湘南発、六畳一間の自転車生活

自転車とともにある小さな日常

春眠なかなか疲れを癒さず

2007年03月22日 | 日常生活
 前日の三浦一周ではなるべく心拍数を上下させずに中程度の一定の負荷で走ることを心掛けた。三浦一周ほど徹底はしていなかったけれども、この前の大観山でも同じようなことを念頭において走ってみた。なぜそんなことをしたかというと、あまり明るい話題ではなくて恐縮ですが、ここ最近やたら体に疲れを感じるからです。

 自転車に乗ろうと乗るまいと、冬から春への季節の変わり目、そして夏から秋への季節の変わり目の一時期、ある歳を過ぎた頃からやたら疲れを感じるようになった。冬から春へ、夏から秋へと過ごしやすい季節になると、とても心地良い眠りが訪れる。だけれども、それまでの寒さや暑さで疲弊した体は素直に休息を求めているようで、どんなにたくさん寝ても、どんなにしっかり休んでもなかなか疲れが抜けていかない。逆に、春に虫が地中からむくむくと顔を出すように、体の芯からどんどん疲労が湧き出てくる。しっかりと睡眠をとったあとでも、まるで疲労のエキスが骨から絞り出されたかのように、筋肉や関節が熱を持ってだるくほてったりしている。

 これまで、僕はそれを加齢や気候の変化に適応するための仕方のない現象だと考えてきた。たとえば森の動物たちだって冬を越すあいだにそれまで蓄えた脂肪をごっそり奪われて痩せぎすの体になってしまうのだ。そして春の訪れとともにふらふらと動き出し、餌を求め、春の眠りをむさぼるのだから。だから春の訪れとともに僕がやたら体の疲れを感じたりするのも、これはまぁ動物として仕方のないことだと思っていた。とは言っても僕の場合は、冬のあいだに逆にしっかり太ったりもしてるんですけど、まぁそれはそれとして。

 そんなわけで、なるべく体力を消費しないように走った三浦一周の翌日のこの日もしっかりと体に気だるさが残っていた。残念ながら。だけれども、これもきっと厳しい冬から穏やかな春への季節の変わり目だから仕方ないんだろうな、きっと・・・

 といったことを同世代の女性に話したところ、「それって自律神経の問題じゃない」とあっさり言われてしまった。森の動物たちの生態まで持ち出して打ち立てた僕の説(というほどのものでは勿論ありません)をばっさりと斬り捨てるかのような、それはそれはひどい物言いだった。僕としては、いきなり辻斬りにでもあったような気分だった。だけれども、ほんの数秒後には「そういうこともあるかも」とも思った。自律神経についてはえっと女性のほうが幾分詳しそうだし、僕のほうにも「そんなことはない」と強く否定するような自信もなかったし。

 まぁそれがどんな理由であろうと、暖かくなってきて自然に出てきた走りたい、走りこみたいというせっかくの気持ちに体がうまくついていかないというのはやはり残念なことだ。だけれども、そういうときに無理をしても仕方ない。というわけで、いまはあまりあせらずに無理のない走りをしよう。そして、走ったあとはしっかり食べ、春の心地良く少し気だるい眠りをむさぼる。そういうことを自然のものとして受け入れることもきっと大事なことなのだろう。動物として。って、あんまりそんなことばかりが続くと、それはそれでぶくぶく太っちゃって大変なことになっちゃいそうですけどね。

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