命の降りて行く様子を見ていくのはきついことだと思う。
25年前に病院の白いベッドに横になり強制する人工呼吸器をさるぐつわのようにして口に入れられながら人工呼吸をしていた父親が心臓の鼓動が停止しても器械だけは止まることもなく動いていた。モニターではY軸上下の曲線からX軸一直線になったにもかからず、心臓の鼓動はなくとも呼吸だけは器械によって強制している。たらまらず外してもらった記憶がある。
4年前に弟も見送った。弟からは命の果てる3日前に、アニキのウソつき~と白いベッドから大きな声でなじられた。たった一つの楽しみであった♨に連れて行くことができなかったからである。弟は身をきれいにした後に浄土へ行こうとしたのかもしれない。でも病院の看護師さんによる清拭のみであった。透析患者に多い身体全体の痒みからの解放、ぽかぽかとした身体で旅出そうと考えたのだろうと思う。
担当医は2~3年前から私を呼び出しては、数値のグラフを見せいつ心臓が止まっても不思議ではないことを告知してくれてた。このような経験は近親者にとっての“別れの覚悟”の時間を与えられる機会でもあったろうと思う。
母親が暮らす有料老人ホームの担当医から現段階の母親の様子を医師から見た説明がある。
体力は落ちておりますが食欲がある分、今の時点ではどうこうっていうことはないでしょうが・・先行きのこと、マンがいちの時の対応について、どう考えますか?の私の意見を聞いておきたい・・らしい。
一応、突然の変化があった時には救急病院へ搬送してもらうこと、同時に私や妹にも施設から連絡してもらい我々も駆けつける・・・ようになるでしょう。そしたら医師が言うのに、何も問題もなく大往生ですね、枯れ木がそのまま逝ってしまうような・・などと云うではないか。
医師として他人の・患者さんの命に向き合う姿勢としては薄っぺらさを感じてしまったがなぁ・・自分は。
母親と会話をしてる。多くは母にとっての孫やひ孫の話が中心となる。それらも少しづつ時間が短くなっているのは喋るより寝る方が楽だと言う理由かもしれない。緩やかな下降を想う。
タンポポの種がふんわりと飛んでいく前の静寂な時間が過ぎる。