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山の記憶 (百名山・二百名山・三百名山)

山スキー、その他の山行もあります。

百名山の記録 妙高山(その2)

2014年09月05日 | 日本百名山

  ダケカンバの華

 彼は、少し酔った調子で「赤いカンバの華が咲いている」と言う。何のことか、よく分からず聞き返すと、自分は長い間山に登ってきたが、「カンバの華」を見るのは今回が初めてだと言う。カンバとはダケカンバのことですかと聞くと、そうだと言う。この時期、ダケカンバに華が咲くはずはないのだが、今小さな華が咲いているそうだ。何かが私の頭の中で動き出した。「日翳の山 日向の山」に出てくる、「岳妖」の話が浮かんできた。「本当にあった話である」との書き出しがあり、作者は、上田哲農。そしてこれは、実に奇妙な冬山遭難の話だ。「見たのと・・・違うかしら」と言う言葉がこの物語のいいようもない不安感を残す。
 

 大体「赤いみぞれ雪」など降るはずは無いと思うのだが、その日、東北の名山朝日岳の麓では「赤いみぞれ雪」が降っていたそうな。朝日鉱泉で休憩した3名の登山者は、雪の降る中、鳥原小屋を目指して出発し、以後消息を絶つ。
 遺体は、数ヶ月後救助隊により発見されのだが、遭難場所やメンバー構成から見て疑問だらけ。3遺体の倒れている位置関係や装備品の散乱とザックのひものなぞ。
 読者は、「なぜ」という人間の知的な欲求を満たされることなくなく、一抹の不安や疑問を心の中に残すことになる。
  何故かこの時、この一連の物語が思い出された。「赤いみぞれ雪」、「季節はずれの赤いカンバの華」。私は、傾き初めた陽を浴びながら、湿原の中に延びる木道を急いだ。途中、「カンバの華を見ることができるかもしれない」と、幾ばくかの期待を持ちながら周囲の木々に目をやるのだが、「無いよりましな」眼鏡にそれらしきものを捉えることはできなかった。
               

                              日暮れは近い

                      

 

 12曲がりまで下り、少し安心する。曲がり角を数えながら下りる。沢の水音を聞き、もう大丈夫と思う。時計は5時前、まだ明るい、この調子で行けば何とか明るい中に帰れるだろうと思いながら歩く。しかし、間もなく薄暗くなり、道標の識別もままならなくなってきた。急いでいたせいもあってか、間違えるはずもない道を間違えてしまう。広い方の道を行けば間違いはないだろうと安易に考えていたのがいけなかった。ある地点で、内心「おかしいな」と感じた。しかし、もうゴール近いし「大丈夫だろう」と安易な判断をしたのが間違いのもとだった。
 行けども行けども駐車場に到着しない。5時半はとっくに過ぎ、ますます暗くなる。時間的にはもう着いているはずなのだがその気配はない。その内、だだっ広い草原のような所に出る。記憶にない場所だ。暗がりの中で、朽ちた道標を見つける。な、なんと方向違いがこの時ハッキリする。引き返そうと思うが暗がりのためどちらからやって来たのかよく分からない。
 感を頼りに引き返し、不安になりこの時初めてヘッドランプを出す。軽量、小型の最新式だが、光は遠くまで届かず、せいぜい足元を照らくらいの代物だ。テントの中で使うのなら十分だが、広い屋外での使用には向かないなとこの時初めて気づく。それでも無いよりましだ。足の痛さを忘れ、無我夢中で歩く。気がつけば空にはお月さん。ふと、「カンバの赤い華」が頭に浮かぶ。月も心なしか赤みを帯びているように思える。ビバークも考えたりしながら歩いていると、「おかしいな」と感じた地点までたどり着いた。ヘッドランプで周囲を照らして見るに、間違った方向とはやや反対方向の木陰の中に、きちんとした道があるのを見つける。

 やれやれと思い気を持ち直して道を急ぐと、記憶にある木道に到着した。ここからはもう間違えることもない一本道と安堵して沢を渡り先を急ごうとしていると、何かが後ろから追いかけて来るような気がする。真っ暗闇の中、何だろうと後ろを照らして見るのだが何も見えない。しかし、何か追いかけてくるようだ。またまたイヤな気分になる。暗闇の中から、突然ボワッと光るものが現れた。光は徐々に大きくなり、人の足音が聞こえ出す。この時間にこんな所で人に会うなどとは考えもしないことなのでギョッとする。光は、硬直したように立ち止まる私を無視するかのように、さっさと行ってしまった。足音の主は、まだ若い登山者だった。暗闇の中で近づいてくるものに対する不安と緊張。この時、自分の顔はどんな形相だったのだろうか。

  駐車場到着が7時。1時間以上さまよったことになるが、もの凄い体験したように感じた。荷物を整理していたら、先ほどの若者がやって来て話しかけてくる。自分は明日は「高妻山」へ登る予定だけれどご一緒できないかという。当初の予定では、高妻山も計画に入れていたのだが眼鏡や膝痛のこともありお断りすることにする。月夜の晩のだだっ広い駐車場。若者も不安らしいと分かる。あれこれ誘うのだが、しばらくお話に付き合ったが別れることとする。
 「痛い膝、超見にくい眼鏡」を掛け、夜の上信越自動車道に乗る。途中のPAで車中泊した後、翌27日(金)午後6時50分無事帰宅する。


 


