暘州通信

日本の山車

36144 弥生時代

2008年07月06日 | 日本の山車
36144 弥生時代
弥生時代を大きく位置づけるのは稲作である。狩猟等による採集生活様式が、農産物の収穫による生活様式に変貌していった、それはまた縄文時代の終焉でもある。
異論もあろうが、縄文時代をきづいた縄文人と、稲作をはじめた弥生人はあきらかに異民族である。しかし、縄文人を駆逐しそのあとに弥生文化をきづいたのかといえば疑問が残る。縄文時代末期には弥生文化を受け入れ土地に定着する生活をはじめ、弥生人たちと同化していった痕跡がわずかながらみとめられる。
つまり、縄文遺跡と弥生遺跡が複合するところでは馴化していった過程と遺物が認められる。
弥生時代はおおむね紀元前十世紀から三世紀ころまで約千三百年、すこし幅をひろげれば千五百年くらいつづいたと推定されるが、各地から発掘される遺物をみると、二千年をこえるのではないだろうか。
そしてこの時代は、日本語がほぼ定着した時代だったと推定する。
ここで考えなければならないのは「古代の道」であろう。


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