最近ちょっと調べたいことがあり図書館に行く。加藤文太郎著単独行を2冊借りる。我が家に帰ったら、もう1冊が出てきた。かなり以前購入して忘れていた。
さらに、新田次郎著「孤高の人」まで出てきた。
調べたかったことは、文太郎の大山登山のことで、彼が山を始めて間もない頃、大山から船上山まで縦走している(らしい?)。その折りの、大山縦走路の苦労を書いていた様な記憶があり、この度改めて「単独行」を読み返してみることになった次第です。
ところが、大山と、船上山には登っているのだが、詳しいことは何も書いてない。確か、大山縦走路のナイフリッジのすごさに「馬乗りになって越さなければならなかった」というようなことを記していたように思っていた。
長い間、そう思い続けていたが、どうもこの記憶は何かと混同していたらしい。
左から、二見書房(我が家の本)、朋文堂(三版本)、山と渓谷社
朋文堂版は、昭和21年発行本だけあっていかにも古書といった感じだ。なにやら臭いもするし、紙は変色して活字もよみずらい。
山と渓谷社は新しく、平成12年出版。新しい本ほど、気が利いていて、他にはないデータ、記録と言ったようなものが載っていておもしろい。
その一つは、
加藤、吉田両君遭難事情及び前後処理 加藤君捜査後援会
A 出発より行方不明まで
B 死体発見より帰還まで
もう一つが、
夫、文太郎の思い出 加藤花子
この花さんの手記がなんともいえない。
「 6日の明方、うとうととしてしまいました時、私の編んだセーターを着て、元気のない彼 が手ぶらで帰って来まして・・・」
花子さんの見た夢は、あまりにもリアルで「そんな事もあるんだなあ ~」とちょっと気味が悪くなりました。正夢というものがあるとしたら、まさにこのことだ。
もう少し科学が進歩したら、人間のテレパシー能力の解明が進むだろうか。
話を戻して、文太郎の大山登山へ。
文太郎の単独行には、「大正14年10月、大山、船上山」としかなく、どうしたこうしたとは書いてない。
それで、何か他の本で読んだのかと思い、「新田次郎著、孤高の人」と「深田久弥の日本百名山」などを引っ張り出してみたが何処にも見当たらない。
やはり記憶違いかなと思うが、案外、文太郎の単独行のどこかに大山縦走の事を思い出して記していたのかもしれない。
加藤文太郎
1905年 兵庫県浜坂町に生まれる。
生まれながらの単独行者といわれ、超人的な山行は、藤木九三をして「国宝的存在」とまで言わしめている。
1936年1月 槍ヶ岳北鎌尾根にて不帰の人となる。
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