百名山の記録 火打山~妙高山

2014年09月05日 | 日本百名山

 9月25日(火) 

                              
   朝から雨。激しくないのだが、一面のガスの中で登山しようかどうかとまごつく。時折カミナリの音。それでも、登山者の姿を見る。雨具を着ては、登山口へと消えて行く。
 できれば雨の日の山登りはしたくないなと思う。今日は山小屋泊まりだから夕方までに小屋に着けばいい。ガイドブックによれば、高谷池ヒュッテまで約3時間だ。天気の回復を待つこととして「下界」に下りてみることにする。妙高高原駅まで下り、観光案内所で町の説明を聞き、温泉に向かう。
 

  土産物店の中にあるお風呂に入る。こ

こで大変なことをしてしまった。めがねを掛けたままサウナに入ったのがいけなかった。眼鏡の表面の膜がサウナの熱で変化してしまい眼鏡を掛けても前がよく見えなくなって、一瞬頭の中が真っ白になった。
 初めは、自分の目がおかしくなったのかとも思った。強度の近眼なので、視力が出なければどうすることもできない。眼鏡を冷やしたり、拭いたりあれこれしてみるのだがどうしようもない。薄い雲の掛かったような状態の「ないよりましな眼鏡」を掛け、笹ヶ峰キャンプ場まで戻ることにする。
 

   午後2時20分、よく見えない眼鏡を掛け、登山開始。天気は嘘のように回復し、青空が広がる。登山道入り口からしばらくは木道が続く。緩やかな登りの後、道は水量のある沢とぶつかる。橋を渡ると間もなく、12曲がりの急登が始まった。急登ではあるが、直登でないからその分だけいくらかは楽だ。穴の中から抜け出したような地点が、12曲がりの終点。さらに登りは続くが、全体として緩やかな登りとなり、富士見平に着く。ここは、高谷池ヒュッテと黒沢池ヒュッテとの分かれでもある。どちらに行っても時間的な差はないが、真っ直ぐ高谷池ヒュッテに向かう。
 

天気はすっかり回復し、夏を思わせれような青空が広がる。視力は低下しているが、心持ち気分も晴れる。5時10分、高谷池ヒュッテ着。 
 若い管理人から小屋のルールを聞き、久しぶりの山小屋泊まりに幾分安堵する。何パーティーかの先着者は既にご機嫌のようで、聞くとは無しに聞いていると、やはり午前中の登山は雨の中大変だったようだ。

                                              (駐車場2:20~高谷池ヒュッテ5:10)

                            高谷池ヒュッテ

              

  9月26日(水)
 

  昨夜、右ヒザに違和感を覚え、心配していたことが今朝になって現実のものとなってしまった。年甲斐もなく無理をしたためだろうか、ヒザ関節が痛み出し小屋の階段の上がり下りすらままならなくなっていた。眼鏡の件といい、またヒザの故障といい、良いこと無しだ。天気は素晴らしく、昨夜の放射冷却のせいだろうか外は薄氷が張っている。小屋のすぐ前にテントが2張り、湿原の池の脇に寒そうに張ってあった。
                                

                              天狗の庭 から見る火打山  

                  

 

 

   6時20分、ストックを頼りに歩き始める。高層湿原と池塘は、全国各地にあるのだが、ここのそれは火打山を背景にこじんまりとまとまっている。花の季節は既に過ぎて、紅葉の時期には幾分早すぎるという中途半端な季節の火打山ではあるが、高原の牧歌的な雰囲気が何とも言えない。まだ早いからなのだろうか、こんなに良い天気なのに誰一人見えない。緩やかな登りの後、天狗の庭に出る。もう目の前に火打山が早く来いと待ちかまえているように見える。雷鳥広場から最後の登りに掛かる。足は痛いのだがとにかく頑張って歩く。7時50分 火打山登頂 2462m。
 

 周囲の山々の写真を撮り、記念撮影をする。焼山の方に向かうパーティーもあり心ひかれたが、妙高山への時間配分もあり下山することとする。痛む足を引きずりながらやっと天狗の庭まで下りる。改めて見上げる火打は、夏の終わりのけだるい青空の下に、孤高を保つかのように静かに横たわっていた。「百花繚乱、花の火打」の季節にもう一度やって来たいものだと思いながら次の目的地妙高山へと向かう。
                                

                                  妙高山

                       

 

 茶臼岳への緩やかな登りを終えると、眼下に黒沢池ヒュッテが見えてくる。妙高山を後ろに控えさせ、湿原を前にしたこの山小屋の佇みが美しい。高谷池ヒュッテもそうなのだ自然との絶妙なバランスが何とも言えない。今はシーズンオフなので人影もまばら。この素晴らしい景観に静かに浸れる幸せをかみしめながら山小屋に向かう。  
 

  11時、黒沢池ヒュッテ前に荷物を置き妙高山に向かう。火打とは違い、登り道はゴッゴツした岩や石コロで歩きずらい。途中、燕温泉の方から登ってきたと思われる登山者の群れと出会う。大倉乗越にさしかかると、長助池の近くに青い小さな建物のようなものが見る。初めはよく分からなかったが、後でテントらしいと分かる。ガイドブックにはないテント場なのだろう。長助池分岐より急登となる。荷物は置いてきたあるのでいくぶん楽だ。あえぎながらも順調に頂上に着く。誰もいない頂上に、大岩がどっかりと座している。何万年、何十万年の時を経た「妙高の骨」だ。
 

