玉依姫 様 (三三二)
>現在では江上氏の「騎馬民族説」は否定されているようです。なぜなら弥生時代の遺跡から馬の骨が発見されていないことが根拠となっているようです……
……秦の始皇帝が、匈奴の侵略に悩まされ、【万里の長城】を築いたお話はよく知られますが、遊牧民族とは本質的に移動生活を【生活スタイル】とした民族であり、財産に関する志向はわれわれ日本人からするとかなりかけ離れているよう。財産とは移動に伴って、携行する範囲にとどまり、土地と家屋をまた、携行不能な家財道具なども極力所有しません。大地からは恵みのみを享受し、牧草が尽きれば次の地に移動し、国境の観念すらないかのように思われます。
それが、しばしば秦に攻めてきたのは略奪が目的であり、常態では補えない生活の物資を調達するためだったでしょう。蒙古の世界制覇もよく知られます。幼いときから馬に乗り、乗馬が得意で、長じて果敢な戦士となり、騎馬で疾駆し、その蹄にかかるものはすべて破壊と殺戮しつくしました。現在廃墟となった故国の発掘が進められているところからはそのすさまじい形跡が明らかになりつつあります。やや極論かもしれませんが、騎馬民族が、蹂躙し駆け抜けた後は草木も生えない状態で、滅亡していった民族は言い尽くせぬ恐怖を味わったことでしょう。
騎馬民族の制覇とは略奪、収奪が目的であり、建設的な行動はほとんどとりません。戦にはつきものの、兵站、糧秣などはほとんど現地で奪い、計画性すらなかったようで、もちろん遠征のための物資の補給や後方からの支援もなかったでしょう。その行動は発作的で、【理念】がありません。言い換えると、略奪した事物を生かして自分らの国家建設というものは行いません。
鎌倉時代に【元寇】がありましたが、かれらは騎馬を得意としつつも海運は苦手だったようです。
中国の行程が嘆いたのも無理がありませんね。【張騫(ちょうけん)】が遠征先から、「血のように赤い汗をかく」といわれる【天馬】を連れ帰ったときの喜びがわかる気がします。
>現在では江上氏の「騎馬民族説」は否定されているようです。なぜなら弥生時代の遺跡から馬の骨が発見されていないことが根拠となっているようです……
……秦の始皇帝が、匈奴の侵略に悩まされ、【万里の長城】を築いたお話はよく知られますが、遊牧民族とは本質的に移動生活を【生活スタイル】とした民族であり、財産に関する志向はわれわれ日本人からするとかなりかけ離れているよう。財産とは移動に伴って、携行する範囲にとどまり、土地と家屋をまた、携行不能な家財道具なども極力所有しません。大地からは恵みのみを享受し、牧草が尽きれば次の地に移動し、国境の観念すらないかのように思われます。
それが、しばしば秦に攻めてきたのは略奪が目的であり、常態では補えない生活の物資を調達するためだったでしょう。蒙古の世界制覇もよく知られます。幼いときから馬に乗り、乗馬が得意で、長じて果敢な戦士となり、騎馬で疾駆し、その蹄にかかるものはすべて破壊と殺戮しつくしました。現在廃墟となった故国の発掘が進められているところからはそのすさまじい形跡が明らかになりつつあります。やや極論かもしれませんが、騎馬民族が、蹂躙し駆け抜けた後は草木も生えない状態で、滅亡していった民族は言い尽くせぬ恐怖を味わったことでしょう。
騎馬民族の制覇とは略奪、収奪が目的であり、建設的な行動はほとんどとりません。戦にはつきものの、兵站、糧秣などはほとんど現地で奪い、計画性すらなかったようで、もちろん遠征のための物資の補給や後方からの支援もなかったでしょう。その行動は発作的で、【理念】がありません。言い換えると、略奪した事物を生かして自分らの国家建設というものは行いません。
鎌倉時代に【元寇】がありましたが、かれらは騎馬を得意としつつも海運は苦手だったようです。
中国の行程が嘆いたのも無理がありませんね。【張騫(ちょうけん)】が遠征先から、「血のように赤い汗をかく」といわれる【天馬】を連れ帰ったときの喜びがわかる気がします。
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