山の記憶 (百名山・二百名山・三百名山)

山スキー、その他の山行もあります。

四国八十八ヶ所札所めぐりを振り返って

2021年01月24日 | ちょっとそこまで

四国八十八ヶ所札所めぐりを昨年度と今年度と2度行った。車による遍路旅なのであまりおかげはないだろう。しかし、四国巡りは北海道などの旅と違い、別の意味で勉強になった。

 信心による旅ではなかったから、あまりあれこれとはいえないが、とにかく無事八十八ヶ所の寺院から墨書と御朱印をいただいた。軸はこの後、いい機会に高野山に参り最後の仕上げをしたい。春までには終えたいが・・・。そして、その後表装ということになる。

 先日、NHKTVが高野山特集をやっていた。高野山も、外部は見ることはできるが、内部については特別な行事の時以外は難しいはず。空海が、大師と呼ばれるようになって1200年となるそうだ。大きな催しが行われるようなら行ってみたいものだ。

 春になれば、大勢の信者はもとより観光客も押し寄せることだろうが、今年はどうだろうか? コロナが終息に向かうことを願いたい。コロナの終息に向けては、神社・仏閣で様々な祈祷や祈りがなされているようです。

朝の勤行風景   

              

 墨書と御朱印について、気づいたことがある。それは順番のこと。墨書が先か、御朱印お押すのが先かということ。どちらでもいいように思うが、お寺(担当者)によって違いがあるようです。

 まず墨をおいてから印をおく方がいいように思うけど、逆もある。印の上に墨を置くのは、見た目に美しくない。ただ、墨を先にした場合は、墨がかわいてからでないといけません。丁寧なところは、ドライヤーで乾かしてから印を押されますが、手間がかかるせいかそういう所は少ないようです。

 さて、今回の四国八十八ヶ所札所めぐりについて、まとめをしてみます。

まず、なぜ四国八十八ヶ所札所めぐりなのかということですが、若い頃から漠然とではあったけれど、年を取って体力も無くなってきたら四国八十八ヶ所札所めぐりでもしようかと思っていました。しかし、当時は山への情熱がフツフツとしていた頃で、とにかく暇があれば山でした。それも、世界的な登山ブームでもあり、世界的なアルピニストやクライマーの活躍をうらやましく思ってもいました。日頃の山は、大山(鳥取県)で季節を問わず通ったものです。縦走から始め、岩登りから氷壁、そして雪山へとほぼ順当に山に入っていくことになります。

 それから幾星霜、気がつけば定年間近。それではとりあえず「百名山」となり、百名山が終わると「二百名山・三百名山」となりました。阿南市の溝田ご夫妻と出会ったのは、百名山の中途で、その頃は確か溝田さんご夫妻の方が、自分より多く登っておられました。

 百名山、二百名山、三百名山が終わった頃、自分に取って山登りは結局「探検」ではなかろうかと気づきます。それで、探検的な要素のある山や旅に入ることになります。

 熊に出会いながらの知床最先端行きはそうした流れの中の一つ。立山から槍ヶ岳へ山スキーでオートルートもそうでした。富士山頂からのスキー滑降等々。今思うに、70歳頃までは元気でした。最近、後期高齢者の仲間入りで気力・体力とも自信がなくなりつつある中、思い立ったのが四国八十八ヶ所札所めぐりです。

                                               その1

                                             

 

 

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