  今日は眺望抜群。遙かに北アルプスの山々が見えているようだ。一人だけの眺望を満喫して下山にかかる。明るい中に笹ヶ峰まで下りなければいけないのだが、膝の調子が悪くどれくらい時間が掛かるのか見当も付かず気が急く。しかし、こんな体調でよくここまで来たものだと我がことながら感心したりもする。
                        

                                妙高頂上

                     

  黒沢池ヒュッテまで下りると、ベランダの前で景色を見ながら悠々と酒を飲んでいる年配の男性に声を掛けられる。話すと、かってはある県の山岳会の会長を務めたりもした経験のある山の大ベテランとわかった。70も後半なのだが、テントを担いでの単独行とのことだ。おもしろいお話を聞きながらも帰りの時間が気になりだした。そわそわし出したのが分かったのか、「5時半を過ぎると暗くなるからそれまでに下山せよ」とのご指示を頂いた。別れ際に、妙なお話を聞いた。一瞬耳を疑った。


百名山の記録 雨飾山

2014年09月04日 | 日本百名山

9月24日(月)

  早めに起床し、テントをたたむ。登山口に近い下の駐車場に車を移し、出発の準備に掛かる。今日もまずまずの天気だ。簡単な食事の後、水と行動食、カメラをザックに詰めスタート。心なしか気が弾む。しばらく湿地帯の中を行く。湿地帯と言えば、湖沼をイメージしがちだが、ここは大海川の川岸沿いに付けられた木道を歩いていることになる。ほぼ水平な道に気分を良くしていると、ブナの急登に入った。荒菅沢までを第一目標として地道に歩く。荒菅沢は雨飾山へ突き上げる沢であり、見上げると「フトンビシ」が圧倒する。岩登りにおもしろいようなスラブや岩峰が目を奪う。

                           稜線が見えて来る。頂上は左奥に。

                 

                        水場でいっぷく                             登り切って 

                                            

    - 登山道は川の対岸に付けられているのだが、現在のように登山道が整備されない時代にこの山を目指した者は、きっとこの沢を詰めたことだろうと思った。ザイルといくらかの登攀道具さえあれば結構楽しめそうなルートと感じた。荒菅沢から本格的な急登が始まるが、多くの登山者に踏まれた「100名山の急登」だ。登山道左手に峨々として連なる岩峰を見る。クライマーたちの心を捉えそうな素晴らしい岩壁が。途中しばしの休憩を挟みながら、笹平に到着。頂上はまだだが、きつい登りは終わった。笹平から火打・妙高へと続く尾根筋に、一筋の山道が延びている。この道は、焼山から火打岳へと続いているのだろう。こんな尾根道に、なぜか心惹かれる。
 笹平をしばらく行くと、雨飾温泉側からの登山道にぶつかる。大きな道標の前で記念写真。雨飾山の頂上ももう指呼の間に見える。最後の登りがきつそうだ。 

               雨飾り頂上目で30分とある。最後の登りを頑張って頂上へ。                      

               

      雨飾り温泉からと小谷小谷温泉からとは同じような時間になる。どちらがいいのか?

 
 10時30分雨飾山登頂 1963m。
 まず北峰に立つ。多少風も出て、肌寒さを感じながらシャッターを押す。ガスの中から、越後側の集落が時折顔を覗かせる。素晴らしいはずの眺望も風に乗って立ち上るガスに阻まれる。山とはこんなものだとあきらめる。
 特に100名山を目標とした山登りでは、「早く、たくさん登っておこう」という気持ちが強いから、眺望とか、天候とかを考える余裕がない。
 北峰から南峰に移動する。いわゆる頂上は南峰にあった。三角点があり、すぐ脇に金属製の箱が置かれ、中には登頂した者が記念に記すノートが入っていた。
  狭い頂上に、次々と登山者がやってくる。記念にと登頂ノートに名前を残し下山する。雨飾山は双児峰。北は越後、南は信州。秋を知らせる風が吹き渡っていた。 

                       笹平。 頂上より登って来た道を見て。                       

                                                               

                                               (駐車場7:20~頂上10:30~下山13:40)

 


 13時40分、駐車場着。まだ日も高く、青空が広がりつつあったのだが、「秘湯」にも浸からず一路妙高高原へと車を走らす。急ぐのにはいくらかの理由があった。まず第一は、明るい中に次の目的地に着いておきたいということ。第二の理由は、道路事情である。 雨飾から妙高へは、小谷温泉近くから分かれる林道を行くわけだが、林道というものは、その年々によって大きく条件が異なり、崩落などで突然不通になっていることがある。台風や大雨に見舞われた年は特に要注意だ。事前にしっかりと情報を集めて置けばいいのだが、根がルーズなため「行き当たりばったり」を決め込む者の宿命みたいなものか。
 林道としては結構広く、舗装こそされてはいないが対向車に出会っても安心そうな道に車を走らす。振り返れば、雲の晴れた青空に雨飾山が見える。途中、金山登山口があったが小谷温泉を基地として、雨飾山から金山はぐるりと縦走できるようだ。
 乙見山峠のトンネルを越えると、途端に道幅は狭くなり、小谷側に比べもの凄いでこぼこ道だ。運転も慎重にならざるを得ない。「火打岳」、「妙高山」、「高妻山」などの山々がカーナビに見え出す。途中、何台かの車が止めてあるのは、釣り師のものらしい。

