暘州通信

日本の山車

31552 謡曲芦刈

2009年01月25日 | 日本の山車
31552 謡曲芦刈

 謡曲芦刈は世阿弥の策とされ、天暦五年(九五一)ころできた『大和物語』をもとにして作られたとされる。大和物語では故あってわかれた夫婦の妻は、都に上がって貴人の妻となり、夫は零落して芦売りとなる。
謡曲では、貧しさのため日下左衛門は夫婦別れをする。妻は、京に上り高家の乳母をつとめるようになるのだが、別れた夫が忘れられず難波の浦へと夫を訪ねる。しかし夫は見つからず、妻はその不遇を嘆く。そこへ、芦売が現れ笠尽くしの歌を謡って舞う。
 その後、芦売は求められた芦を届けると、はからずもそこには別れた妻がいるのに驚き、身を恥じて隠れるが、妻の呼びかけにこたえて、
 芦売りは、
  君なくて あしかりけりと思ふにも いとど難波の浦は住み憂き

 妻は、
  あしからじ よからんとてぞ別れにし なにか難波の浦は住み憂き

と詠む。ふたりはめでたく復縁が適ってともに都に帰る。
 難波津は八十島の名もるとおり、かってはいくつかの点在する島があり、田蓑の島もそのひとつであったと推定される。この島は三韓征伐から帰った神功皇后が祀ったとされる田蓑神社があり、住吉三神、神功皇后を祀る。 東京の佃は江戸時代に摂津佃の漁師が移り住み、この地より分祀した住吉神社を祀る。
 田蓑神社の境内には、芦刈の碑が建てられている

 謡曲芦刈

  名にし負ふ難波津の 名にし負ふ難波津の 歌にも大宮の 内まで聞こゆ網引すと網子とゝのふる 海士の呼聲と詠みおける
  古歌をも引く網の 目の前に 見えたるありさまあれ御覧ぜよや人々 おもしろや心あらん おもしろや心あらん 人に見せば  や津の国の 難波わたりの春の景色 朧舟こがれ来る沖の鴎磯千鳥 連れ立ちて友呼ぶや 海士の小舟なるらん 雨に着る 雨  に着る。田蓑の島もあるなれば 露も眞菅の笠はなどかなからん 難波津の春なれや 名に負う梅の花笠 縫ふてふ鳥の翼には  かさゝぎも有明の 月の笠に袖さすは 天つ少女の衣笠 それは少女 これは又 難波女の 難波女の 被く袖笠肱笠の 雨の  蘆辺も 乱るゝかたを波彼方へざらり此方へざらり。ざらりざらりざらざらざつと 風の上げたる 古簾 つれづれもなき心お  もしろや


□外部関連サイト
 
◇京都祇園祭 芦刈山
 http://www.ashikariyama.org/ashikari/m_ashikariyana.html


00908 佃島住吉神社祭

2009年01月25日 | 日本の山車
00908 佃島住吉神社祭

東京都中央区佃一丁目

佃島住吉神社

□祭は八月上旬。

太鼓山車、獅子山車がある

・一部 上町

太鼓山車。昭和三四年の建造、浅草田原町の岡田屋太鼓店。

・二部 下町

太鼓山車。昭和三四年一一月の建造。浅草田原町の岡田屋太鼓店。

・三部 東町また向町ともいう

太鼓山車は昭和三一年八月の建造。彫刻は漁商高橋長吉。中沢弘の作。

次の三地区には山車各一臺、三臺の山車があったが現存しない。

・佃島

・新佃

・月島

□汎論

葛飾北斎の冨嶽三十六景でも知られる佃島は、隅田川が東京湾にそそぐ位置にある。

徳川家康関東開府にあたって摂津国佃村(現大阪市西淀川区佃)の漁師らが江戸に移り住んだ地だといい、正保二年(一六四五)、現地に百間四方の土地を埋め立てて島とし永住することになり、郷里の佃村にちなんで佃嶋と名づけた。

住吉神社は郷里の佃村から同行した神官の平岡権大夫好次が、摂津佃村の住吉社(現在は田蓑神社)より分祀を受けて祀ったとされる。田蓑神社は、はじめ田蓑嶋神社、住吉神社、田蓑神社と変遷している。神功皇后が三韓からの帰途、摂津佃村に住吉三神を祀ったと伝えられ、のちに神功皇后も祭神に祀られている。住吉大社より由緒が古く、世に言う難波河尻島の八十島祭は田蓑神社の祭であった。境内に謡曲の芦刈の碑がある。

謡曲の芦刈は、京都祇園祭に芦刈山が曳かれ、飛騨高山の三ノ町にある恵比寿臺は旧臺を芦刈といい、日下新左衛門が淀川畔で芦をかるからくりが戯あった。





□外部関連リンク



◇住吉大祭 佃・月島

2008/8/1(金) 午後 8:46

... 大阪の佃にある田蓑神社(江戸以前は住吉神社)も今日がお祭りです。 大阪では圧倒的に住吉大社系の神社が多いのですが、時代の趨勢で祭りの日程はほとんど週末です。 ... 太鼓を載せた山車を曳きます。 山車は、その外見から通称「ふとん太鼓」と呼ば
http://blogs.yahoo.co.jp/tsukudayl/13672144.html