年金受給者の日々へ 悪戦苦闘の記録から

自分のXデーに向かってまっすぐに走る日々
   年金受給前の悪戦苦闘の日々より

春の嵐

2005-04-20 00:00:00 | Weblog

2005/4/20 (Wed) 春の嵐

 明け方の風と雨は強烈であった。今日が穀雨とはいえもっと穏やかに降ってくれればいいのにと思いつつ駅まで自転車に乗っている間でズボンはびしょ濡れ状態。
 職場の新入社員歓迎会が市内のホテルである。総勢71人が一同に会する機会もめったにないので参加した。今の自分の部署には自分をさておき高齢者が多く話題も年寄りじみた面白くも味気もない内容が多いのに比べ他部署の人たち例えばポリテクセンターの教員は30台前半の人が多かったので話題も勢いがある。6人丸テーブルで若い人が多く座っているテーブルを探して座ったもののやっぱり宴が始まり各人がビールや酒をもってうろうろし始めるともうだめである。結局6人の円テーブルは老人会の集まりとなってしまった。宴もたけなわ舞台に上がり虎党の5人が六甲おろしを歌ったところあにはからんや0-9でぼろ負けしたとニュースが入った。なんじゃこれは!

ボール

2005-04-19 00:00:00 | Weblog


2005/4/19 (Tue) ボール

 今度の日曜日に恒例行事になっている球技大会がある。ここ数年来断り続けてけているにもかかわらず人が足りないからといって今年も体育レクレーション部の役員さんから要請された。名前だけの登録でいいからというのはいつもの手である。仕方なくOKだと言ってみたものの果たしてボールを投げることができるだろうかと今ひとつ自信がない。それで下の子供が帰宅するのを待ち構えて一年ぶりのキャッチボールをすることになった。オッ、ボールを10メートルも投げることができた…と喜びながらついつい調子に乗って少しずつ二人の間の距離を開けて投げっこしたいい汗をかいたなぁと喜んだのはよいが、今両腕が痛い、腕が上がらぬ。


矢も楯もたまらず

2005-04-18 00:00:00 | Weblog
2005/4/18 (Mon) 矢も盾もたまらず

 快晴の天気が続いておる。こうなるとむずむずしてくる。昨年見つけた秘密の場所へすっ飛んでいくことにした。去年見つけたわさびの群生している渓流とタラの芽のある山である。心躍らせながら現地につくとありゃ!地形が少し変わっているではないか!しかも去年の数回の台風での大雨のせいだろう渓流が倒木で埋まっている、がっかりである。それでもけなげに山シャクヤクだけは花を咲かそうと花芽をつけていた。しかし山全体は茶色のまま、黄色みを帯びるまではまだまだ時間がかかりそうだ。このような状況でありながらすれ違う車が多かったところをみると結構いろんな人たちが山に入っているんだろうと思った。山菜が採れるまでもう少し我慢が必要だ。

49

2005-04-17 00:00:00 | Weblog


2005/4/17 (Sun) 49

 妹の嫁ぎ先の義父が亡くなられて49日が経ったのでその法要に出席する。先日のお葬式とは違ってみんな落ち着きを取り戻したかのようにうかがえた。故人には申し訳がないけれども会話の中に笑い声が時折聞こえたからである。お坊さんの長い読経と義父の教え子でもある石材屋さんに作ってもらったお墓での納骨とそれに続いて自宅でも新しく購入したお仏壇での読経が続いたので少々くたびれた。精進落としの膳をつつきながら故人の教育の仕方について東京から来られた娘さんからお話を聞く。昔の多くの教師がそうかもしれないがめちゃくちゃ家庭内では厳しかったそうだ、近寄るのが怖かったと言った。だから22歳で学生を卒業すると一にも二にも家から離れたく東京で就職をしたのだとも言った。特に厳しかったのはピアノに向かうときの姿勢、指の使い方などを言われていた・・・などすべて故人となった今では懐かしく思い出していた。