   乙見湖に出るともう妙高高原。笹ヶ峰キャンプ場の駐車場に車を駐める。長野県から新潟県への峠越えは、悪路の割には心配するほどのことは無かった。
 暗くなるまでには時間もあるので、周囲の下見に出る。ここが妙高高原かと、妙に感動する。紅葉には早く、人はまばら。車道脇に記念碑があり行って見る。
 それは、「雪山賛歌」の碑であった。スキー発祥の地でもある妙高高原は、「雪山賛歌」誕生の地でもあったのだ。近くに京大ヒュッテもあるらしく、古きよき時代の学生たちの歌声がこだましていそうな、そんな気がした。

 
 「山小屋明星荘」でビールの乾杯。簡単な食事をする。2名の宿泊客は、釣り師らしく釣の話に熱中しておられた。小屋の方から宿泊を進められたが、愛車で寝ることとする。
 暗くなってから、下山された方がおられた。今朝出発し、火打岳と妙高山を登り今下山したとのことだった。6時はとうに過ぎていたように思う。この季節、5時30分を過ぎると暗くなるから注意しなければいけない。

 


百名山の記録 蓼科山~霧ヶ峰~美ヶ原

2014年09月03日 | 日本百名山

 両神山を下り、一気に蓼科山へ向かう。16時20分駐車場着。 翌3日は、快晴。あまり天気が良いので駐車場にて虫干し。 

  9月3日(月)

 狭い車での生活続きなのでむさ苦しい限りです。しかし、毎日といっていいほど温泉で汗を流し、着替えもきちんとしているので下界にいるより清潔だと思う。  

                             駐車場にて

             

 7時40分、蓼科山七合目にある駐車場をスタート。間もなく将軍平に着く。山小屋がありなぜかここでビールを飲んだ。好天に恵まれ何ともいい気分でした。小屋のおじさんとしばらくお話をする。

                                                   (7合駐車場7:40~下山12:30)

                          蓼科山頂上から見る八ヶ岳

             

 この後、霧ヶ峰と美ヶ原があるけれど立派な道路が整備されていて頂上までの苦労はない。ただ、やたらと人が多い。ビーナスラインで車山の麓まで行き、ロープウエイで頂上へ。先ほど登った蓼科山がよく見える。それでも下りは歩く。夕刻、八島湿原入り口にある駐車場泊。

                   コロボックル小屋と車山 遙かにかすんで蓼科山

             

                            霧ヶ峰(八島湿原)

             

  4日(火) 八島湿原からコロボックル小屋へ向かって歩く。早朝から多くのカメラマンが朝霧の湿原の写真を撮っていた。霧ヶ峰の名前どおり霧の深いところです。しかし、朝霧が出る時は、天気は良いようだ。風景は尾瀬に似ているともいえるかもしれない。

 コロボックル小屋で簡単な朝食を摂る。こじんまりとしたこの小屋は、もともと手塚宗求さんが独力でたてたものだが、一度台風で壊されその後、支援・協力を得て再建されている。霧ヶ峰を訪れる多くの人々に愛されている。

 売店で手塚さんが出された本「邂逅の山」を買う。丁度、手塚さんが出てこられて会計をしてもらった。この出合いが最初で最後となったのはとても残念な気がする。この時、手塚さんは何歳だったろうか。自伝ともいえる「邂逅の山」に登場する、たくましい山男の面影はなく、どこか文人とでもいった雰囲気がただよっていた。「人も多いが花も多いです。一見の価値はありますよ。」といわれた言葉が印象的だった。その季節には、ニッコウキスゲが高原一面を覆い尽くすそうだ。

                      高原は 哀しきところと人の言う

                                     ただマツムシ草の色淡やかに

  多分この詩は手塚さんのものだと思うが記憶がはっきりしない。この辺りには、著名な詩人の碑などがあちこちにあったから・・・。                 

 ビーナスラインで美ヶ原へ向かう。ここも人の多いところ。駐車場から王ヶ頭まで歩く。途中、美しの塔を見る。「尾崎喜八」の詩が刻んであった。

                                                    (八島湿原駐車場5:30~蝶蝶深山6:35~八島湿原駐車場10:40)             

                              美しの塔

             

                     

                                   登 りついて不意にひらけた眼前の風景に

                                   しばし世界の天井が抜けたかと思う。

                                   やがて一歩を踏み込んで岩にまたがりながら、

                                  この高さにおけるこの広がりの把握になおもくるしむ。

                                   無制限な、おおどかな、荒っぽくて、新鮮な、

                                  この風景の情緒はただ身にしみるように本原的で、

                                  尋常の尺度にはまるで桁が外れている。

                                                                                            (尾崎喜八 美ヶ原熔岩台地)

                               王ヶ頭

             

 今日は、山登りというより草原・高原歩きといった感じ。ハイキングかピクニックには最高のコースだと思う。「静観派」と呼ばれる人たちが好みそうな山だろうか。

                                                 (山本小屋12:00~王ヶ頭13:10)

  

 

 


百名山の記録 荒島岳(平成7年)

2014年09月03日 | 日本百名山


荒島岳~雨飾山~火打山~妙高山

 2007年9月23日(日)
 

