暘州通信

日本の山車

玉依姫 様 (五四六)

2013年08月21日 | 日本の山車
玉依姫 様 (五四六)
 これは仮説です。
 韓半島(朝鮮半島)から渡来したと考えられる【秦氏】は、のちに【新羅】となる地域からの渡来氏族と考えられます。おそらく紀元前のことで、いちばんはじめに定着したところが【豐國(豊前國、豊後國・大分県)】だったようです。第一歩を記した地が【宗像(むなかた)】で、ここに、現在の【宗像大社】を祀り、山上に祀られていた【宇佐ノ神】を麓に里宮を建造して、【宇佐神宮】として祀ったのも【秦氏】と推察されますが、これは後に皇室系の【八幡宮】の全國惣社と変容しました。
 豐國の西隣りには【筑紫國】があり、ここは【海神・綿津見氏】が支配する土地でした。時間列から考慮すると【綿津見氏】の定住は、【秦氏】より幾分早いか、あるいはほぼ同時期だったかもしれません。両者が互いに定住するにあたっては初期には相当の確執もあったでしょうが、早い時期に相互の不可侵が確立していたと推定され、その後の推移を考えると、綿津見氏(安曇)と秦氏は他の地でも隣接し、あるいは住む別けていたことは、信州(長野県)の、安曇野と波田(古くは波多)などの地名より推察されます。

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