徒然草

つれづれなるままに、日々の見聞など、あれこれと書き綴って・・・。

映画「殯(もがり)の森」ー人間の生と死ー

2008-01-25 20:00:00 | 映画

カンヌ国際映画祭で、グランプリ、審査員特別大賞に輝いた日本の映画である。
先日、NHK衛星放送でも放映された。

「殯(もがり)」とは、敬う人の死を惜しみ、しのぶ時間のこと、またはその場所の意味だ。
仮埋葬と言う意味で使われることもあるようだ。
「殯の森」は、以前「萌の朱雀」でも、カンヌ映画祭でカメラドール賞を受賞、世界から注目されている、河瀬直美監督の作品だ。

人は死んでから、何処へ行くのだろう。
昨日、今日まで生きていた人が亡くなったとき、その動かなくなった人を見つめて、人は、一体何を思うだろうか。
亡くなった人との交流が、生まれることなどあるのだろうか。
目に見えないものの存在を、確認できるだろうか。
人は、いつか死ぬ。
人が逝ってしまったとき、遺されるも者と逝ってしまう者との間に、結び目のようなものがあるとすれば、それは何だろうか。
あるとも無いとも思えるような、その結び目のようなあわい(間)を描いた<物語>を、河瀬監督は見せてくれている。

映画は、重く、暗いテーマに敢えて挑戦した。
この作品は、娯楽性を求める一般の映画ファンからは、多分ばっさりと切って捨てられる作品かもしれない。
そういう映画だ。そう思って観ないと、落胆する。
実に、静謐な映画である・・・。

山間の地に、軽い認知症の人たちと、介護する人たちが共に暮らしている。
その中のひとり、しげき(うだしげき)は、妻を亡くしてから、ずっと33年間も彼女との日々を自分の心の奥にしまいこんで、仕事一筋に生を捧げて生きていた。
それは、誰も立ち入ることのできない、自分と妻だけの世界であった。
そこに現れた、介護福祉士真千子(尾野真千子)も、つらい過去を抱えて、心を固く閉ざしたまま、毎日を懸命に生きていた。
この、心を閉ざしたまま生きている、しげきと真千子の二人が、日々の生活の中で、やがて心をうちとけあっていく・・・。

或る日、二人は「殯の森」に踏み込んで、道に迷い遭難する。
そして、二人の間に不思議な交流が生まれるのだが・・・。

確かに、意味不明のシーンや会話も多々ある。
作品はある部分ではドキュメンタリータッチである。
ハンディカメラの多用も大いに気になるところだし、人物の動き、自然の描き方にも理解しにくいところがないわけではない。
森の中で、大雨が降り出して、突然鉄砲水が発生したり、しげきの冷えた身体を寒さから守ってやるめに、、真千子が裸になって自分の肌で温めてやる衝撃的な場面も、やや唐突な嫌いがある。

河瀬監督自身の故郷である奈良を舞台に、要は、人間の生と死を描いた。
うだしげきは全くの新人で、役者初挑戦だと言う。
真千子役の尾野真千子は、過去に河瀬作品に出演の経験があり、ここでは透明感のある演技を見せている。

あらすじは単純でありながら、内容は大変深く、濃い。
少なくとも、上質の映画と言える。
登場人物の音声は、時として聞き取れず、またまるで必要ないくらいなのだ。
まあ、普通の物語映画の体をなしていないと言った方がいい。
生と死。喜びと哀しみ。
生命の根源に近い感性を、緑いっぱいの森の中で描いている。
物語ということを考えれば、構成上の問題があるかも知れない。
しかし、大事なのはテーマだ。
製作上の、多分の不自然はあっても、生と死を描いて、十分鑑賞に価する。
作品としての評価は、極端に分かれるだろうが、プロ筋の評価は非常に高い。
溢れる緑の森にはじまる映像の美しさは、特筆ものである。

 *この映画の詳細はこちらへ。→ 公式サイト「http://www.mogarinomori.com/