 朝7時15分、勝原スキー場からスタート。スキー場の中に延びた登山道を登る。舗装された登りは歩きづらいが、体馴らしのためにもとゆっくり歩く。
 快晴というほどではないが、天気は良さそうだ。いつもは、明るい中に登山口に到着しているのだが、今回は、松江発が遅かったため日没後の到着となってしまった。 それに、途中荒島岳登山口への道路標識を見落とし、気がついて引き返したりの失敗もあったため、つまらない時間を消費してしまった。
 昨夜は、暗くて周囲の状況が把握できず「狭い駐車場だな」と思っていたが、朝目覚めて初めて周囲の様子が理解できた。駐車場は、登山用というより「勝原スキー場」のために整備されたものなのだろう。すぐ下の広場にも駐車場があり、何台かの車が駐めてあった。朝は、6時頃から、ポッポッと登山者の車が到着しだした。7時前、幾組かのパーティーが頂上を目指して歩き始める。駐車場からでも見えていた人の列も、その高度を増すにつれ林の中に消えていく。
 

 舗装路はしばらく続くが、間もなく途切れ、山道へと変わる。一息入れたいと思う頃、リフト終点の見晴らしの良い広場に出る。汗を拭きながらしばしの休憩。
 ここから荒島岳への本格的な登山が始まる。登路ははっきりしているので、ゆっくりと登る。幾分、山陰の名山「大山」に似ていると感ずるのは、立派なブナの林のせいかもしれない。
 途中、樹間に白山を見る。雲が多く、ハッキリと見えないのが残念だ。結局この日、白山が見えたのは、登りのこの時間帯だけだった。
 シャクナゲ平の手前の水場で休憩する。水場は、すぐ近くにあったが足場がぬかるんでいてクツを汚した。しかし、この水は、少々の犠牲を払ってでも味わっておくべき水だと思う。「名山に名水あり」などとは言わないが、「100名山中の名水」と言っても過言ではないだろう。時々、こんな美味しい水に出くわすことがあるものだ。
 イヌを連れた男性の登山者が、汗を拭き拭き登って来られた。「水」の話をすると、イヌを連れて水場に下りられたが、しばらくすると「美味い、美味い」を連発しながら上がってこられた。イヌが、泥だらけのままではしゃぎ回るものだから、飼い主も大変だ。
 

 シャクナゲ平で、もう一本の登山道とぶつかる。しかし、そちらからの登山者にはあまり出会わなかった。ガイドブックによれば、この登山道は「中出コース」と名付けられている。「勝原コース」よりゆったりとしたコースだが、時間的にはあまり変わらないようだ。シャクナゲ平を少し下ってから、最後の急登にさしかかる。グングンと高度を稼ぎ一気に頂上へ抜ける。10時35分荒島岳登頂。1523m。
 

 頂上は、思ったより狭く、既に多くの人によって要所を占められていた。風弱く、穏やかな天気。しきりにカメラのシャッターを押すのは中高年の方々が圧倒的だ。
 少し遅れて、犬を連れた男性が登ってこられた。しばらく会話をしたが、100名山も後わずかとなり、何だか寂しいとのこと。連れのイヌがくたびれたらしく、声を掛けても元気なく寝そべったままだ。
 昨日の登山で頑張りすぎたためと、夕べ、今日のエサも食べ尽くしてしまったからとのことで何だか可哀想な気がした。おにぎりを一つ分けてやったら、寝そべったまま食べ、また寝込んでしまった。
  登頂の記念写真を撮った後、下山。お昼過ぎの下山なので、これから頂上を目指す多くの登山者に出会う。シャクナゲ平までの早いこと。登りの苦労が嘘のようだ。

                                                          荒島岳にて

                                                      


 

   ここで、一人の女性に出会う。病み上がりなため今日はここまでで下山するとのことだった。地元の方らしく、早く健康を取り戻して登れるようになりたいと話しておられたのが印象に残った。
 下りはおもしろいほどに元気が出て、ブナの根っこが表出した道を飛ばす。しかし、ついに終着近くで力尽きてしまった。足を引きずりながら駐車に着いたのが、13時20分。トイレで汗まみれの顔を洗う。
                                               (駐車場7:15~頂上0:35~下山13:20)

   今回の第一目標を無事クリヤーして、一路雨飾山へ向かう。
 荒島岳から、雨飾山へは一度北陸自動車道福井インターまで引き返し、改めて日本海沿いに北上することとする。富山県を過ぎ、新潟県に入る。糸魚川沿いにしばらく南下する。 糸魚川が姫川とその名を変える辺りからやたらとトンネルが増えてくる。幾つ目かのトンネルを抜けるとすぐに114号線への標識を見る。日の暮れかかった田舎道を、ひたすら飛ばす。明るい中にキャンプ場まで着きたいのだがどうやら今日も無理らしい。
 途中、何軒かの温泉宿を見かけたが目的地に着くことが先決と、お風呂はあきらめることにする。かの有名な「小谷温泉」に浸れないのは残念なことだと思った。
 日も暮れてやっと雨飾高原キャンプ場に到着する。ここは、いわゆるキャンプ場とオートキャンプ場とは区別してあり、どちらにするか迷う。管理事務所の説明を聞き、オートキャンプ場で泊まることとする。
 温水シャワーとコインランドリーが利用できたのは、うれしい限りだ。車の横にテントを張り、ビールで乾杯する。近くでキャンパーたちの声が聞こえる。温泉には入れなかったが、今日はぐっすりと休めそうだ。

 

                                    


