暘州通信

日本の山車

00163 沼田おぎょん祭

2007年08月16日 | 日本の山車
00163沼田おぎょん祭
群馬県沼田市
榛名神社須賀
□祭は八月上旬。
山車一〇臺を曳く。

□山車
・鍛冶町 い組
本座人形は素盞鳴命。
もと清水町建造の山車を中町を経て譲り受けた。

・下之町 に組
本座人形は歌舞伎の暫。
昭和四十八年の建造。
工匠は渋川市寄居町の大工だという。

・坊新田町 ほ組
昭和五十七年の建造。

・中町 な組
本座人形は歌舞伎の勧進帳の弁慶。
平成六年の建造。
彫刻は富山県井波町の南部白雲。

・上之町 か組
本座人形は三条小鍛冶。田口義雄の作。
昭和五十二年の建造。
工匠は高崎市下横町の高橋工務店。
先の山車は西倉内町に譲渡された。

・材木町 さ組
本座人形は牛若丸と弁慶。
昭和四十九年の建造。
彫物は先のものが用いられている。

・西原新町 は組
本座人形は鏡獅子。
昭和五十一年の建造。町内の人らによる。

・高橋場町 た組
人形は鍾馗
成二年の建造。工匠は町内の染谷至。
彫刻は館林の寺田芳蔵、幸次。

・西倉内町 西組
本座人形は佐藤忠信。
和五十二年に上之町より譲り受ける。

・東倉内町 東組
本座人形は真田太平記の小松姫、平成十五年の作、
昭和五十三年の建造

・馬喰町 む組
戦前は萬燈を出した。いまは神輿で参加している。

・清水町 よ組
中町に山車を譲渡しいまは曳かれない。

□汎論
大坂の篠崎小竹門の梅花社に学んで、伊丹郷町(現兵庫県伊丹市)の明倫堂の学頭となった橋本香坡の出身地。妻の静もこの町の平尾氏の息女である。飛騨高山(岐阜県高山市)の屋臺に数々の名作を残す谷口與鹿との交友は兄弟以上であった。ともに長崎を旅した。長崎滞在中、橋本香坡は坂本龍馬と交友が生じ、天誅組義挙の発端となった五条代官所襲撃事件の森田節斎、伴林光平、吉野の鷲家口で戦死した藤井藍田らと交友があり、藤本鉄石、吉田松陰とも交わっっている。幕末の鳥羽伏見の合戦に敗れた長州藩兵士らに手をさしのべたのを咎められ、大坂の下寺町にあった新撰組屯所に引き立てられ、そこで死去した。谷口與鹿の二人の娘を幼女としたが、與鹿に遅れることわずか一年後のことであった。坊新田の寺院に橋本香坡の漢詩碑が建てられている。
橋本香坡の交友関係から谷口與鹿の多くの事跡が判明しており、なんども訪問し、橋本香坡傳の著者である萩原進氏ら、ほか多くの方にお世話になった。飛騨高山の屋臺の謎を知るためには沼田市を知ることがきわめて重要である。

岐阜ー高山ー富山をむすぶJR高山本線の建設は昭和9年に開通したが、難工事で、当時すでに火薬が入手できず、関係者らを困らせていたが、沼田の商人の厚意で融通を受けている。高山本線開通の秘話がある。



□問い合わせ
沼田市商工観光課
電話0278-23-2111


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