徒然草

つれづれなるままに、日々の見聞など、あれこれと書き綴って・・・。

映画「一 命」―武家社会に立ち向かった侍たち―

2011-10-26 20:00:00 | 映画


   東京・近畿に木枯らし一番が吹いた。
   季節は、早くも晩秋から初冬へと、移り変わりつつある。

   さて、映画の方は時代劇だ。
   いま時代劇といえば、この人、「十三人の刺客」(2010年)三池崇史監督の力作である。
   かつて、1962年に、小林正樹監督「切腹」というタイトルで映画化されたことがある。
   この時は、仲代達矢石浜朗らの出演で、カンヌ映画祭審査員特別賞を受けている。
   原作は、滝口康彦「異聞浪人記」だ。

   武士に面目があるとすれば、何だろうか。
   形式を重んじる武家社会に、一石を投じる作品だ。

   食いつめた、武士の物語である。
   武士には誇りも意地もある。
   それが、徹底的に踏みつけられた時、武士として何をなし得るか。
   その屈辱の計り知れぬ大きさ、そして、復讐にかける、鬼気迫る執念が見ものだ。
   映画は、それらを重厚な描写で丁寧に綴り、作品を静かに盛り上げている。
   哀れと無情観をたたえた、力の入った作品だ。

         
戦乱の世が終わり、平和が訪れたかのように見えた、江戸時代初頭、徳川の治世である。
しかし、その下では、大名による御家取り潰しが相次ぎ、仕事も家もなくし、生活に困窮した浪人たちの間で、<狂言切腹>が流行していた。
それは、裕福な大名屋敷に押しかけ、「庭先で、切腹させてほしい」と願い出ると、面倒になることを避けたい屋敷側から、職や金銭がもらえるという、都合のいいゆすりだった。

そんなある日、名門・井伊家の門前に、ひとりの侍が訪れ、切腹を申し出た。
名は、津雲半四郎(市川海老蔵)と言った。
井伊家の家老・斎藤勘解由(役所広司)は、数か月前にも同じように訪ねてきた若浪人、千々岩求女(瑛太)の、狂言切腹の真相を語り始める。
武士の命である刀を売り、竹刀に替え、恥も外聞も捨てて切腹を願い出た、若浪人の無様な最期を・・・。
そして、半四郎はさらに驚くべき真実を、静かに語り始めるのだった。

津雲半四郎が、井伊家の庭で問うのだ。
 「恥を承知で、武士の妻子のために金子を頼んだ、その心底を誰も哀れと思わなかったか・・・」
自分一人ではどうすることもできない、慣習や社会の中で、武士として自分を信じる正しい生き方と、命をかけて貫こうとする侍たちがいた。
その生き様は、貧困、格差、政治、カネ、権力といった、いまの社会の構造とよく似ている。
三池崇史監督映画「一命(公式サイト)が描く、不条理に抗う武士の生き様は、悲哀に満ちている。
静かに進行するドラマが、やがて、壮絶な斬り合いへとなだれ込んでいく・・・。

いつもながら、殺陣や武士の所作はあくまでも優美で、四季の移ろいを情感たっぷりに捉え、映像は、時代劇初の3D映画としても話題になっている。
ただし、あえて3D版でなく普通のバージョンで観ても、映像全体の迫力は十分に伝わってくる。

50年前の映画「切腹」も、衝撃的な作品だった。
今回の作品は、現在から過去、さらに現在へ戻り、またもう一度過去に戻るというストーリー構成で、武士道精神とは相容れぬ要素をあえて主題としたところは、極めて現代的だ。
山岸きくみの脚本は、女性の慈愛の目から見た武士の姿を描いており、そこから浮かび上がってくるのは、日本人が受け継ぐべき、武士の「精神」だ。
旧作と比べて、作品の「心意気」には新しい解釈もあり、それは現代にも通じるものだ。

武士の義と人情を重んじる、半四郎役の市川海老蔵も上手いのだが、この作品、前評判のわりには観客動員数がはかばかしくない。
義を貫くことを重んじる役の海老蔵は、何とも下世話な当人の私生活で起きた、情けない一件がだぶってしまい、大きなイメージダウンは免れないところだ。
まあ、どうでもいいといえばどうでもいいのだが、そんな嫌な陰が差して、興業成績は想定の半分ぐらいで伸び悩んでいて、大幅な赤字なのだそうだ。
映画は、なかなかよくできていると思われるだけに、惜しい気がする。
…人間とは、まことに愚かなものである・・・。