松江の水郷祭 宍道湖大花火大会で~すよ~。 

2014年08月31日 | 日本百名山

 花火を見るのは、大体近くの方が迫力はあります。しかし、離れて見るのも良いものです。 この写真は、山の中腹から撮ったものですが、如何でしょう。

           始まりを待つのはじれったい。 開始は8時だが6時過ぎから待つ。

 

                            月が出ました、月が出た ヨイヨイ。

 

                                    始まり始まり~

    

                               しばらくご覧あれ~。

 

  

  

  

 

 

 

 

 

  

  

  

  

 

 

                                         おしまい 

                  おもしろうて やがてかなしい 花火かな     

  


百名山の記録 両神山(2007年)

2014年08月30日 | 日本百名山

   毛木平から両神山への道は少々複雑であった。ナビを頼りとするのだが100パーセント信ずるわけにもいかない。私のナビに入るソフトは古く、新しくできた道路は載っていないことがあるからだ。だからナビの通りに進んでいると、時々回り道をしなければならないことがある。
 そんな体験があったったため、「ぶどう峠」と名付けられた大変な道路を、間違えではないかと思い途中で引き返したほどだ。
 ナビの通りに進めば良かったのだが、完全には信用していなかったために起きた間違えだった。地図にきちんと載っている「ぶどう峠」だが、峠を越すまでは不安でしょうがない。山あいの狭い道を祈るように越える。峠を越すと群馬県に入り、そしてまた峠を越し埼玉県に入る。国道299号線に車を走らすのだが、何だか大変な所にやって来たような気がした。山陰地方に住む者には、この辺りは全くの他国だ。見知らぬ国にやって来たような心細さを感じながらも小鹿野町に入る。
 今日は久しぶりに宿泊まりと決め、両神荘という国民宿舎に駆け込む。予約なしの全くの駆け込みだった。手続きを済ませ、まずは風呂。その後、洗濯機と乾燥機で汚れた下着類を洗濯する。長期の旅行には、風呂と洗濯は欠かせない。
 セルフサービスの夕食を済ませ、土産物コーナーで買い物をして早めに床につく。明日の天気が気にかかる。 
 

  9月2日(日)両神山

  朝は早めに目が覚める。山には雲が掛かっているが天気は良さそうです。日向大谷の登山口は宿舎を少し引き返した辺りを左に折れ、川沿いの道を進むことになる。幾らかの集落を過ぎると、両神山登山口の駐車場にぶつかる。駐車場のすぐ上に民宿があり、その前に登山道が延びている。
 斜面に沿った山道を進む。下の方には沢となっていて、せせらぎの音が聞こえ、途中途中に石碑やら仏像やらが置かれ、両神山の歴史を物語っている。カーブした道は途中2つに分かれ、河原へと向かう道を進む。沢筋に付けられた道も徐々に急登となり息も上がってきた頃、不動明王像の安置された所に出る。さらに登り続けると、清滝小屋が見えてくる。
 清滝小屋は、雰囲気が何処か雲取山の途中にあった三丈ノ湯に似ている。似ているのは小屋そのものでなく周囲の環境で、どちらも沢の中腹のひっそりとした所にある。

                                       


 

  いよいよ本格的な登りに入ると覚悟して進む。ジグザグの道に所々、鎖やロープが張られ斜度も増して来る。辺りは薄暗く、幾分霧も出てきた。今日の天気も期待できないのかと思っていたら、頂上から下りてきた男性が、頂上は素晴らしい天気ですよと励ましの声を掛けてくれた。どうも頂上は雲の上らしい。
 やっとの思いで神社の境内に到着。頂上は遠くないだろうと思いながらなおも進むが、道は細く険しくなる一方だ。その内、青空をバックに切り立った岩峰が現れた。どうもあれが頂上らしい。最後の鎖場を乗り越すと、岩のてっぺんに出る。ここが両神山の頂上。ゴツゴツした足場の悪い頂上なのだが、ここにも両神山山頂の標識が建っている。1723mのこの頂上は、剣ヶ峰と呼ばれている。
 汗で濡れたシャツを干していると、反対側の尾根から男性が登って来た。八丁尾根からの登りは、険しく危険なのだそうだ。この男性と話をしている間にも、次の登山者が登って来て頂上も狭くなったので早々に下りることにする。
 

                                  

  季節の頃は、アカヤシオの群落に出会えるはずだが、木々はもう秋の準備に入っていた。清滝小屋近くで華麗な花を見つけた。純白でロウのようなつやを持った花なのだが、名前が分からない。始めてお目に掛かる花だ。後で調べてみようと写真を写す。
 日のあまり差し込まないほの暗いような斜面の笹藪に、蜘蛛が糸を張り、その糸に付いた水滴が太陽の光で反射して美しい文様を見せていた。
 急な登山道も下りは早い。若者数名のグループと抜きつ抜かれつしながら駐車場にたどり着く。 
                                   

                                       (登山口9:00~清滝小屋11:25~頂上13:00~下山16:20) 


百名山の記録 甲武信岳(2007年)

2014年08月30日 | 日本百名山

 9月1日(土)甲武信岳
            秩父多摩甲斐国立公園 奥秩父の北端・・・ 甲州 武州 信州・・・甲武信岳 

                                            毛木平駐車場にて 

                              

