暘州通信

日本の山車

◆櫛引八幡宮の河童 二 左甚五郎

2011年11月14日 | 日本の山車 左甚五郎
◆櫛引八幡宮の河童 二 左甚五郎

 帰ってきた左甚五郎は翌日神官に事情を話し、神庫に保管してあった旧社殿のはしらを一本もらい下げ、これで河童の嫁御の彫刻にかかりましたが、困ったことに、ちょうど妙なところに?穴(ほぞあな)があいております。「まあいいわい」、甚五郎は一匹のめすのメドツを彫り上げ、緑色に塗り上げると、そのめすの河童は、しおらしげに左甚五郎を見上げます。…甚五郎は、その雌の河童に、「……かくかく、しかじか……というわけじゃ、ひとつお見合いをして、気に入ったら、めどつのかしらの嫁御になってくれ」、さっそくメドツのかしらとお見合いをさせたところ首尾は上々、というわけで、川かみの下堂前(下斗米?)あたりから材木を運搬する作業はメドツが引き受けてくれることになったのでございます。さあ、それからはメドツの親分は六十四匹(河童六十四?)のメドツを指示して、みごとに社殿を建立する材木の運搬を終了しましたから、運搬作業はなにごともなくあっという間に完了しました。神官をはじめ産土の村人も大喜びでございます。翌日は、約束どおり、メドツの祝言が行われることになりましたが、村人も招かれ、夫婦の固めの儀式も神官のはからいで無事におりおこなわれたのはいうまでもございません。…左甚五郎も祝い酒ですっかりごきげんでございます。こうして、社殿の建立が始まりまったのでございますが、あるよ使いのものという一匹のメドツが左甚五郎を尋ねてきました。そして言うには、「まことにおはずかしきことながら、お願いがあってまいりました」、「なんじゃな……?」、「じつはわしらのおかしらが、祝言の晩からごしんぞさまとくっついたきり、はなれなくなってしまいました。「……???」、なにとぞ、おねがいでございます、ふたりをひきはなしていただけませんでしょうか」、「うーん、それは弱ったな、ちょっとできん相談じゃ」、「うん、できんな」、「それはまたどうしてでございます」、「斐太の工が彫った?穴じゃ、抜けるわけがない。うーん貫穴(ぬきあな)だったらよかったのにな」、使いのメドツは青い顔をさらに真っ青にして帰って行きました。翌日の晩になるとまたやってきて、甚五郎さま、おねがいですからなんとかしていただけませんでしょうか?」、左甚五郎はさすがに可哀想になってきて、その河童を社殿の脇商事に移してやり、簿時に収まることと相成り、それ以来、まべちがわ(馬淵川)には悪さをする河童は出ないようになったそうでございます。
幸せにお暮らしのご夫婦の方、これから結婚して新しい人生のスタートをおきりになる方は、ぜひ櫛引八幡宮にご参詣になり、メドツ(メドチ)のお守りをお買い求めになられたらいかがでございましょう。
へい、おたいくつさまで。

□外部リンク
「日本の山車」を執筆している一人閑(ひとりしずか)と申します。早速ですが、貴方のブログ記事を「外部リンク」として紹介させていただきましたのでお知らせします。もしご迷惑でしたらお申し出ください。削除いたします。
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◇十月花形歌舞伎と左甚五郎伝説
2011/10/19(水) 午後 11:45
... 日本一の彫刻師、全国に左 甚五郎作と伝えられます作は数々あります。 我が八戸にもあるんです。南部一の宮・櫛引八幡宮社殿と八幡様の悪戯メドツ(河童)退治。(笑) 左甚五郎作と言われる八幡宮。 名人甚五郎も寸法間違いした。知られては大変と ...
 


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