暘州通信

日本の山車

24255 山車の緋幕

2007年09月16日 | 日本の山車
24255 山車の緋幕
高山の屋臺をはじめ、各地の山車の胴部は羅紗地の緋幕蛾が多く用いられている。輸入品の緋幕、懸装品(タペストリー)などは、清(中国)の商人だった、日本名を後藤春卿がほぼ一手に扱い、日本からの輸出品は乾燥あわび、伊丹の銘酒を積み出し、遠くルソンあたりまで運んでいる。
安政四年以後は、高山の屋臺に数々の著名な彫刻を残した谷口與鹿が長崎で後藤春卿と昵懇となり、しばしば長崎の丸山にある花月に遊んでいる。
谷口與鹿が竹で彫刻した亀は後藤春卿に贈られ、春卿はその作に驚嘆して中国に持ち帰ったが、これをみた斥浦の文人だった沈浪仙が感嘆してこれほどの名工は漢土(中国)の何処を探して見当たらないだろうとわざわざ文をしたため長崎にいた與鹿にことよせている。その亀は水を張ったたらいに浮かべると手足で水をかき、水中にもぐったと言う話が残っている。

00257 半田板山祭

2007年09月16日 | 日本の山車
00257 半田板山祭
愛知県半田市
板山神社
□祭は四月中旬。
山車四臺を曳く。

□山車
・本子車 本板山組
前棚人形は「三番叟」。
昭和初期の再建。
大正年間に初代彫常により彫物が取り付けられる。
彫刻は檀箱に七福神。脇障子は高砂。持送りは力神。蹴込は龍。蟇股は鶴。懸魚は鶴。
水引幕は注連縄を刺繍する。
大幕は緋羅紗地。
追幕は大黒天を刺繍する。
江戸時代末期(安政年間頃?)に山車があったといわれる

・花王車 大湯組
昭和二年の建造。
彫刻は初代彫常。檀箱は天ノ岩戸。脇障子は神武東征。持送りは山車名の花王社を透かし堀する。蹴込は桃太郎の凱旋。蟇股は楠公親子櫻井の駅の別れ。懸魚は竹に虎。
水引幕は森高雅の下絵による鶴を刺繍。
大幕は緋羅紗地。
追幕は緋羅紗地に大湯組。

・旭車 小板組
江戸末期の建造。昭和二十三年に改修。
彫刻は、初代彫常が壇箱に仁徳天皇。懸魚は梅に山鵲。
瀬川治助重光が脇障子に牛若丸大天狗。蹴込に笹と竹。持送りは竹に虎。蟇股は張良と黄石公。
水引幕は緑地に鴻と松を刺繍する。
大幕は緋羅紗地。
追幕は緋羅紗地に清而美。
先の山車は弘化二年(一八四五)に市内の亀崎西組より譲り受けたが、いまは知多市北粕谷の所有になっている。

・力神車 日役組


00265 半田山之神祭

2007年09月16日 | 日本の山車
00265 半田山之神祭
愛知県半田市下半田
業葉神社
山之神社
□祭は四月中旬。
山車四臺を曳く
唐子車(北組)、護王車(南組)、祝鳩組(中組)、山王車(東組)

□山車
唐子車 北組
天保九年(一八三八)の建造。
彫刻は立川常蔵昌敬が壇箱の唐子遊び。脇障子の手長足長。
初代彫常こと新美常次郎が蹴込の獅子と牡丹。太平鰭は雲に麒麟。懸魚は鳳凰。
前棚人形は、天保十四年、隅田仁兵衛真守作の三番叟。
上山人形はからくりを行う、文政十二年、隅田仁兵衛真守作の唐子遊び。
昭和五六年に人形二体の修復が行われている。
水引幕は松村景文の下絵に群鳩飛翔図を刺繍する。
大幕は瓢箪から駒、酒呑童子を
刺繍する。
追幕は組名の北を刺繍する。
元文四年(一七三九)以前に作られた山車があったという。

・護王車 南組
明治四一年の建造。工匠は江原新助。
彫刻は初代彫常こと新美常次郎が壇箱に王朝の夢物語。脇障子に新田義貞と児嶋高徳。蟇股に千羽雀。懸魚は王子喬。持送りは力神。
二代目彫常こと新美茂登司が蹴込に一笑図。
前棚人形は大正七年、六代目玉屋庄兵衛作の巫女。
上山人形は七代目玉屋庄兵衛の蘭陵王。
水引幕は織田杏斎の下絵による鶴の刺繍。
大幕は緋羅紗地。
追幕は五色の几帳。
先の山車は明治十四年に美浜町の布土に譲渡した。

・祝鳩車 中組
大正三年の建造、工匠は石堂喜一。
彫刻は初代彫常こと新美常次郎が檀箱の天ノ岩戸。脇障子の神武天皇。前山の蟇股は七福神。前山の懸魚は鳩。
からくり人形戯があり蘭陵王。
前棚人形は大正十五年、六代目玉屋庄兵衛の太平楽。
上山人形は昭和五十六年、七代目玉屋庄兵衛作の蘭陵王。
水引幕は明治四十五年の作、池上秀畝の下絵で郡衛。
大幕は池上秀畝の下絵による浪の刺繍。
追幕は間瀬琳一下絵による蘭陵王。

・山王車 東組
大正十四年の建造。
彫刻は初代彫常事新美常次郎が壇箱の仙人隠栖。力神。脇障子は源為朝。蟇股は馬師皇仙人と蟇仙人、懸魚は菊。
二代目彫常こと新美茂登司が蹴込に竹に虎。
からくりがある。前棚人形は唐子で昭和五十五年、七代目玉屋庄兵衛作。
水引幕は金鉋の下絵で松と鷹を刺繍する。
大幕は平成四年の作、琴高仙人と費長房を刺繍する。
追幕は東雲橋と桜を刺繍する。
先の山車は大正九年に市内の岩滑新田平井組の山車を譲り受けて曳いたあと十三年に他に譲渡した。