  翌朝、目覚めるとバスはもういなかった。客だけ降ろし、何処かよそに移動したものらしい。私は、急ぐ必要もなくゆっくり出かければいい。天気は雲は多いがまずますといったところか。コンビニで買った食料をザックに詰め、靴ひもを結ぶ。駐車場の片隅に登山道入り口があり、広い道が渓流沿いに延びている。朝のすがすがしい大気の中、爽やかな風に吹かれて歩く。天気のせいか、今日は体の調子が良い。グングン歩ける。川幅も狭まってきた頃、「千曲川源流」の標識に出会う。落葉に埋まるようにして、わずかな水の流れがある。源流とは、概してこんなものだ。


   急登を一気に登ると、甲武信岳へと延びる尾根に出る。この尾根の反対方向を辿ると、国師ゲ岳を経て昨日登った金峰山だ。甲武信岳の方から下山者がある。早い下山者だが、昨日は山小屋泊まりだったのだろう。
 狭くなった尾根道をなおも登ると、上の方が明るく開けて来て、話し声が聞こえる。団体客の皆さん方だ。意外に狭い頂上に、ひときわ目立つ標識がでんと建てられ、甲武信岳の文字が鮮やかだ。説明書によると、「頂上からの眺めは雄大で、奥秩父の山並みから南アルプス、八ヶ岳、浅間山、そして富士山を一望できる云々」とあるが今日は眺望はない。わずかに近くの山並みが伺える程度だ。 

                                 頂上は満員

                   


   近くで昼食を摂っておられた女性から、果物のお裾分け。ありがたく頂く。昼食を終え、写真を撮り下山する。立派な山道なので、帰りは早い。マラソンよろしく一気に駐車場に帰り着く。毛木平で一休みしながら、ふと物足りなさを感じた。それは、百山を登ろうと急ぐあまり「とにかく頂上を踏む」ことが目的になり、山そのものをゆっくり楽しむことをしていないからなのだろう。それにしても、「山は天気だ」とつくづく思った。                                          
                                                 (登山口7:30~頂上10:05~下山13:20)    


百名山の記録 金峰山(2007年)

2014年08月29日 | 日本百名山

    8月31日(金) 金峰山     金峰山・・・奥秩父の盟主

                 

   今日は朝から小雨がぱらつく。雨具をまとい行動食をザックに投げ込み金峰山登山のスタートだ。山一帯は風と霧に被われ視界は悪い。とにかく頂上までと歩き始める。大日岩の下を回り込み、シャクナゲの林を抜け千代ノ吹上に差しかかる。霧と風、時折雨粒が叩きつける。頂上も近いはすなのだが、視界がないものだから見当もつかない。尾根のピークに立つたと思っても、霧の中にまた新たなピークらしき峰が現れる。これが頂上かと登り着くと、まだ先にピークのような尖塔が現れる。山では良くあることなのだが気持ちばかりがせって呼吸が乱れる。花崗岩の大岩を幾つか抜けると、やや開けた平に出て、2599m「金峰山頂上」の標識を見る。晴れた日なら、絶景のパノラマの広がる天上のパラダイスなのだろうが、今日は残念無念この上もない。

               金峰山 この地点に頂上標識あり。 写真の岩の上はわからなかった。

 

                 

   写真を撮り、下山。途中、大日岩の大きさと、シャクナゲ林の素晴らしさには改めて驚かされた。
 大日小屋のテント場に帰り、濡れたテントをたたむ。もう一度花の季節に来ることができるのだろうかと思いながら山道を下る。
 頂上での天気は悪かったが、下山するにしたがって回復方向に向かい駐車場に着いて頃には青空も見え出していた。瑞垣山荘でコーヒー休憩をする。
 

   近くに「木暮理太郎」の碑があるというので行ってみる。それは、金山平にある金山荘の裏山にひっそりと建っていた。胸像というよりレリーフで、小屋のご主人の話では元の位置はもっと上の方にあったとのこと。金峰山をこよなく愛したこの山の先達は、訪れる人もいない白樺の林の中にひっそりと佇んでいた。
                                 

                          第三代 日本山岳会会長 木暮理太郎

                   

                                (出発時間不明 頂上10:15~テント場12:30~瑞垣山荘前14:30)

 ソバの花を横目に、甲信武岳に向かう。 
        

                    そばはまだ 花でもてなす 山路かな (芭蕉)  

 

   広々とした田園風景の中を抜け、毛木平に車を入れる。良く整備された広くて清潔な感じの駐車場に車が数台駐めてあった。 休憩所には、登山の注意やら山の説明やら何かと懇切丁寧な感じがし気持ちが良い。特に、清潔なトイレがあるのはありがたいことだ。
 駐車場に駐めてある車の前で男性が一人、用意した小さなテーブルに向かい食事をしておられた。どうも、焼き肉で一杯の様子。私の姿を見ると、自動車ごと駐車場の隅の方へ移動された。今は、あまり人と交わりたくないらしい。遠目にも、一人孤独を楽しんでおられる様子で近寄りがたい。
 私も、隅の方に車を駐め、持参のテーブに、ありったけの食料を広げる。まずは今日の一日に乾杯。夏の終わりの夕暮れ時。甲武信岳の麓に静かな時が流れる。
 夜半、大型バスが入って来た。甲武信岳へ登る団体さんの到着のようだ。バスの中で朝を迎え、早朝に出発する予定なのだろう。 
 


百名山の記録 瑞垣山(2007年)

2014年08月29日 | 日本百名山

瑞垣山   8月30日(木)

