たまにはぼそっと

ふと思いついたことをボソッと書いてみます。

白山1号墳(白山神社)の被葬者は誰?

2022-06-12 05:44:18 | 白山神社
まだ、古墳かどうかも確定されていないのに被葬者を探すのは不謹慎かもしれませんけど、

あえて、考えてみます。

まず、高蔵神社磐座(春日井市)からのレイラインがあることから、サタヒコが尾張にやって来た

以降の時代です。4世紀と推測します。

高蔵神社磐座


そして、前方後方墳とすると、東之宮古墳の被葬者(尾張大印岐「おわりのおおいみき」と考えます)
と近い関係ではないだろうか。

以前、春日井市の高御堂古墳の被葬者は、東之宮古墳の被葬者の息子ではないかと書いています。

古墳の大きさもほとんど同じです。

高御堂古墳は、墳長約63メートル。  こちらの古墳も、約70m。似ています。

ちなみに、東之宮古墳も約72メートルあります。

近くには、田縣神社がありますけど、そこの祭神はサタヒコの子なので、前方後円墳でなければならないのでその人物ではありません。

とすると、高御堂古墳の被葬者の兄弟と考えるのが一番確率が高いでしょう。

つまり、サタヒコの妻(マシキトベと考えます)の兄弟になります。

ならば、サタヒコか率いるレイラインの測量者が仕事をしてもおかしくはありません。



東之宮古墳の被葬者の兄弟もしくはその近くの人物とも考えましたけど、

レイラインの測量者との関係を考えるとその確率は低くなると思います。

これまでの流れで思うことは、この場所の人と犬山の人達は同じ血筋かもしれないということ。

どちらが本家なのかは分かりません。

ですが、この地の人が高蔵神社磐座を崇拝していた。その場所をサタヒコの父親の彦坐王に

教えた。同時に砂鉄のある場所も知っていて教えたのかもしれません。

そう考えると、この地の人と彦坐王はかなり親密な関係だったと思われます。

ですが、高蔵神社磐座のある場所はすでに地元の人の聖地であるため、彦坐王の墓は

砂鉄の取れた場所、つまり春日井の白山神社のある場所に作った。



彼らの聖地に作るわけにもいかなかったのでしょう。

その後、サタヒコが強大な勢力を持ち、尾張にやってきて、しかもマシキトベを妻にしたので

その聖地のある場所、つまり途中の祠に一時墓を作り(現在の通夜になるそうです)後に

東谷山に移した。そう考えるとピタリとくるような気がします。

途中の祠



コメント
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