暘州通信

日本の山車

01555 須々岐水神社

2006年07月25日 | 日本の山車
01555 須々岐水神社

須々岐水神社
長野県千曲市(旧更埴市)屋代横町
須須岐水神社
祭神は、
大国主命(おおくにぬしのみこと)、生魂命(いくむすびのみこと)、 事代主命(ことしろぬしのみこと)で、ほかに罔象女命(みつはのめのみこと)、豊玉姫命 (とよたまひめのみこと)、速秋津彦命(はやあきつひこのみこと)、速秋津姫命(はやあきつひめのみこと)、少名彦命(すくなひこのみこと)、保食命(うけもちのみこと、国常立命 (くにとこたちぬのみこと)などがあげられる。
延暦18年(799)に卦婁真老(けるのまおい)は、須々岐(すすき)姓を賜ったとの記事が見える。このことから推定すると、須々岐水神社の祭神は高句麗系の氏族かもしれない。
境内に祝神社がある。ほうりじんじゃとよんでいるが「ハフリ」である。寛延4年(1751)記に松代の波布離神社に譲名があったという。
祝神社の祭神は建五百建命(たけいおたけのみこと)とされ、建五百建命は科野(しなの)の国の国造である。
社記に、白鳳2年(651)一重山の腰惣に創建され、延喜式の神名帳に記載がある。
鎮座の地はなんどかの変遷を経たあと、当地に移ったが、一重山北端の地に鎮座した。
そのあともういちど現在地に移ったという。
科野国には科野直(しなののあたい)氏は信濃の国造とする説があるが、欽明天皇に仕えた一族を金刺(かなさし)氏。敏達天皇に仕えた一族は他田(おさだ)氏と名乗った。
かって諏訪下社の大祝は金刺氏であった。

参考
・松本市須々岐川神社

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