                 

 昨日は雲取山を終え、中央自動車道まで帰り釈迦堂パーキングで車中泊とした。朝から天気は思わしくないが、ナビに任せて瑞垣山へ向かう。瑞垣山への登山口には、瑞垣山荘があるからこの山荘の電話番号を入力すれば近くまで案内してくれることになる。お陰で登山口を捜す手間が省け、ロス時間が少なくて大いに助かる。
 ナビに導かれて瑞垣山荘前に着く。すぐ近くに登山者用の駐車場があり数台の自動車が駐めてある。ここから瑞垣山と金峰山への登山となるのだが、日帰りで2座は難しそうなのでテントを担ぐことにした。
 テントを担ぐと、それに付随した装備も加わるからちょっとした重量になる。ゆっくり一歩一歩と歩き始める。山登りの荷は軽い方が良いのだが、多少の荷物を担いでいた方が充実感を感じるのは何故だろう。山登りの魅力は単に頂上に立つことよりも、この充実感を味わうことにあるようだ。

  ゆっくりでも、休まず歩いていれば大体の時間で目的地につくものだ。意外に早く、富士見平に到着。山小屋があるので入ってみると、ガランとして誰もいない。管理人の書き置きがあり、所用でしばらく不在とのこと。小屋の使用について、幾らかの注意があった。 重い荷物を置かせてもらい、身軽になって瑞垣山へと向かう。途中、小川山への案内板を横に見てさらに進み、沢筋に出る。まもなく桃太郎岩が現れる。大きな大きな花崗岩の岩なのだが、おとぎ話に出てくる桃太郎の桃を連想させる。まさに桃太郎岩だ。ぱっくりと二つに割れているところもいい。急な登りが始まり、時折岩峰が姿を現す。

                

   瑞垣山の岩峰群だ。しばらく登ると、先行者に追いつき先に登らせてもらう。狭い尾根筋のような場所に出るが、周り一面は風化した花崗岩で、その上に幾らか腐葉土が積もっている。シャクナゲの林のような場所だ。間もなく頂上に飛び出す。迫力満点の花崗岩の頂上だ。霧が風にあおられ、時折下界が望まれるが、遠望はない。写真で見た覚えのある大岩峰が、霧の中からニョッキリと現れる。異様な感じさえする。
 先ほどのご夫婦らしき二人連れが登ってこられたが、頂上に着いた途端、水泳のタッチよろしく下山を始められた。眺望もなく、風も強く長くいてもしょうがないのはわかるが、それにしてもあっさりしているなと思った。

  記念写真を撮り、下山する。大小の岩がゴロゴロしている中に付けられた道を下りるのだが、大岩の下には、か細い木のつっかえ棒がなされている。多分、大岩が動き出さないようにするためだろうが、こんな大きな岩に対しては何の役にも立たないだろうということは一目瞭然だ。けなげという他はない。多分、誰かが杖に使っていた木の棒を立てかけたのが始まりなのだろうが、他の山では見かけないユーモラスな風景だ。

                                桃太郎岩 

                

                           つつかえ棒が見えないけど・・・。

 富士見平の小屋に戻り、今夜の宿泊場所について考える。小屋泊まりでも良いのだが人気のない小屋はあまり良い感じがしない。どこかから誰かに見つめられているようで何となく気が進まないものだ。この気持ちは、真っ暗闇の山小屋を想像してみるとよく分かると思う。
   天気は思わしくないが、とひかく次のテント場まで行くことにする。そうすれば明日の金峰山も近い。小雨が降る中、大日小屋のキャンプ地を目指す。瑞垣山では何名かの登山者に出会ったが、金峰山方向では誰一人会うこともない。とぼとぼと歩き、やっと大日小屋に着く。ありがたいことに、水場も近くテント場も良く整備されている。小屋は富士見平と同じく誰もいない。雨に濡れたテント場なので、排水の良さそうな場所を選びテントを張る。久しぶりのテント泊だ。

     風はないので必要以上の補強はいらないが、雨対策のためにもきちんと張らないといけない。いい加減に張ったため、ひどい目に遭ったことも過去しばしばあった。立山から薬師へ抜ける折、スゴ乗越の小屋の脇で幕営したことがある。物置の屋根を利用させたもらいフライは使わなかったら、テントの中に水が溜まった。フライを使わなかったことが主な原因だ。ただし、フライをしたからといって大丈夫だとは言えない。フライとテント本体との間に多少の隙間ができていないと雨がしみ込むことになる。要は、たるみがないように均等にピンと張ることだ。そうすれば、テントの性能は100パーセント発揮できる。
 溝こそ切らなかったが、ほぼ満足できる設営を終え、テントの中に入ると。なぜか心が落ち着く。山小屋とはひと味違った心地だ。
    百名山をスタートさせてからは、宿泊はもっぱら車中泊だが、やはりテントが落ち着く。テントを利用した山旅は、人にできる最高の形態なのかもしれない。その点、最近山々からテント場が少なくなりつつあるのは残念なことです。
 ひっそりと静寂に包まれた奥秩父の山間にぽつねんと居る自分。大いなる自然の懐の中で、淡い過去のあれこれを思いながら、時の流れに身を任せるのもいいものだ。テントを打つかすかな雨音、梢を騒がす風の群れ。明日は金峰山。
              (瑞垣山荘前11:40~山頂14:15~富士見荘15:35~大日荘テント場17:00)