24255 山車の緋幕
高山の屋臺をはじめ、各地の山車の胴部は羅紗地の緋幕蛾が多く用いられている。輸入品の緋幕、懸装品(タペストリー)などは、清(中国)の商人だった、日本名を後藤春卿がほぼ一手に扱い、日本からの輸出品は乾燥あわび、伊丹の銘酒を積み出し、遠くルソンあたりまで運んでいる。
安政四年以後は、高山の屋臺に数々の著名な彫刻を残した谷口與鹿が長崎で後藤春卿と昵懇となり、しばしば長崎の丸山にある花月に遊んでいる。
谷口與鹿が竹で彫刻した亀は後藤春卿に贈られ、春卿はその作に驚嘆して中国に持ち帰ったが、これをみた斥浦の文人だった沈浪仙が感嘆してこれほどの名工は漢土(中国)の何処を探して見当たらないだろうとわざわざ文をしたため長崎にいた與鹿にことよせている。その亀は水を張ったたらいに浮かべると手足で水をかき、水中にもぐったと言う話が残っている。
高山の屋臺をはじめ、各地の山車の胴部は羅紗地の緋幕蛾が多く用いられている。輸入品の緋幕、懸装品(タペストリー)などは、清(中国)の商人だった、日本名を後藤春卿がほぼ一手に扱い、日本からの輸出品は乾燥あわび、伊丹の銘酒を積み出し、遠くルソンあたりまで運んでいる。
安政四年以後は、高山の屋臺に数々の著名な彫刻を残した谷口與鹿が長崎で後藤春卿と昵懇となり、しばしば長崎の丸山にある花月に遊んでいる。
谷口與鹿が竹で彫刻した亀は後藤春卿に贈られ、春卿はその作に驚嘆して中国に持ち帰ったが、これをみた斥浦の文人だった沈浪仙が感嘆してこれほどの名工は漢土(中国)の何処を探して見当たらないだろうとわざわざ文をしたため長崎にいた與鹿にことよせている。その亀は水を張ったたらいに浮かべると手足で水をかき、水中にもぐったと言う話が残っている。