矢張り来るべき時が来た、という感じがする。何時かは日本も標的になるだろう、と言うことは誰もが考えていたはずだ。それがついに来たか、と言うことになる。日本がイスラム過激派に賛成する意見を述べていれば過激派は日本を標的にしないかもしれないが、それは民主主義国を訴えている日本の立場ではできない相談だ。
イスラム教を基本とするイスラム過激派は、人道主義、民主主義、人権、法治国家などと云う言葉は一切通じない。彼らはイスラム教をただ信じ、行動の全てをイスラム教に沿って行う、と言う考え方しかできない。イスラム法の教義そのものしか考えていない。そのような考え方をしている人たちにとって、民主主義など糞の役にも立たないのだ。
従って、イスラム教を信じない人間は凡てが的になり、攻撃の対象となる。イスラム教信者でも穏健派と云われている人たちがいる。穏健派と過激派は水と油の関係程違いがある。小生はイスラム教の信者ではないので、どうしてここまで対立し、殺し合いをしなければならないのか理解できない。
イスラム国家と云われている国は、すべての物事の上にイスラム教が存在する。この組織形態は中国共産党とそっくりである。中国も組織形態のトップに共産党が存在し、その下に司法、行政、立法がある。イスラム社会に於いてはイスラム法が絶対である。これに背くことは出来ない。イスラム教信者はイスラム教以外の宗教を信じる人との結婚は禁止されているという。
人間生活すべてがイスラム教に支配されているイスラム社会は、穏健派であろうが過激派であろうが、世界を本当に幸せにすることが出来るのだろうか。イスラム教しか認めない今のイスラム社会は、とても民主主義国家にはなりえない。少なくとも中国のように宗教を認めない国とは水と油の関係になるだろう。過激派がこのまま進んでいくと何時かは世界で大きな衝突が起きるのではないか。過激派がこのまま衰退していくとは思えない。日本を標的にする、と言うよりも民主主義国家を全て標的にすることになるのではないか。第3次世界大戦はもしかすると宗教戦争と共産主義、資本主義の三つ巴の戦になるのではないか。