湘南発、六畳一間の自転車生活

自転車とともにある小さな日常

力を入れずに走る

2007年03月15日 | 自転車生活
 前にもどこかのエントリーで書いたような気がするけれども、僕の通勤ライドはとてものんびりしている。ロードで通勤することが多いのに、巡航はだいたい25km以下。到着してみればアベレージが20kmを切っていることもある。なぜそんなにちんたら走っているかというと理由はただひとつ。疲れたくないからである。

 こんなゆっくりとしたペースでは体力増強や脂肪燃焼といった運動効果はほとんど望めないと思う。だけれどもそんな走り方でも、ためになることはある。それは極力体力を消費しない、力を入れずに自転車を前に進める走り方について考えることができるということである。

 自転車において維持したい走力が僕には2つある。ひとつは頑張ればある程度の坂はこなせる走力。僕は峠越えツーリングが好きなので、やはり体力がないからといって峠に行くことを躊躇するようにはなりたくない。だから塩山~大弛峠といったかなり標高差があるコースでも、ゆっくりしたペースでいいからなんとか頑張れば峠までたどり着けるような力は持っていたい。

 そしてもうひとつ維持していたいと思うのが、頑張らなければどこまでも走っていける走力。「どこまでも」というのはもちろんあくまでも比喩的な意味でだけれども、よく水泳の上手な人が「疲れなければいくらでも泳げる」といったことを言うように、力を入れなければ長い距離でも走れるような走力を持っていたい。ある程度距離が長いツーリングを楽しみながら走るにはやはりこういった走力が大切だと思うので。

 そんな頑張らなければどこまでも走っていけるような走り方について、のんびりと自転車を走らせながら僕は考えている。

 力を入れずに走るのに一番重要なのはやはりペダリングのような気がする。一度発生した自転車の前への推進力、クランクの回転を極力妨げないペダリング。ペダルに固定した足を、クランクの円周上に沿ってなるべくスムーズに、なるべく力を入れずにまわすこと。そして公園にある廻転器をまわすときのように、回転が落ちそうになったらほんの少しだけ力を加えて回転力を失わせないようにすること。そんなことを考えながら走っていることが多い。

 回転力を失わせないために力を加えるときのペダリングについては、ランス・アームストロングとクリス・カーマイケルが書いた『ミラクルトレーニング』のなかの「上死点となる12時の位置をペダルが通過するときは、樽の上に立って足で樽を押し出すような感じでペダリングする」という表現が、すごく僕の実感に近くてわかりやすかった。基本的には一度発生した回転力を極力生かし、樽をころんと転がすように上死点でほんの少しだけ力を加える。こんな感じで走っていると確かに疲れが少ないような気がする。

 こんな感じでのんびりと走っているときのケイデンスは、速いペースで走っているときよりも少し低い82くらいが僕にとっては快適らしいということも通勤ライドでわかった。だから直江津ランの渋峠の上り口までは、ずっとそんな感じのケイデンスで走ることを心掛けた。そして実際に230kmという距離を、思いの他体力を消耗することなく走ることができた。これは普段ののんびりとした通勤ライドの賜物なのではと僕は勝手に考えたりした。

 となんだかヒジョーにえらそーにいろいろと書きましたけれども、えっとまぁこれはだらだら走っている自転車通勤の正当化に他なりません。まぁ往路はともかく、復路くらいはもっと頑張って走ってもいいんじゃないかと思うんですが、通勤ライドのときはどうも頑張る気がしないんですよね。この冬なんかはしっかりタイツはいて自転車な格好で走っているにもかかわらず。そんなわけで、発想の転換というほどのものでもないのですが、自転車通勤では極力疲れずに走るということを考えていたりします。