まず、日吉神社です。岐阜県安八郡神戸町にあります
HPより引用します
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弘仁8年(817年)、伝教大師(最澄)が東国へ天台宗の布教に東山道を通られた折、神戸の地に立ち寄られた。
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ということは、ここを東山道が通っていたとのことでしょうか?
早速、出かけました
すばらしいですね。でも、東山道がどこを通っていたかはわかりませんねぇ。
これより、東に向かうと上磯古墳群、そして宗慶大塚古墳があります。
こんな具合ですね
宗慶大塚古墳のレイラインをもう一度調べると、
あれ?南宮大社より少しずれています・・・なんで?
訂正しておきましょう・・・
でもですね、冬至の日の出を見ると驚きです
尾張戸神社直撃~♪
黄色の線がそうです。赤は今日の日の出ですね。
このあたりは、見晴らしが良いので建築物が無ければ、ひょっとすると東谷山が見えるかもしれません。
偶然ではないと思います。。。
さて、さらに東へと向かうと、津神社があります
円墳の上に建てられているそうです
ウィキペディアはこちら
延喜式神名帳に載っています。
ここから、北に行くと若江神社があります
ウィキペデイアです
こちらも、延喜式神名帳に載っています。
そして、そこに行く途中ですけど、西開田先道というところがあります。
東山道のことを「せんどう」(仙道、先道、山道)と呼ぶそうですが、
ここはまさにその場所ではないでしょうか?
東山道の場所を特定することは出来ませんけど、これまでの地点をつなぐ付近を通っていたと推測します
ただし、古東山道(古道)については、別のルートだと思います
東山道というのは、古道のバイパスのようなもので、古道のように地形から受ける要素よりも
人為的要素、たとえば神社の場所などから推測するとヒントがあるような気がします・
HPより引用します
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弘仁8年(817年)、伝教大師(最澄)が東国へ天台宗の布教に東山道を通られた折、神戸の地に立ち寄られた。
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ということは、ここを東山道が通っていたとのことでしょうか?
早速、出かけました
すばらしいですね。でも、東山道がどこを通っていたかはわかりませんねぇ。
これより、東に向かうと上磯古墳群、そして宗慶大塚古墳があります。
こんな具合ですね
宗慶大塚古墳のレイラインをもう一度調べると、
あれ?南宮大社より少しずれています・・・なんで?
訂正しておきましょう・・・
でもですね、冬至の日の出を見ると驚きです
尾張戸神社直撃~♪
黄色の線がそうです。赤は今日の日の出ですね。
このあたりは、見晴らしが良いので建築物が無ければ、ひょっとすると東谷山が見えるかもしれません。
偶然ではないと思います。。。
さて、さらに東へと向かうと、津神社があります
円墳の上に建てられているそうです
ウィキペディアはこちら
延喜式神名帳に載っています。
ここから、北に行くと若江神社があります
ウィキペデイアです
こちらも、延喜式神名帳に載っています。
そして、そこに行く途中ですけど、西開田先道というところがあります。
東山道のことを「せんどう」(仙道、先道、山道)と呼ぶそうですが、
ここはまさにその場所ではないでしょうか?
東山道の場所を特定することは出来ませんけど、これまでの地点をつなぐ付近を通っていたと推測します
ただし、古東山道(古道)については、別のルートだと思います
東山道というのは、古道のバイパスのようなもので、古道のように地形から受ける要素よりも
人為的要素、たとえば神社の場所などから推測するとヒントがあるような気がします・