愛が哀しみに変わるとき、美しい旋律は永遠を生む。
ピアノの詩人と称えられた、ショパンの半生を綴る。
ショパンが、生涯もっとも愛したフランスの女流作家、ジョルジュ・サンドとの愛である。
めずらしく、ポーランド映画だ。
イェジ・アントチャク監督が、激動の人生を生きたショパンを、数々の名曲とともに描いた、壮麗な叙事詩だ。
19世紀、ポーランド・・・。
愛国心を胸に秘めた、若き作曲家フレデリック・ショパン(ピョートル・アダムチク)は、ロシアの圧政に蹂躙されていく母国の姿に、心を痛めていた。
彼は、より自由な芸術活動を求めて、ポーランド出国を決意する。
ショパンは、パリでは自分の音楽が認められず、失意の底にいたが、フランツ・リストの計らいで、念願のパリ・デビューを果たし、たちまちにしてサロン界の寵児となった。
そして、いよいよ名声の階段を昇りつつあったショパンは、男装の麗人として知られる希代の人気作家ジョルジュ・サンド(ダヌタ・ステンカ)と運命的に出会い、彼女の情熱に飲まれるように愛が始まる。
ジョルジュ・サンドはパリ社交界の寵児だったし、当時フランス最大の作家でもあった。
彼女には、すでに家庭があったが、財産と二人の子供たちの親権をめぐって、前夫と裁判で争い、その間にも詩人ミュッセをはじめ、数多くの男性との関係を噂されていた。
サンドは、まさにパリ社交界の絶頂にいた。
その一方で、ショパンには貴族の娘マリアとの婚約話もあったし、当初はサンドに何の関心もなかった。
それでも、ショパンの才能に惚れたサンドは、ためらうことなく、積極的にその熱い想いを伝え、すっかりショパンを虜にしてしまった。
ショパンは、結局サンドの優しさに心を動かされ、二人の関係は8年にわたって続くことになった。
サンドの献身と尊敬の眼差しは、もっぱらショパンに注がれるのだが、しかし歳月とともにお互いの感情は次第に変貌していく。
サンドは愛から憎しみに、ショパンは愛から哀しみに・・・。
このころ、サンドは「愛の妖精」「笛師の群れ」といった傑作小説を、次々と発表していたし、ショパンは「24の前奏曲集」を完成させていた。
サンドは、成長した子供たちの母であった。
子供たちは、ショパンにすべてを捧げようとする、サンドの姿勢を快くは思っていなかった。
サンドの息子モリス(アダム・ヴォロノーヴィチ)は、母の愛を独占しようとするショパンを憎むようになり、娘のソランジュ(ボジェナ・スタフーラ)は、天才ショパンに尊敬以上の感情を抱き始めてしまったのだ。
こうして、ショパンとサンドとの間に、子供たちを巻き込んで、ドラマは予想もつかなかった悲劇へと発展していくのだった・・・。
ドラマの中でも演奏される、「幻想即興曲」「ピアノ協奏曲第1番」をはじめ、ショパンの名曲が素晴らしい。
それだけで、音楽映画の趣きを満喫できる。
彼の壮大な音楽の底流には、ジョルジュ・サンドとの許されざる恋があったからで、映画では初めて、ワルシャワ、パリ、マヨルカと、ショパンゆかりの地がすべてロケで、彼の足跡をたどれるのはいい。
サンドとの出会いなくして、ショパンの成功はなかったのだ。
この物語は、見方を変えると、ジョルジュ・サンドの物語とみることができる。
彼女の気性の勝った献身は、史上の事実でもあろうし、彼女の出現によって、ショパンの晩年の音楽がいかに深みを増していったかがわかる。
二人のエピソードについては、いろいろな文献でも、文学的、芸術的によく知られていることが多く、それを実際に映像で見ることで、ショパンの人生と音楽がどのように形成されていったか、その知られざる悲劇に触れるとき、ショパンが39歳という若さで世を去ったことは、惜しまれてならない。
イェジ・アントチャク監督のポーランド映画「ショパン 愛と哀しみの旋律」は、2010年ショパンが生誕200年ということもあり、彼の音楽からはポーランド人の誇り高い精神を感じ取ることができる。
この作品のヒロインについて、ひとこと苦言を呈したい。
ショパン役のピョートル・アダムチクは、ほれぼれするような美男子で申し分ない。
それなのに、ジョルジュ・サンドの方は、本人は、どうも写真などで見るかぎりなかなかの美貌のはずなのだけれど、彼女を演じるダヌタ・ステンカさんは、はっきり言って、とても怖そうな小母さんなのであります。
これは、どうにも期待外れで、激しく落胆(!)したのであります。