田中誠二選手

2005-04-16 00:00:00 | Weblog


2005/4/16 (Sat) 田中誠二選手

 午前4時起きなのでこの時間はやはりまだ寒い。朝日が上がり始める6時になると少しは暖かくなる気がする。日中はぐんぐんと気温が上昇するだろうとの予測通り昼間はぽかぽかであった。子供の練習試合に付き合う。試合の相手が我が母校であるからである。私の実家近く瀬戸内海を見下ろすグランドでの試合。あいにくグランド周辺の桜の花は、半分は散っていたけれど緑の新芽が目に優しく感じられる。試合はいずれも勝ち我が母校が敗れる。なにせ私たちの中学時代は県大会で優勝していたので今のふがいなさに少しがっかりする。いっしょに見ていたYさんも中学サッカーよりも少年サッカーの方が、子供たちが一生懸命にプレーをするから面白いなぁとの話にお互い納得する。
 朝の新聞に日本Sフライ級チャンピオンの田中誠二選手が意識不明のまま亡くなった記事を見つけた。大阪の友人のTに連絡をするとふさぎ込んだ声をしていた。毎日病院へ見舞いに行っていたことと新婚であること奥さんが可哀想であることなど言葉少なく話してくれた。

アイヌ葱

2005-04-14 00:00:00 | Weblog

2005/4/14 (Thu) アイヌ葱

こちらはワラビやこれからはタラの芽・ウドなどが採れるよと札幌の子供にメールを出すとすぐにリタ-ンが返ってきた。北海道はこれからは「行者ニンニク」の季節とか、アイヌ葱の別名があるらしい。高校時からのポン友でもあり職場の同僚でもあるHと山菜を取りに行くためにいつ有給休暇を取るかと相談する。

虎が勝つ

2005-04-13 00:00:00 | Weblog


2005/4/13 (Thu) 虎が勝つ

 朝日が出る。気温が未だに低いせいか芍薬のつぼみが膨らむようでなかなか大きくならない。しかし、夏椿やエゴの葉っぱを落としていた細い枝からは小さな新芽の産毛が見えるようになった。始業前の喫煙室にて我が猛虎軍団の二人、私とAさんが昨夜のT-G戦を振り返り雄叫びを上げる。その隣にいたGのHさんはなすすべもなく黙り込み苦笑するばかり。

寒の戻り

2005-04-12 00:00:00 | Weblog


2005/4/12 (Tue) 寒の戻り

 寒の戻り、冷たい雨が降る。午前中には上がるだろうと思っていたけれど霧のような雨は午後になっても止まなかった。今日の行き先は車で2時間かけて南の方に走っていく海に面した事業所である。ワイパーを時々動かしながら同僚といっしょにおしゃべりしながら吾がふるさとを通り過ぎる。同僚Oが言った。一番楽しかったのは,九州の延岡に勤務していた時で徳島よりも香川の時代よりも楽しかったと。その楽しかった彼の話を聞くとつまるところ家庭はさておき仕事が充実していたからだということになった。しかも20歳から30歳にかけての最も油が乗り切っていた時期と重なっているようにも見えた。今、彼はうまくゆかない仕事に頭をかしげながらしかも今までに充分にくぐり抜け当然クリヤーしなければならない課題を放っていたツケを払いながら毎日立ち向かっているように思える。自分が思うのにそれぞれの年代で到達しなければならない問題、たとえば幼児期・児童期・少年期・青年期・成人期・熟年期・初老期を背伸びすることなくそれぞれの時期に是非に体験し克服しなければならなかったことを素通りするとなにかしらツケが大きくのしかかってくるように感じる時がある。キャリアカウンセリングの理論で必ず出てくるスーパー・ホランド・シャインなどの理論と重なってくるものだ。今までのその年齢に最も相応しい課題について放ったらかしていたツケを今払っている自分もいる。たとえば自分は幼少期に幼少らしい遊びをどれほどしてたか,学童期にどれほど学童として獲得しなければならない遊びと学習をやったか,学生期どれほど一生の糧となる本と師に会えたろうか,青年期にどれほど人と接触し人生を学んだろうか,熟年期においては何人の若い人を育てただろうか,すべてにわたって私心なく人のために何を成し得たろうか,一隅を照らす,地の塩世の光たりえただろうか…

新学期

2005-04-11 00:00:00 | Weblog


2005/4/11 (Mon) 新学期

 今日は新入生の入学式があるのだ、と張り切って下の子供が言った。後輩ができる彼にとって一年の経験が少しの余裕を持たせるのか朝登校時にも時間ぎりぎりにもかかわらずスキップしながら玄関を出て行った。今日は寒のより戻しだろうか一日中寒い日であった。道路端の畑の横に植えているタラの木にも今年は緑色の新芽が未だに見えない。自然全体の息吹がちょっと遅れているのだろうと思う。