年金受給者の日々へ 悪戦苦闘の記録から

自分のXデーに向かってまっすぐに走る日々
   年金受給前の悪戦苦闘の日々より

ラジオ深夜便を聞いてると

2017-07-17 00:00:00 | Weblog
 昨夜は、花火を見て帰宅したのが9時半。早く横になりたい・ゴロゴロしたいと、ぬるめの風呂にザブ~と浸かるだけでさっさと上がった。そして布団に寝転んでユーチューブからぴろきの漫談を見ながら聞きながらいつの間にか寝入っておった
 従来、頭の覚醒と身体の覚醒が異なっており頭はまぁまぁ動いておるが、体は半ぼらけにつきうまく反応できないなどのことがある年齢である。それでも10時過ぎに寝てしまえば、丑四つどきのトイレタイムで目が覚め、否が応でも身体的に午前3時頃には起きようか、身体的以上に覚醒している頭で睡眠時間を計算し、このまま再度寝ようかと考える。

 とりあえず枕元のラジオのスイッチを押すと、徳田アナの声で石原裕次郎「嵐を呼ぶ男」の曲紹介があった。しばらく目をつむったまま聴いていると、「ブランデーグラス」が流れてきたり、「錆びたナイフ」の歌の前に徳田アナが解説入れるのに、実はこの歌詞の元歌が石川啄木の、「いたく錆びしピストル出でぬ砂山の砂を指もて掘りてありしに」を下地に作詞家が作った・・などの説明を受ける。へ~そうだったのかと・・聞いてる頃には、反応の鈍い身体に比べてボンヤリ頭がわりとはっきりし始めた。そして最後の曲「わが人生に悔いなし」の曲紹介の前に、今日が石原裕次郎さんの命日です。亡くなって30年になります・・・などと聞いた。へ~そうだったんか・・。

 何年か前に小樽の石原裕次郎記念館に行った際、入館することはなかったけれど (京都の美空ひばり記念館も、行きはするが入館はしなかった。)建物の前に石原裕次郎さんが使ってた大きなヨットが展示されていたことをよく覚えている。

 偶像崇拝のことがある。否、むしろ心理学的にいえば“投影”にあたるんだろうか。自分を銀幕のスターに照らしてあたかもふがいない自分を照射し、自分を慰めるような・・こと。そのような話を「裕次郎・命」のご近所Hさんと夕方畑脇で話すことになる。