『中国で「サンタを排除せよ」 クリスマス規制の動き』という記事を見て、共産主義と宗教に接点は難しい、と感じた。共産主義を浸透させるには宗教は邪魔なのだろう。共産主義の協議には宗教を必要としないのだ。人間の心を強く推し進めるのは良く無いことなのだ。宗教心を進めていくと、必然的に共産主義を否定してしまうのだ。しかし、昔のソビエト、今のロシアではロシア正教が共産主義と一見して仲良くやっているように見える。
ロシア正教は共産主義とどこかで妥協をしているのだろう。どこで、どのように妥協点を見つけたかは判らないが、とにかく数十年の間、ロシア正教はソビエト共産党と共存してきたのだから、中国とは違う点があるに違いない。それにしても、中国共産党は何時まで経っても宗教を受け入れることはできそうにないようだ。何故宗教をこれほど嫌うのだろうか。その昔、仏教が栄えたこともあったし、儒教文化も少しは残っている。中国共産党の幹部には宗教を心から受け入れられない何かがあるのかもしれない。
そういう日本人も昔は仏教を取り入れ、神道も同時に取り入れてきた。現在は、昔ほど強く家庭の中に持ち込む人は少なくなっている。それでも、何かにつけて古来の行事には仏教、神道に因んだものが多く取り入れられている。或は、外国から入ってきたキリスト教に関する行事も取り入れられている。日本人は一神教という考え方を持っていないために、宗教による争いごとは殆んど見られない。キリスト教やイスラム教のように他宗教を排除するようなことは日本では起きていない。
中国共産党は宗教を何故拒もうとするのだろうか。そこには共産党の持っている弱みが垣間見えてくる。宗教の信義によって共産主義の根幹を揺るがすようなことが起きる可能性を秘めているからだ。キリスト教やイスラム教はどちらかといえば強い信念を持っており、共産主義を否定することも考えられるからだ。宗教が政治を支配してしまう、ということはイスラム教国家では通常に起きている。今に中近東諸国は実際にそのようになっている。
中国共産党が最も恐れるのは、共産主義が宗教によって侵略されることではないだろうか。人間の心を変えてしまうほどの宗教心というのは共産主義のような新しい政治思想では追いつけないものを持ち合わせている。宗教心が強くなればなるほど共産主義の崩壊が起きてくることを最も恐れているのが今の中国共産党であろう。宗教の勢いを小さい時から制限しておけば、中国共産党も人民から否定されずに、これまで通り維持できる。ある意味では安全策を取ったということだろう。
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