悪夢のような映像世界に、唸らせられる。
息詰まるような、心理劇である。
映画は地味な作りながら、緊張感に満ちていて、人間の心の奥底に潜む、もう一人の自分を冷徹に見つめた世界だ。
「灼熱の魂」「プリゾナーズ」と力強い演出で話題を集めた、カナダ出身のドゥニ・ヴィルヌーヴ監督の新作が素晴らしい。
今回は、ポルトガルの作家ジョゼ・サラマーゴの同名小説をもとに、ひとりの男の内面に焦点を当て、その謎めいた心の動きを、シュールにかつサスペンスフルに描いている。
文句なしに面白い。
カナダ・トロント・・・。
大学の講師をしているアダム・ベル(ジェイク・ギレンホール)は、平凡な日々を送っていた。
キャリアウーマンの恋人メアリー(メラニー・ロラン)との関係も、終わりに近づいていた。
我が子の将来を案じる母親(イザベル・ロッセリーニ)は、しょっちゅう電話をかけてくるが、それは日頃から空虚なアダムの心を余計滅入らせるだけのことだった。
そんなある日、何気なく見たDVDで、アダムは自分と瓜二つの俳優の存在に気づき、目を疑った。
アダムは、自分と全く同じ風貌を持つその男の俳優のことを調べ、相手の自宅に電話をかけ俳優夫婦を混乱させる。
男はアンソニー・クレア(ジェイク・ギレンホール/二役)で、妻ヘレン(サラ・ガドン)と郊外のマンションに暮らしていた。
アダムの出現は、アンソニーと妊娠6か月目のヘレンの結婚生活をも揺るがしていく。
そしてついにある日、うらぶれたホテルの一室でアダムとアンソニーは対峙した。
それぞれ背広、皮ジャンパーと着ている服は違うが、頭にたくわえた髭までそっくりの二人は、まさに鏡写しのようだった。
アダムは、かつて自分が事故で負った胸部の傷痕まで同じでありことを知り、逃げるようにその場を立ち去る。
彼は、得体のしれぬ恐怖に打ちひしがれた。
互いの存在を知ったアダムとアンソニーの二人だったが、あまりにも似かよっているため、もはや後戻りさえ不可能な極限状況に陥り、アンソニーの妻をも巻き込んで、彼らの日常は、次第に音を立てて崩れていく・・・。
自分と瓜二つの他人の存在・・・。
こういう分身めいた世界を描写した作品は多く、魅力的なテーマのひとつだ。
この作品は謎めいた要素をいっぱいに散りばめており、性的な欲望を暗示するような冒頭の秘密パーティーのシーンもそうだが、ラストの衝撃的なシーンはとくに印象的だ。
原作にはない巨大蜘蛛が数回登場するのだが、この蜘蛛が、息子と母親の潜在的な心理関係を示唆しているようでもある。
主人公アダムの日常は、もうひとりの自分を見てしまったことで、彼の日常そのものが崩壊していく。
ドゥニ・ヴィルヌーヴ監督のカナダ・スペイン合作映画「複製された男」は、複雑な構図で人間の潜在意識に迫る、ミステリー仕立ての異色作だ。
ストーリーの解釈は自由だが、ドラマ全体が怪しい魅力を放っていて、観終わってみると実に不思議な感情にとらわれる。
この感情こそが「映画」の世界だ。
通常、人は観る映画を選んで観る。
この映画は、観る人を選ぶ映画なのかもしれない。
観ていて混乱を生じながら、映画の方が自分を観ているということだ。
[JULIENの評価・・・★★★★☆](★五つが最高点)