難しいものだ。
女性は、見切りをつけたら早い。
駄目な男だと思ったら、次の男を探す。
振られた男は、いつまでもめそめそして追いかける。
そんな構図が一般的だ。
甘い言葉で好きだとささやかれ、付き合っても上手くいかない、そんなケースだって多い。
しかし・・・、離婚は世の中に多い。
でもそれは、一概に不幸ともいえまい。
きっと、次のステージがあるからだ。
所詮、離婚といっても紙切れ一枚で決まるのだ。
佐々部清監督の映画「六月燈の三姉妹」は、その家の夫婦はもちろん、三姉妹の人間関係それぞれが抱える葛藤に描写不足が目立つ。
あらかたは観客の想像力に頼るしかない。
和菓子店というが、団子70円、大福120円の世界である。
そんな家の再生のドラマが、ちょっぴり涙と笑いを誘う、ほっこりとした作品だ。
幸せだと思うことも、不幸せだと感じることも、何気ない、普段の日常の中にあるものではないだろうか。
ついでながら、佐々部清監督による青春ドラマの最新作「群青色の、とおり道」も、別途公開中だ。
この作品も、機会があれば取り上げたい。
[JULIENの評価・・・★★★☆☆](★五つが最高点)
次回はトルコ・フランス他合作映画「雪の轍(わだち)」を取り上げます。
*** 追 記 ***
当ブログ(3月16日)でも取り上げた、台北映画「さいはてにて やさしい香りと待ちながら」に主演した永作博美が、台湾で開催されている台北映画祭で、このほど最優秀主演女優賞を受賞した。
奥能登を舞台に、支え合って生きる女性二人の姿を描いた小品で、台湾のチァン・ショウチョン監督作品だ。
台北映画祭で、外国の女優が主演女優賞を獲得するのは初めてのことだそうだ。