一言、云いたいね

社会の状況を見て一言云わせて貰う

世界の紛争は領土・領海、宗教が主体

2019-05-13 08:21:04 | 日記
世界には多くの紛争が行われている。この殆んどすべてが領土・領海と宗教によるものだ。ここまで紛争が拡大し、長引くと世界は一体どうなってしまうのだろうか。領土や領海は限られたものだ。それを紛争の種にしてしまうのは何とも悲しいことではないか。この紛争、日本も例外ではない。特に竹島や尖閣諸島は戦後ずっと続いている。イラクやシリアなどの中近東の紛争も終わる気配は殆んど見られない。アフリカ各地でも紛争は絶えない。中南米においても紛争が続いている。

ここまで世界的に紛争が拡大し、長引いてしまうと、果たして平和な世界が来るのだろうか、と疑問に思ってしまう。そもそも大国と言われているアメリカ、ロシア、中国がすべての紛争に直接的、間接的に関わっているのではないか。大国の論理が紛争を巻き起こしていることも確かだが、それ以外にも民族紛争、宗教紛争がある。日本と韓国の間の竹島問題のようなことは世界のあちこちで起きているはずだ。国同士、民族同士の争いごとは何時の時代もあったことは確かだが、これこそ何時まで経っても解決をすることはないだろう。

どうしたら解決できるか、と言っても理屈ではわかっても理屈通りにいかない。それは日韓の間などは全くその通りの紛争なのだ。理屈が通らない国に対して幾ら正しい理屈を並べても解決にはならない。日韓の紛争も世界の紛争の一つとして捉えれば、お互いの国が解決策を並べたところで解決は程遠いだろう。日本は四方を海に囲まれているからまだいいのかもしれないが、これが陸続きだったらもっと厳しい状況になっているかもしれない。南シナ海のような岩礁にも領海の争いが起きてしまうのだから、どうにもならない。

中近東の紛争は領土や領海ではなく宗教紛争其のものになっている。いや、その前に欧米の近代国家が国境線を無理やり作ってしまったことが紛争の始まりではないか。民族が分断され、宗教派閥が分断され、そこに国境なるものが出来てしまったのだから複雑怪奇だ。世界が紛争の波に巻き込まれている時でも、時には平和を願う人たちもいる。しかし、そういう人たちも紛争を解決する手段を持っているわけではない。一時的な平和を勝ち取ったとしても直ぐに紛争に巻き込まれることが多くある。

世界平和などという言葉を聞いても、それが何時そういう時代が訪れるのか、誰にもわからない。日本は幸い平和のように見えるが、これも何時まで続くのか判らない。外国から多くの人が訪れ、その中には紛争を巻き起こそうとするような人も含まれているかもしれない。日本は武器を調達するのが極めて難しい。現在のような厳しい取り締まりを今後も続けてほしいと願っている国民は殆んどだと思う。不届きな人間が出てくる前にシャットアウトできればいいのだが、それが出来なくなったら大変だ。

人権弁護士なる人が、厳しく取り締まりをやろうとすると必ずイチャモンを付けてくる。こういう人は一体どうしたら凶悪な犯罪を取り締まることが出来るのか、具体的な方策は何も発信していない。無責任だと言わざるを得ない。何も中国のような人権を無視した管理社会を造ってほしい、と言っているわけではない。
コメント    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« バ韓国の国会議長、相手にし... | トップ | 国は司法制度の違いをしっか... »
最新の画像もっと見る

コメントを投稿

日記」カテゴリの最新記事