一言、云いたいね

社会の状況を見て一言云わせて貰う

親に金がない人は高校卒で諦めろ、という事か

2015-01-27 05:44:55 | 日記

『子育て費用贈与を非課税に 政府方針、1000万円で調整』と言う記事を見て考えてみた。勿論、頭が良ければ、奨学金で上級の学校へ行くことは可能だ。しかし、生活費は自分で稼がなければならない。大学へ行くのは大変なことなのだ。今では、何でもいいから大学へ行かせるように親が努力をしているが、問題は大学へ行くことがそれほど必要なのか。何のために大学へ行くのか。

大学に入学することを目的にしているのではないか。高等教育を受けることは立派なことかもしれないが、ただ良く解らない学問をただ学んでいるだけではないのか。卒業した人たちを見ると、大学へ行った意味が良く解らない。高等教育を受けているにも拘らず、それが社会人としてどのように活用されるのか。仕事に直結していないまでも、大金を掛けて大学で学んだことが世の中に役に
立っているのだろうか。今回政府が打ち出した子育て贈与は将に金がない親にとっては辛いことだ。子供にはせめてみんなと同じように学校へ行かせたいのが親の心理。金がある親と金がない親の差は歴然としている。高等教育を受けるためには親が金を持っていなければできなく
なった。戦前は、授業料の掛らない学校が存在した。それが師範学校である。この制度、戦後に無くなってしまい、教育大学、或いは国公立の教育学部になってしまった。

『金は天下の廻りもの』というが、将に天下は金が支配している。これが資本主義の典型なのだが、下層階級を救う手だてをある程度考えないと社会が不安定になる。今のままだと、益々学歴差が生じてしまう。お隣の国・韓国では学歴社会そのものだという。そのようにならないための施策も必要なのではないか。金持ちと貧乏人の差がだんだん開いているのも確かなようだ。社会を安定させるためにもう少し考えないといけないような気がする。

戦前の日本には師範学校と云うものがあった。この学校は授業料が殆ど掛らなくてお金が無くて優秀な人が受験していた。ここを出た人の多くが学校の先生になった。この制度が貧乏人を救う唯一ノ制度だったことは確かなのだ。今では奨学金制度はあるが、果たしてそれが生きて使われているだろうか。

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