暘州通信

日本の山車

◆00109 宮荘の曵山祭

2012年09月15日 | 日本の山車
◆00109 宮荘の曵山祭
□社名 五箇神社(ごかしょう)
□所在地 東近江市(五個荘町)
□祭神
アマテラスオオミカミ 天照大神
オオナムチノミコト 大己貴命
ウカノミタマノミコト 倉稲御魂神
ほか。
□祭は四月中旬。
□山車
山車の形態(呼称)は、屋臺。
・宮荘地区。
□汎論
 五箇神社は、五個荘町の鎮守。国道八号線を五個荘町にはいると。三叉路の見付に【てんびんの里】のモニュメントが建っている。日野町とおなじように、中世以降に活躍した近江商人発祥地の一つとして著名で、多くの商人が成功をおさめ財をなした。近江商人は遠く陸奥國(青森県)にまで足を伸ばしており、むつ市には山車にその痕跡がのこされている。五個荘の商人は、武蔵國(埼玉県)、上野國(群馬県)、下野國(栃木県)にその活躍の歴史が残されている。【秩父銘仙】、【伊勢崎銘仙】、あるいは【真岡織物・もうかおりもの】などは近江商人が多く手がけけて。江戸、京都、あるいはその他の地域へと販路を広げていたと推定される。金堂町内にはその近江商人らの宏壮な邸宅がたいせつに保存されている。【五個荘】は。古くは「ごかのしょう」とよんでいたとおもうのだが、いつごろからか「ごかしょう」と称ぶようになった。筆者は長い間「ごかのしょう」とよんでいたのだが、「古いですね。間違いですよ」と注意されたことがある。そして、近年、東近江市へと発展した。江州(近江)滋賀県北部の湖北には奈良時代の条里制の遺構が今も残るが、当、五個荘も。その条里制の区割りのままに町が構成されている。
 五個荘町は、繖山(きぬがさやま)の麓に開けた町で、平安時代には【山前五箇荘(やまさきごかのしょう】)とよばれ、南荘、北荘、東荘、橋詰荘、新八里荘に細分化されており、これが後年五個荘町とよばれるようになった語源だという。だが異説もある。
 山車は、長濱の影響を受けた【長濱型】で、米原町の湯山神社で曳かれる長濱型の山車に分布が連続する。屋臺は四輪で、前後に二分され、前陣は舞臺、後陣は【亭・ちん】とよばれ、入母屋式の社殿形式となっている。明治中期までは子供歌舞伎が行われていたと伝わる。五箇神社の祭神はもとは出雲系の神を祀っていたが、現在は皇室系の神に置き換わっている。

地域を特定しやすくするため行政コード番号は変更せず、従前のままです。
20120820 更新

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