アメリカでは銃による大量殺人事件が起きるたびに銃規制問題が浮上する。アメリカライフル協会が国会議員に大量の政治献金を行っているために国会議員による銃規制強化をすることが出来ない。それでも銃規制を訴える国民は少なくないのだが、疑問が多く残るのは自己防衛するためと称して何故自動小銃が必要なのか、という事だ。それも、大量の銃弾を装備できるのだから大量殺人が起きるのも不思議ではない。
勿論、日本人の考えとしては一般個人が銃をどのような形にしろ所持することなど考えも及ばない。日本では銃の所持が基本的に禁止されているからだ。猟銃用など一部許可を取れば所持できるのだが、これも簡単に許可が下りるわけではない。アメリカでは、個人が銃を所持できるのは憲法で認められているからだ。しかし、それにしても何故自動小銃まで認められてしまったのだろうか。
考えられるのはアメリカライフル協会であろう。銃の販売も商売として成り立つ。多くの銃が売れれば儲かるだろう。販売実績を上げるには多くの銃を揃える必要がある。小さい物から大きいものまで、単発中からライフル銃、自動小銃まで多くの銃を販売することで商売が成り立っていく。銃社会を造ってしまってから、銃の所持を禁止する、というのは極めて難しい。若しも、今、憲法を改正して銃の所持を禁止する、という事になったら、さて、今出回っている銃をどうするのか、という問題が生じる。
所持している銃の供出を行ったとしても果たして全ての銃を回収することが出来るであろうか。4億丁とも言われている銃を、どの余蘊回収するのだろうか。回収しきれなければそれが犯罪に使われることになるかもしれない。或いは、所持を禁止すれば今所持している銃の価格が闇値で高く取引される。まるで禁酒法時代と同じになってしまうだろう。エリオット・ネスが再び出てこなくてはならない。
マフィアが再び活躍する時代が来てしまうだろう。という事はアメリカの銃社会を変えることは極めて難しい、という事になる。銃を社会から無くそう、という考え方は正しいかもしれないが、実現するには高い高いハードルがある。それを乗り越えることが出来るか、であろう。云うのは簡単だが実現するのは簡単ではない。銃社会を造ってしまったのがそもそも間違いだった、という事だ。日本は幸せだ。銃社会を作らなかったことに感謝しなければならない。
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